足跡~最期の時間を~
「どうしよう……」
僕は崖と思われる近くまで来るのに、遠く感じた道のりを戻るなんて、したくなかった。思い出すだけでも嫌になるんだ。萎えてしまって、挑む気力さえもない。苦しさが続くことを思うと、やるせない。
――やだなぁ……。
歩きたくないと、楽することばかりを考えた。自転車も、魔法も、持っていないんだ。悲しく、寂しく、押し潰されてゆくのに、涙はもう出ない。
――疲れたな……。
僕は後ろ手に上体を支え、正面の闇を見た。この場所を閉じ込めているそれは、絶望しか感じさせてくれないんだ。
――もう、やめよう。
元の世界へ帰ることもできず。方法を見付けることもできず。全てを投げ出してしまおうと、思った。木立と奈落の狭間で独り。死を迎えるだけ。
――……。
上体を支えていた腕の力は少しずつ抜けて、背中を地に着けた。真っ黒な天を仰向けで見ながら、土の冷たさや湿りを肌で感じた。
「ハァ……」
冷蔵庫のように、空気もひんやりとしていた。寒さはどこへ行ったのか、心地よく思えていた。動かす力のない体から、徐々に熱を奪っていく。
――願いは、叶わなかったなぁ……。
大好きだったママと、あの日に帰って、笑顔で過ごしたかった。
――ごめん、別れさえ言えなくて……。
最期くらい、言葉で、伝えられれば良かった。会うこともできないとは。
――ありがとう。
思いを、声を、みんなに。心へと、届けておくれ。一言だけでいい。
――楽しかったなぁ……。
友だちと遊んだり、冒険したり、ケンカもした。家の外が幸せだった。
――ああ……。
色々な所へママに連れて行ってもらった。手を繋いで歩いたんだ。
――バイバイ。
短かった僕の命よ。旅立つことを、許してね。知り合えて良かった。
――本当はね……。
大好きでした。もっと、もっと、生きたかった。大切にされたかった。
――心残りはね……。
今まで集めたコレクションを、置いてきてしまったこと。捨てないでほしいな。
――次に生まれる時は……。
意識が遠のくのを感じながら、心のアルバムを過去へとめくる。仰向けで見ていた真っ黒な天は、美しい景色へと変わる。
――行こう。
会いたかった友だちが、僕の手を引いてくれた。花が咲いている野原で、一緒に走る。離れた場所でみんなが、待っている。
――ただいま。
青空の下で温かく迎えられ、嬉しさに笑った。やっと、帰って来たんだ。夢にまで見たママの優しさに、涙するんだ。あのね、さっきまで、暗い所に居たんだ。怖かったことを話したけど、馬鹿にされたんだ。それでも、僕の手をママの大きな手が包んでくれたんだ。みんなと、話しながら、歩き出した。光の先へ。