3 傲慢王女、想定外の真実
リュークは少し考えたあと顔を上げた。
「何故、そう婚約の解消を嫌がるのですか」
「え?」
「他に優先すべきことがあったのも本当ですが、報告をわざわざ確認しなかったのは真偽がどちらだって結果が変わらないからです。貴方は初日から一貫して王都に帰りたがってました」
思わず言葉につまった。
「それが貴方の望みだと思って切り出しました。なのに突然人が変わったように王都に戻るのを拒否するのは何故でしょうか」
「…………」
「正直、貴方の行動には困惑しています。まるで婚約の白紙を宣言したあの瞬間から別人になったかのようです」
(す、するどい……!)
記憶が戻ったのは確かにあの時で、彼の考えは限りなく真実に近かった。
そして意外にもリュークは、ほとんど会話もなかった私をよく見て理解していた。現状に不満を感じ、ふてくされ、逃げる事ばかり自分の事ばかり考えていた私とは大違いだ。
「無駄に心配を煽るまいと黙っていましたが、今のバルテリンクは確実に安全な場所ではありません。特に隣接している小国からは良い噂を聞きませんし、秘密裏に恐ろしい魔法の研究をしているという噂もあるのです。距離的にも近いですしこの土地が狙われる可能性は高い」
そうだ、父もそれを懸念して私をここに送りこんだぐらいなのだから。
「私は貴方はここを出るべきだと思っています」
緊張は急速に高まっている。彼はそれを経験で、私は前世の出来事で良く知っている。
「お父様の考えは逆よ。この土地にあえて私を送りこむことで、周辺国を抑え込もうと考えているの。私が居れば王族の警護という名目で他の貴族達に反対されることなく兵士の派遣も増やせる。またその後の報復を考えれば王族は手が出しにくい相手でしょう?」
最初はこんな場所に私を送りこんだお父様を恨んだが、今となってはその判断がいかに正しかったか実感する。きっとリュークだってその事が分かってないはずは無い。
それなのに私と婚約破棄しようとするなんて。
「そんなにも貴方の力になれる私を婚約破棄するのは……子爵令嬢と結婚したいからなのよね?」
心配だとか帰りたがっているとかそんな言葉で誤魔化されたくはない。最初に来た日からずっと言われ続けてきた事なんだから覚悟は出来ている。
だがバルテリンク領には私が必要なのだ。だから私は本心はどうあれ、彼にこう提案するしかなかった。
「私はお飾りの妻で構わない。本当に愛する人とは別邸を持ってそこで暮らせばいいわ」
潔癖そうなリュークには心苦しい選択だろうが、貴族として生まれた以上それくらいは我慢してもらうしかない。ああ、だけどさすがに別邸はうんと遠く離れた場所にして。想像だけでも苛々してきて、落ち着かない気持ちになる。せわしなく爪を噛みながら、ふと前世の疑問を思い出した。
(そういえば前回のリュークは結局その後1年近くの間、誰とも結婚はおろか婚約をする事も無かったけど、一体どうしてだったんだろう)
それがずっと私の中に引っかかっていた。
てっきり追い出されたらすぐさま結婚するのだろうと思っていたのに、肩透かしを食らった気分だ。後日彼から送られてきた手紙にも子爵令嬢の事やお互いの結婚のことについては一切触れられていなかった。
今は遠い時間の事を考えていると、リュークは不思議そうに首をかしげた。
「この辺りで子爵というと、モンドリア子爵令嬢の事ですか?確かに子爵からは何度か打診された事がありますが」
……なんでここでとぼけるのだろう。ものすごく腹が立つんだけれど。
「この期におよんで変なごまかしは要らないわ。お互いの為に本音で話し合いたいの!」
「では忌憚なく言いますが、モンドリア子爵令嬢は人の上に立つ器ではないと思います」
「…………え?」
「何故そんな話になっているのでしょう。大体そのつもりがあるならとっくに結婚しているとは思いませんか」
「う。いや、それは、ま、私もそう思ってたけど……?」
しかし何度もメイド達が当然の事実のように話していたので、何か事情があるのだろうと思い込んでいた。それに、私に対してすごく他人行儀でよそよそしい対応してくるし!普通もっと相手の喜びそうなお世辞の一つでも言ったり機嫌をとったり、あるでしょう!?……いやでも、そう言われてみると単にいつも通りのリュークだっただけかも。
「じゃ……フローチェと恋人同士って話は?私のせいで結婚出来ないって!」
「彼女とそういった関係だった事は一瞬たりともありません」
先入観って怖い。
あと私の悩んだ日々を返せ。
「私が結婚相手の対象として考えているのは貴方だけですよ、ユスティネ王女」
私だけ。
王命の婚約なのだから、本来そうであるべき当然のことなのだけど。その言葉はじわじわと胸にしみて嬉しさがこみ上げた。にやける私にリュークの抑揚のない声がかけられる。
「それで改めて聞きますが、貴方がそこまで気持ちを変えた理由は一体なんですか?」
「うっ……」
アイスブルーの瞳が値踏みするようにじっと見ていた。
彼は慎重な性格だ。ここで上手く説得できなければ、今度こそ強制送還コースになるだろう。だからといって自分自身ですら理解できていない生まれ変わり云々を言いだすのは、絶対あり得ない。
(だけど、いい加減な嘘をついてもきっとすぐに見破られて終わりだわ。どう説明したらいい?このちぐはぐで一貫性がない行動の意味を)
私の中でリュークは子爵令嬢と結婚したいはずで、だから先ほどの提案をすればすぐに飛びついてくるだろうと甘く見ていた。思わぬ反撃だ。
「わ、私……私が態度を変えた理由は……」
どうしたら……。
その時、天啓のように一つの考えが閃いた。
「リュークに一目惚れしたからよ!」
「え」
思わず口に出してしまえば後は勢いで言葉が流れ出る。
「一目見た瞬間に運命を感じたの。なのに初めて恋に落ちた相手は他に恋人がいるなんて、乙女心がズタボロじゃない。悔しくて悲しくてすぐさま王都に逃げ帰りたくなって当然でしょう?でもいざ婚約破棄されるとなると、離れるなんて絶対嫌、たとえお飾りの妻でもいいからそばに居たいって思ってしまったのよ!」
自慢じゃないけど、好きだとか愛してるとか耳が腐るほど言われたけど、言う側になったのは生まれて初めてだ。ああもう、なんなのこの照れくささは。しかもこっちはこれだけ恥ずかしい思いをしたというのに、いつもどおりポーカーフェイスなリュークの考えは読めない。
「…………なるほど?それは全く気が付かなかったですね」
ギクリ。
まあ、今考えつきましたからね。
「それで、私のどこがそんなに気に入ってもらえたんですか」
「……ふぇ?」
「好きなんでしょう、私の事」
この人、とても告白してきた相手にむけるとは思えない冷静さでとんでもない事を質問してきた。嘘でしょ!?まさか、相手に自分の好きになった所を口に出して説明させる気?信じられない!……あれ、私も告白してきた相手によくやってたかも?
「え、ええっと。そうね、物静かで落ち着いた所がいいわね」
「そうですか。他には?」
「ほ、他にぃ!?」
「おや、それだけなんですか。こんな辺鄙で危険な場所に残りたいほど好きになって下さったのでは」
「か、顔です!とても私の好きな顔なの。背も高くてスラッとしているし」
「へえ。他には」
(ちょっと、これってもしかしてからかわれてる……?)
もしくは警戒されているのだろうか。だけどなんにせよ、追い出されたくないなら今度は『好きになった理由』を考えつかなければならない。
深呼吸した私は目を閉じた。
嘘をつく一番のコツは、本当を織り交ぜること。
生まれ変わりを隠すという嘘をつくためには、他は真実でなければいけない。
「……瞳。王都では珍しい、そのアイスブルーの瞳が気に入ったわ」
「瞳、ですか?」
「そう。貴方の瞳はいかなる時も冷静で公正であろうと、常に感情を抑え込んでいる。なんでも好き放題やってきた私とは正反対にね」
思いつくままに、感情のままに生きてきた私とは正反対。常に冷静、計画的で几帳面、公明正大。女を百人単位で泣かせそうな外見とは裏腹に、その性格は自制心の塊のような人間だった。生まれてから一度も悪事を働いたことがないかのような真面目くさった顔で、本心が全然見えない。
「だからこそ、その冷静沈着な仮面の下を見てみたくなるの」
あれ。考えている事を包み隠さずそのまま口にしてみたが、これは好きになった理由とやらになるのだろうか?それとも強制送還?ドキドキしながらこっそり視線を上げると、やはりいつものように冷静そのもののリュークがいた。
(でも。ちょっと頬が赤い気がする…)
「……先程も言いましたが、再調査の件に関しては異存はありません。まずは結果を待って、今後の事はその後に決めましょう。その頃には貴方の気がまた変わってるかもしれませんしね」
「貴方だって少なからず私に興味があるはずよ。だって私達は、無視するにはあまりにも違いすぎるもの」
駄目押しで畳みかけると珍しくリュークの方から目を逸らした。
絶対顔赤い。
なんだろう。とっても勝った気分。
その日の夕食は何故かとても豪華だった。