第一話 斯くして物語は動き出す
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ざあざあと、強風が吹き抜ける森の中をどれくらい彷徨ったのだろうか?
ふとした疑問と同時に握り締めたままの右掌に気付き、赤黒い血のこびりついた鉄剣に視線が向かう。
「…………」
茫然と眺めた後、彼女の残滓が小雨で流されてしまう事に気付き、刃毀れした得物を半機械的な動作で剣鞘へ収めた。
「すまない、既に幾つも破っているが、最低限の約束は守る。たとえ、それが屍を積み上げ、踏み越えていく修羅の道でもだ」
当初は “取るに足らない世間知らずの馬鹿” だと、冷笑を投げた少女に詫びつつも、一昨年前の出会いを思い返す。
丁度、聖堂教会が異教徒と定めた亜人達の勢力、ディガル魔族国とベルクス王国の戦争が激しくなってきた時期だ。
境界線が曖昧な王国領の南部で断行された開拓政策に加えて、自分達より優れた種族を魔と断じて貶める人族の宗教的な背景もあり、十数年振りに大規模な衝突が発生するのは必然だったのだろう。
開拓民らが起こした水源の奪い合いに端を発する虐殺事件、それに対する魔族国の報復が引き金となって、長年蓄積された双方の怨恨を糧に戦火は燃え広がっていく。
その中で “神族の血を受け継ぐ聖女” と呼ばれていたアリシアも、戦時招集される運びとなり、国王の計らいで宛がわれた護衛の傭兵隊に俺は名を連ねていた。
『皆々様、宜しくお願い致します。怪我などなされたら、すぐに治療しますので遠慮なく申して下さいね』
などと、忌憚なく微笑む温室育ちの少女に頷きつつ、報酬の金貨さえ貰えれば十分と、当初は醒めた目で見ていたものの…… 彼女は筋金入りの馬鹿だった。
始まりからして醜い利権絡みの戦争に大義を抱いて挑み、頑張れば頑張るほど理想との落差を知って、やせ我慢の笑顔には憔悴の色が濃くなる。
統治する側に都合よく作られた教義を鵜吞みにして、悪鬼羅刹だと思い込んでいた魔族とやらは単なる亜人に過ぎず、その事実を人族の国家では捻じ曲げて利用していると、聡いアリシアが理解するまで然程の時間は掛からない。
それでも、溢れる慈愛の精神で傷ついた者達を献身的に癒し、戦場でも強固な結界魔法で皆を護る彼女は、徐々に軍内部で存在感を増していった。
無茶を厭わない聖女に引っ張り回されていた傭兵達も、負けじと実力以上に奮闘して鉄火場を潜り抜け、手練れの強者となっていく。
毎日飽きもせず刃を振るい、荒波の如く打ち寄せる白刃を凌いで生き残れば、種族的に魔力が強い部類の亜人も多く斬った故か。
虚仮おどしに過ぎなかった自身の魔法も、剣技と共に鋭さを増していき、運用次第では敵陣の一角を崩すことも可能な領域に達していた。
(だから過信したのか? 実際は小娘一人、救えなかったのにな)
紆余曲折を経て、こちらの軍勢が魔族国の首都まで迫った頃、占領下の街で兵士らが略奪行為を働く現場に遭遇する。
当然の如く、それを止めさせたアリシアの表情がいつまでも晴れないので理由を聞くと、窮状に陥った魔族の王より和睦の申し入れが届いていたらしい。
普通に考えた場合、多額の戦費を投じているベルクス王国は土地や資源、亜人の奴隷が手に入らなければ経済的損失を補填できないため、今更の譲歩は難しいだろう。
ただ、皆の信頼を得ている聖女なら講和を成せるのではと思い至り、“好きに振る舞っても良い、もしもの時は盾になる” と、軽々《かるがる》しく誓ったのを覚えている。
『… ん、最善は尽くさないと後悔するよね』
そう逡巡して答えた彼女が軍議で停戦を主張するようになってから、途端に上層部からの風当たりが冷たくなり、他の従軍司祭達にも距離を置かれてしまう。
結局、厄介者にされたアリシアは国境沿いにある都市ラズベルの教会まで呼び戻され、護衛の傭兵隊も解散となり… やる気の失せた数名が彼女の旅路に便乗した。
行き着いた先に待ち受けていたのは亜人排斥を唱える過激派の連中で、礼拝堂の外に留められた俺達は名状し難い絶叫を聞く羽目となる。
駆け込んだ内部では司祭達が自ら流した血溜まりに沈んでおり、中心部に辛うじて聖女の面影を残す、醜い異形の怪物がいた。
綺麗な顔の片側に生えた無数の目が不規則に蠢き、垂れ下がった両腕は途中から肉々しい触手に変じている。
その表皮は溶解と再生を繰り返して、異臭と蒸気を絶え間なく噴き出させていた。
悍ましい姿に辛うじて息のあった大司教が呻き、わずかに液体が残る筒状のガラス容器と金属針で構成された先史文明の遺物を手に呟く。
『な、何故…… 私が、間違って… いたのか?』
『違う、私に… 神族の血なんて、無かったから……』
悲痛さを滲ませた人外の声が響いた刹那、異形化したアリシアの脇腹を突き破って肋骨が伸び、元凶であろう大司教の頭蓋を穿った。
さらに動揺する暇も無く、触腕が唸りを上げ、棒立ちになっていた俺達にも殺到してくる。
仮にも歴戦の傭兵ばかりなので、各々が得意の武器で切り払いつつ間合いを取れば、苦しそうに呻き続ける彼女は集眼に涙を滲ませて乞い願った。
『まだ、私の意識がある内に、殺して……』
そこから先は余り覚えていない。
気心の知れた仲間のすべてを犠牲にして、彼女の心臓に鉄剣を突き立てた俺は礼拝堂で佇み、輩達の死を無駄にしない為にはどうすべきか、独り自問していた。
されども早々に答えは出ず、この惨劇が露見する前に現場を離れた上で、郊外の森へ身を隠して現在に至る。
「…… 思えば、何のために戦ってきたんだろうな、俺は」
言わずもがな、切っ掛けは金だ。それが無いと生きていけないのは、貧困層の生まれなので身に染みている。
年端もいかない頃、母と一緒に乗合馬車で赴いた遠くの地方都市、見知らぬ賑やかな風景に心躍らせていたら、口減らしで置き去りにされた。
多少の罪悪感はあったようで、人混みに消える背中を追いかけて、“待って” と叫べば叫ぶほど、急ぎ足で離れていった母の姿を微かに覚えている。
その後は手を汚しながら、路上の子供として生き足掻き、ある程度の背丈になった時点で年齢を偽って、身寄りのないガキでもなれる傭兵の稼業を選んだ。
「ははっ、徹頭徹尾、清々《すがすが》しいほどに自分のためか……」
だからこそ、誰かのことで命を危険に晒せる馬鹿が尊く思えたし、薄汚い生き方しかできない己の命を懸けても、護るべきと決めたのだろう。
(遺志は継がせて貰う。それが借り物であってもな、惚れた弱みだ)
今更に気づいた亡き聖女への私情を認めて、すぐに一切合切を飲み下す。
土砂降りになってきた雨空の下、俺は立ち止まっていた重い足を動かして、まだ懐かしくもない戦場を目指した。
人物紹介 No.1
氏名:アリシア・ルクス (享年17歳)
種族:人族
職業:神働術師
技能:上級魔法(光)
聖焔結界
魔法耐性(全)
魔法効果増加(小)
称号:神族の血を受け継ぐ聖女
武器:祈りの錫杖
武装:聖女の正装