第五二話 最後の一兵まで殺し合うのは戦争にあらず、退き際が大切
「あははッ、腰抜かしてるよ♪」
「やりますね、姐さん!」
「…… 寧ろ、不可抗力だろ」
思わず声を漏らした俺の認識では死角より射出され、城郭の石畳に突き刺さった魔法の火矢は脅威でしかない。
現に件の王族と側近の文官、取り巻きの兵士達が慌てて防御態勢を取り、警戒しながら東門の守備に就いている憲兵小隊まで短い距離を詰めていく。
「退路に陣取って、もう少し日和見といった様相だな」
「もう一発いっとく、クラウゼ?」
「いや、それも良いが……」
言葉を濁して西門に傾注すれば、大通りから敷地内を抜けてきた敵増援のせいで、二領混成の遊撃部隊が少々押されていた。
無為な犠牲を増やさないためにも、さっさと相手方の戦意を削いだ方が良いと判断して、赤毛の騎士令嬢に尖塔の上を指し示す。
「ん、了解」
短く応えたリエラは麾下の吸血種達に見守られつつ、手頃な大きさの火球を両掌の間に顕現させて、棚引くベルクス王国の御旗へと射出した。
赫い焔を包んだ豪奢な大布が燃え、暮れ始めた空へ黒煙を立ち昇らせる。
「ふふっ、ざまぁみろね」
「まぁ、勝手に立てられた物だからな」
清々しく微笑んだ彼女に倣い、此方も別の尖塔に掲げられた軍旗へ右掌を突き出して、三連風刃の魔法を撃ち放った。
六分割された後の残骸が舞い散るのを僅かに眺めてから、大気中の魔素に干渉して強烈な突風を吹かせ、もう一方の旗竿まで焼き尽くそうとしていた焔を掻き消す。
それを見計らって控えていた吸血種二人が動き、嵩張らないように丸めた上で紐縛りにして腰裏へ取り付けていたディガル魔族国の御旗や、クライベル家の紋章が刺繍された軍旗を広げていく。
少々手間が掛かったものの補助に入った同輩達の協力もあり、二基の尖塔には自勢力の大旗が掲揚された。
「ッ、やってくれたね」
時折、牢獄の防衛塔から王城を窺っていた狼交じりの狐娘ペトラは尻尾を燻らせ、魔力強化を施した琥珀色の瞳にて、悠々と風に翻る北西領の軍旗を睨む。
赫と黒で構成されたそれは遠方からでも目立つため、巻き込まれないように息を潜めている魔族国の臣民に対して、首都奪還を巡る一連の攻防が吸血姫エルザの主導だと印象付けてしまう。
「うちの南西領も結構な資金と労力を投じているんだけど?」
「重々承知しております、人狼族の姫君」
「何とも申し訳ない気持ちで一杯なのですが……」
単なる兵卒の魔人達では吸血公の三騎士を表立って責められず、心理効果を狙った手法とも理解している故に気まずい空気が流れた。
「気侭なリエラの悪戯か、抜け目ないクラウゼの仕業か…… どっちにしても後でとっちめてやるッ」
少々尻尾の毛を逆立てて荒ぶった狐娘が息巻き、密かに南西領の軍旗も掲揚させようと決めた頃合いで、優れた立体聴覚が王城西門より湧き起こった歓声を捉える。
尖塔の旗色が変わった事を契機にして、壁面を背負いながら城郭内で交戦していた魔族側の遊撃部隊が勢いづき、疑念を抱いたベルクス側の駐留部隊は統率が乱れ始めていた。
複数の街路からも目視可能な大旗がディガル魔族国の物になっている以上、王城内部で何かしらの事態が起きたと考えざるを得ない。
「まさか… 本営が潰された?」
「ッ、憶測で喋るな」
「けどよ、無駄死には嫌だぜ」
「それなら今は集中しろ!!」
俄かに増した喧騒とは裏腹に相手方の攻撃が緩み、防御主体の消極的な態度になったのを見透かした上で、市街戦のため下馬して指揮を執っていた “紫水晶の魔女” リアナが叫ぶ。
「勝機は我らにあり、弱卒など蹴散らせッ!」
「グルォ、ガォルァアン!! (お前ら、正念場だぞ!!)」
「「「ウォオオォオ――ンッ!!」」」
激に応えた犬人族の猛者ガルフと麾下のコボルト達が斬り込み、負けじと他種族の獣人らも刃を振るえば、押し切られた駐留部隊の一部が頽れていく。
緊迫した戦況の下で魔族達の攻勢を留めるべく、前衛の頭越しに数十本の弓矢が曲射されるも…… 紫髪の魔女と同様に戦闘区域外で軍馬を乗り置き、大神の眷族らに紛れていた魔人達が即応する。
「「ッ、吹き荒れろ! 護りの風!!」」
先の反省を踏まえたウィンドプロテクションの魔法により瞬間的な暴風が生まれ、完全には防げないまでも降り注ぐ弓矢から殺傷力を奪った。
失速した状態では軽装鎧などの防具を貫けず、弾かれるだけに過ぎない。
「ちッ、猪突に見えて手堅いな」
「我々もあやかりたいですね」
軽い調子の部下に苦笑した駐留軍の連隊長ジルグが肩を竦め、後衛の弓兵隊に継続的な射撃を指示して、前衛の軽装歩兵隊が瓦解しないように魔族勢を凌ぐ。
少しずつ後退させられつつも陣形を維持していると、探知魔法の警鐘に従って王城内部へ救援に向かわせていた二個小隊の伝令役が血相を変えて戻ってきた。
「え、謁見の間で、コルヴィス将軍が討たれていました!!」
「…… レブラント様は健在か?」
「生死の確認はできておりません」
「つまり、暫定的な指揮権は私にある訳だな。よしッ、退くぞ」
この場に留まり、もはや空の城を死守する有意性など無く、下手に犠牲を出すよりも一度下がって大通りに残してきた部隊か、カストルム牢獄を包囲している部隊と合流した方が賢い。
故に考慮すべきは王城の東門、又は南門のどちらを選ぶかに尽きる。
「現状が知りたい、城内から市街地の様子は見たか?」
「うっ、すみません」
「ざっとで良いなら答えられますよ、連隊長殿」
後追いしてきた小隊長の一人が割り込み、牢獄側は屋根上を飛び回る人狼猟兵の奇襲や多様な獣人達の突撃で被害甚大、大通りの待機部隊も一部参戦している有様だと言う。
それらの情報より判断して、駐留軍の次席にあたる連隊長は城郭内の部隊を南門へ後退させ、牢獄周辺に展開している各隊の援護に向かった。
余談だが、東門には第二王子のレブラントが逃げ延びているので、異なる選択をしていれば指揮権が移り、余計な混乱などがあったのかもしれない。
ただ、現実的には円滑な部隊運用が成され…… 立て直しのため潔く撤収したベルクス側は軍需物資の集積地である中央広場に本陣を構え、二領軍を含む魔族側は奪還した王城に陣取った。
現実の戦史でも自軍の旗を強行して相手拠点に取り付け、動揺を誘って勝利を得た戦闘があったと記憶してます(*'▽')




