伯母の来訪 ④
いよいよドリカ・クライフ伯爵夫人の乗った馬車が城門を越えたと連絡される。
玄関ホールで出迎えようとすると、リュークも一緒に来てくれた。やがて門の向こう側からそれらしい影が現れ、ゆっくりと玄関の前に到着する。豪華でよく手入れされた馬車のドアが開き、思わずごくりと喉をならした。
そうして現れたのはリュークの姉と言われても信じてしまいそうなほど若々しく、溌剌とした印象の女性だった。
外見は血縁関係があるリュークとも、肖像画でみたリュークのお母様ともさほど似ていない。スラリとしたスタイルの良さは同じだが、髪と瞳は黒に近い焦げ茶色で、キリリとつり上がった眉と共に意志が強そうな印象を与えてくる。
「あら、わざわざ出迎えに来てくれるなんて珍しいわね」
ドリカ夫人は一同を見回して最後にわたしの顔を見つけると視線を止める。
わたしは内心の緊張をおくびにも出さず、にこりと微笑んでみせた。
「初めまして、ドリカ・クライフ伯爵夫人。お目に掛かれて嬉しいわ」
礼儀正しく挨拶してみせると、彼女の瞳が大きく見開かれた。
(さて、どう出てくるかしら?)
内心ドキドキしながら反応を待っていると……。
「まあ……まあまあまあ! 初めまして! 近くで拝見すると一段とお可愛いらしいわぁ! 実は噂を聞いてずっと以前から憧れていましたの! ああ、お会いした記念に握手を願い出てもよろしくて?!」
「……は……? え、ええ。それはかまわないけど……」
「一生の思い出にしますわ!」
そう言ってドリカ夫人は両手で握手をしてきた。
(な、なんか、熱烈に歓迎されてる……?)
みんなの様子から、もっと癖のある人物なのだろうかと身構えていたのに、ちょっと拍子抜けした気分だ。
「一生の記念だなんて。これからはお会いする機会も多くなるのだろうし、よろしくお願いするわ」
「いいえ、とんでもない。一介の伯爵夫人風情が王女殿下と直接お会いできる機会など、滅多とありませんもの」
「でも、今後はわたしも降嫁して辺境伯夫人になるわけだから……」
「王女殿下におかれましては」
ドリカ夫人は遮るように言葉を重ねた。
「まだまだお若いので、その純粋さを利用しようとする輩に対して無防備なのかもしれませんわね。そこの所につきましても、この滞在中にゆっくりお話しできたら幸いですわ」
「えっ……」
わたしに微笑みかけながらも、ドリカ夫人の意識は敵意を伴ってリュークに向いていた。
思わず固まっていると、隣にいたリュークがいつも通りの怒りも動揺も一切感じさせない無感動な顔で一礼した。しかし特に不快さを表していないのに、すぐ側にいるわたしはうっすらと冷気を感じた気がした。
「お久しぶりです、クライフ伯爵夫人」
「あらバルテリンク辺境伯。男の子は母親に似るというけれど、貴方は父親にばかり似たわね。年々そっくりになっていくわ」
夫人は夫人で、甥に向けるにはあまりにも憎々し気な視線だった。
というか肉親なのに何故爵位で呼び合うのだろう。
「いえ、似ているのは外見ばかりじゃないわね。結婚相手が王女殿下だなんて……! 利益だけ、計算ずくで相手を選ぶやり方までが同じだなんて、人としての感情が欠落しているわ」
「彼女はとても素晴らしい女性ですよ。たとえ王女という立場に無かったとしても妻に迎えていたでしょう」
リュークの回答に、わたしはとても気分がよくなった。
「嘘おっしゃい、白々しい!」
全否定された。
納得がいかず、斜め後ろに控えていたアンにこっそり不満を漏らす。
「何故よ、わたしはこんなに可愛くていい子なのに……!」
「ユスティネ様、そういう事を自分で言うのは……。いえ、まあ、ユスティネ様自体に文句があるわけではないと思います」
アンは打つ手がないといった面持ちで首を振った。
二人が険悪な空気になるのは初めてではないらしく、使用人達は苦々しい顔ながら、驚いた様子はない。そしてドリカ夫人の中でわたし達の婚約が阻止すべきものだというのは、決定事項のようだった。
「まあまあドリカ様、まずは落ち着きましょう。到着したばかりではありませんか。王女殿下、ご無礼をお許しください。夫人は決して貴方様に不服があると申し上げているわけではありません。可愛い甥を心配するあまり、言葉が先走ってしまったのです」
剣呑な雰囲気を和ませるように、夫人の傍に付き添っていた男が声をかけてきた。年齢は40代ぐらいだろうか。柔和な顔つきで少し鼻が長く、使用人にしては身につけているものが上等すぎる気がした。その男はすでにリュークとも顔見知りらしく、目礼で挨拶をする。
しかしドリカ夫人はまだ気が収まらないらしく言葉を続けた。
「他の領地ならばいざ知らず、バルテリンクは地形の上でも閉鎖的な特殊な土地です。あらゆる都市から遠く、気軽に遊びにも行けないような場所で、夫婦仲まで冷え切っていればどれほど女が苦労することか。目先の利益だけ考えず、本当に上手くやっていけそうな相手を選ぶ事が大切なのよ!」
(……なるほど、彼女なりに言い分があるのね)
ただリュークが気に入らず、言いがかりをつけているように見えたドリカ夫人だが、それだけの理由では無いらしい。確かに、劇の一つを見に行くにも日帰りできない辺境地なのは事実だ。
政略結婚と割り切って、結婚後はお互い自由にすごす貴族が多い中で、バルテリンクの事情はちょっと特殊だった。
しかし、わたしは一つ言いたい事があった。
「待ってちょうだい、ドリカ夫人」
それまで大人しくしていたお飾りの婚約者が突然割って入ってきたので、ドリカ夫人は訝し気な顔をした。ついでにリュークもわずかに眉を寄せたが、彼の方はある程度予想がついていたらしく、表情には諦めの色が滲んでいる。
彼女は彼女なりの善意で行動してくれているらしい。
しかし今回に限ってはその気遣いは無用だ。
「誰の事を損得勘定だけで選ばれた相手だと言うのかしら? いかにわたしがリュークにとって大切な存在か、どれだけ信頼と愛情を傾けているか。お望みならいくらでも語ってあげられるわ。そう、あなたの旦那様よりもずっとずっとわたしを大切にしてるって教えてあげる!」
ドリカ夫人はカッとなって目を剥いた。
「な、なんですって!? あり得ないわ、そんな……」
わたしは不遜に、そして傲慢に微笑んだ。