伯母の来訪 ⑨
わたしは用意されていた目の前のお皿にフォークを突き立てた!
お皿の上にあったのは、昨日の夕食の最後に出されたクリーム菓子だ。とても美味しかったので、絶対に今日も出すように頼んでいた。わたしはそれをフォークにさしたまま、リュークの方へと差し出した。
「あ、あーん」
「…………」
「すごく美味しかったから、リュークにも味わって欲しくて! 昨日は夜遅くて、あなたはデザートを食べなかったでしょ?」
「……………………」
(せめて何か言ってよ!!)
視界の端で、ヒリスが見てはいけないものを目撃してしまったかのように視線を逸らしているのが憎らしい。じわじわと羞恥心で頬が染まっていくのが自分でもわかった。
と、その時になってようやく食堂のドアの外にアンが現れ、笑顔で合図を送ってきたのが見えた。良かった、どうやらうまくやってくれたらしい。……それは、良かったけど。
(あと少し早く来てくれたら完璧だったのに……!)
いたたまれない空気の中、勢いに任せてしでかしてしまったと後悔した。やはり無断で人のものを手に入れようとしたのがいけなかったのか。悪は成敗されるのが道理なのだろうか。
何事もなかったかのように出した手を引っ込めようとした、のと同時に、フォークを持った手をリュークに掴まれた。思わず腕を引こうとしたけれど、強く握られているわけでもないのにびくともしない。
「わ、悪ふざけして悪かったって……!」
たまらず降参しようとするよりも早く、手の中のクリーム菓子が一口で食べられた。わたしはびっくりして、口をぽかんと開けてしまった。鏡で見たらさぞかし間の抜けた表情をしていただろう。
「ご馳走様」
「……っ!」
至近距離で、ちょっとからかうような笑みが浮かぶ。
何かを言い返そうとするよりも早く、その口が耳元へ寄せられた。
「一体何を企んでいるのかは知りませんが、クライフ伯爵夫人には十分気をつけてください」
わたしにしか聞こえないように囁かれた声は、ひどく冷淡だった。
(えっ。どういう意味……?)
「貴方は彼女を評価しているようでしたが、私は信用が出来ません。今回の訪問が終わるまで、あまり接触を持たないで下さい」
「え……あ、うん……」
真剣な表情で言われ、思わず頷いた。
(しまった……。実はもうドリカ夫人と約束しているのよね。うーん……)
わざわざ呼び出しをしてまで彼女が何を言おうとしてるのか。とても興味をひかれていたので、警告されたとしても誘いを断るのは嫌だった。
「えっと……リュークはなんでそこまでドリカ夫人を警戒しているの? そんなに悪い人には思えないけど……」
どうしてもドリカ夫人と話してみたいので、リュークの方を説得できないか探る事にした。彼はわたしをじっと見つめた後、何かを決めたように話し始めた。
「これは内密の話ですが、父の最初の婚約者はクライフ伯爵夫人でした」
「えっ!?」
「すぐに解消になったので知る人は少ないですが」
わたしは突然告げられた衝撃の事実に何も言えなくなる。
そんな話は聞いたことが無かった。
「どういった経緯でそうなったのか詳細は知りませんが……まるで身代わりのように母が嫁ぐ事になり、クライフ伯爵夫人は思い通りに昔からの恋人と結婚しました」
「…………」
「さらにその後は、複数のルートから購入していた鉄鉱石の取引をクライフ領にしぼり、あちらに優遇した条件で取引しています」
重要な資源の取引先を一か所のみに絞るのは、少々危険が伴う。その場合のメリットは価格を大量購入により安く仕入れられる事なのだろうけど、その値段すら向こうのいいようにしているのだとしたらバルテリンクには何のうまみも無い。
リュークの言葉通りならば、クライフ伯爵夫人は自分の欲望のために家族の情を徹底的に利用しているとんでもない悪女だ。
……しかし、そうだとすると一つだけ疑問がわき上がった。
「だとしたら、何故リュークは今日までそんな相手と取引を続けてきたの?」
「それは先代からの継続で……」
「あなたが領主になってもう三年も経つわ。そんな信用できない相手なら、もっと早い段階で切り捨てれば良かったじゃない。そもそも今回のドリカ夫人の訪問だって律儀に受ける必要なんかないのよ。たとえ強引にやってこようとしたって、領主であるあなたが城門を通さないよう一言告げれば彼女はここに来られなかったはずよ」
そう指摘するとリュークは少し考えてから口を開いた。
「……あの方は目上にあたる親戚です。意味もなく邪険にはできないでしょう」
わたしは笑い声をあげた。
「ふふっ、わたしがあなたという人を知らなければ、騙されてしまいそうな言い訳ね」
そうしてビシリと指をつきつけた。
「いいこと、バルテリンクの氷の辺境伯は常に公平で、公正で、憎らしくなるぐらい平等なヤツなのよ? こーんなに可愛い婚約者ですら例外にはしてくれない冷たい心の持ち主なの。正直、ちょっとぐらい贔屓してくれてもいいと思ってるわ」
真実をついた演説に、若干胡乱な目つきが返ってきた。
「そのあなたがバルテリンクにとって不利な取引だと分かっていながら黙っていた。性格的に、面倒で放置してたっていうのもあり得ないわね。つまり、リュークは自分の意志でクライフ領を優遇し続けたのよ。それは何故?」
「……貴方にはかなわないですね」
リュークは降参したとばかりに肩をすくめた。
「クライフ伯爵夫人は、それでも母の姉妹でしたからね。可能性が薄いとは思いつつ、いつか彼女が感謝なり謝罪なりをしてくるかもしれないという期待を捨てきれませんでした。婚約の件はともかく、バルテリンクは長年取引という名目で援助し続けたも同然でしたから。母の献身に何かしらの意味があったと思いたかったんです」
ソフィア様はその事について一度も責めたり、文句を口にしたことは無かったという。だけどリュークはそれを当然のように受け取り続けるドリカ夫人に強い不信感を募らせていた。
「彼女は母が生きている間には一度も訪ねてこなかったというのに、今になって我が物顔で突然やってくる。結婚相手にと勧めてくるのはいずれもクライフ領と繋がりの深い家の令嬢ばかりでした。万が一、貴方との婚約を解消させることが出来たのなら、今度こそ傀儡にできそうな令嬢を押し付けてくるでしょうね」
「だからさっきの初対面の時から、私にリュークとの婚約を考え直すよう言ってきたというわけね」
「ええ。あの時のあの人の呆気にとられた顔は見物でした」
「あ、あれはわざとじゃ無いわ!」
リュークはおかしそうに小さく笑った。
「そうでしょうね、貴方は。ですがもう、あの人に何かを期待することはしません。せめて一言、婚約を祝う言葉の一つでもあったなら……。いえ、止めましょう。くれぐれもあの人には気をつけて、決して二人きりなどにはならないで下さいよ」
そう念押しして、今度こそリュークは従僕を連れて食堂を出て行った。
(ドリカ夫人が、先代の元婚約者……)
最初はただリュークの血縁者であるドリカ夫人に挨拶して、ついでにちょっと面白い話でも聞ければいいと思っていただけなのに。なんだか、思ってもみなかった方向に話が転がりだしてきた。
……それにしても、そうならそうと最初からそう言えばいいのに。相変わらずリュークは自分の気持ちや考えを表に出そうとしない悪癖がある。
「本当に手がかかる婚約者ね。わたしが居ないと駄目なんだから」
わたしはうんうんと一人頷いた。