足跡~名前が出ない~
「名前を教えてくれるか?」
他人行儀も何だからと、命令口調でなぜ言うのか。司にやられたくないからと、素直に名乗ろうとした。口を開くもそれだけで、出てこない。
「名前が……分からない……?」
何度も書いて、普段から呼ばれて、憶えているはずだのに。信じられない事態に打ちひしがれながら、半ば一人言の返事をして困り果てる。
「どうして――……」
「落ち込まなくとも良い。時が来れば思い出すさ」
「ほんとに?」
「自分が大切にしているものほど、忘れづらいからな」
「いつ……?」
「分からない。先を見たとしても、確かなことまでは」
「ごめん……」
「気にするな。仮の名を考えれば良い」
僕が思い出すまでは、司が与えてくれるそれを持って過ごせと、言われた。名前とは仮の名だろうが、意味のあるものでなければいけない。人生がそれで決まるからこそ、願いを込めるだけで終わってはいけない。と、長い話を聞かされた。
「ねえ、自分で考えたらダメなの?」
「……出来るのか?」
司はそう言っては背中を向けて、歩き始めた。後ろに付いて行きながら、やりたいとアピールしたんだ。
「……仕方ない。自分でも考えてみろ」
最上級の笑顔で頷いては、歩きながら候補を挙げてゆく。使いたい漢字をいくつか頭の中で、組み合わせたりしていった。
「難しいだろ?」
「バカにしないで!」
言葉が強すぎてしまったのか、司はこれまでにないほどの怒りを見せた。すぐに平常となったとはいえ、一瞬と感じた恐怖は忘れられなかった。ママが手を上げた時と同じで、思わず竦んでしまった。相手にそのつもりがなくても。
「ごめんなさい……」
「いや、こちらこそ」
謝っては謝られて、互いに頭を下げた。少し気まずい雰囲気になり、会話がなくなってしまった。それでも歩き続け、何本目かの白木を通り過ぎた時に、司はようやく静寂を破った。
「考えたか?」
「ひとつだけ……」
「聞かせてもらおうか」
「……界帰ってのはどう?」
必ず元居た世界へ帰るという意味を込めたことを、僕は伝えた。意外と良く考えられていると誉められて、嬉しさを感じたんだ。
「私は、望を仮の名にと思っていた」
自分だけではなく他の人にとっても、希望であれという意味を込めたと、司は聞かせてくれた。少し感動してしまうほどだった。
「提案だが、界希にするのはどうかな?」
互いに考えた仮の名を選ばずに、帰るを望むに変えて意味を一つにしてみた。読み方は同じだけど、意味に深みが出たと感じられたんだ。改めて、よろしく。




