第三三話 純魔族の娘と若鶏の素揚げ
日がある内に一度娼館へ戻れば、開店前のテラス席へ腰掛けていたシアが気付き、元気に手を振ってくる。
「お帰りなさいです、クラウゼさん」
「遅めの昼食を取ったら、また出るけどな」
「ん、食堂に行って温めてきます、今日のは自信があるんですよぅ♪」
潜伏中の人狼猟兵と同様に娼館の雑用係と化した純魔族の娘が微笑み、踵を返して内扉の向こう側に消えていく。
その上機嫌な後姿を見送りつつ、此方も裏口に廻り込んで、娼婦や裏方が住まう別館の食堂まで足を運んだ。
「ちょっと待っていて下さいね。揚げ物は作り立てが良いと、一緒に料理してくれた麗蘭さんが言ってたので、鶏肉は仕込みだけ… 熱ッ、油が!? ひえぇ~ん」
「確か、中原の遊牧民に滅ぼされた宋国の料理か?」
「はい、とっても美味しいのです!」
本場を知る妖狐監修の “若鶏の素揚げ” には食指が動くものの、それ以前に不器用なシアの腕前で大丈夫かと心配していたら、案の定に追加の呻き声が届く。
「はうぅ~、小麦粉の袋を倒したのです、残りの鶏肉が真っ白に…… 」
「水洗いは…… 揚げるから、避けた方が無難だな」
動揺する彼女の手元を覗き込み、鶏肉の惨状に眉を顰めながらも、食べられない訳じゃないと割り切って一切れ摘まみ上げる。やはりと言うべきか、底面には小麦粉がついていなかった。
いっその事、小麦粉塗れにして熱せられた油の中へ慎重に落とし込むと、小気味良い音が連続して鳴る。
「すみません、美味しい筈の素揚げ料理が駄目になっちゃいました」
「いや、案外良い具合に仕上がるかもしれないぞ」
先に投じられた鶏肉よりも綺麗な狐色に色付くのを少し眺めてから、しょんぼりと意気消沈しているシアの頭をポフっておいた。
そのまま晩秋が旬の野菜コールラビと、刻んだベーコンが入った煮込み出汁のスープを調理具にて掻き混ぜようとすれば、頬を赤く染めた彼女に横合いから制止されてしまう。
「あ、後は私がやりますので、座っていて下さい」
「そうか、では任せた」
抵抗せずに引き下がって調理場が見える位置取りのテーブルへ腰を下ろし、純魔族の青白い肌に合う瑠璃紺色の髪が小刻みに動く様子など見遣る。
野暮ったい服装をしているため、初見では分からないが、吸血姫のエルザみたいにドレスを纏えば素材は良いので見栄えがしそうだ。
(…… それなら、リアナとレミリの双子魔女も同じか)
などと詮無きことを考えている間に鶏肉が揚がり、温めるだけだったスープと併せて運ばれてきた。
次いで今朝焼かれた黒パンのバスケットや、ナイフやフォークが納められたカトラリーケースもシアが手に取り、そっと卓上へ置いてくれる。
「良い食事を♪」
「ありがとう、謹んで頂こう」
軽く謝意を捧げ、先ずは野菜とベーコンのスープを一口啜るも…… 対面座席に陣取った彼女が頬杖など突き、じっと見つめてくるので非常に食べ難い。
昼食を用意してくれた手前、無下に食堂から追い出すのは憚られるため、取り敢えずは放置して問題の小麦粉に塗れた “若鶏の素揚げ” を咀嚼した。
「ど、どうでしょう?」
「これは…… 普通に旨い」
単なる素揚げよりも歯応えがあり、鶏肉と小麦の味が口腔で相まって幸せな気分になる。
今回は偶然の産物に過ぎないが、調理方法や使用する粉物を本格的に追求したら別種の料理となるかもしれない、そう思い至ったところで興味深げな視線を投げてくる純魔族の娘に気付いた。
「…… 一個、喰うか?」
「え、良いんですか、頂きます!!」
問いに即応したシアは種族的な特徴でもある黄金瞳を閉じ、雛鳥のように口を開けて突き出した餌待ち体勢となる。
仕方が無いのでカトラリーケースからナイフを取り出し、フォークで突き刺した若鶏の肉を一口サイズに切断して与えた。
「んぅ、はむ… あ、本当に美味しいです」
「あぁ、予期せぬ誤算だ」
失敗から生まれた小麦粉を用いる若鶏の揚げ物は娼館主の麗蘭にも伝わって、軽食を注文する客達への看板メニューとなり、やがては首都イグニッツの名物料理となるのだが……
北西領軍の本隊に帰還して得意げに話した際、“唐揚げのことね、美味しいのは同意するわ” と吸血姫エルザ・クライベルに素っ気なく切り捨てられる。
例によって『異界の書』に記されていたらしく、溶き卵を薄く塗った鶏肉に対して、パン粉と小麦粉の混合物を纏わせた老執事レイノルドの逸品は付け入る隙が無かったという。
ともあれ、腹ごしらえを済ませた後、食器など片付けてくれたシアに礼を述べ、再び市街地へと繰り出す。
事前に予定していた小集団の纏め役達を訪ねて廻り、夜の帳が降りるまでに件の隠語が刻まれた装飾品風の金属製プレートを配り終えた。
(さて、残るは最後の武器受け渡しだけか……)
空を見上げて確認した月の位置だと、まだ待ち合わせの刻限には多少の時間はあれども、手持ち無沙汰なので早めに魔神教会跡地へ向かう。
昼間の豹人族が言っていた話に加え、他にも幾つか同胞の身柄を押さえられたとの報告があり、出迎えてくれた乞食に扮する魔人にも警戒を促してから、屋根が焼け落ちた廃墟の中で暫く来訪者を待った。
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