一章02 誘い
エドモン島は、半島国家フラウ王国本土から、遙か北方に位置する島である。
元々は無人島だったが、百年ほど前に商船が漂着したことで発見され、現在は流刑地として利用されている。
住民の、ほぼ全てが犯罪者。
島内には森があるため一見、船を造って脱出することも可能に見えるが、島内にある木は全く水に浮かない。リグナムバイタ、紫檀、黒檀、鉄木のような気乾密度の高い木しか自生しておらず、土壌や気候が影響しているのか分からないが、ただでさえ高い密度だというのに、これらの木々は他の地方のものより更に密度が高かった。水に浮くような密度の低い木は、島には一本もない。
この島のような寒冷地では育たない植物も多数育つことから、この島が強い魔力の「磁場」の影響を受けているのは間違いないが、研究が本格化する以前から流刑地として扱われるようになっていたため、その研究は進んでいるとは言いがたい。
島民は時折本土からやってくる船から支給される、果実や固形食と、自分達でやっている農作業で確保した小麦や野菜、それから狩りで得た猪や鹿の肉を食糧としていた。
ケートスの今日の昼食は、平たいパンが一つと、キャベツと人参が煮込まれた塩辛いスープ、それに干し肉が一つと林檎が一個。果物も肉もあるので、久々に豪勢な食事だった。
無論、食事が豪華なことにはそれ相応の理由がある。
先の戦いの祝勝というのもそうだが、今日は一人での食事ではなく、とある人物に招かれているということが大きかった。
見事な彫刻が施されたテーブルを囲んでいるのは、ケートスの他にもう二人。
バロン公。ケートスから将器を見出し、教育を施している老人だ。フラウ王国現国王より、エドモン島の管理を任されており、自身の領地から連れてきた二百あまりの兵士によってペルセウス、エルドス達から土地と罪人達を保護している。
フェン様。ケートスより少し年下に見える少女で、詳しいことは聞かされていないが、やんごとなき身分であることだけは聞かされている。いつも灰色のドレスを着ていて、瞳はエメラルドのような緑色で、髪は海の底を思わせる深い蒼色だった。
ケートスも髪は青っぽいが、フェンのそれとは違いもっと色が薄い。水色だ。
目の前のフェンをじっと見る。一瞬だけフェンが顔を上げてこちらを見たので会釈し合うが、すぐに視線を下げた。
互いに、話しかけることもなかった。
もう少し何か話した方がいいのかもしれないが、少なくとも今はいいだろう。そうケートスは思った。のっぽの自分と、背の低いフェンでは、横に並んで会話すると互いに首や背中が痛くなる。窓辺かテーブルに座っているフェンと、立ちっぱなしの自分。二人で話をするときは、いつもそうするようにしていた。なので、今は彼女と話さなくてもいい。
「ご苦労だった、ケートス」
上座に座るバロンが、ケートスをそう言ってねぎらった。
「いえ。……結局バロン様が来なければ突破されるところでした。力至らず、申し訳ありません」
食事中だが席を立ち、頭を下げるケートス。バロンは朗らかに笑い、首を振った。
「ペルセウスもエルドスもおったからな。多少兵の数で勝っているくらいじゃ勝てぬよ。寧ろ、よくあれだけ保たせてくれた。おかげで援軍が間に合い、どうにかこちらの支配領域を削られずに済んだ」
エドモン島の本来の支配者はバロンだ。しかし、ここ一、二年の間に少しずつ反抗勢力が力を蓄え、ついにはペルセウス、エルドス両名の活躍によって、既に島内の三分の一がバロンの手から離れていた。
「この島にいるのは、何もエルドスのような重犯罪者だけではない。他国との戦争で生まれた捕虜達や、儂の甥っこ……現王であるゼシカに迫害されてここに流れ着いた者達もおる。彼らの安全のためにも、いち早く島内を再び一つにしなければならないというのに……頭の重い話だ」
それからぽつりと、儂がもっと若ければ、とバロンが呟いた。
かつて王弟として戦場を駆け、その道徳的な振る舞いと社交界にも通じていることから、「バロン」という二つ名を与えられた男も、老いには勝てない。
そして今もし若かったとしても、決してペルセウスは勝てなかっただろう。……そのことは、バロン自身も分かっているはずだ。
だから今の発言は、行く先のない愚痴だ。そう、バロン自身も分かっているのだろう。ぐい、と杯を傾け、誤魔化すように話題を変えた。
「そろそろ船が来る頃か。ケートス、迎えに行ってくれるか」
「物資が来るんでしたね。分かりました」
兵数が他より多いということは、それだけ食糧が必要だということでもある。バロン陣営だけで独占している、本土からの物資は大切だ。
「そろそろ夏も終わり、冬が近づいてくるな。冬魚の煮物でも食べたいものだ」
寒冷地のこの島では、秋なんて本当に一瞬だ。だから、夏の終わりが近づくと誰もが冬のことを考える。
「また釣りにでも行きますか?」
去年のこの時期は、稽古の合間を縫って何度か釣りに行ったものだ。
釣った魚を何匹か、そのまま海辺で塩をかけて焼いて食べる。それだけでも、自分で手間をかけて手に入れた魚と思えば、不思議と味も良く感じるものだ。
勿論、持ち帰りコックに料理してもらった煮魚も、絶品だった。
「それはいいな。フェンもどうだい?」
孫でも見るような優しい表情で、バロンがフェンを見る。
「うん。楽しそうね」
小さく微笑んでフェンが頷く。バロンは朗らかに笑い、「決まりだな」と言った。
フォークをキャベツに突き刺し、口へと運びながらふと外を見る。
近頃は、風も少し冷たくなってきた。
こうも寒ければ、今年もきっと、身がしっかり締まったおいしい魚が食えるだろう。
期待をしつつ、ケートスはキャベツを噛んだ。