2 傲慢王女、うっかり寝過ごす
アン達を意識的に名前で呼ぶようにしてから一週間がたった。
あれ以来かなり彼女達との関係が改善されたような気がする。今日はアンが中心になり、三時のお茶の用意をしてくれている。もう一人の交代でつく侍女、シエナはまだまだ態度が固いので、アンが当番の日は私も嬉しい。
しかし、肝心の問題については全く解決していない。
「やっぱりリュークは私が嫌いなのかしら?こんなに美人で可愛いのに」
「…………。当主様は好き嫌いで態度を分ける方ではありませんよ。ついでに美醜でも」
「だってもう一週間よ。仮にも婚約者が療養しているのに、一週間放っておくだなんてありえる?」
「えー……それは、その。……多分なのですが、ユスティネ様に最後にお会いした時がそのう……」
「最後?ああ、あれは我ながら、誠心誠意立派に謝罪できたわよね!」
最近は話を合わせて相槌をうってくれていたアンが、何故か目を逸らす。
あれ、なんでそんな気まずい顔なの?
あれから色々考えたのだが、やはりリューク本人となんとか話は出来ないだろうか。
だって嫌われている原因のほとんどが誤解なのだから、ちゃんと話せばそんなことするような子じゃないってわかるはず。そう思って食事や移動の時間を見計らって会いに行こうとしたのだが、いずれも忙しいだとか外出してるだとかで断られ続けている。
(これは間違いない、完全に避けられている)
それに気が付いた私が意気消沈し、泣く泣く言われた通り王都に帰っていく……というのが彼の筋書きなのだろう。確かに並みの令嬢なら避けられ続けて傷心し、抵抗する気力を無くすかもしれない。だが心を入れ替えたとはいえ私はユスティネ王女様なのである。
(……一度だけなら、会う方法はある)
前世であまりにも暇すぎて、城中をうろつき回った際に気が付いた『奥の手』があった。正直、わりと好き放題やっている私でもどうかと思う方法だ。しかしこのまま誤解をとく可能性もないまま時間だけが長引けば、心配したお父様が呼び戻す可能性も出てくるわけで。
(どうせ、これ以上ないほどドン底まで嫌われてるんじゃない。うやむやに時間切れになるくらいならやるだけやってやろうじゃないの!)
◇◇◇
翌朝の早朝。
柔らかな朝日がカーテンの隙間から小さく差し込んでいる。私はいつもよりずっと暖かいベッドで心地よくまどろんでいた。
(お布団あったかい……最っ高……)
なんだか色々やらなければならない事があったような気がしたが、面倒なことは意識の外に追い出して目の前の快楽に沈み込む。もう一生起きなくていい。
「……ん……」
動くな動くな、お布団に隙間ができると冷気が入り込むじゃないか。私はギュッと抱き着いて密着した。
(あ……心臓の音、すっごく安心するな)
「…………んんっ……?……」
一瞬の静けさの後。
ガバアッ!!!!
「うひぁふ!寒い!」
思いっきり布団を剥がされ、あまりの寒さに一気に目が覚めた。
バサリとひるがえる愛しの羽根布団の隙間から、まるで黒い昆虫を見つけたかのような驚きの表情のリュークの顔。
(あ、まずい。先に起きるつもりが寝過ごした)
予定では昨夜のうちにリュークの部屋に忍び込んで何がなんでも話を聞いてもらうつもりだったんだけど、すっかり寝付いていた本人はいくら声を掛けても目を覚まさないし、おめおめ自室に戻っても次の機会はないかもしれないし。だんだん体が冷えてきて、ほんのちょっとだけこっそり暖をとるつもりが、つい。
(おかしいなあ。一応遠慮してはじっこの方に入ってたはずなのに、いつの間にかこんなど真ん中に)
「ユ、ユスティネ王女っ……!」
「しぃっ!静かにっ!!!
跳ね起きたリュークの口をおさえつけ、もう片方で人差し指を口にあてる。まあ、朝起きたら一人で眠っていたはずのベッドに身に覚えのない女が潜りこんでいたらそうなるよね。
逆に私の方はもう、ここまでくると居直った。
「まずは静かにして。大丈夫。私、結婚前に手を出すタイプじゃないんで。貞操は無事よ!」
「それはこっちの台詞じゃ……」
「寝顔可愛かったわ」
「それもあんまり言われたくないなぁ。とりあえずどこから侵入したか教えてもらえますか。場合によっては拘束させてもらいますが」
他人の感情に頓着しない方の私でも分かる。口調は穏やかだけど、物凄く怒ってらっしゃいますね。すごい。これ以上嫌われようがないと思ってたけど、まだ底があった。
「この城を設計したのって王城と同じ人なのよね。私、王族なんでそっちの秘密の抜け穴ルートは全部知ってるの。作りこみの癖が同じで助かったわ」
「……なんてことだ」
「リューク様、お目覚めでしょうか?」
ドアの向こうから声が掛かり、お互い口を閉じた。
私はリュークにしーっと人差し指をあてると、サッと布団の中に潜り込む。
「こんな現場を見られたら結婚待ったなしよ。婚約破棄の可能性を捨てたくないなら私を隠しきって!いいわね?」
「は?ちょっと待て……」
布団を被るのと同時に、ガチャリとドアの開く音が聞こえた。
「リューク様、おはようございます。今日はいつもよりずいぶんと早いお目覚めですね」
この声は確か、執事のハンネス。主人が起きた気配を察してすぐに挨拶に来るとはなかなか有能ね。さて、問題はリュークの反応なんだけど、上手く私の事を誤魔化してくれるかな。それとも……。
「…………。今日は……いつもより夢見が悪くてな……」
セーフ!
とりあえず誤魔化してくれるようだ。よっぽど私と婚約破棄したいんだね。ほくほくしながら引き続き聞き耳を立てていると、ハンネスの方から言いづらそうに報告が入った。
「ところでユスティネ様ですが、今朝も報告があがっております。なんでも今度はつい先ほど、ご挨拶に伺ったメイドに花瓶を投げつけたとか……」
「……なんだと?」
リュークは聞き返したが、執事はその驚きの意味までは汲み取れなかったようだ。ハンネスの心底うんざりしたような重い溜息が聞こえた。
「もう一度聞くが、あの性悪……いや、甘ったれ……ユスティネ王女が問題を起こしたのは本当についさっきなのか?昨日ではなく?」
「ええ、こちらに伺う途中で泣きながらメイドに報告されましたからね。間違いありません。可哀想に、まだ手の甲から血が流れていましたよ」
忌々しげに舌打ちするハンネス。思わず下を向いたリュークと目があったので、もう一度しーっと人差し指を立てる。私は昨日の晩からここにいた。だというのについ先ほど私がメイドに怪我をさせたとの報告。
偶然とはいえ、実にいいタイミングだ。
(これでちょっとは話を聞く気になってくれたかな?)
私の行動は明らかに悪意ある虚偽で捻じ曲げられて報告をされていたって事。
◇◇◇
「私達、お互いに誤解があると思うの」
執事が退室したのでこっそり部屋に戻り、今度こそきちんと身支度を整えてリュークの部屋を訪れた。改めて明るい場所で見る彼の部屋は、定規で引いたかのようにキッチリと整い整理されている。
朝の寝姿とは違いキッチリと首元までボタンを閉めた隙のない服装のリュークは深く考え込んでいる。
「……今まで聞いた報告は全て虚偽だったと?」
「そうよ。だって婚約破棄を言い渡されたあの日に聞かされたのは身に覚えのない事ばかりだったもの。ちなみに、どんな報告?」
「私が聞いていたのは気に入らない侍女や使用人をムチで打ったとか、髪を引き抜いたとか、一枚ずつ爪を剝がしたとか」
「ひぃぃ!やらないわよ!そんな見てるこっちが痛くなるような事!」
「領地に到着するなり宝石商を呼んで王女にあててた予算を一時間で使い切ったとか、庭師達が止めるのも聞かず大切に育てていた記念樹を景観が悪いと切らせたとか……」
あ。それはやったかも。
……。
「なるほど、事実無根のとんでもない嘘ばかりね。なんと卑劣な」
まあ、砂粒ほどの事実はあったかもしれないけれども。それでも即王都に送り返らせるほどの事はまだしてません、たぶん。
「特にあの記念樹は亡くなった母上が手ずから植えられたものだったので、感情的になってしまいました」
「い、いいのよリューク!人はみな間違える生き物なの。気にするべきは過去より今、そして未来。そうでしょう?」
私は早口でまくしたて、誤魔化した。
「だからまず誰がこんな話を広めたのか、それが意図的なものなのかどうか確認する必要があるわ。思い込みで言った人もいるだろうし、また聞きを言っただけの人、ちょっとした失敗をなすりつけた人もいるはず。例えば間違えて割った花瓶を私がやったせいにするとかね」
なにせ誰も庇う気が無いからやりたい放題だ。
今まで王家の七光りで好き放題やってきた私は敵意に対してあまりにも無防備だった。
「というわけで私を本格的に断罪するという名目で、もう一度証言を取り直してちょうだい。誰が何を言ったのか詳しく」
「証言をとり直す事にはもちろん異存はありませんが……断罪するためにという理由は必要なのでしょうか?」
うーん。この人本当にいい人なんだなぁ。
「絶対!必要!いい、ここの人達は私が嫌いで出て行って欲しいのよ。その私を追い出すためって言われたらどうする?私だったら細かい所まで必死で思い出して、ぜーんぶ詳しく話しちゃうわ!」
「なるほど。そういうものなのですね」
そんな発想もないくらい、リュークは好き嫌いがあったとしても公平に対処するのだろう。だけど普通の人間はそうではない。向けられている視線がちょっと冷たくなった気がするが私はごく普通だ。
「なんなら新しい証言だってとれちゃうかもしれないわね。うふふ、楽しみ」
リュークは珍しいものを見るように私をまじまじと見つめた。
「貴方は本当に変わっていますね。人に悪しざまに言われるかもしれないのに怖くはないのですか?」
「全く気にならないわ!だって誰が何を言おうが、私の存在価値は変わらないもの」
「そこまでハッキリ言いきれるとは中々豪胆ですね」
「ええ。生意気で目障りで、身の程を思い知らせてやりたくなるってよく言われる」
自分のこの性格はあまり一般受けするものでは無いらしい。まあそれさえも、だから何だとしか思わない私も私なのだが。
「私は好きですよ」
…………。
ああ、そういう性格がね。うん、この土地じゃめそめそするタイプは生きていけなさそうだもんね!
「そ、それにしても意外と話をすんなり受け入れてくれたわね。もっと拒絶してくるのかと思ったわ」
「……最近少し隣国に不穏な動きがあり、なかなか時間がとれずすみません。それに王女様に面会するとなると色々準備が必要でしょう」
「気を使ってくれるのは嬉しいけど、今みたいな簡略化した対応でいいのに」
「そうですね。お互いこれ以上なく簡略化した姿を見られているわけですし、今後はそうしましょうか」
(うっ……これ以上なく簡略化した姿って、朝のアレのことよね)
ちらりと上目遣いで様子をうかがうといつものガチガチの正装とは違い、普段着でリラックスしたようにソファーに座っているリュークと目が合う。あまり怒っているようには見えない……というより、面白いものを見ているような視線だった。もしかして、からかわれてる?
(人を珍獣かなにかのように……まあ、確かに強引すぎる手段をとった自覚はあるけど、遠慮している間に追い出されたらお終いだし。それにこの人は多少の事は大丈夫かなって)
彼が私に対して怒るのは領民に危害をくわえられた時だけ。逆に自分に無礼な態度をとられたり好き勝手に領内で遊びまわったりといったことは気にしない。冷酷そうな見た目に反してわりと許容範囲は広いのかもしれない。
「一つ、質問してもいいでしょうか」
大切な質問をするかのように、リュークはゆっくり切り出してきた。
「先程、ハンネスが入室した時に隠れた理由は何故ですか?」
「え?だから婚約破棄出来なくなるって」
「ええ、たとえ私達の間に何もなくともあの場を見られていたら、流石に婚約解消は出来なくなるでしょう。だから不思議なんです」
真っすぐに見つめてくるアイスブルーの瞳が、その冷たさを増したように感じる。
「婚約解消の話を止めさせたいというのなら、あの状況は貴方にとって都合が良かったはずですよね。何故ですか?」
確かにリュークの言う通りだ。しかし私の回答は至極単純である。
「相手の選択肢を奪って選べなくするやり方は好きじゃない」
絶対零度のような瞳に臆することなくハッキリといってやった。私の回答にリュークは目を丸くし、その後小さく笑う。
(あ、笑顔初めて見たかも)
それまでずっと冷たさしか連想させなかった色の瞳に、何故か温かみを感じた。