アルカと竜のお兄ちゃん
アルカの村の外れには、守り神の竜が住んでいるという塔がある。
いつから建っているかは分からない。アルカが生まれた時にはすでにあった。
古びていて、草や花が咲いていて。神聖さというよりは温かさを感じるような塔だ。
「アルカ、今日も守り神様の塔へ行くの?」
「ええ、そうよ! 今日の花冠も素敵な出来だから!」
幼馴染にそう返すと、アルカは作ったばかりの花冠を手に塔へ向かう。
育てた花で花冠を作って塔のお供えに行く。これがアルカの日課なのだ。
村人からは「良くやるねぇ」「マメだねぇ」なんて言われている。まぁそうかもしれない。けれどアルカは、この日課が大好きだった。
何故ならば、アルカは小さい頃に、守り神の竜に出会った事があるのだ。
あれはアルカの両親が、流行り病で亡くなった時の事だった。
両親の葬儀が終わった後。月の光が差し込む真夜中。
一人ぼっちの家でアルカが泣いていた時、ふと、窓がコンコンと叩かれた。
泣いていたアルカは、立ち上がる元気もなくて、顔だけをそちらに向けた。
するとそこに大きな大きな影が見えたのだ。
びっくりして泣き止んだアルカに、その影はこう言った。
「もしもし、もしもし、そこのお嬢さん。申し訳ないのだけど、ちょっと窓を開けてはくれないだろうか」
「いや」
どう考えても怪しい声に、アルカは即答した。
あまりに素早い答えだったため、影は動揺して「え!?」と慌てて、
「えー、どうしよう、えー。それは考えてなかったぞ」
なんて言っていた。考えた方が良いと思う。
そんな事をアルカが思っていると、影はもう一度、
「怪しいものじゃないよ、本当だよ。ちょっと僕の手だと、うっかり窓を割っちゃいそうだから、開けられないんだ。だから本当に申し訳ないんだけど、開けてくれないかな?」
「いや」
撃沈した。幼いながらも、アルカはそれなりに用心深い性格だったからだ。
影はしょんぼりと肩(?)を落とす。
「かなしい……せっかく来たのに……しくしく」
「泣くフリやめて」
「バレてる」
泣き落としにかかったが、アルカは見抜いていた。こういう時に、子供のカンというものは鋭い。
何を言おうが窓を開けてくれないアルカに、影は本当に困った声を出す。
「あのね、じゃあね、どうしたら開けてくれるの?」
「自己紹介をお願いします。知らない人を家に入れてはいけないと言われています」
「あ、そこ?」
アルカの言葉に、影は拍子抜けした様子だった。
それから「何だそっかー」とほっとした声を出し、コホン、と一つ咳払い。
「僕は竜です。この村の守り神の竜です。名前はくっそ長いので、竜のお兄ちゃんとでも呼んで下さい」
「偽名……」
「言葉の右ストレートが飛んでくる……。まぁいいや、はい、リピートアフタミー」
「竜のお兄ちゃん」
「えっ呼んでくれた、嬉しい……」
竜と名乗った影は、嬉しそうに笑う。
「お嬢さん、お嬢さん。お名前を聞いて良いですか?」
「アルカです」
「そう、アルカ。初めまして。僕は君のお父さんとお母さんのお友達なんだ」
「え?」
両親のお友達。そう聞いてアルカは目を丸くする。
「お友達? 本当に?」
「うん、本当だよ。何ならお父さんとお母さんの好きな食べ物も言えちゃうよ。マンドラゴラのソテーでしょ?」
「すごい、合ってる……!」
ちなみにゲテモノ料理の類である。両親の味覚はちょっとおかしい。
アルカはと言うと、あまり好きではない。
どうやら本当に知り合いらしい。アルカは立ち上がると、窓に近づいて、そっと開けた。
すると、開いた窓から竜が顔を覗かせた。トカゲにちょっと似ている。
でも優しい目をした、白色の綺麗な鱗に包まれた竜だった。
「開けてくれてありがとう、アルカ」
「竜のお兄ちゃんは、どうして今日、来たの?」
「うん。君のお父さんとお母さんに頼まれたんだ。君が一人ぼっちになって寂しいから、どうか、寂しくなくなるまで傍にいてやって欲しいって」
その言葉にアルカは目を瞬いた。両親が、亡くなる前にそんな事を頼んでいたなんて。
嬉しいのと、寂しいのとで胸がいっぱいになって、涙が再びアルカの目にせり上がってくる。そしてぽたぽたと落ちた。
お父さん、お母さん。アルカがしゃくりを上げながら泣き出すと、竜は少し慌てた様子で、
「アルカ、アルカ。見て、見て、ほら」
と大きな爪にひっかけて、花冠をアルカに見せた。
薄桃色と白色の花で作られた、淡い綺麗な花冠だ。
竜はそれをアルカの頭にそっとのせる。
「君のお父さんとお母さんに習ったんだよ。上手く作れているでしょう?」
「どうやって作ったの?」
「五時間ほど悪戦苦闘しました。僕の手は花冠を作るのに向いてない」
真顔で言う竜に、アルカは少し笑う。泣き笑いではあるが、少しだけ悲しい気持ちが収まった。
竜は笑うと――という風にアルカには見えた――アルカに、
「君が寂しくなくなるまで、毎晩、こうして来るよ。だからアルカ、大丈夫だからね」
と言った。大丈夫。大丈夫だ。
その言葉がアルカの胸に明かりを灯す。うん、とアルカが頷くと、竜もまた頷き返し。
「それじゃあ、アルカが眠くなるまで、何かお話をしてあげよう。何が良いかな……そうだ。君のお母さんから聞いたお話にしよう」
そんな事を言って、色んなお話をしてくれたのだ。
それは本当に毎晩続いた。毎晩、毎晩。アルカが寂しくなくなるまで、ずっと。
期限付きの優しい時間。
だから。
だから、それにも終わりがあった。
竜がアルカを訪ねてきて、ちょうど三年が過ぎた春だ。その頃になればアルカは本来の明るさを取り戻し、近所の幼馴染や友達と元気に遊べるようになった。
両親の死の悲しみを、寂しさを。ようやく克服出来た所だった。
いつものように竜はやってきて、窓を叩く。十二歳になったアルカが「こんばんは!」といつも通りに窓を開けると、竜の方は少し寂しそうだった。
「竜のお兄ちゃん。元気がないよ、どうしたの?」
「うん。実はね、アルカ。今日はお別れをしに来たんだ」
「お別れ?」
「そう。君はもう、寂しくないでしょう?」
竜がそう言うとアルカは目を見開いた。
「いや。やだ。お別れなんてやだ。また明日も、明日も来て。明日も、明後日も、ずっと! お兄ちゃん!」
「うん。……うん。僕も、そうしたい。でも、だめなんだ」
竜は悲しそうに首を横に振る。
「どうして? どうしてだめなの?」
「そういう約束――――契約だから」
「契約……?」
「うん。僕はね、君のお父さんとお母さんに助けてもらった事があるんだ。そのお礼に、頼みごとを引き受けた。それが君のことだったんだよ」
竜はそう言うと、いつかのように手を持ち上げて、大きな爪を見せた。
初めて出会った時のように、その爪には薄桃色と白色の花で出来た花冠が引っかかっている。
「今回は六時間でした」
「増えてる」
「そうなんだよ。やっぱり僕の手は花冠を作るのに向いてない」
竜は笑って、アルカの頭に花冠をそっと乗せる。そして満足そうに笑う。
「うん、かわいい、かわいい」
「…………」
「泣かないで、アルカ」
「だって。だって、お兄ちゃん……」
「うん。アルカが泣くと、僕も泣きたくなってくる」
竜は寂しそうにそう言う。そして窓に顔を近づけた。
「……守り神の竜は、人前に姿を現さない。これがルール。だからさ、君のお父さんとお母さんが自力で僕の前に来た時は、本当に驚いたよ」
「お父さんとお母さんは、どうやってお兄ちゃんと会ったの?」
「うーん。普通なら会えないはずなんだけど。見えないっていうかね。たぶんあれ、勇者と聖女の血筋を色濃く受け継いでいたと思うんだよねぇ」
「え?」
まるで御伽話のような話をされてアルカの目が丸くなる。
「今の穏やかな世の中では、もう必要のない話だけどね」
「じゃあ、私も、そうなの? 頑張れば、お兄ちゃんに会えるようになれる?」
「アルカは……」
アルカの問いかけに、竜はあいまいに笑った。それは明確な否定だった。アルカの目に涙が競り上がってくる。
「やだ……いやだよ……」
「うん。……僕もさ、最初に引き受けた時は軽い気持ちだったんだ。だけど……毎晩会いに来ていたら、本当に、君のお兄ちゃんになった気になってた。ずっとお兄ちゃんでいたいって思えるくらいに。だけど……今日で最後。契約の終わりが、来たから」
竜はそう言うと、窓から少し、遠ざかる。
そうして見える姿が少しずつ透明になっている事にアルカは気が付いた。
契約が終わる。普通なら会えない。それはつまり――――見えなくなるという事。
「お兄ちゃん!」
「アルカ。見えなくても、僕はいるよ。村のはずれの塔、知ってるかい? あそこにね、僕は住んでいるんだよ」
「塔……」
「見えなくても、見守っているよ。アルカ。この三年、僕は本当に楽しかった」
「私……私も楽しかった。お兄ちゃんがいてくれたから、ずっと寂しくなかった! 楽しかったの、大好きなの! お兄ちゃん! あ――――」
嗚咽で言葉が詰まる。けれどもアルカは必死で叫ぶ。
竜の姿はもう半分も見えなくなっていた。
「ありがとう、竜のお兄ちゃん!」
アルカの言葉に竜は嬉しそうに目を細める。
そして笑って――――すうと夜の中へと消えていった。
残ったのはアルカと、花冠だけ。アルカはぺたんと床に座り込むと、声を上げて泣いた。
その次の日に、アルカは竜の言った塔を訪れた。
とても古い塔だった。塔の周りや、塔自体に、薄桃色と白色の花が咲いている。
「…………会いに来るからね、お兄ちゃん。ずっと、会いに来るからね」
それがアルカが塔を訪れるようになったきっかけだ。
花冠を作り、花がない時は花冠を模したパンを作り。毎日、毎日、塔を訪れては、見えない竜に話しかける。
村人は最初は不思議そう見ていてが、
「そう言えば、あんたのお母さん達も若い頃にそんな事していたわねぇ」
と教えてくれた。ああ、そうだったのか。それを聞いてアルカは嬉しくなったものだ。
勇者だの聖女だのあれこれはアルカにはない。だから竜の姿は見えない。
だけど、竜は言ってくれた。見えなくても見守っていると。だからアルカはそこに、大好きな竜がいると信じている。見守っていてくれていると知っている。
今日もまた塔を見上げて、アルカは花冠を供える。
「お兄ちゃん。今日も私は元気だよ。お兄ちゃんは元気? あのね、実はね――――」
塔に向かって話しかけていると、ふわりと風が吹いた。
その風に、塔に咲いていた花の花弁がふわりと舞い上がり、アルカの頭にのった。
花冠とまではいかないが、髪飾りの様に。
『うん、かわいい、かわいい』
ふと、どこからかそんな声が聞こえた気がした。
アルカは目を見開く。
気のせいだったのかもしれない。けれど、何だか嬉しくなって。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
アルカは塔に向かって笑いかけたのだった。