第八話 科学は “神の奇跡” を形骸化する
結局、都市行政区の宿舎で一泊する事になったのだが…… 何故か、俺は調理場で疲弊したヴォルギスから手渡された金属容器を延々と上下に振り回している。
「エルザ、これには何の意味が？」
いつまでも "殿” 付けは他人行儀だと指摘された事に加え、今は公的な場でも無いため率直に問う。
「卵黄・牛乳・砂糖・塩・シナモンの混合液を小さめの容器に入れたでしょう？ あれを大きな容器の内側で急速に冷やしてるのよ」
「因みに冷却用の氷は魔法で作りました♪」
「何気にティセも好きだよね、あいすくりーむ」
上機嫌な狐娘が強請り、乗り気な狐メイドがそそくさと材料調達した結果、思わぬ労働を強いられているものの状況は呑み込めていない。
内心、契約内容には無い作業だと愚痴りながらも、同じく被害に遭っている黒狼の戦士長と交代で混合液とやらを攪拌し続ける事暫し、漸く吸血姫から十分だとの言葉が掛かる。
「さて、中身は…… うん、良い具合に固形化してるわ」
「ッ、溶ける前に食べないと！」
「御嬢様の意見に賛成です！！」
「はいはい、取り分けるから待ってなさい」
手際よく小分けされた乳白色の物体を受け取り、矯めつ眇めつしている内に躊躇なくパクついた二人の狐少女が頬を緩ませた。
「ん、冷たくて美味しい」
「久し振りに食べると格別ですね～」
何処か幸せそうな様子に釣られ、ひと口食べれば経験の無い甘みと冷たさが口腔に広がっていく。
「多分、美味しいんだろうな、斬新過ぎて分からないが」
「ふふっ、『異界の書』に記載された逸品、素晴らしいでしょう？」
少しずつ口元に氷菓子を運びながら自慢げに微笑んだ吸血姫が言うには、似て非なる並行世界について記されている書籍のため、多くの事柄が此方の世界でも通用するらしい。
「知識を広める事で、生産性や物資の流動性が上がると戦争も鳴りを潜めるはずだけど……」
「『異界の書』が禁書である以上、前途多難だな」
数百年前、転移魔法の改良に失敗して、二十年ほど行方不明になっていた大賢者ヴィルズが生還してから、その人生を賭して書き綴った膨大な書籍。
魔法が厳重に秘匿された平行世界に迷い込み、魔術結社の碩学として迎えられた彼は様々な科学知識を修め、この世界に持ち帰って記録に残した。
ただ、内容が聖教会の教義に反するとの指摘を受け、その原本は早々に全て焼き捨てられており、僅かな写本が残るのみ。
「詰まる所、今まで “神の奇跡” で片付けていた自然現象に理屈をつけて解明するのが “科学” の本質だから……」
「あたしは氷菓子が食べられて嬉しいけど、聖教会の立場だと厄介なのは分かる」
スプーンを咥えながら頷く狐娘の言葉は正鵠を射ており、科学というのは神秘の価値を下げるのだろう。
「だとすれば、司祭や敬虔な信者からの反発も強いか……」
「えぇ、聖教会とは何処かで折り合いを付ける必要があるわね」
吸血姫の学士曰く、宗教というのは天変地異など個人や国家の裁量でどうにもならない時、最後に人の心を支える拠り所だと。
「近年の教皇庁を見る限り、聖職者の一部が信用ならないのは事実だけど…… 日々を懸命に生きる純朴な信徒達まで否定したくないの」
「そうだな、急激な変化は軋轢を生む。焦らず慎重にいこう」
「ふふっ、頼らせて貰うわね。あと、溶けてるわよ、氷菓子」
不意に指摘されて器を確認すると白く冷たい物体は半ばほど崩れており、取り急ぎ掻き込んだら少々頭が痛くなった。
一瞬、何かしらの中毒性があるのかと額を押さえて疑惑の視線を投げれば、狐娘ペトラのどや顔が目に付いた。
「くくっ、慌てて食べるとそうなる、あたしは既に経験済み」
「御嬢様はさらに食べ過ぎでお腹も痛めてましたね～」
全く以って自慢にならないエピソードを披露され、またもヴォルギスの押し殺した嗤い声を聞きつつ、就寝前の一幕は賑やかに過ぎていく……
一夜明けた翌日、人狼領主麾下の皆と別れて屍鬼と吸血種が中核を成す北西領軍の陣地へ戻ると、昨日の時点で挨拶を済ませてある御仁の隣に見掛けない顔がいた。
「姫様、三騎士が一人 “血煙のリエラ”、手勢と共に南東領より帰還しました。いや～、本当に戻ってきてたんですね、ちゃんと足付いてます？」
「大丈夫ですよ、ほら」
「むぅ、はしたないですぞ」
ドレスの裾をたくし上げた吸血姫に胡乱な視線を向け、赤毛の奔放そうな娘と同じく三騎士の老執事レイノルドが窘める。
「ん～、爺さんは今日もお堅いね」
「お前が浮薄すぎる故、エルザ様にまで悪影響が……」
「まぁ、小言は後で聞くよ、今は報告が大事でしょ？」
飄々とした態度で片手を突き出し、何やら言い足りない御仁を制して、黒曜のエルフ族との折衝を済ませてきた赤毛の騎士が喋り出す。
「私自身が出掛けた甲斐あって、黒曜公にはちゃんと会えました。それで今後の動静を確認してきたんですけど、やはり森に仕掛けた罠でベルクス軍を足止めしつつ、遊撃戦を展開するようです」
「援軍の要請は？」
「勿論ありますよ、向こうもジリ貧ですから。で、どうするんです？」
まるで他人事の如く気楽に笑い、八重歯を覗かせる様子に呆れた吸血姫が此方を見遣り、 “面倒だから説明して” といった無言の圧力を掛けてきた。
★人物紹介
氏名：リエラ・リヴィエラ
種族：吸血種
階級：ナイト・ブラッド
技能：身体強化(中) 飛翔(短時間)
中級魔法(火) 連接剣術 血煙操作
称号：三騎士 千人長
武器：蛇腹の連接剣
武装：軽装鎧 騎士外套
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