第二三話 鍛えた筋肉は自身を裏切らない
初めて口にする新大陸原産の食物を頂いた翌朝、首尾よく中核都市ヴェルデを奪還した安堵感や疲労で寝入ってしまい、窓掛け越しに差し込む陽光とハーブの香りで目覚める。
「…… 起こしてくれても良かったのに」
「気持ち良さそうに寝てたから、遠慮したのよ」
宛がわれた客室にある円卓の椅子へ座して、手ずから淹れたであろう香草茶を一口啜り、いつものシックなドレスで隙無く着飾った吸血姫が柔らかい微笑を見せた。
視覚的な情報に加え、鼻孔を擽る爽やかな香りに脳が刺激されて、自然と言葉が口から零れ落ちる。
「ペパーミントか、朝の覚醒効果があるんだったな」
「ふふっ、半分だけ正解ね、他の乾燥ハーブも調合してるわ」
誘うようにティーカップを掲げたエルザに応じて、徐にベッドから降りて歩み寄れば、心なしか頬を赤くした彼女が視線を斜め下に逸らす。
その反応を訝しんでいたら、何故か非難がましく溜息を吐かれた。
「先に上着を羽織るべきじゃないかと思うわ、いつまで無駄に鍛えた大胸筋を淑女の前で晒しているつもり？」
「失敬な、筋肉はいざという時に自身を裏切らないんだぞ」
幾つもの戦場を餓鬼の頃から渡ってきた矜持もあり、咄嗟に言い返したが…… 尤もな指摘なので、脱ぎ散らかしていた上着を大人しく拾う。
ざっと身だしなみを整えて席に着いた直後、手慣れた所作でティーカップが差し出される。
「今更だけど、良い朝ね」
「あぁ、豊かな香で起こされるのも悪くない」
目覚めの一杯を淹れてくれた吸血姫に感謝して、綺麗な琥珀色の液体を口に含む。その様子を頬杖など突きながら、ぼんやり眺めていた彼女と視線が絡んだ。
「ん～、これからどう動くべきかしら、実家は取り戻したけど……」
「やるべき事は多々あれども、先ずは昨日の戦闘で損耗した兵の補充をして、可及的速やかに首都へ進軍すべきだな」
現在、ディガル魔族国の中央領を占領しているベルクス軍主力の内、占領部隊を除く一万五千以上が人狼公ヴォルフラム麾下の南西領軍、未だ見識が無い青銅公アズライト麾下の北東領軍を合わせた七千名強の軍勢と対峙している。
また、南東領では黒曜公リズヴェル率いる約二千のダークエルフ達が弓を取り、老将ガドラスが指揮する約六千の侵攻軍を足止めしていた。
個々の能力差により魔族勢に拮抗するためには1.6倍以上、制圧だと2倍以上も人間側の兵数が必要と言われている現状を考慮しても心許ない戦力比だ。
「…… 遠からず、相手側に私達が中核都市を奪還した事実は伝わる筈だから、“偽兵の計” なんて効果を失うものね」
そうなれば吸血姫エルザ麾下の北西領軍が人狼公と行動を共にしていないと把握され、自身の余剰戦力に気付いたベルクス軍主力の選択肢が増えて、以後の戦局は読み難くなる。
純粋な兵数で魔族勢に勝るとは謂え、退路かつ補給路を断たれた状態での進軍など有り得ないと思えども、念のため敵勢の背後に迫っておいた方が良い。
「此方の参陣で中央領を囲む魔族側の総兵数は一万程度になる。おいそれと動けなくなるだろう」
「多分、戦力的には兵数ほどの差が無いから、やや形勢不利なまま膠着状態になりそうね…… 軍師殿、何か奇策を期待しても？」
可愛らしく小首を傾げた吸血姫は信頼の籠った熱い眼差しで見つめてくるものの、俺は軍師ではなく傭兵上がりの武侠に過ぎず、必ずしも妙案が浮かぶとは断言できない非才の身だ。
過剰気味な評価に肩を竦めてから、程良く力を抜いた態度であしらう。
「常に良い手があるとは限らない。善処はさせて貰うが、期待しないでくれよ」
「うぅ、御免なさい、つい短絡的に考えてしまったわ」
何やら自己嫌悪混じりに呟いた後、僅かに瞑目していたエルザが瞼を開き、紅玉のように艶やかな瞳を向けてきた。
「虜囚の身を救われてから、実質的な領地奪還まで成してくれた恩には感謝してもしきれない。私が個人の判断で与えられるものは此の身くらいしかないけど……」
言葉に合わせて蠱惑的な肢体を強調してくる彼女に惑わされず、恐らく無意識に発動させたであろう “魅了の魔眼” に抗じて視線を外す。
「故人の遺志と己の信念に従っている部分が大きいからな、気負う必要は無いさ」
「むぅ、リエラは “即堕ち” だと言ってたのに身持ちが堅いわ」
少々不満げな仕草により、実は自発的な魔眼の行使だったと認識を改め、自然と深い溜息が漏れてしまう。
やや温くなった香草茶を啜って仕切り直そうとしたら、自由奔放な騎士令嬢に触発されたらしき吸血姫も気まずかったのか、それとなく此方の表情を覗ってきた。
「ま、まぁ、冗談はさておき、午後に時間は取れる？」
「預かった部隊の鍛錬に付き合う予定だったが、少しくらいなら構わない」
「ん、昨日の話題にも出た農業の取り組みを知って貰いたいと思ってね」
百聞は一見に如かずという事で、遅めの朝食や隊長格が参加する軍議などを間に挟んだ昼食も済ませた後…… 老執事のレイノルドに行き先を告げてから、二人で連れ立って都市郊外の穀倉地帯へと足を運んだ。
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