第二九話 裏通りにある狐のお宿
「はぁ…… 困った事をしてくれたな、御客人。あんたらは身軽で良いが、こっちは店担いで逃げられないんだよ。その娘、シアも此処に置いていれば駐留軍の憲兵隊に捕まるぞ、どうするつもりだ？」
「はうぅ、マスター、見捨てないでください～」
「すまん、無理だ。私にも妻子と生活がある」
若干、涙目になっている純魔族の娘から外した視線が戻り、責任を取れと無言で訴えかけてくる。
互いに暫く見つめ合った後、店主は卒倒している兵士達の傍に屈み込むと、荒事も多い酒場の経営者らしく慣れた手付きで介抱など始めた。
「さて、俺達も事後処理が必要だな」
「…… しょうが無いよね、その娘も仲間に引き込もう」
「はい？」
こてんと小首を傾げて、疑問符を頭に浮かべた彼女に構わず、狐娘が青白い肌をした細腕を把持して強引に出口へと誘う。
「ち、ちょっと！？」
「ん、悪いようにはしないからさ、あたしに付いてきなよ」
獣人系の衣服にあるスリットから伸びた尻尾を振り、シアと呼ばれた娘を攫う姿は先程の兵士がやろうとした事と大差ない。
「“木乃伊取りが木乃伊になる” というやつか……」
「クラウゼッ、早く来ないと置いてくよ！」
呼び込みのために開放されている扉を潜ったペトラが反転し、さっさと追随してくるように促す。酒場に留まる理由は別に無く、寧ろ追加の面倒事が起きるだけなので、軽い溜息を零してから表通りへ出た。
息苦しさを伴う占領下であっても、人々が暮らしていれば日々の営みはある訳で…… 多少の陰りを帯びながらも、往来では魔人族等を含む多様な亜人種の姿があり、店頭に並べられた食材や日用品を手に取って選んでいる。
勿論、肩で風を切っているベルクス軍本営の連中も散見され、街並みには王都陥落時の略奪で破壊された未修繕の店舗や、焼き討ちされた建物の残骸も混じっていた。
「街の治安とかはどうなんだ？」
「えっと…… 多分、良く無いです。兵隊さんが酷いことをします」
もう腕を掴まれていないため、狐娘の斜め後方を歩いていたシアと並び、首都イグニッツの現状を聞けば良好な状態とは言い難いようだ。
警邏兵達が横柄な態度で秩序を乱している事もあって、犯罪行為に及ぶ愚かな市民まで増加しており、善良な市民には住みづらい環境となっているのだろう。
そんな会話の内容が獣耳に聞こえたのか、先導してくれているペトラも振り返らずに混じってくる。
「傀儡化した行政庁に占領経費を供出させたり、従軍商人に有利な規制や物流統制を敷いたり、まだ三ヶ月程だけどベルクスの奴らは好き勝手にやってるよ」
「自己しか省みない利益の追求は反発を生み、破綻を招く要因になる。中長期的な占領計画が無いという事か？」
「ん～、上層の一部は例外みたいだけどさ、占領後に送られてきた王族の派閥と主導権の取り合いになって、末端まで統制が届いてないみたいだね」
一月ほど先に潜伏して現状把握に努めていた狐娘の言葉は適確で、西方諸国の王は貴族連中が余計な力を蓄え過ぎないよう、恣意的な差配をする傾向があった。
隙あらば諸侯や聖教諸派の紛争に介入し、該当地域を武力制圧して直轄地に組み入れてしまう事例も少なく無い。領地を奪われた貴族は王命に従い、行政を執り行うだけの官僚に成り下がってしまう。
ただ、歴史的経緯から王権の強いアングリアなどで無能者が即位すると甚大な被害は避けられず、度々諸侯が王の決定に異を唱えて結託し、混乱を収拾すべく権能の一部に制限など加えていた。
(ベルクスも比較的に王権の強い国だからな…… ディガル魔族国との戦争を契機に、国外で遠征中の貴族らが懇意になるのを警戒したか)
総指揮官のコルヴィス将軍は即断即決が求められる事もあり、軍事及び占領地に於ける多大な権限を承認されていた筈だが、王族を派遣する事で抑制しているのだろう。
政治絡みの主導権争いに端を発して、荒くれた場末の兵士達が野放しになっているのは歓迎できないが、それだけに市井の人々から反感を買っているのは確実だ。
「…… さて、何処まで進捗しているのやら」
「はぅ、何の事でしょう？」
誰にともなく呟いた言葉を拾い、困惑気味に表情を覗き込んできた純魔族の娘に苦笑しつつ、するりと横道に逸れていった狐娘の小さな背中を追う。
一本裏の通りには大衆浴場に加え、必ずと言って良いほど併設されている開放的な建物が存在しており、街路に面したテラス席では寛ぐ妖艶な獣人女性達が通行人の男性へ柔らかく微笑み掛けていた。
「待て、そっちの手勢が塒にしているのは……」
「ん、母上の友人が経営してる大規模な娼館、出資者は人狼公ヴォルフラム」
さらりと述べられた事実を肯定するかの如く、昼間故に閉じられていた扉が開き、見知った顔の精悍な若者が掃除道具を片手に出てくる。
見たままの印象だと娼館の用心棒であれども…… 以前、首都まで連行されてきた虜囚の吸血姫を掠めた折、大通りでベルクスの帰還兵相手に立ち廻り、事後に森林地帯で合流してきた人狼兵の一人だ。
占領下の描写は第二次世界大戦のパリ占領をちょっと参考にしていたり(*'▽')
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