第五一話 行動選択に係る誘因と均衡
「馬鹿なッ、将軍が!?」
「くそ、ふざけやがってッ!!」
焦りを滲ませた目ざとい連中の声に釣られ、謁見の間にいた全員の意識が一瞬だけ俺達に集まり、その視線を共に受けたベルクス遠征軍の総指揮官か前のめりに倒れ込む。
遅れて血溜まりが広がる光景にいきり立ち、護衛兵らは対峙している麾下の飛兵達に苛烈な剣戟を叩き付けていくが…… 内心の動揺は抑えられず、乱れた剣筋が付け入る隙を生じさせていた。
「はッ、稚拙な斬撃など恐れるに足らん!!」
技巧派な痩躯の吸血種が横臥させた剣身で袈裟切りを受け止め、すぐさま手首を捻って切っ先を斜め下方へ向ける。
「なにッ!?」
留める得物が無くなり、護衛兵が振り下ろした白刃は左肩に直撃したものの、勢いを削がれた後では外套の下へ着込んだ鎖帷子に阻まれ、骨肉へ重い衝撃を与えるだけに過ぎない。
鈍痛を耐えて半歩踏み入りながら、彼は構え直した黒刃を相手の首筋に添え、躊躇うこと無く引き切った。
「うぁ…ッ、うぅ……」
飛散した血液を片手で押さえて斃れる哀れな敵手の傍では、対照的に精強な吸血種が人外の膂力で逆袈裟の切り上げを放ち、迫る斬撃を弾いた直後に切り返して迂闊な護衛兵を軽装鎧ごと胴薙ぎにしていた。
腹部には深く剣身が喰い込んでおり、もはや落命は避けられない状態だ。
「怒りと焦燥で動きが単調になっていたな、人間」
「ぐふッ、い、いやだ、死にたくな…ぃ……」
微かに聞こえた泣言は気の毒だが、また一人分の敵数が減ったと冷酷に認識しつつ、ざっと視線を走らせて全体の戦況など把握する。
此方が優勢のようでも落伍者無しとはいかず、致命傷を受けた三名の吸血種が横たわり、身体の殆どは灰燼に帰していた。
「…… 敵将を討った以上、長居は無用か」
恐らく浮薄なようで情け深い騎士令嬢や、心根の優しい吸血姫は同族の犠牲に嘆くのだろうが、戦争である故に致し方無い。
あくまで亡き聖女の遺志を継ぐなら自身の在り方は中庸であるべきと定め、本質が彼女に酷似しているせいで脳裏に浮かんだエルザの横顔を振り払う。
(随分、素の思考が人外寄りになったものだ)
密かに自戒して撤収の合図を出そうとした間際、謁見の間にある大扉が乱雑に開けられ、隣接区画の押さえに廻ったリエラの部隊に所属する吸血種が駆け込んできた。
「クラウゼ卿ッ、もう長くは持ちません!!」
探知系魔法の影響か、徐々に引き寄せられてくる敵増援を凌ぐのは限界が近いとの伝令に頷き、迅速かつ滑らかな動きで赤と黒の双剣を鞘に収め、徒手のまま風属性の魔力を纏わせていく。
どこぞの狐娘みたいに意識誘導の効果は無くとも両掌を打ち鳴らし、極限まで空気伝搬性を高めた柏手を響かせて、敵味方問わずに耳目を奪った。
それに即応した手勢が剣戟の間合いより飛び退いて半円陣を組むように集えば、背にした通路側でも轟音が聞こえて微振動が伝わり、程なくして吸血種の一団が広間へ雪崩れてくる。
最後に時間稼ぎで高威力な魔法を放ったと見受けられるリエラや、種族的には珍しい筋骨隆々なマーカスも合流した。
「ふふっ、手際よくコルヴィスを仕留めたようね」
「あぁ、新手を足止めしてくれたお陰だ」
「いや、余裕ぶってないで逃げましょうぜ、御二人さん」
「賛成です、此処が退き際かと」
尤もな意見に同調した数名が黒い靄状の魔力翼を展開する中、ベルクスの護衛兵達が怨嗟の籠った視線で睨みつけてくるも…… 再集結した吸血飛兵隊の数的優位は崩し難く、体勢を立て直した増援が現着するまでの僅かな時間、軽々に攻める事はできない。
「くッ、将軍を討たれて賊まで逃がすだと!?」
「落ち着け、闇雲に仕掛けても斬られた者達の二の舞だぞ」
苛立つ若手の護衛兵を諫めた隊長格含む半数は語弊無く “冷静” であり、護るべき対象が斃された現状で身命を賭す意味は薄いと心得ているようだ。
既に必要最低限の目的を果たした此方も同様なので、双方ともに積極的な戦闘を続行する誘因が無い。
「… 所謂 “ナッシュ均衡” とやらか? 」
「あ、知ってる。姫様が好きな異界の賢者ね♪」
何故かどや顔になった騎士令嬢を見遣りつつも、互いに資する利益の中で生じた間隙を突き、魔法で起こした上昇気流を受けて飛翔する。
直線的な軌道で突入時に打ち破った窓の一つを抜け、空中で身体を捻って振り向けば、追随するように離脱してきた吸血種達の姿が見えた。
「あと、ひと仕事だな……」
軽く呟いて斜め上方への暴風を吹かせ、王城の屋根へ着地すると同時に膝を曲げて屈み、幾分か衝撃を和らげる。
なお、他の者達は種族固有の臓器で生み出した浮力を黒翼に纏わせ、幾つかの場所に分散してゆっくりと降り立った。
「かなり難儀に見えるけど大丈夫、その飛び方?」
「もう少し魔法を繊細に扱えるようになったら、改善するさ」
揶揄い気味に掛けてきたリエラの言葉を聞き流し、高所より城郭及びカストルム牢獄周辺を俯瞰して状況把握に務める。
此方に同調した彼女の視線も東門付近へ移動して、早々に退避を決めたベルクスの王族であり、確かレブラントという名の男を捕捉した。
「ん~、えいッ、姫様考案の新魔法“リボルバー”!!」
徐に掲げられた細い右腕の外縁へ青白い炎が浮かび、瞬く間に六本の火矢が形成される。緩りと回転する個々の矢が順番に飛び出していき、標的の頭上から無遠慮に降り注ぐ。
多分、狙える距離か否かでは無く、取り敢えず目に付いたので撃ち放ったのだろうが…… 中々どうして、惜しい場所に飛んで無様な尻もちを突かせた。
異界の賢者こと、ジョン・フォーブス・ナッシュ氏はゲーム理論で有名ですね
確か、ノーベル経済学賞を受賞してたと記憶しています(*º▿º*)




