伯母の来訪 ⑥
「認めないわ……。こんな、何かの間違いよ……」
夫人はまだ呟いていたが、その言葉はすっかり力を無くしていた。
それでもなんとか気を取り直した夫人は、どこか疲れた様子で客室へと案内されていった。あんまりリュークを悪しざまに言うものだからちょっと意地になってしまった。
「リューク、少しやりすぎたかしら?」
「いいえ、あの人の自業自得でしょう。……でも、貴方には嫌な思いをさせてしまいましたね」
「わたしは別になんとも思って無いわ。それに、ドリカ夫人は嫌いじゃないわ」
リュークは不可解気にわたしを見下ろした。まあ、ついさっきまで舌戦を繰り広げていたのだから無理も無いけれど。
「だって別に証拠を見せあうわけでもないじゃない。大抵の人はバレなければ少しぐらい話を盛ったり嘘をついたりするものだけど、たぶん彼女は正直に話してたから」
「何故嘘をついてないと思うのですか」
「だったらあんなにショックは受けないでしょう?」
それに嘘を吐くときは大抵どこか挙動が不審になるものだ。あるいはものすごい大ウソつきだという可能性もあるけど、王女であるわたしにああも食って掛かってきた単純さを考えるとそれは考えにくい。
わたしはそう考え、てっきりリュークも同意してくれるものだと思っていた。しかし……。
「さあ……どうなのでしょうね」
彼らしくない曖昧な返答が返ってきた。その声になんとなく苦いものが混じっているように思えて、アイスブルーの瞳の奥を探ろうとするけれど何の感情も読み取れない。
……なんだか、事態は思っていたよりも複雑なのかもしれない。
◇
「あー! まだ夕方前なのに、なんだかすごく疲れたわ!」
自室に戻ったわたしはソファに倒れこんだ。
アンも今日ばかりはいたわってくれているようで、だらしなく寝そべっても注意してこない。わたしの好きな銘柄のお茶を淹れながら苦笑した。
「アン、あの二人は一体いつからあんな感じなの?」
「ドリカ様は長い間バルテリンクにいらっしゃいませんでした。わたしの知る限りで来られたのは先代辺境伯夫人であるソフィア様のご葬儀の時で、ご当主様とはその時が初対面です。ですが、その頃からお二人はあまり……」
「ふーん……。ほぼ初対面からいきなりあんなにあたりが強いのね」
最初からうまが合わなかった? しかしドリカ夫人はともかく、リュークは、少なくとも初めのうちはよほどの事が無い限り慎重に対応したはず。なんせ、初対面でいきなり呼び捨てをしたわたしにも丁重だったぐらいだ。
「対面する前からリュークを嫌っていたのかしら。でも姉妹仲はそれほど悪く無かったはずなのよ? 例の鉄鉱石の取引量も、先代夫妻の結婚後はさらに増えているぐらいだし」
「ええ、ドリカ様はソフィア様をとても大切に思って下さっていたようですよ。この城の温室はソフィア様が特に大切にしていた場所なのですが、ドリカ様はよくその温室にいらして故人を偲んでいらっしゃるようです」
(ふーん。葬儀がリューク本人との初対面、姉妹の仲は良好か……)
それに気になっている点がもう一つある。
「残念だけどリュークの弱点を聞き出す計画は失敗ね。もし弱みを知っているなら、とっくに利用してそうだもの」
「ユスティネ様、また良からぬことを……」
アンがお茶を運びながら非難めいた視線を向けてくる。
知らん顔をして淹れたてのお茶を頂いた。ふんわりといい香りが広がり、ようやく気持ちが落ち着いてくる。そうしてしばらくのんびりしていると、部屋にノックの音が響いた。
◇
「失礼致します。ユスティネ王女殿下、遅ればせながらご挨拶の機会を頂き誠にありがとうございます」
執事に案内され、数人の使用人を連れた少し鼻の長い中年男が私の前に現れた。
(確か、ドリカ夫人と一緒にやってきた……小間使いだったかしら?)
「私、ドリカ様より専属で取引のまとめ役を任されております、商人のルドルと申します」
違った、商人だった。
しかし商人には過ぎる程こまやかにドリカ夫人の世話を焼き、あれこれと周囲に命令を下していた。夫人もこのルドルという男を大層信頼しているようで、すっかり頼り切りという印象だったが、随分と長い付き合いなのだろうか?
「まずはお近づきの品として、どうぞこちらをお納め下さい」
そう言ってルドルが後ろに控えていた使用人に声をかけると、わたしの前に美しい箱が差し出された。それだけでも充分に価値がありそうな箱を開ける。すると中から現れたのは驚くほど大きな宝石をあしらった首飾りだった。
大きさだけじゃない。その透明度、まじりけのない輝き、素晴らしい技術力のカット。
そこらの商人が手土産で持ってくるにはあまりに度が過ぎた品物だった。
「すごい……」
思わずといった様子でアンが呟く。
ルドルの笑みが深まった。
「若くお美しい王女殿下にふさわしい首飾りでございましょう」
「これをわたしに? ……ドリカ夫人からの贈り物なのかしら」
「いえ、こちらは私個人からの贈り物でございます」
わたしの訝し気な表情に気がついたのだろう、ルドルは慌てて言葉を重ねた。
「実はバルテリンクとの鉄鉱石の取引も私の管轄になっているのです。私達にとっては大切な上得意様、是非とも末永くよいお付き合いをさせて頂きたいと思っているのでございます」
どうやら先程のわたしとドリカ夫人のやり合いを見て、これはまずいと思ったらしい。わたしは別に彼女に悪い印象は無いし、リュークはわたしがなんと言おうが領地にとって有益な取引をしていくのだろうが、そんなことはこの目の前の商人は知るよしもない。
「ふうん? ドリカ夫人の態度を見ていたらとてもそうは思えないけど?」
わざとそんな事を言ってみると、ルドルは大袈裟なくらいに首を横に振った。
「滅相もない! 我々クライフ領にとってバルテリンクは最大のお得意様。無くてはならない生命線でございます」
「ふーん……。でも、乗ってきた馬車を見たらそんなにお金に困っているようには見えなかったけど」
「ははは、そうお見えになりましたか」
ルドルは薄く笑った。
なんだか少し小馬鹿にしたような、嫌な笑いだった。
「ドリカ様は少々見栄っ張りな所がございまして、こちらに伺うあの馬車だけは念入りにお金をかけているのです。ですがここだけの話、実際は家計は火の車。伯爵家だなんて大層に聞こえますが、実情は名ばかりもいいとこなのです」
「……」
「王女殿下にあのような口をきくだなんて、私共としましても本当に恥ずかしく思っているかぎりでございまして……。ですからこの首飾りはお詫びも兼ねているのです。さあ、お受け取り下さいませ」
首飾りは妖しいほどの煌めきを放ち、メイド達もごくりと喉をならして食い入るように見入っている。
そして私は……。
(…………………………)
ふう、とため息をついた。
「いらないわ」
「え、ええ!?」
ルドルは、いや、その場にいた全員が呆気に取られた顔をした。
やがてルドルは狼狽を隠せない様子でわたしと首飾りを交互に見た。おそらく彼の渾身の逸品だったらしくとっさには口をきけないようだった。
ドリカ夫人を悪く言ったのは、彼個人の本音が出たというよりは、わたしに対するおもねりだろう。彼女に対し悪い感情を持っていると思い込んだルドルは、夫人を共通の敵として扱い、一緒になって悪口を言ってみせようとしたのだ。
それは、場合によっては強烈な共感を持たせるための有効な手段かもしれないけれど。
(わたしは……そういう誰かを貶めて歪な仲間意識を持たせるやり方が大っっっ嫌いなのよ!!!)
わたしは冷笑を浮かべ、傍らにあった扇子をバサリと開く。
「ふっ、このわたしを誰だと思っているの? この程度の品物をよくもまあ、臆面もなくわたしの前に出してこれたわね! まったく地方の一商人だとはいえ、気が利かなすぎるわ。気分が悪い、早くこの粗末なものを持って部屋を出て行きなさい!」
ルドルは信じられないものを見るような目つきでわたしを見上げた。