伯母の来訪 ⑭ ※商人視点
クライフ伯爵家に取り入り、専属商人のルドルとして機嫌を取り続けて二十余年。上手くすれば最後まで騙しとおせるかと思った計画は、一人の小娘のお節介のせいであっけなく破綻した。
ああクソ、王女さえ余計なおせっかいをしなければ――!
温室の中が月光によって明るく照らされ、ゆっくりと咲き始めた花に一同の注目が集まった。
計画を滅茶苦茶にされた事は腹立たしいが、これが潮時だとすみやかに出口に向かい、そっと外へのドアを開ける。しかし思っていたよりも緊張していたのか、ガチャリと音を鳴らしてしまった。
慌てて立ち去ろうとするが、それより早く怒気をはらんだ声が鋭く響く。
「待ちなさいルドル、どこに行くつもり!」
命令する事に慣れきった王女の口調に、身分の高い者に逆らってはいけないと叩き込まれている体がビクリと動きを止めてしまう。仕方なく卑屈な笑みを貼りつけながら、ゆっくり振り向いた。
「まだこの私めにご用でしょうか。……多少気の利かない所はあったことは認めます。しかし先程のバルテリンク辺境伯様のお言葉通り、私は無罪なのです」
生意気な王女は腕組みし、じっとこちらをねめつけた。
「法の上ではそうなのかもしれない。だけどこうは思わないの? あなたが余計な真似をしなければ、妙な誤解は生まれずにドリカ夫人とソフィア様が和解できたかもしれない。それを目先の欲で台無しにしてしまったと、ほんの少しでも罪悪感は無いのかしら」
ふん、下らない。
さては少しでもこちらの感情に訴えかけ、これまで巻き上げられた金銭のいくらかでも返して欲しいとでも思っているのだろうが私の知ったことではない。
ただ隙をみせた間抜けがいただけ、利用される方が悪いのだ。
「ですからドリカ様の手配により全て寄付してしまったので、返金することは出来かねるのですよ。文句があるのなら直接伯爵夫人に訴えて下さい。まあ、伯爵家にそんな甲斐性があるかは分かりませんが……」
「わたしはお金の話なんてしてないわ!!」
「くくっ、とにかく私は貴方がたに勝ったのです! 失礼しますよ!」
そう言って今度こそ呼び止められる間も無く、外へと飛び出していった。
――やった、無事に逃げおおせた! 後はこれまで貯めこんだ財で残りの人生を贅沢に生きよう。もう誰に媚びへつらう事も無く、好きなような人生を……!
しかし何歩もいかないうちにドンと壁にぶつかり尻餅をついた。
「痛い! くそ、……こんな所に壁なんかあったか?」
舌打ちをしながら顔をあげると、全く目鼻が無い大きな人間が微動だにせず立っていた!
「ひぃやあああっ!!」
地面に這いつくばったまま、情けない叫び声が喉を突く。
よく見ればそれは顔面を覆いつくすフルフェイスアーマーで、もちろん中には生身の人間が入っているに違いない。だが理解はしていても人間味を一切排除した無機質なその面は、不気味な印象を強烈に植え付ける。それが何体も無言で並んでいれば尚更だ。
そもそも城の護衛兵にも辺境騎士団にもこんな重厚な装備は使われていない。
「い、一体、何者っ……!?」
「思ったより来るのが早かったわね。間に合ってよかったわ」
背後から悠々とやってきた王女がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
その言葉に頭の隅にあった記憶が転がり出てきた。噂に聞いた、忠実なる王族のしもべ。
――王宮騎士団だ。
「な、何故、彼等がここに……? 普段は城外に待機しているはずなのに……」
「先程あなたを呼び出すとき、一緒に侍女に言づけたのよ。そんなことより、どこに行くつもりなのかしら。まだ話が終わって無いわよ」
もう逃げ場は無いとばかりに仁王立ちする王女。その姿は手出しできないはずの勝者を前にしているというのに、実に堂々としたものだった。
「わ、私は、何もっ…!」
「あなたの言い分はわかったわ。あなたがそのつもりなら、こちらも充分にお礼をしなくちゃね?」
「お、お礼……? ま、まさか私を害するおつもりですか!? へ、辺境伯様のお言葉を聞いていたのでしょう!」
王女の言う礼とやらが言葉通りのものであるはずがない。
まさか将来の夫である辺境伯の言葉を無視し、私刑を行うはずがないと高を括っていた私は心底震え上がった。しかし彼女の暴走を止められそうな辺境伯達は、言い含められているのか姿を見せない。
今すぐ大声をあげて助けを呼べば間に合うだろうか?
「あはは! わたしはこの国の王女なのよ? 誰に遠慮をする必要があるのかしら!」
王女は月明りの下で傲慢に微笑んだ。
「ひっ! そんな……!?」
震える足でその場を逃げ出そうとするが力が入らない。いや、もしもこの足が動いたとしてもとても彼等から逃げおおせはしないだろう。叫び出そうにも恐怖で喉が張りついて声が出ない。やがて私は乱暴に体を担ぎ上げられ、建物の地下へと運ばれた。手慣れたその様子から、この先にあるのは王女がよく使う拷問場所かもしれない。
「お、おお、お許しを……! お慈悲をっ……!」
「うふふ、何を言っているのかしら。……久しぶりに楽しくなってきたわね!」
地下には人間が入れるほどの大きな水槽があり、中には不気味な色で泡だっている液体があった。見たことが無いようなおぞましいものを前に、ふと思いだす。世の中には人の体を溶かす液体があるというがまさか……。
「さあ、この中に投げ込みなさい!」
楽し気な王女の言葉に戦慄した。
恐ろしい事に、終始無言を貫く王宮騎士団は寸分の迷いもなく王女の命令に従おうとしている。私は気力を振り絞り、なんとか助けを乞おうと口を開く。
「ひっ……つ、罪に問われるのは貴方様の方なのですよ!? い、い、今なら何も無かったことにして差し上げます! ……そうだ! わかりました、隠し金のありかを教えますから! 私を殺したら金は手に入りませんよ?」
一瞬、王女の表情が陰ったように見えた。
損した金を返すというのだから、喜ぶべきところなのに何故なのだろうか。しかし次の瞬間には何事も無かったかのように悠然としていたのだから私の見間違えかもしれない。
「殺す? まさか、そんなことしないわ。……でも」
王女は意味ありげにニヤリとした。
「たとえ殺されても、死体が現れなければ何も無かったのと同じよね?」
なんて恐ろしい事を言うんだ!!
「お、お止め下さい! 嫌だ!! 助けてくれ!!」
「まあ、本当に貴方って遠慮深いのね。さあお前たち、お手伝いしてさしあげなさい!」
「遠慮なんてしてない! よせ、止めろ――っ!!!!」
王宮騎士団の者達は私の体を軽々と抱え上げ、有無を言わせず水槽の中へと投げ込んだ!
バシャーンッ!
「ぎゃあああああっ!!!」
怪しげな水に浸かった途端、予想通りビリビリとした刺激が走った!
体が溶けているのか全身をぶくぶくとした泡が覆う。
――ああこんな最後を迎えるだなんて、やはり悪い事などするものじゃない……!
絶叫をあげ意識を失う直前に見えたのはこの上なく残酷に微笑む王女の姿と、ようやく駆け付けた辺境伯達の姿だった。
◆
私は全身を溶かされ死んだのだろう。
だから脳裏に聞こえてくるこの声は、きっと走馬灯のようなものに違いない。
「……それで、本当にあれは致死するような薬品なのですか?」
「そんなわけないでしょ! 例の発泡ジュースの技術を入浴に転用できないか実験中なの。まだ調整中だけどちゃんと疲労回復や血行促進する体にいい効果があるわよ。まあ事前にどんなものか説明しないで入ったらさぞや刺激的でしょうけど、彼が言うにはうっかり『伝えそこなって』しまう事はよくあることみたいだから、特に問題は無いわよね?」
明るくころころと笑う王女の声を最後に、今度こそ私の意識は深く沈んだ。
※通常の炭酸泉には作中のような刺激はありませんのでご安心ください




