日常~坂上に待つは~
――静かになったなぁ……。
今頃お母さんは晩ごはんを食卓に並べて、時計を見ながら待つ様子が目に浮かぶ。道は思うより早くと暗まりゆき、家や店の窓に光が満ち始める。自転車を走らせ仰臥門は央都の北に達すれば、左手に坂が見える。
――うわぁ……。
古跡台地は第一層へと至る急坂の下で走りを止めて、嫌だなと思いで顰めっ面になり先を見る。南方角へ四百メートルに及ぶそれは、苦難を味わうことから死の道と呼ばれる。自動車のエンジンは唸りを上げ、自転車のペダルは重く漕げぬ。体力が必要だ。
――行くか。
薄藍色の空に風呂敷を掛けゆき、紫色の深みが頭上へ昇らんとする。幼少より今日まで何度も通りした坂に挑み、徒歩でハンドルを手押しながら終わりを目あてとする。白亞の壁により町は見えず、景色は変わらぬことで疲れが募る。行けども行けども続くだけ。
――しんどい。
近付いている感じはなく、足の重さに負けそうだ。距離を教える標はなく、励ます声や人も居らね。息を切らし汗を垂らして、休まずに進める。
――ん?
坂上に誰かが居るようで、白い目のライトが向けられてた。西方は最後の光が消えようとして、紫色の空は刻々(こくこく)と黒に染まりする。
――もう、ちょっと。
光源との距離が狭まるに連れて、人影が少しずつ浮かび上がる。輪郭を見れば母親に思えて、まさかねと。心の中で首を傾げ、良く確かめようとした。
「旒、お帰りなさい」
「母さん、何でここに?」
第一層に着くや聞き慣れた声と共に迎えられて、懐中電灯の眩しさに暗みながら話すんだ。信じられなさと嬉しさとで、複雑な気分になった。
「心配したのよ、遅いから」
「ごめんなさい……」
安心でか泣きそうになる母親の声を聞き、謝ることしかできなかった。大禍時を過ぎて外出する危険を侵させたのは自分だと反省する。
「大丈夫でしたか!?」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
陸軍第一基地に所属する密林迷彩の服着た男性は国軍専用車両から降りるや駆け寄って来た。
「怪我は無いですか!?」
「大丈夫です」
「何よりで良かったです」
「ありがとうございます」
「夜になったので送らせてください」
「お願い致します」
階級章を見れば一等正ということが分かって、銅色の菊の花が三つ光沢を放つ。促されるまま車に乗って、上の層にある家へと運ばれる。段々とした道だ。
「着きました」
「本当に助かりました。旒も降りなさい」
眠気を堪え返事して、開けられたドアに手を掛けた。下車するや男性に礼を言って、母親と共に見送った。夜空を仰げば満月が浮かんでいる。




