伯母の来訪 ⑬
「わたし、ずっと気になっているのだけど……そもそもソフィア様の結婚生活は本当に不幸だったのかしら?」
わたしの問いかけに、ドリカ夫人は虚をつかれたように黙り込んだ。
姉妹であるソフィア様が、身代わりとして先代バルテリンク辺境伯と結婚したという経緯はわかった。しかしだからといって、彼女の結婚生活が必ずしも不幸だったなんて決めつけるのは早計ではないだろうか。
なのにドリカ夫人ははじめから不幸だったと決めつけて、そのせいで無理な契約をしようとしていたし、そこを悪徳商人に目をつけられた。
「終わってしまった事は仕方がないわ。でも、あなたが一番気になっているのはお金ではなくてソフィア様が幸せだったかどうかよ。そうでしょう?」
「……そうなんですか?」
リュークが意外そうに訊き返してきた。
「バルテリンクに惜しみなく私領の資源をつぎ込み続けたのは、本当に罪悪感からだけかしら。いくら姉妹とはいえ上辺だけの罪滅ぼしが二十年以上も続けられると思う? 普通ならどこかで『出来るだけの事はした』と、取引を止めるなり値段をつりあげるなりしてるはずだわ」
ましてやバルテリンク領はクライフ領よりもずっと豊かで、クライフ領は余裕が無かった。そんな状態で取引を続けるのは並大抵の事ではなかったはずだ。だけどドリカ夫人は今日までそれを止めようとはしなかった。
「あなたはソフィア様をとても愛してくれていたのね」
ドリカ夫人は力なく頷いた。
「……ええ、そうですわ。あの子は天使のように可愛らしくて私のなによりの自慢でした。だけど運命の歯車が狂ってこんな事になってからは、ソフィアはわたしを恨んでいたでしょう。当然ですわ」
ドリカ夫人はグスンと鼻をすすった。
「罪滅ぼしといいつつ、どこかで下心はあったのです。鉄鉱石という目に見える形で謝罪し続ければいつかソフィアが許して、クライフ領を訪れてくれる日が来るんじゃないかって。だけど一生をめちゃくちゃにされた恨みはそんな事じゃとても……」
「ちょっと待って! だから鉄鉱石の取引に関してはお互いの勘違いだったわけでしょう?」
「ああ、そうでしたわね。ですがもしそうでなかったのなら、どうしてたった一度の里帰りもせず、私に会いに来てくれなかったのでしょうか? 結局、それが一番の答えですわ」
ソフィア様は何度招いても結婚後ただの一度も里帰りしなかったそうだ。それはドリカ夫人の疑念をいっそう深くした。
「ならドリカ夫人自身は、何故バルテリンクに来なかったの?」
「行けるわけがありませんわ! 私はバルテリンク辺境伯の婚約の解消を願い出たのですよ? その上ソフィアの許しも無いのにのこのこ訪ねに行くだなんて、無理です」
(ううーん。ソフィア様は本当に長年ドリカ夫人を恨んでいたのかしら? そうは思えないんだけど……ただ、行き来出来ない距離ではないにも関わらず一度もクライフ領を訪れなかった理由だけが分からないのよね)
わたしは天井を仰ぎ見た。
曇りの多いバルテリンクの空、先程から月明りが見え隠れしている。
丁度その瞬間、一筋の月光が温室に舞い降りた。
そして温室の一角が照らされると、キラキラとした輝きが明るく灯り、次々と伝播していく。
「これは……?」
この光景を初めて目撃したらしいドリカ夫人が息をのんだ。
「いつ見ても綺麗よね。わたしも初めて見た時は驚いたわ。一部の壁に光を増幅して反射させる魔法をかけてあるらしいのよ。……ただの温室にこんなにこった仕掛けを作っているだなんて、王宮にいた時だって聞いたことがなかったわ」
やがて薄暗かった温室は神秘的な月の光につつまれた。
「月の光が届きにくいバルテリンクで、月光を集められるような仕組みを作っているのよ。まったく、これだけの仕掛けをするのにどれほどの労力と魔石を使ったのかしら」
煌々と照らされた温室の中、その一番目立つ真ん中のあたり。月光に照らされながらゆっくりと一輪の花が開いていくのが見えた。
「この花は……!」
「ご存知かしら、月の光の下でだけ咲く特別な花だそうよ。ソフィア様は特にこの花がお好きで、先代辺境伯は妻の為に最大限の労力を割いてこの温室を完成させたんですって」
「あの男が? まさか!」
「ソフィア様の気持ちは推測するしか出来ないけれど……たった花一輪の為にこれほど尽くされていたのだもの。不幸ばかりだったとはとても思えないけれど」
「そんなはずは……」
それまで黙っていたリュークが口を開いた。
「クライフ領だけではありません。母はずっと、このバルテリンク領から一度も出ようとはしませんでしたから」
「なんですって!?」
ドリカ夫人を見るリュークの視線はもう冷たさを伴ったものではない。
彼はもうすっかり、この姉妹のボタンの掛け違いについて答えを持っているようだった。
「簡単な話ですよ。父は母を溺愛してましたからね。バルテリンクの城にずっといて欲しいと思っているのだと、子どもの私でもわかりました」
「溺……!? あ、あの、人の心があるかどうかも分からなかった冷血人間が!?」
「それでも本人が強く望めば、止めたりはしなかったと思いますよ。ですが母は一度もバルテリンクから出ようとしなかった」
「……」
信じられないような面持ちでドリカ夫人は立ちすくんでいた。
「ただそれだけの話です。……母は貴方を懐かしむ事はあっても憎んだり恨んだ様子はありませんでした。だからこそ私は貴方が信用できなかった。あれだけ純粋な好意を向けられてなお、利用し続けるような人間だと警戒していたんです」
「私も貴方を信用できなかった。実の母親の死すら利用して不公平な取引を強行する、強欲で血も涙も無い人間だと信じ込んでたわ」
二人は殺伐とした告白をしあったが、ようやく溶け出した雪解けの様なわずかな温かみがあった。
あとは時間さえ経てば、少しずつわだかまりが消えていくのだろう。
「ふっ……だからあなた達は対話が足りないだけだったのよ。まあそれも私のお陰で一件落着というところかしら? ほほほ、大いに感謝するがいいわ!」
わたしは胸を反らし、自分の功績を称えた。
「ええ、今回は本当に貴方に助けられました。まさか契約書で私が騙される事があるとは思いもよらなかったです。よくぞ気がついてくれました」
「……え?」
てっきりいつものように軽くあしらわれるかと思いきや、リュークは素直にわたしを称賛した。……なんだか調子が狂う。
普段はあまり表情を変えない彼だけど、今は傍目にもはっきりとわかるくらい優しく微笑んでいた。
「ありがとうございます」
「……あー……えっと、別に、そこまで大したことはしてないわ」
「やはり貴方の視点には、私に足りない何かがありますね。だからこそ伴侶に選んで良かったと、改めて嬉しく思いますよ」
「いや、も、もう、いいから!」
「ふふっ。もちろん一番の理由は可愛らしい貴方をいつまでも見ていたいからですけれど」
信じられないものを見るようなドリカ夫人の視線が辛い。
ついでにアンがすごく微笑ましそうに見守ってるのも居たたまれない!
リュークは時々わたしには全然予想がつかないタイミングで愛情表現をしてくる。
困るのはそれが人目があろうがなかろうがおかまいなしだという節操の無さだった。慎ましやかな王宮で育ったわたしには本当に気恥ずかしくて、大声で叫び出したくなってしまう。
(もう本当に……どうせなら最後まで『氷の辺境伯』らしくしててよー-っ!)
そんな言葉にならない願いも空しく、リュークはわたしの髪を一房すくいあげると、愛おし気に口づけた。




