年思い、年患い
年の瀬は寂しくて、いけない。
「按摩師様、何を考えておいでなの?」
指の先の向こう、女がくぐもる声を上げる。
「いえね、どうにもこの時期になりますと、寂しくて仕方がない……なんぞと、まあ爺らしくもない感傷に浸っておりました」
私は腰を折り曲げて、無心に女の背を撫でる。揉む、指先で押さえ、凝りをほぐす。
良いところにあたると、彼女の肉がごりりと剥がれるのだ。その感触は、女の悦びの声である。
「……この季節、お忙しいのではなくて?」
「皆様、年の終わりに疲れを取りにおいでですので……いえね、他は暇なのですが、この季節だけが忙しく」
女は妙に体格が良い。薄い布団にうつ伏せとなり、私の按摩を大人しく受けている。
「だって、お上手だもの。みなさん、喜んでいらっしゃるでしょう?」
「目も見えぬ耄碌爺のところに、通っていただけるなぞ、こちらこそ有り難い」
「それがいいの」
女はふふ、と小さく笑った。それは自虐の笑みでもある。
「……あなたがもし、あたしの姿を見てしまえば驚いて、ひっくり返ってしまうだろうから」
……私の目には光がない。盲目だ。何も見えない、ただの闇である。
しかし、この老いぼれた指先は目よりもずっと勘がいい。
「嗚呼」
嗚呼、嗚呼。と女が吐息を漏らすのは、1年溜め込んだ疲れがほぐれていくからである。
女の背は毛深い。毛をよりわけて、私は女の凝りをほぐす。ほぐせば、彼女の身体から、むっと1年の疲れが香り立つ。
その時、薄く鐘の音が聞こえてきた。
「ああ、鐘が鳴る」
「今年も、もう終わりで」
「そう思うと、たしかに寂しいわねえ」
女が、ゆるやかに息を吐いた。
「この季節だけが忙しいものですから、忙しくなると、ああもう年の瀬だと気付かされます。そうすると余計に寂しいのです」
もう、夜も遅い。冷やされた空気は年末独自ものだ。きっと外は、きりりと冷えた闇なのだろう。
月なんぞ上がっているのかもしれない。深い闇の中で、黄金の色だけが美しいのだろう。そして、風の音が聞こえるのに違いない。
年の瀬は翌年への希望よりも、今年の終わりを思って、余計に寂しさが募る。
これではまるで、年患いだ。
「そういう貴女だって寂しいんじゃないですか」
「あたしはいいの。今日で仕事納めだもの」
「結構なことでございます」
女の肩も腰もひどく重い。一年、休みなく働いた身体をこうして、私のもとでほぐしていく……毎年必ずやってくるお得意様は、皆々そうである。
客がくると、やはり私は寂しくなるのである。
「ここのことはね、昨年の担当の方に伺ってきましたの。腕のいい按摩師様がいらっしゃるって。1年の疲れも吹き飛ぶから、行ってみなさいって。私とはどうも気の合わない方だけども、嘘は言わなかったのねえ」
「褒められるとこう、ケツがこそばゆい」
女を座らせ、固い肩をほぐしていく。女はひどく荒く息を吐く。
腕を伸ばし、肩をたたき、背を撫でる。それが終了の合図である。
と、女はきれいな衣擦れの音をさせて、着物をまとう。そして私の手をそっと握った。
存外、繊細な指である。
「ああ、本当に気持ちが良かった。良かった……1年の疲れが消えた」
「ようございました」
「ねえ、ここはずっと……やっているのかしら」
「ええ、もうずっと……」
指折り数え、私は苦笑してそれをやめる。
考えても詮無きことである。
「じゃあ」
女は私の手を握ったまま、微笑んだようである。
不思議なことに、触れているほうがずっと相手の表情を読み取れるのだ。
彼女はなんとも、幸せな顔をしている。
「……また、12年後に」
そして、女は消える。
ちょうど、除夜の鐘が消え終わる、その瞬間に。
「イノシシ……か」
私は女の去った後の床をなで、つぶやいた。そこには太い毛がいくつも残っている。
大きな体、荒い鼻息、固い体毛。そうそう、今年は亥の年である。12年の締めくくりの年である。
さぞかし彼女も気を張ったことであろう。
「では、来年はねずみ年。こりゃまた小さなお客様になりそうだ」
私は笑って、疲れた指をさする。
12神の凝りをほぐす仕事に就いて早幾年。もう自分が何者であるのか生きているのか死んでいるのか神であるのか、罪人であるのか、それすら今はもう分からない。
時の流れもわからなくなった私が、唯一季節を感じるのは、この年の瀬だけである。
「触れ合いが、たった一瞬だけってのは寂しいねえ……」
私は自分の弱々しい心を笑い飛ばした。
「……年が暮れる」
名残の鐘が一度鳴る。
それは澄んだ冷たい空気に混じって流れて消えていく。
年が変わったその瞬間、空気は美しく澄み渡って寂しさを押し流す。
目の前には、雪が積もっているのだろうか、人々は祈りを携え歩いているのだろうか。神はそれを見ているのか、隣を歩いているのか。
良き年でありますように。私は柄にもなく、そう祈った。




