52.元・蝗ス邇の胸中
「っておいいいい、寝坊じゃねぇか!?」
その声とともに俺は眠りの世界から現実世界へと引き戻され、ついでに地面にたたきつけられた。
顔面に走る激痛に今俺がどこにいて自分が誰なのかわからなくなる。
いや、さすがに自分が誰なのかくらいは分かるか。
「痛ってぇ!?」
そんな俺ができたのはとりあえず大声を出すことだった。
だがそんな事お構いなしに俺を蹴散らしていった女性は淡い光を迸らせてその場から消えてしまう。
急に静まり返った部屋に残されたのは只一人、顔面の激痛に悩まされながら今どういう状況か理解しきれていない男のみ。
「え? どういう状況?」
俺はよくわからないまま誰もいない部屋に向かってそう呟いた。
*******
ようやく昼寝前のことを思い出した俺はシズクの部屋から出てリビングへと向かうことにした。
未だ叩きつけられた頬は痛む。
確かに彼女は3時間ほど仮眠をとったら家を出ると言っていたし、さっき時計を見たら大分寝坊したと思われるから仕方がないっちゃあ仕方がない。俺と違って彼女は忙しいのだから。
「にしてもこの仕打ちは酷いよ・・・。何か悪いことしたか俺?」
「たっだいまーー!!」
「ただいま帰りました」
あまりの出来事に思わずそう呟きながら廊下を歩いていると丁度前からバンとルリが玄関の戸を元気よく開けて帰ってきたのが聞こえてきた。その声を聴いて俺は進路を玄関へと変える。
「二人ともお帰り、この時間に帰ってくるなんて珍しいね。というか今日は二人同じところに行ってたの?」
「あぁ主、お疲れ様です。ルリとはついさっきそこで会いました。丁度良かった、俺はこれを主に渡したらまた王都に向かいます」
そういってバンが俺に本を数冊手渡してくれる。
俺がバンに頼んでいた魔法具についての書物だ。
他の人からすれば難しいことが書かれたつまらないものに思えるかもしれないが俺にとっては知的好奇心が詰まったモノ。ただの書物なのに輝いて見えた。
「おぉ! ありがとう。いいのこれ借りちゃって」
「貸すというよりも差し上げます。というか何か欲しい本とかあればいくらでも用意しますよ。流石に主が持っていた200年前の書物とかはもうボロボロになっているでしょうのでこちらで新しいものを買いますし」
「やった! じゃあこれ読み終わったらまた言うね」
「はい」
「お兄ちゃんが欲しいものあれば私もなんでも用意するから言ってね!! なーんでも用意できるから!! どんな貴重な薬草でも凶暴な魔物の尻尾でも、私ならいつでも狩り取れるから!!」
俺とバンのやり取りを今まで黙ってみていたルリがそう言って俺に抱き着いてくる。
朝からスキンシップの多い子だ。
しかしこうしていると本当に犬みたいである。多分尻尾があればブンブン振っているに違いない。
「じゃあルリにはまた今度・・・」
「ねぇ、なんでお兄ちゃんの服からこんなにシズクお姉ちゃんの匂いがするの?」
だがそんな考えは酷く甘かったことを痛感させられた。
彼女がそう言った瞬間、突然背中に悪寒が走る。
さっきまでのかわいらしかった声と仕草はどこに行ったのやら、子供が見たら大泣きしてしまいそうなほどの目つきと心臓の奥の方まで響き渡る低い声。
人体の危険察知センサーが総出でここから逃げろと言っているのが分かった。
それどころかどんどん彼女から魔力が放出されている気がしてならない。
「え、いや、これはその・・・・・・」
視線をゆっくりルリから外してバンの方を見たが、俺の目がとらえたのは彼の後ろ姿だった。
あの野郎危険を察知して逃げやがった。
そしてもう一度視線をルリに戻すとそこには狼がごとくギラギラの目をこちらに向けている一人の少女がいる。
「おいバン!!! ちょっと待ってくれよ、一人にしないでくれぇ!!!」
「ねぇ、もしかしてシズクお姉ちゃんと(ピーーーー)したの?」
「おおおお、落ち着けルリ、大丈夫だそんなことは断じてしていない。これはあれだ、今ルリとしているようなことをシズクともしただけだ」
背中を汗がだらだら流れるが正直それどころじゃない。
俺は震える手でゆっくりと彼女の頭をなでた。
牙をむいている狼をたしなめるようにゆっくりと、ゆっくりと。
「ふーん。・・・じゃあルリの匂いで上書きするね!!!」
俺はそのまま彼女に押し倒されて廊下に叩きつけられる。
さっきと違って俺の体に何の衝撃もなかったのはルリの魔法のおかげなのかもしれないが正直そんなことも考えられないくらいに俺は焦っていた。そんな中彼女は満足そうに俺の体に顔をこすりつけていたが、もはや俺はエサ状態である。
アイナ・・・、君の教育は多分だけどどっかで致命的なミスを犯したよ・・・。
そんな事を想いながら俺は満足そうな彼女の頭を気が済むまで魔王を撫で続けるのであった。
***********
「ごちそうさまでした。っと、今日もおいしかったよダニング」
「そうか。それは何よりだ」
結局あの後数十分ルリに付き合った俺は解放されてから自分の部屋へと向かい、バンにもらった魔法具の本を読み漁った。
けれども正直そこまで魔法具は発展していないようでこれといった知識を得ることができなかった。
200年前とそこまで変わっていないのか、それともこの本には最新のものが載っていないのか。
真相は分からないがとりあえずバンに頼んでどんどん持ってきてもらうことにしたから今後に期待である。
それに今日俺は別にやることがある。
ダニングが作ったローストビーフを余すことなく胃に入れた俺は食器をもって、まだパンをもぐもぐしてり銀髪のエルフに声をかけた。
「ヴェル、食べ終わったら俺の部屋に来てくれ」
「私ですか? 珍しいですね、ご主人様が私を部屋に呼ぶのは」
「まぁね。んじゃよろしく」
俺はそう言ってリビングを後にした。
**********
数分後、俺が本を流し読みしていたいたところドアをノックした音が部屋に響く。
「入っていいよ」と俺が小さく答えるとドアがやや遠慮気味に開けられ一人のエルフがゆっくりと入ってきた。
「ごめんねヴェル。急に呼び出して」
俺が彼女に向かってそう言うと彼女は顔を赤らめてもじもじし始めた。
「・・・ヴェル?」
「なるほど、あい分かりました。ついにこの時が来てしまったのですね」
「んん? ど、どした」
「いえ、ついに私にもそういう夜のお願いをするつもりに・・・」
「違うよっ、しないよ! そういうことを俺がしないのは君が一番知っているだろう」
俺が大声を張り上げると彼女はそうですねと小さく呟いた。
するとさっきまでのもじもじと顔の赤らみは一瞬で引いていく。
こいつ演技してやがったな。
「それで何の用です? ご主人様が私を呼び出すなんて珍しい」
「そうだね、単刀直入に言わせてもらうよ」
俺は咳ばらいを一つして言葉をつづけた。
「ルリにいったい何があった? やっぱり彼女の俺に対する執着心は異常だ。昔はあんなじゃなかったし、俺に好意は持っていただろうけど何だかタイプが違う気がするんだけど」
「何があった、ですか。そうですね、ご主人様の知らないところで彼女にはいろいろありました。でもなぜ私に? アイナに聞くのが普通ではありませんか?」
「俺も最初はそう思ったよ。でもなんとなくうちのエルフのトップは君な気がするからね。君に聞いた方が早いと思った」
「そうですか。まぁ・・・、ご主人様がいない時期に少し精神が不安定なときがありまして。その影響が出てしまっていると言わせていただきましょうか」
ここまで言っても彼女は顔色一つ変えない。
どこまでも悠然としていて達観的で、静かで美しかった。
「詳しくは言えないのかい?」
「・・・・・・・・言えないことはありません」
「じゃあ聞きたいな」
「簡潔に言ってしまえば、完全回復薬の使い過ぎです」
「えっ?」
だが突然思いもしなかった単語が彼女の口から紡がれて思わず聞き返してしまう。
完全回復薬。
それは俺が考案した回復薬であり、今でもなお一番効力の強い回復薬として知られているようだ。
どんな傷でも1滴程度でみるみる治るしこれを使って俺はバンやアイナの目やダニングの舌、そして目の前にいるヴェルが侵されていた未知の病を治してきた。
だけど、
「どういうこと? ルリがああなったのは俺の回復薬のせいなのか!?」
「落ち着いてくださいご主人様。こちらとしても少し言葉足らずでした、申し訳ありません」
「・・・副作用とかあったのか?」
自分でも声が震えているのが分かった。
ルリがああなったのは自分のせいなのかもしれない。
何か自分の知らない副作用があったのかもしれない。
そんな思いが胸の中を駆け巡る。
「いえ、そういうわけでもありません。回復薬とはご主人も知っての通り、体の傷しか治せませんよね」
「そうだね」
「ルリはご主人様がいない200年でたくさん血を流してきました。そしてたくさん傷つきました。もちろんその傷はすべて回復薬で治せたのですが・・・、精神までは治りませんでした」
「だから一度精神が壊れてしまったと」
「ルリも自分を認めてもらおうと必死でしたし、私たちもそれに甘えていました。だからこそ今S級冒険者として活躍しているわけですが・・・、彼女の小さな変化に気づけませんでした」
彼女は表情を変えずにそういったが拳をぎゅっと握る音が俺にも聞こえた。
「ごめん、君を攻めるつもりもルリを攻める気も全くなかったんだ。これからは俺ももっと彼女に愛情を注ぐから安心してくれ」
「ありがとうございます。彼女を制御できるのはご主人様だけですのでよろしくお願いします」
彼女は俺に向かって頭を下げながらそう言った。
俺としては全く彼女を攻めるつもりはなかったから申し訳なさがこみあげてくる。
俺は席を立ってまだ頭を下げているヴェルの元へと近づき顔を上げるよう言った。
そして、
「っ!!! ご、ご主人様!?」
彼女を力の限り抱きしめた。
彼女が抱えているものが少しでも安らぐように、俺が彼女を愛していることが伝わるように。
「ヴェル、君はもっと誇っていいよ。今こうして7人で幸せに暮らせているのは君のおかげだ、ありがとう」
「いえ、その、ご主人様に仕える身として当然のことをしたまでで・・・」
ほぼ身長が同じ抱き合っているため彼女の顔を見ることはできないが、声でいつもと違う感じなのはなんとなくわかった。
「いつもありがとうヴェル、そしてこれからもよろしく」
「・・・・・・はい」
このまま時が止まってしまえばいいのにと思えるほど幸福な時間の中、数分にわたって俺たちはそのまま抱き合い続けるのであった。
勿論この日の夜はシズクとの昼寝のせいで全く寝られなかったことは言うまでもない。
書籍化の作業で遅筆になってしまうかもしれませんが、どうかよろしくお願いいたします。




