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【本編二章 連載中】傲慢王女でしたが心を入れ替えたのでもう悪い事はしません、たぶん  作者: 葵 れん
書籍化記念・番外編

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伯母の来訪 ⑪

 最低限の薄明りだけが灯された温室の中、わたしとドリカ夫人は緊張感に身震いした。リュークの後ろには入り口で待っていたはずのアンが心配げな顔でおろおろしている。

 彼は声を荒げるような素振りこそなかったけれど、確実に怒っていた。


「困りますね。人の婚約者を誘拐するような真似をされては」

「わ、私は誘拐なんてしてないわ!」

「城の裏口にあった不審な馬車も、貴方とは関係が無いと?……図々しく人の城に上がり込む厚顔さにも辟易していましたが、見え透いた嘘まで言いだすなら同情する価値もありませんね」


 ドリカ夫人に対して素っ気ない対応をしていたリュークだけれど、これまでは最低限の礼儀は守り、目上の人物として扱っていた。

 しかし今はその最低限すらも放棄し、あからさまに不快感を滲ませている。


「なっ……その口のきき方はなに!? 私の機嫌を損ねてもいいというのかしら。鉄鉱石の取引を止めても構わないの?」


 それはドリカ夫人にとって最後の切り札だった。

(そうよ、いくら不平等であったとしても、あれだけの量の取引を急に差し止められるの困るんじゃないの!?)

 ハラハラしながら様子をうかがっても、彼は蔑むように薄く微笑むだけだった。


「ええ。結構ですよ」

「なんですって? そんなはずはないわ! あれほどの取引が突然無くなっては、立ちいかなくなるでしょう!?」

「止められて困るのはそちらでは無いですか? ……まあ、どちらにせよ手間が省けました。明日にでも取引を停止する申し入れをしようと思っていましたからね。婚約者との貴重な時間を割いてまで契約書の作成を急がせた甲斐がありました」


 わたしは彼が夕食の時間をずらしてまで急ぎの仕事を進めていたことを思い出した。

(あの時に言っていた、ドリカ夫人がいるうちに済ませたい仕事ってこれだったの? いくらなんでもその日のうちに、仕事早すぎない!?)

 ……いや、リュークはずっと以前から彼女に対して不信感を募らせていた。いつでも用意周到な彼のことだ、何かあればすぐさま対処できるように、以前から手をまわしていたのだろう。


「くっ……今度は私の事まで不要だっていうわけ。本当にどこまでも、あの父親と変わりがないのね」


 ドリカ夫人はガックリと項垂れた。

 リュークは彼女に対する興味を失うと、ゆっくりと視線をこちらに向けてくる。

 わたしはとっさに弁明しようとした。だが見た事無いほど冷え切ったアイスブルーの瞳に、言葉が喉の奥で凍りつく。


「つくづく思うのですが」


 ……まずい。

 なにかリュークの雰囲気がかつてないほどおかしい。


「ち、違う……! わたしはどこにも行こうとしてないわ、本当よ!」

「貴方という人はどうして私の警告をことごとく無視しようとするのでしょうか? ……意思疎通が出来ないのなら言葉は必要でしょうか」

「ひっ……」


 歩み寄ってきたリュークの手が顔にかかり、上を向かせられて視線を外す事もできなくなった。まるで恋愛戯曲の一節のような体勢だけど、わたしは全く違う意味で心臓がバクバクと早打ちし、ドッと冷や汗をかいている。

 捕食されかけた小動物のような心境で瞳の奥の感情を覗き込むけれど、まるで凍りついた湖面のように一切の感情の波が動かない。怒っているのか、悲しんでいるのか。それともまさか婚約解消でも考えているのだろうか。

(わからないけど……今、対応を間違えたら大変な事になる気がする!!)


「……自由で生き生きとした貴方を愛おしく思う気持ちに嘘はありません。ですが同時に、不安で苦しくもあるんです。……いっそ……」


(いっそ、何!? 最後まで言ってよ! いや、やっぱり聞きたくない!!)

 様子がおかしいリュークを前に、本音を言えば今すぐこの場を逃げ出したい。しかしわたしはわき上がる恐怖心をねじ伏せて、それとは逆の行動を選択した!


 ガバッ!


「っ……」

「か、勝手な事してごめんなさい! だけどわたし、どうしてもリューク達の事が心配だったんだもの」


 リュークに抱きついたわたしは涙声で訴えた。

 半分は演技だけど、残り半分は演技じゃない。散々怒らせるような事をしてしまっている自覚はあるけど、本当に嫌われるのは嫌なのだ。


 短くない沈黙が続いた。

 やがて、何かを諦めたような長い吐息が聞こえた。


「……貴方はいつもズルいです」


 ポツリと呟いた言葉はいつものちょっと皮肉気な調子に戻っていたので、わたしはようやく安心して顔をあげる事が出来た。


「本当はドリカ夫人に見せたいものがあったのよ。きっとそれを読めば誤解も解けるんじゃないかと思って」

「誤解ですか?」

「二人の話を聞いていてずっと不思議だったの。どうしてこんなにお互いいがみ合っているのかって。最初はドリカ夫人の態度のせいかと思っていたけど、それだけじゃない。きっかけとなる何かがあるのよ」


 ほとんど交流がなかったはずの二人の、唯一の接点。それはソフィア様から頼まれた鉄鉱石の輸出に関しての取引、それだけだ。わたしはアンを呼び寄せると盗ん……用意していた書類を受け取った。


「ドリカ夫人、これを見てちょうだい」


 リュークはその書類を見て、わずかに眉をひそめた。


「それは鉄鉱石に関する取り決めを書いた、古い書類ですね」

「……鉄鉱石の書類? それが一体どうしたって言うの?」


 ドリカ夫人は少し嫌そうな顔で書類を受け取るとまじまじと見つめた。


「ああ、夕食時の不審な行動はこの為だったんですね。……ですが何も怪しい所はないですよ。不正が無いように私が何度も内容を確認しています」

「ええ、そうよ。貴方にとっては怪しくないはずだわ」


 この堅物は端から端まで契約書をじっくりと読み込み、サインにだって偽造がないか入念にチェックしていたに違いない。しかし書類に目を通していたドリカ夫人の手はわなわなと震えはじめ、ガバリと顔をあげた。


「なんなの、この値段は!」


 夫人は声をあげた。

(やっぱり……!)

 納得するわたしとは正反対に、リュークは眉間のしわを深くした。


「そんな……私の代わりに嫁いだソフィアへの償いも兼ねて、バルテリンクへは相当の安値で流していたはず……!」

「安値? 母が温情で契約してたのを良い事に、ありえないような高値で値段をつけ続けていたくせに」

「そんなわけないでしょう!? わたしはあの子に対しては本当に悪かったと思っているのよ! どういうことなの!?」


 二人はお互い別の主張を掲げ睨みあった。


「ふふっ……あははは!」


 突然笑い出したわたしに、その場にいる全員の視線が集まる。


「ええ、几帳面でこのうえなく慎重なリュークに不手際は無かったでしょうね。そして同時に、そんなあなただからこそ、気がつくことが出来ない盲点があるのよ」

「その口振り……貴方には何が起こっているのか分かるのですか?」


 わたしは当然とばかりに胸を張った。


「ええ、教えてあげてもいいわ! 何故こんな事になってしまったのか、その原因をね!」

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