王都スィーランの地下迷宮
スルガラン王国の王都スィーランは、近隣国も羨望する見事な都市であった。
それは街並みの美しさによるものでは無く、地下から計画された設計の妙によるものである。
国王の住まう王宮から住民の起居する家々までの地上部、その下に流れる上水部と更に下、下水部の三層構造が、スィーランの誇る清潔さを支えていた。
上水部は付近を流れる大河アンドラから水を引き込み、王都を一巡してまたアンドラへと戻る仕組み。
この流れを利用して王都内には区画毎に水汲み場が設えられている他、いくつかある広場には噴水が虹を作り、また街のあちこちでは水車が音を立てている。
川の無い場所を半分地面に埋まった様な姿の水車が回る風景は、他に見られる事の無いスィーラン特有のものである。
夜、静まり返った街並みにゴトン……ゴトン……と響く水車の音は、住民達にとっては聴き慣れたものであるが、行商や腕試しに上都して来たばかりの冒険者など旅人には概ね不評だ。
一晩中響く水車の音。宿屋で一泊した次の日、旅人は皆目に隈をつけている。
上水部は地上のすぐ下を流れている。耳の良い者ならば地下のせせらぎを微かに聴き取れるだろう。
月に一度は流れを塞き止め、内部の汚れなどを念入りに落とす。その為に税を使うが、清潔な生活用水を維持する為の税だ。住民達は『これぞスィーラン』と語る。
しかし、スィーランを支えているのは更に地下。
広大な下水部、地下迷宮である。
下水部は上水部と全く連絡されていない。王都地上の汚物汚水が全て落ちていく、閉鎖されたその場所は何処にも行き場が無い様に見える。
ならばすぐにも溢れそうなものである。
が、そうならないのが設計の妙、実際には大河アンドラへ流出してはいるが、その際には飲めるほどに浄化された清らかな水になっている。
これこそ近隣諸国が羨む由縁である。自然発生的に生まれた都市では望む事の出来無い汚物処理能力であるからだ。
真似をしようものなら都市をまるまる更地にして掘り返さないといけない。
その地下迷宮には生態系が組まれていた。計算された生物濾過がアンドラへの排水を清潔に保っていた。
下水部に足を踏み入れれば、まず鼻に汚物の臭いを感じるだろう。
だが、さほどでは無い。
風が吹いているのである。通気孔が無尽に隠されており、それが換気しているのだ。
足許に注意を向ければ、目に映るのは大量のスライムだ。
スライムというものは幾つもの種類がある。類別すればそれぞれ全くの別種なのだが、慣習として全てスライムと呼ばれている。
この地下迷宮にも幾つかの種類が認められる。
大量にあるのは粘菌型のスライムだ。活発に動くものでは無い。ぶくぶくと泡立ちながらじりじりと蠢いている。
これは汚物を消化して生きている。汚物処理の主役と謂える。
野菜屑などの汚物より固い物は、単細胞型のスライムが体内に取り込み消化している。
こちらは粘菌型より動きが速い。ゴロゴロと転がる様に進み、体表に付いた生ゴミを食べている。
汚水の浄化は下水路にみっしりとはびこる二枚貝が受け持つ。汚水を濾しとり伸ばした管から綺麗になった水を噴き出す。迷宮全域にいるのだが水路の下に棲息している為、スライムほど目立ちはしない。
これらと目に見えない菌などの活躍で、大河アンドラは汚れる事無く流れ続けていた。
実に結構な処理能力ではあるが、問題点が無い訳ではない。
このままではスライムや貝が増え続け、地上へ溢れる懸念がある。
そこで、更にこれらを餌食とする生き物が放たれている。
鼠や蟲、汚れた水質に強い魚類などだ。
更にこれらを餌食とする生き物がいて……
────────
「ですから、五頭。五頭倒してきて下さい。六頭以上は駄目、四頭以下でも駄目です」
ギルドの受付嬢は冒険者達に念を押した。
「ったってよ、六頭目が襲ってきたら身を守らざるを得んだろが?」
「逃げて下さい」
受付嬢は営業スマイルで答えた。
このやり取りは何度目だろう?
初めて受付に座った頃は冒険者どもに押し切られる事が多かった。
結果、自分の給金から持ち出しでごねる馬鹿に追加報酬を支払う破目に……
思い出すと完璧な営業スマイルのこめかみに青筋が立つ。
「逃げ切れなけりゃどうすんだ?死ねってかぁ?」
「はい、死んで下さい。それが依頼の要点です」
このやり取りも何度目だろう?
にこやかな受付嬢の答えに冒険者達は絶句する。
やがて気を取り直した冒険者が、呆れた様に口を開いた。
「……信じらんねぇ、そんな依頼。馬鹿にしてんのか!?」
「いいですか?この依頼は生活環境省、つまり王宮からのものです。報酬は当然住民の血税。しかも報酬を一頭当たりに換算すれば相場の倍ですよ?」
受付嬢の口許は柔らかく微笑んでいるが、その瞳は虫けらを見る様だ。
「完遂するか、さもなくば死あるのみです」
「……他!他無ぇのかよ!?」
「同じく下水部での討伐依頼が三件ございます。どれも別種のモンスター討伐ですが、依頼主は生活環境省。つまり」
「完遂するか死あるのみ……ってか?」
「御理解が早くて助かります」
受付嬢は頭を下げた。
「おかしいだろ!?」
「……それが王都スィーランですから」
カウンターに突っ伏した冒険者が立ち直るのにしばし時間がかかった。
「よぉ……都の外にゃ討伐依頼は無ぇのかよ?」
「ここは王都ですよ?」
「だったら普通あるだろ!」
「……余所の国はどうか知りませんが、王都郊外にモンスターを放置する訳無いじゃないですか」
国の中で一番重要な場所である。ゴブリン一匹近寄らせたりはしない。
「下水部以外にゃ依頼が無ぇ、って事か?」
「他には上水部清掃が月に一度ありますけど、先週行ったばかりですので」
受付嬢は言外に『おのぼりは帰れ』との意味を込めて答えた。
────────
「よぉ、アンタら来たばっかか?」
それなりに叩き上げられた姿の男が、先程受付嬢とやり合っていた冒険者達に声を掛けた。
「どうなってんだここは?依頼が地下迷宮、いや下水の中だけなんてよ」
「一番大事な場所だからな、スィーランの」
「じゃあ、なんでモンスター討伐に制限がかかってるんだよ?全滅させたらいいじゃねぇか」
古参の冒険者は苦笑いをしながら答えた。
「事情があるのさ。詳しく話しても解らないだろうが、地下迷宮のモンスターも下水処理に絡むんだ。居なくても困るが増え過ぎなのも困る。丁度いい数に調節する為の討伐なんだよ」
「そんな話聞いた事が無ぇよ」
「だろうな。ここじゃあ依頼が余り無いからな、余所から流れて来た奴にはきびしいぜ?」
「よく食っていけるな?」
古参の冒険者はニヤリと笑う。
「スィーランの冒険者は兼業でね、いつもは雇われて他の仕事をしてるのさ。定住しないとキビしいんだよ」
新参者達は頭を抱えた。
兼業?定住?
冒険者稼業では普通聞かない単語である。
街並みを見渡せば、巡回警備に歩く衛兵の姿。
つまり護衛依頼なども無いのだ。聞けば隊商などもこの街に暮らす兼業冒険者と護衛の専属契約を交わしていると謂う。
「くそ……薬草採取とかしなけりゃなんねぇのかよ」
当座しのぎにしかならないが、買い取りくらいはしてくれるだろう。
独り言を耳にした古参の冒険者が、可哀想なものを見る目で言った。
「あのな……スィーランの周り一面畑だろ?来る時見なかったか?」
「薬草も生えて無ぇってか!?」
「あの畑な……薬草畑なんだ。下手に薬草採取なんかしてギルドに行ったら、お縄になるぜ?」
「……はあああ!?」
考えてみれば王都である。薬品の類を切らす訳が無いのだ。
新参の冒険者達は揃ってテーブルに突っ伏した。本日何度目か判らない。
────────
「それでは依頼の御説明を」
「聞いた!昨日聞いた!」
「宜しいですか?」
受付嬢は詰まらなそうな瞳で、それでも営業スマイルは崩さなかった。
彼等が引き受けた依頼は『淡水性クラーケン成体を五頭討伐』である。昨日受けようとした依頼だった。
「お疲れ様です先輩、交代しまっス」
新参の冒険者達がギルドを後にすると、入れ代わりに来たのは受付嬢の後輩だった。
いつもの様に引き継ぎを済ませると、後輩が訊いた。
「先輩、なんでここに住んでいない冒険者を地下に送り込んだんスか?」
「……討伐対象は産卵期が間近なの。気が立ってるわ」
受付嬢は後輩をチラリと見る。
「王都に住んでる冒険者を向かわせる訳にはいかないでしょ?兼業冒険者なんだから。もしもの事があると彼等の雇用主が困るのよ」
「……捨てゴマっスかぁ」
「ま、一頭倒せたらいい方じゃない?どうせ後から後から『おのぼり冒険者』はやって来るんだから構わないわ」
「ぷぷっ!おのぼり冒険者!エグいっスね」
受付嬢はふと、考える。
都市計画を立てた人物は、地下迷宮の生態系の頂点をどう処理するか考えていたのだろうか?
(きっと私と同じ様に余所者をあてがうつもりだったのよ。減らせれば儲けもの、冒険者が返り討ちにあえばお金払わずに済むものね)
「じゃあお願いね、帰るわ」
「お疲れ様っス」
ギルド館の外は夕暮れの街並み。
喧騒に紛れて水車の回る音が今日も響いていた。
───────終