日常~天樹の大きさ~
「地始玻愉の森の中で、一際高い木がありますね。聖域に入ることはできませんが、仰ぎ見ることはできます。手の届かない位置にある枝葉は、空へと手を伸ばし、空を支えているかのように思えました。私たちの国で一番高い地に根差す古き木に、私たちは見守られているのです」
男性教師は話を切ると、窓の外へと視線を遣る。黄昏に揺れるような表情で、しばらく見ていた。そして、何とも言えぬ雰囲気を漂わせては、電子黒板へと視線を移す。手に持っている差し棒を縮めて、タッチペンサイズに。それを使って画面を操作し、一枚の写真を表示する。
「――この木を私たちは天樹と呼んでいます。国旗に使われている象徴であり、心の拠り所とも言える存在です。この名称は正式なものではなく、大人でも覚えている人は少ないようです」
一連の話を聞いて思った。生活の中で使いにくかろうと、重要な存在であるのなら。心にでも留めておくべきだと、常識なのだから。
「さて、根宮さん」
「はいっ!?」
「……やましいことでも?」
「いいえ」
「では、尋ねます。古くから在る木の正式名称は、何でしょうか?」
「天恵色与の木、です」
僕は座ったままの状態で、問いに答えた。他の人だって知っているはずなのに、どうしてなんだろう。
「はい、ありがとうございます」
五時限目が始まってから何度も聞いたその言葉を、右から左へ聞き流す。不平の気持ちから、反抗的になってみたが、相手にされなかった。男性教師は電子黒板の画面を操作して、天樹の写真の下にテロップを表示した。
「先程と同じように、込められた意味を知りましょう。天からの恵みを受けて、この地に色を与える様子から、名付けられました」
始祖様の時代というか、国の始まりは白と黒だけの世界だったと、文献に記されている。今ではモノクロテレビを想像するしかなく、本当なのだろうか。
「正式名称を覚えていれば、その漢字から意味を読み解くことができます。この国で暮らす者として、二つの存在を忘れてはいけません。分かりましたか?」
「はい!」
返事するタイミングが合わなくて、少しバラバラに聞こえた。男性教師は気にする素振りを見せず、電子黒板の上に掛けてあるアナログ時計を見ていた。長いこと授業を受けてきた疲れから、僕も時間が気になって見た。針は午後二時二十五分を指していて、終わりまで残り五分だ。
「今日は、私たちの国について、基本的なことを確認しました。ここまでの内容で、聞きたいことはありますか?」
男性教師は教卓に手を置いて、誰かが手を挙げるのを待っている。時計の秒針の音が聴こえるほどの静けさに、早く終わってほしい気持ちになる。
「はい。今日の授業は終わりにします。次回までに予習をしておいてください」
「分かりました」
「では。日直の方、号令をお願いします」
「起立!礼!ありがとうございました!」
挨拶が終わったのと同時に、短いチャイムが鳴った。僕は机の上のタブレットをスリープモードにして、片付けた。休憩時間だから、室内も廊下も騒がしい。




