四話 「だから私は」
勝利なんて、正面から戦った末に得られるものじゃなくていい。まして胸を張れるものでも誇りに思えるものでなくとも。勝って残るものなんて所詮、死体と血に染まった自分一人なんだから。
『マコト……たたかっ…………て』
私がそれを知ったのはまだ十歳にも満たない頃で、目の前で倒れこむ姉にしてあげられることは何もなかった。
刀を取るか、死を待つか。どちらも選びたくなんてなかったくせに、私は結局生き延びた。
優しくしてもらった思い出も何もかも塗り潰して。信頼していた人達を殺めてまで。
「ねぇハルカ。アンタにとって、私ってまだ仲間?」
ここで何を言われようが本当はどうでもよかった。やることは変わらなくて、ただ本気で刀を重ねる。それだけだし。
「はい」
けれど思ったよりも早く返ってきた答えを聞いて、正直私は安心していた。
「だから理由、ちゃんと話して貰いますから」
優しい言葉と似つかわしくない表情をしているハルカに、私はうんともすんとも返さなかった。代わりに刀を構え直す。
それをどう受け取ったのかわからないけれど、「そうですか……」と呟いたハルカは少し残念そうだった。いずれハルカも剣を構えたから、私はゆっくり歩き出す。
これから行うのは戦いじゃない。一つの命を摘み取る作業だ。派手な攻撃は必要ない。最速で的確に、刀を突き立てるだけでいい。
森は物音一つ無く静か。捲れ上がった緑を横目に進み、互いの間合いに踏み入った。
ハルカが先手を取って動き出す。
頭上に掲げられた両手剣。振り下ろされたそれを直前で、剣の厚さ分だけ横に避けて回避した。
空を切った剣先は風を生み出し、後ろの木々が根っこから薙ぎ払われる。
「──ここ」
戦いを終わらせる一手は、必ずしも劇的なものじゃない。それこそ本当に命を摘み取るだけの作業なら、そんなもの邪魔でしかない。
腕に八割力を込めて左胸に刀突き刺す。そこには一秒だって必要ない。
「…………そこまでしますか……普通……」
刀は心臓の手前で受け止められていた。刃を力強く握った右手から血が滴り落ちていて、ハルカは心底辛そうな声音で尋ねてきた。
「するよ。仲間だったら」
「意味わからないんですけど」
そうだろうなって思った。だって私もわからなかったから。
なんでハルカがノアに怒っているのか。
「お互いさまだよ」
がら空きだった腹に足の裏で蹴りを入れた。ハルカは吹き飛んで二三度地面を打って転がる。
言ってしまえば、一割はただの腹いせだ。こうしようと思ったきっかは朝の口喧嘩がほとんどなんだし。でも私には、ハルカに望むことがあった。
刀に纏わり付いていた血を一振りして払った。
「……何か言いたいことがあるなら……声、出したらどうですか?」
こっちは本気で殺そうとしているのに、あっちは容赦なく自分を貫いてくる。今はそんなものが欲しいんじゃない。
起き上がろうとするハルカに詰め寄って、もう一回腹に蹴りを入れた。思いっきり蹴り飛ばしたから立ち並ぶ木々を簡単にへし折りながら飛んでいく。
それを走って追いかけて、川の浅瀬に辿り着いたところでハルカは止まった。
「桜蝶花斑の刀、百十三」
「——だから、なんでだよ!」
私が刀を振り下ろすよりも先に、ハルカは無茶苦茶な体勢のまま大剣を横に振るった。咄嗟に面を構えるも勢いに押され、川辺の岩まで弾き飛ばされた。
岩の上に佇んで川を見下ろす。
「言ってくれなきゃ何もわかんねぇよ!」
怒りとか憎しみとか、それと似たような感情が詰め込まれた瞳なのに、よくそんな辛そうな表情を作れるな。なんて思った。
「言って何か変わるの? 言葉なんて上辺だけでしょ」
「だとしても、マコトさんの言うことなら俺は信じます」
「いいよ別に。今欲しいのはそんなんじゃないし」
ハルカに刀を向ける。私の望みを叶えるためには刀を取るしかない。私は他の方法じゃ仲間なんて呼べないから。
「じゃあ何がしたいんだよ……」
「すぐにわかるよ」
私が勝つにしてもハルカが勝つにしても、それはほんのちょっと先のこと。もうじき斑の型も維持出来なくなってしまうからそこで終戦だ。
「桜蝶花、斑の型百二十九——」
技の数が百三十に到達しないのは尽きたからじゃない。それ以上必要ないから。百二十八の技巧すべてを駆使して勝てなくとも、百二十九手目でどんな戦いも終わらせられるから。他のどれとも違う、ただ殺すためだけの技。
左手を突き出して右手を引いて、一点を貫く構えを取った。
「『殺』」
狩り取る命に向かって、力強く岩を蹴った。
前に見せたことがあったからか、ハルカも私に向かって飛んできた。この技について尋ねられた時は気が乗らなくて濁したけれど、今の行動がハルカにとっての対策だったのだろう。
一度しか見ていない割には案外理に適っていて、あの時からずっと考えていたんじゃないかって推測が過ぎった。でもそれくらい、こっちだって考えつく。
間合いに入る寸前で右腕を横に広げ、突き刺す構えから斬り伏せる構えに変える。
——最初から、穿つつもりなんて微塵もなかった。
刀に確かな手応えを感じ、浅瀬に降り立ってから振り返った。
「流石だったね、ハルカ」
空中で首めがけて振り切った。けれど、ハルカの目には見えていた。私が構え直したことも、首に刃が向けられていたことも。
すれ違ったあの瞬間、私の刀はハルカの剣に防がれていた。
「マコトさんと同じくらい、俺も良くない性格してますか……」
そこまで言って、ハルカは地に右膝をついた。地面に突き刺した大剣と右足首に軽く触れた手。
川辺の丸石が赤く染み出していた。
「…………!?」
「あの時の答え合わせでもしよっか」
鋭く睨みつけるような瞳を見下ろしながら、ゆっくりハルカに歩み寄る。
「私がこの技を使ったあの日のこと覚えてる? ハルカは私にこう言ったよね? 刀が触れていなくても切れる技ですかって。あの時は適当な言葉を並べて違うって言ったけど、実際はその通りなんだ。視界に入ったものを切る技」
斬撃を飛ばして切る『断』とは訳が違う。視界に入っているものを直接斬りふせる技。だからハルカは私との距離を縮めてきた。すれ違うその瞬間まで私の動きを見ていた。
「けどね、だから私は敢えて自分から接近戦に持ち込んだんだよ? ハルカが向かって来ることも、構えのフェイクを見破ることも分かった上で」
近寄っても右足の腱を切ったから今更抵抗してくることは無いと思った。念のため肩を蹴って地面に倒し、胸板を踏みつける。
「そして刀を流された直後、『殺』で右足を切ったの」
私の中で、首をめがけて振った一打目は防がれる前提だった。もともとの狙いは防がれた後。ハルカに油断が生まれる瞬間だったんだ。
柄を逆手に持ってハルカの首元に寄せた。
「…………これでようやく、望みが叶う……」
ハルカは一切の抵抗もしないどころか言葉すら返さず、ただ黙って私を見ていた。
ようやくだ。やっと私は目的を果たせる。ほんの少しだけ浮かばせた刀の先に、どうしてもして言ってやりたいことがあったんだ。
「ハルカ。アンタにとって、仲間って何?」
言葉なんて上辺に過ぎない。こっちが本心から投げかけたって向こうは簡単に嘘を吐ける。それどころか、貰ったこっちはそれが本心かどうかだって知り得ない。
私は言葉なんて信じない。私たちは言葉だけでは通じ合えない生き物なんだよ。
「……」
けれど、私が知りたかったのはこれで、結局は言葉。だから刀を取ってハルカを傷つけた。刀を重ねればわかるとか、上辺だけの言葉で顔色を伺うとか、私には出来ないから。
命を代価に問いかける。本心を聞かせて欲しい。答えによっては——
それさえも覚悟して。
「……まさか、それを聞くためだけにこんなことしたんですか?」
理解されなくていい。嫌ってくれたって構わない。そう思って頷いた。
ハルカは少しだけ表情を綻ばせていて、でも私は、たとえどんな言葉が返ってこようがそれを聞くまで刀を降ろすつもりはなかった。
「…………楽しい時は一緒に笑って、苦しい時は一緒に踏ん張って、なんて言ったら随分使い古された言葉だなって思いますか?」
ああ、やっぱりだ。
「けど、俺はそういうのが好きなんです。小さい頃に本でそういうのを読んで、あの頃より背もだいぶ伸びたし声も低くなった。それなのに、まだそんなおとぎ話みたいなものに憧れているんです」
やっぱり、私とは違う。
「……」
「でも今は、それで良かったと思えます。ノアもマコトさんもアカリさんも、ニアさんもカナタさんも、仲間だって俺は言えます」
どうしたって最後は、その口から出た言葉を信じるかどうかでしかない。私にとって嬉しいような言葉を並べたからって、それを信じられるわけなんてないよ。
けど私は思ってしまった。
その目になら、その傷になら、その剣になら、その笑みになら——騙されたってきっと、後悔はないだろう。と。
「……」
私は何も返さなかった。短い返事も僅かな頷きも返したくなかった。
私のこの気持ちを信頼とは呼べないと思ったから。黙ったまま刀を鞘に収めて、足を退けた。
「………………立って。帰るよ」
何も言わずハルカを見下ろしていた間、私は一体どんな顔をしていただろうか。
長い沈黙の後空っぽになっていた右の手をハルカに差し伸べた。
「足切った本人に介抱されるって、ちょっと思うところがありますね」
「うっさいな、マナ多いんだしどうせもう治ってるでしょ」
「流石に冗談キツイですって。アカリさんじゃないんですから」
減らず口を叩きながらもハルカは私の手を取った。
「アカリなら本当にあり得るかもね。アンタの倍はマナ持ってるだろうし」
そうは言ってもハルカだって私の倍はマナを蓄えている。それくらいあれば治癒魔法がほとんど必要ないようで、既に右足の傷口が塞がり始めているみたいだった。ちょっとだけ妬ましいから肩は貸さずに帰路に着いた。
ハルカのちょっと前を進んで二三歩のこと。急に視界がフラついた。
ノアが目覚めたその日の記憶は、それ以上なかった。
目を覚ますと、私はベットの上に寝ていた。部屋の中は真っ暗で、それに加え寝起きで視界がぼやけていたから、状況を把握するのにいつも以上の時間がかかった。
ほとんど何もない殺風景な部屋だけどわかる、私の部屋だ。私の手を握ったまま眠りこけてるノアがいるから間違いない。
ノアが寝たきりになってた間私もよくこんな風に寝ていたのに、目覚めて一日目にしてもう立場が逆転してしまうなんて。ちょっと申し訳ないなって思う。
時計を見ると深夜と言うよりもはや早朝。ハルカと討伐に出たのが夕方くらいだから結構長いこと寝ていたようだ。
体がとてつもなく重たい。怠くて動きたくない癖に目が冴えきって眠ることもできない。
最悪な体調だが、とても身に覚えがあった。体内マナ枯渇による昏睡状態と疲労感。まだ三の太刀も覚束なかった子供の頃はよく陥っていた。もう数年となっていなかったからか懐かしささえ感じる。
経験上、この疲労感に負けてずっとベットに居座るのは無駄でしかないから、私は重い体を起こすことにした。翌日になれば治っているし、体内のマナが少ないというだけで健康に異常もない。無理しても問題ないのだ。
私の代わりにノアをベットに寝かせて、私は私の部屋を出た。こんな時間だしまだ誰も起きてないだろうから、行く場所に困ったが今日はテラスに足が向いた。
二階のテラスからは大森林が見渡せる。右前方には大きな山があって、そこから流れる滝なんかも少しだけ見える。夜は月や星がとても綺麗だから、たまにそこで黄昏れたりする。今日みたいな日は特に。
ただ、みんなこの場所が気に入っているようで、こんな時間でも一人先客がいた。
「マコトか。起きたんだな」
「ぅぁ……カナタ…………」
今はノア以外と口を聞きたくなかったがハルカじゃないだけマシに思えて、私はカナタの隣に並んだ。
「悪かったな」
「本当にそう思うなら今すぐ自室に戻ってくれない?」
「そのうちな」
どうやら悪く思っていないようで、カナタがその場から動くことはなかった。そして唐突に、森をぼんやり見つめながら意味のわからないことを告げてきた。
「……ハルカにお前のことを聞かれた。悪いが勝手に話させてもらった」
「私のこと? 何の話?」
「わかるだろ、昔の話だ」
「ぁぁ……その事ね。そんなつまんない話したら、ハルカの機嫌悪くなったんじゃない?」
カナタの「まぁ良くはならないだろ」って言葉の裏側に、何か隠れているような気がした。それが本当に有るか無いかは別にして、聞きたいとは思わなかった。
「だろうね。で、ハルカは何か言ってた?」
「なんとなくわかった気がするってよ」
「父親の親友の家庭に家族全員殺された話聞いてそれだけ?」
「そんな面白くもない話を聞いて、そんだけ返せれば十分だろ」
「確かに」
カナタはまだ森を眺めているから、私も景色を見ることにした。
思った通り星が綺麗で、森は静か。気怠さに打ち勝って来た甲斐がある絶景だった。
「で、今日は何があったんだ?」
「何って、ハルカから聞いてないの?」
「聞いたが、とんでもなく強いオーガに出くわしてお前のマナが尽きた。なんて話、信じると思うか?」
久しぶりに耳を疑った。その話をノアやニア、アカリにしたとして、真に受けるのはアカリくらいでしょ。ああ見えてハルカは本当に馬鹿だなって改めて思った。
「……ほんとバカで生意気なやつ」
ただ、どうにも嫌いじゃないのが少しムカついた。
「そんなオーガいるわけないでしょ。私がハルカを殺そうとした、それだけ」
「そんな話それだけで片付けるな。動機は?」
「むしゃくしゃしたから。それと…………やっぱりなんでもない」
「どこの通り魔だよ、大方ノアのことだろ?」
なんだかんだ相手がカナタで良かった気がする。私が何を言っても決まった熱量で返してくれるから、それがちょっと心地いいし。
「わかってるなら聞かないでよ。てかそれだけじゃないしぃー、言わないけど」
「言いたいのか言いたくないのかはっきりしろ」
なんでカナタはそういうところの察しがいいんだろう。嬉しいには嬉しいけど、この時間にここにいたことも実は私を待っていたんじゃないかって思えて、ちょっと気持ち悪いって思った。
「……言って私は満足するけど、聞いてもカナタは面白くないよ?」
「なんなら今までの会話、最初から面白くねーよ」
「突き落とすよ?」
「今日はノアとアカリに街中連れ回されて疲れてるんだ、勘弁してくれ」
本当に突き落としたくなるくらい羨ましい話だった。その腹いせって訳じゃないけど、話してもいい気分になったから口を開く。
「…………私、仲間だって言えるの、五人の中でもノアだけなんだよ」
この話はノアにだってしたことがない。そもそもしたくないし、むしろ絶対に聞かれたくない。
「……それで?」
「それでって……そっちこそ他になんかないわけ?」
「あるけど終わってからでいい」
どんな誹謗中傷も受け止めるつもりで言ったから、何もないと逆に戸惑ってしまった。
「…………昔、姉さんが後ろから刺された時、父さんが私にこう言ったんだ。『そいつらはもう、仲間じゃない』って。すごく疑問に思ってたんだよ。ついさっきまで一緒に森を散策してて仲間だったのに、そんな簡単に壊れるものなのかなって。私はそうじゃないと思った。そうあって欲しくなかった。だから私は、私自身で仲間って何なのか決めることにしたんだよ」
カナタはうんともすんとも喋らない。本当に私が何を言ったって変わらない熱量なんだ。
話しているだけで気が楽になるから、正直有難い。
「そして最近わかったんだ。『その人の為に命を懸けられる人』。私はそんな人を仲間だって呼びたい。今はそれがノアしかいないの。最初に出会った時も、そして一年前のあの日も、ノアは変わらず自分の命を張って私を助けてくれた。私のちっぽけな18年間の中で、ノアが始めてだったんだよ」
「……」
「でもね、カナタ。今日ハルカを殺そうとしてなんとなくわかったの。私、ハルカとカナタとニア、それからアカリ。四人とも仲間にしたいんだなって」
ハルカにあんなことしてまで言葉を貰ったのに、私はまだ躊躇っている。
この話をハルカにしたら、ハルカは怒るだろうか。それともまだ仲間だと言ってくれるのだろうか。
みんなにとって、私は仲間になれているのだろうか。自分は違うのに、もしそうだったら——なんて都合のいいことを考えていた。
「私の話はこれでお終い。いいよカナタ。今度は私が聞いてあげる」
「聞きたかったことは大体勝手に話してくれたから、もういいよ。今日は疲れてるし、寝るわ」
まるで今まで我慢していたかのように大きな欠伸をしてから、カナタは家の中へと歩き出した。
「あーついでに」
カナタの背中を見ていたから、振り返ったカナタと目があった。
「今更お前にどう言われようと、俺はきっちり五人とも仲間だと思ってる。お前の言う通り、そうそう変わるもんじゃないからな」
それだけ言って振り返るカナタに、ちょっと格好付け過ぎだって言ってやりたかったけど、出てきた言葉は違っていた。
「そう。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
カナタと一緒に黄昏たかった気分もどこかへ行ってしまったから、私も少ししてテラスを去ることにした。
誰もいなくなったテラスを、月明かりがそっと、照らしていた。