足跡~神霊の存在を~
――ふむ……。
風を司る者の私は、人の姿をとり、大枝の上に立っている。目線の先には男の子が、白木の下で安らかな寝息を立てていた。長い袖の服やズボンはまだ新しく、不自由さはなかったようだ。
――ならば、どうして。
世界から切り離されたこの地に、男の子はいるのだろうか。気に掛かる点があったので、離れた場所から行動を見ていた。心の声も聞いていた。
――願いか……。
恵まれた暮らしを捨てるなぞ、理解できない。一時の感情に流されて、魂の一部を差し出すとは。失って初めて大切さに、気付いてももう遅い。
――それにしても。
私は男の子に何を期待していたのだろう。生きるための力を持たず、助けてもらわないと出来ず、親に付いて行くヒナのようで、興味が失せた。
――戻るか……。
神霊たちが集うあの場所へと、踵を返した。不意に私を呼ぶ声が、耳ではなく心に届いた。誰かは知らないが、力を持つ者だと思うに至る。何があっても良いように気を引き締め、大枝の上で幹に背中を預ける。目を閉じて意識的に、夢の中へ降り立った。足元から光る波が、同心円に広ぐ。
『何者だ?』
目の前に立っている、女性に問い掛けた。黒いガウンを着て、三日月の首飾りやイヤリングをつけていた。
『魔女と呼ばれているわ』
『真名は言わないのか』
『信じていない話じゃないけれど、力を持つ者なら分かるでしょう』
名前とは個の存在を認識させる記号のようなものだ。魂そのものと言えるからこそ、不用意に名乗ってはいけない。過去や現在を知られ、未来を変えられる。
『では、魔女よ。話があるのだろう?』
『感付いていると思うけど、あの子のことよ』
『ふむ。願いを叶えたのは、魔女か。死に場所ならば、他にもあるだろう』
『それは、本当のではないからよ。自分にとって大切なものを、忘れているの』
『誰かのためを優先して、自分をおろそかにしてきた結果か』
『そうよ。この空間はあの子の、心のようなものだから……』
『ここでなら、見付かるとでも?生きることさえ、難しいのに?』
『ええ。必要だからよ。そして。必要とされている。偶然はない。必然だから』
『本当の願いを思い出した時、何かが起こるとでも言うのか?』
『願い。願う強さが、運命を変える。子供とか、関係なしに』
『この場所にとって、希望に成り得るか……。世界に戻れる日が来る……?』
『手助けするしないは自由よ。何者も、心までは縛れないわ』
『なら。好きにさせてもらおうか。干渉は許さない』
『最後に一つだけ。あの子の行く末を信じてほしい。見守ってほしいの』
『そこまで言うのなら、考えよう』
『ありがとう』
魔女との会話が終わると夢から戻り、目を開けた。顔を横に向ければ少し離れた所で、男の子が寝ている。立ち去ろうとしも止められて、複雑だった。寒そうに丸まってゆく様を見て、悩む。今からすることは手助けではないと、自分を無理やり納得させて、力を使う。暖かな風のドームを築いた。遠き日の春を見て。