招かれざる招待客 3
リュークとの言い争いから数日後。
わたしは説得するためのヒントを探そうと、蔵書室で世界各国を紹介する書物に目を通していた。
『――ネス国は自然に囲まれた美しい領地で、その景色はまるで詩や絵画から抜け出てきたかのように美しいと称されます。また人々は協力と調和を大切にし、国家間の争いごとはめったにありません。またかつての旧魔法帝国時代の建築物である離宮が存在し、その場所ではかつての栄華のなごりが伺えます。』
「……つまり大きな産業や特産品のない、地味な小国ってことよね。地理的に利便性もないから戦争が起きにくいかわりに、発展も少ない。結果未開発で手つかずの自然が多く残っている、と」
ありきたりな説明文に思ったままの感想を口にすると、側に控えていたアンが「そんな身もふたもないことを」と呟いた。だけど実際大きさだけで言えばバルテリンクとさほど変わらない、本当に小さな国なのだ。
しかし私にとってなにより大切なのは説明文の最後の一文。かつて高度な魔法技術を持っていたといわれる『旧魔法帝国』。その領土は広大で、このバルテリンクもその領地の一部だったという。その国が存在した時代をひっくるめて『旧魔法帝国時代』と呼ばれているのだが、ネス国の離宮はその時代の数少ない遺物の一つだった。
現代ではそのほとんどが失われた、旧時代の建築物。
その古代ロマンが猛烈にわたしの好奇心を刺激した。
「あの、ユスティネ様。あれだけ大騒ぎしておいて、本当にただ歴史的な建築物を見たいだけなんですか?」
「え? そうだけど」
「はあ、相変わらずですねえ。あたしはてっきり、なにか深い政治的な理由でもあるのかと」
「文化的遺産は計り知れない価値があるでしょ!」
「ご当主様と喧嘩をするほどですか? ううん、学のないあたしにはよくわかりません」
残念ながらアンにとっては雇い主の機嫌の方が重要らしい。
しかしわたしは周囲の無理解にへこたれるような軟弱者ではない。
「なにかリュークを説得できるような材料がないかと思ったのだけど、結果は不発ね。はあーあ。正攻法で頼んでもダメ、周囲を巻き込んでも向こうが上手。どうしたらうんと頷かせることが出来るのかしら」
あの後もダメ元で手を変え品を変え同行を願い出ているけど、安全が確保できないの一点張り。国王であるお父様や王太子のお兄様ならともかく、降嫁の決まっている第四王女に少々やりすぎではないだろうか。もうちょっと柔軟性というかなんというか……。
「今回は諦めたらいかがですか、ユスティネ様。三年は言いすぎにしても、いずれ機会がありますよ」
「無いわよ、今回が最後だもの」
「え……?」
おっと。
つい気が緩んで余計なことまで言ってしまった。
「えっと……そのほら、わたしが王女として行けるのは最後ってこと。それに離宮は通常、ネス国の王族以外の立ち入りが禁止されているの。今回は特別にその離宮で建国日記念の式典が行われるというから、千載一遇のチャンスなのよ」
「ああ、なるほど」
慌てて言いつくろうが、本当はそれだけが理由じゃない。死に戻り前の『前回』の経験で、完全な姿の離宮が諸外国に開放されるのはこの式典が最後であると知っている。
この情報をたとえば、何故知っているのかを上手く誤魔化してリュークに伝えられないかとも思った。しかし何度想像してみても『だからなんです? 所詮はただの古びた建築物ですよ』と相手にされない未来しか思い浮かばない。きっと歴史のロマンだとか文化だとか、そんなものはとても安全と引き換えにできないと一蹴されるに違いなかった。
すっかり手詰まり、打つ手なし。
どうしたものかと考え込みながら廊下を歩いていると前方から誰かの話し声が聞こえてきた。
「なんてわがままで横暴な! その場にいたら一言お諫めしたものを」
「ええ、本当に」
いかにも貴族らしい、豪奢な衣装に身を包んだ太い脂ぎった体の中年男性と城の若いメイドが話し込んでいる。向こうはこちらに気がついていないらしい。なにやら熱心に話し込んでいる。
「あの方がいらっしゃってから、この城全体が騒がしくて大変だ。秩序も何もあったものじゃないな」
「あんなに大勢の前でご当主様に文句を言うだなんて、信じられません」
アンも二人に気がついたらしく、気遣うようにそっとわたしに寄り添った。
「ユスティネ様、気にすることはありません。あたしはいつでも味方で……」
「ふむ。なにやらひどく不快な人物がいるようね。一体誰なのかしら。困った人もいるものだわ」
「!?」
アンは信じられないものを見るような目で見返してくる。
うん? なんなのよ。
二人は声をひそめることもなく話しているため、特に注目していなくても会話が耳に入ってくる。
「リューク様を大声で罵るだなんて。常識というものがないのか!」
ほほう、領主であるリュークとやり合うなんてとんでもない不敬な人物らしい。
まあわたしもつい数日前に少しもめたけど、罵るというほどのことはしていない。ちょっとばかり自分の感想を伝えただけだもの。
「しか他の貴族と結託して強引に事を運ぼうとしたとか」
他の貴族と結託? 犯罪じゃない!
そういえば先日似たようなことがあったけど、あれはちゃんと理由があっての事だからセーフでしょ。
「そのうえご当主様を睨みつけ、足音を踏み鳴らして帰っていったとか! 王族としてとても信じられない振る舞いですわ」
「婚約者になったからと言って立場にあぐらをかきすぎだ。愛想をつかされ、追い出されるのも時間の問題に違いない」
…………。
王族。
婚約者。
今のバルテリンクでその単語が出てくる人間といえば一人しか思い当たらない。
まさか、まさかとは思うけど。
「まったく、あのユスティネ王女殿下ときたら」
固有名詞まで出たら、もはやわたし以外の誰でもないわね!
「あ、あわわ……。ユ、ユスティネ様……」
後で青ざめているアンのことなどつゆ知らず、二人はますますヒートアップしていく。
「そもそも招待もされていない場所に図々しくあがりこもうだなんて、呆れかえるばかりだ。普段から他人の迷惑を顧みず、たとえ悪口を言われても自分の事だとは気がつかないのではないか?」
貴族は小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
メイドも追従するように強く頷く。
「催しを行う時に時々そういう横暴な方がやってくることがありますが、身分が高く文句を言えません。ご主人様はパーティーの格があがると喜びますが、私達使用人にとっては本当に迷惑な存在ですよ。そういった人たちのことを『招かれざる招待客』と言って馬鹿にします」
「まったく、身分の高さから好き勝手に振る舞うだなんてみっともない。我が国の恥だよ。ネス国の姫君も相当な悪女だというが、王族というのはみなあんな風なのかね」
「二人とも、ずいぶん楽しそうにお喋りしているわね」
ツカツカと近寄り声をかけると、二人は飛び上がらんばかりに驚いた。
今すぐ逃げ出したいであろう二人にとって、今のわたしこそ『招かれざる招待客』なのだろう。そう考えるとおかしくなって、ついにっこりと微笑んでしまった。
「わたしも会話にまぜてもらえるかしら?」
二人はますます顔を青くする。
(ふうん。高圧的で有名なヘルト子爵と……このメイドはたしか、子爵の親戚でエミリアだったわね)
彼らはかつてわたしが失脚させたモンドリア伯爵と懇意だった。二人の陰口には、そういった恨みもまじっていたのだろう。
「お、王女様!」
「こ、これはその……」
「『招かれざる招待客』とは面白いわね。ついでにいくつか言葉を追加しない?『高貴さのない貴族』と『無駄口ばかりで使えない使用人』よ。滑稽でしょう」
今度はそろって顔を赤くし、言葉に詰まっている。
「いいこと、この城でわたしに対する批判は二度としないでちょうだい。誰が聞いているかわからない廊下でなんてもってのほかよ」
「くっ……。は、はい……」
「申し訳ありません……」
二人は悔しさをにじませながら頷いた。
(うーん。忠告の意味がわかっていないみたいね)
まあ、いいか。とにかく彼らがわたしの言ったことを守ってくれていれば問題ないのだから。
「ああそうだ。二人には罰として一年間、救貧院での奉仕活動を命じるわ」
「い、一年間……!?」
「なにを馬鹿な!」
「月に二回程度、無理のない範囲で構わないわ。いいわね、絶対によ」
少々面倒くさくなってきたわたしは、一方的にそう宣言してその場を離れた。
部屋に戻るとアンは先ほど件を気に病んでため息をついた。
「はあ……。せっかく評判がよくなってきたのに、あれじゃまた悪い噂をたてられるかもしれませんよ」
最近はめっきり減ったとはいえ、ヘルト子爵のように当時城にいなかった者の中には未だ警戒している者もいる。私自身はいずれわかってもらえればいいとのんきに構えているが、いちいち気になってしまう性分の人間もいるようで、アンもまたそちら側のようだった。
「さっきのはなにも、悪口を言われた腹いせをしたわけではないわよ」
「ええっ、そうなんですか? あたしには完全な仕返しにしか見えませんでしたけど」
「あのぐらいでいちいち怒っていられないわよ」
嘘だと思うのなら一度、王族に生まれてみるといい。
人前に出てなにかをするというのはそれだけで悪口や嫌がらせを引きつける。誹謗中傷、やっかみや嫉妬。政治的な企みで根も葉もない噂を流されることだってしょっちゅうだ。
いちいち傷ついていても仕方ない、そういう諦観に至らざるをえない。
「わたしってすごく心が広いのよね」
「一体どこからそんな言葉が……いえ、とにかくあの二人が逆恨みをしなければいいんですが」
「あとで謝罪と感謝を伝えにやってくるかもしれないわ」
「それは絶対にないですよ」
◇
しかしその翌日、二人はそろってわたしに面会を申し込んできた。
謝罪と、感謝のお礼をしたいという要件で。
「申し訳ございません! 私たちが間違っておりました!!」
「どうかお許しください、ユスティネ王女様!」
「え……ええええええええええ!? なんでそうなるんですか!?」
まったく事態がのみ込めていない、アンの絶叫が響き渡った。




