三話 「私とハルカと」
「まずは結論から話しましょう、ノアが元いた世界のことを」
魔王討伐は長年に渡り人々が志した悲願。その時間の中で犠牲になったものや人、事柄を考えれば、何か形として与えられる報酬で釣り合うわけもなく、それを憂いた国王はみんなにこう誓った。
『魔王討伐に出向き、見事それを打った輩全員に、願いを一つ叶えてやろう』と。
「この世界には貴方と同じ世界から来た人も少なからずいたようです。現在存在しているのかどうかは定かではありませんが、文献には残っていました」
私がお願いしたのは、私が元いた世界の情報を調べてもらうこと。
帰りたい。なんて少しも思ったことはないけれど、私の他にもそんな人がいるのかちょっとだけ興味があった。
「ノア、ケイラルディアを訪れたことはありますか?」
頷いた。この世界に来たばかりの頃、マコトと二人で一ヶ月程そこに住んでいたことがあったことを思い出す。
「この城の書庫にも文献はありますが、ケイラルディアには昔、とても知性の優れた異界の言葉を扱う人が居たそうです。おそらくこの街よりもケイラルディアの方が多くの文献が残っているかもしれません」
頭に残っていたケイラルディアの思い出がリシャーナの言葉に引っ張られて、頭に浮かんだ。
マコトに連れられて歩いた街並み。その街で私は冒険者になって、カナタと出会った。懐かしい。もうずっと前のことだと思えてしまうほど。
きっとこの街みたく、ちょっと変わった街並みになっているのだろう。今度暇があったら行ってみたいな。
「私が知っていることはこれくらいです。あまりお役には立たないですね」
「うんん、ありがと」
もともと興味本位だったし、知りたいことは教えてもらえたからとてもありがたかった。
笑ってお礼を言ったけれど、あんまり上手に笑えていなかったのか、リシャーナは薄っぺらく笑った。
「……ノア、ここからが本題なのですが話すにあたってその前に、一つだけ守って欲しいことがあるのです」
曖昧な笑顔の正体はきっと悲しみ。
白いドレスを着るようになってどのくらい経つのか知らないけれど、感情を隠すのが少しだけ上手くなっているように思った。
「この先ノアがどんな決断をしようと私にそれを止める権利はありません。ですから、これは一人の友人としての願いです。黙ったまま、行かないでください……ね」
一体何の話をしているのか、リシャーナが次に口を開くその時までわからなかった。
「貴方が眠りについて三ヶ月が過ぎた頃だったでしょうか、父がこんな未来を見たのです」
ひたすらに、言い表せない予感がした。
「人の背丈より何倍も何倍も高い建物が沢山並んでいて、四角い箱がとても素速く行き交っているその場所に、灰色の服に身を包んだ貴方が立っている。というものです」
私の産まれたあの場所と、とてもよく似た所だった。
「見たこともない文字で溢れ、この街よりもずっと多くの人がいた、と父は言っておりました……帰っても忘れないで下さいね」
リシャーナのお願いが、「もう貴方のことは信頼していませんので」そう言っているように聞こえた。
リシャーナも私を心配してくれた、大切な仲間の一人だったのに。今の今になって、やっとそれに気がついた。
「……帰らない、よ?」
国王やリシャーナが見る未来は変わることがないもの。それを忘れたわけじゃなかったけれど、私はそう返した。リシャーナは、「はい」としか答えなかった。また薄くてペラペラな笑顔だった。
「では、また遊びに来てください、待っていますから」
わざわざお城の出口まで見送りに来たリシャーナに手を振られながら、私達は王城を後にした。
お城の中にいたのは三十分くらいだったのに、青かった空は黄色く染まり始めていた。それが次第に濃くなって、赤くなったら日が沈む。一日が終わる。
私はまだここにはいない二人のことを、考えていた。
* * *
「マコトさん! 一人で突っ走んないでください、カバーに入れないじゃないですか」
心底うんざりだった。ただでさえ今日は虫の居所が悪いのに、よりにもよって腹を立てているその本人に指図されるとは。
ハルカとの仲なんて言ってしまえば普段から悪い。良くないじゃなく悪いけど、これでも普段は毛を逆立てるようなことは言わないようにしていた。ただ今日はばかりは気が収まらなかった。
顔も見たくなかったけれど、仕方なく足を止めて振り返る。
「だぁーかぁーらぁ、別に入らなくていいって。私一人でやるから」
「……それが出来ないから言ってるんです」
災難だ。折角ノアが目覚めたんだからこんな依頼、手っ取り早く終わらせて帰るつもりだったのに。それなのに──
「はぁ……だから嫌だったんだって。私、来る前反対したよね?」
「俺だってそうしたかったですよ、でも仕方ないでしょ、ギルドから直接の依頼なんですから」
「す、すみませーん…………もう少しペースを下げてもらってもぉ……よろしいでしょぉうかぁ…………」
ハルカの後ろの木陰から、茶色のローブを着込んだ女が姿を現した。遅れて一人二人と姿を見せる。
「新米の面倒見てられるほど私、暇じゃないんだけど」
「そ、そうですよね、このままのペースで大丈夫です……すみません……」
「いやいや、それは違いません? 依頼を受けたんですから、やることはやらないと」
「私が受けたのはオーガ十五体の討伐だけ。新人の経験とか教育とかそんなの聞いてないし。ていうかさぁ、オーガ十五体だよ? 中位の冒険者ならともかく、なんで下位の冒険者がついて来てんの」
「ギルドに頼まれて俺が許可したからです」
別に理由を聞いているわけじゃない、ただの嫌みだ。ハルカはそれを分かっている癖にそう返してくる。馬鹿にしているのか、下っ端を守っているのか。
そのどちらにしても私には、ハルカの態度が気に入らなかった。
「なら自分で面倒見なよ、私は私一人でやる。八体やったら先帰ってるから」
これ以上一緒に居たくなかったし、言葉を重ねるとそれだけじゃ収まらなくなりそうだったから、先を急ごうとしたのに。
背中を向けたら、その通りになった。
「いい加減にしてくれませんか」
「は?」
振り返ったら何事もないように冷静な顔をしていて、ハルカのその顔が余計イラついた。声音もまったく変えないのに飛んできた言葉は尖っていて、人も簡単に斬れそうだった。
「新米冒険者三人の面倒くらいなら簡単にみれますけど、私情垂れ流してる冒険者の面倒なんて、そもそもみたくないんですけど?」
流石に頭にきた。
「今なんて言った?」
あまり深く意識せずに、右手が柄を握りしめる。
「何か間違っていましたか?」
「…………うざ」
それ以上、言葉をかけようとは思えなかった。
「桜蝶花、朱の型四十二──」
心が熱く、赤くなる。それは目には見えないけれど、体を通う熱い血が炎のように紅いのだから、どうして赤にならないだろうか。
「ま、マコト先輩……?」
頭に上っていた血も何も、全部が心を燃やす熱に変わったのか、それとも燃える心に焼かれたのかは知らないけれど、とても良く頭が冷めた。
「下がっててください」なんていながら、ハルカは背中の大剣を抜刀する。黒くて面が広いそれを片方の手で軽く、二回ほど素振りしてから正面で構えた。
「こんなところで始めて、オーガに囲まれたって知りませんよ?」
「……」
ハルカとの立ち合いはもう数え切れないほどしてきた。あの大剣を私の刀で受けきることは出来ないから、流すかかわすが前提になる。でも、だからハルカの立ち回りは私の刀受けきれる前提となる。それを逆手にとって不足した威力を文字通り火力で押し切れば──
そのための一振り、
「『斬』」
右足に思い切り力を込めて、前に飛ぶ。十メートルかそこらの距離を一秒で埋めて、ハルカの懐でその顔を仰いだ。
いつもより少しだけ大きく見開いた目がこちらを捉えていて、遅れながらも剣の側面で受ける体制に入ろうとしている。
——何もかも、よく見えていた。
ここから私が居合したところで、ハルカがそれを受けきれることも。
けれどそれで良かった。それさえも分かった上でのかけ引きだったのだから。
燃えた刀身が鞘を出て、ハルカの左下から右上へ線を描くその刹那だった。
「あっつ!」
大剣の側面を向けておきながら、ハルカはそのまま大きく右へ避けてかわした。
刀は避けられたものの、肌を焼く熱。ハルカの中でも咄嗟の判断だったように見えた。
「今の、ちょっと笑えなくないですか?」
焼けた肌の具合を確かめるハルカからも、ようやく冷静さが欠け落ちたようだった。
「そっかぁ、ごめんねぇー。次は本気で笑えなくしてあげるから」
燃えた刀身を一振りすると、火が消える。そうしてからまた鞘にしまった。
どんなに大きく鋭い剣でも、もとは金属。融解させて叩いて作ったんだから、圧倒的高温に晒されればたちまちに溶けてしまう。
大剣ごとハルカを、焼き斬ってしまう算段だった。
「結構です。もう十分わかりましたから」
「そう? それは残念」
険しく変わったハルカの表情を見て少しだけ気が晴れていた。
多少のいざこざなんてこれまでに何度もあったこと。でも本気で殺そうと思って振った刀は、今のが初めてだった。
「マコトさん、先に謝っておきます」
大剣を身構えるその姿が私の知ってるハルカじゃなくなった。
「無事に済ませる気は、ありませんから」
今までの小競り合いで手を抜いていたことも、今から本気で立ち合おうとしていることも、全部、お互い様というやつだった。
「こっちのセリフ」
私達はこれから初めて相対する。本気で。命を賭して。
緊張感が音もなく、昼下がりの森を包み込んでいた。
柄を握る手がいつもより冷たくて、鼓動の一つ一つが大きく感じられた。それなのに。
気持ちは少し、弾んでいた。
「桜蝶花の型、三の太刀——」
ハルカが動き出すその前に、こちらから打って出る。避けたり流したりは面倒だし、何より性に合わない。
「『連』」
抜刀から直接左下、右、左上へ、時差コンマ二秒以内の同時三連撃。その一太刀目を大きく弾かれ悟った。一度でも見せたことのある技は通用しないらしい。
弾かれて生まれた隙に腹部を蹴られ、後ろの木に打ち付けられた。
刀を地に立てて立ち上がり、頬の汗を拭う。
「……ほんと生意気」
「それほどでも」
別に褒めてない。冷静に怒りをため込みながらも頭を動かす。
技の多様さで意表を突くことはできても、無属性では大した痛手にはならない。持って生まれたマナの量に差がありすぎる。
大剣ごと焼ききるのも二度目は食わないだろうし、そもそもあんな火力、そう何度も繰り出せば先にこちらがばててしまう。考えれば考えるほど面倒な相手だ。
それでも三つほど、ぱっと頭に浮かんだ手があった。
「来ないんですか?」
「そっちこそ」
「じゃあ。お言葉に甘えて」
両手でしっかりと構えていた大剣を引っ提げて、ハルカは走り出す。射程二三歩手前で真横に振り切った刃先から、空間が歪み風を切ったような鈍い音が鳴った。
風を視覚化したような歪みはマナを含んだ斬撃。
刀を両手で握り直し斬り伏せる。微風に変わったそれの手応えが薄くて違和感を感じた。途端だった。
七割いや、きっと六割五分。目の先で振り上げられた大剣に桁外れのマナを感じ取った。
前に一度、それよりふた回りは大きい一撃を見たことがあったから、あれで全力なんかじゃない。
「はあぁあ……あぁっ!」
唸り声とともに踏み出した一歩は地面を砕き、剣はうすら赤く光っていた。避けようにも今更、受けるなんて論外だ。
——迫りくる剣が、それは酷くゆっくりに見えた。
「桜蝶花——黄の型!!」
無意識のうちに叫んでいた。
目や髪にピリピリとした痺れを知覚した頃には、ハルカの後ろに回っていた。
周囲を軽く震撼させるほどマナを含んだ大剣が切ったのは、私が通り過ぎた後の黄色い尾。
「三十三、『閃』」
ハルカの胸板と左太もも、左二の腕の三箇所に切り傷が現れる。
力で勝てないなら速さで上回れ。一つ目策は、苦肉の果てに切らされた。
「二十四、『迅』」
続けて右足首、左脇腹、右頬に刀を滑らせる。
ハルカの大剣は、大きく遅れて尾を切ることはあれど刀が防がれることはなかった。
計、二十八箇所は刀を立てた。のに、
「十六、『穿』
首の中心を狙って刀を立てようとしたことが間違いだった。そこだけを待たれていた。
刀はハルカの首元寸前で不自然に止まった。
突然目の前の景色が一転し、青空ばかりが目に映る。何が起こったかを知ったのは、再びハルカが視界に入ってから。
遅れて腹部に硬いボールを当てられたかのような、強烈な痛みが走った。悶えるくらい痛み。吐き気すら覚えた。
吹き飛びながら視界の隅までハルカが流れる。手応えが確かだったのか、大剣を構えることさえしていなかった。
──痛みに屈する……場合じゃない…………
吐き気を無理やり抑え込み、空中で翻って刀を構えた。
「桜蝶花の型、七十二の太刀!」
それは思い浮かんだうちの二つ目、一番望みが薄い手段だった。
「『断』!!」
百二十を超える技の中で、唯一広範囲かつ高威力な一振り。
縦に振り下ろした刀が距離を捻じ曲げ、視界に入る光景全てを左右に割かつ。
数え切れないほどの木々が音を立て倒れ、地面には三メートル以上の亀裂が走る。
残った力のほぼ全てを出し切った一撃だった。他に何かできるとしたら、あと一振りが限界なくらい。
「……もう、遊びは終わりにしませんか?」
土煙が去って禿げ上がった地面の真ん中に、剣を横に構えるハルカの姿があった。体のあちこちに切り傷はあっても多すぎるマナが止血してくれるから、大事には至らない。ほとんど無傷に変わりなかった。
「一年前見せてくれましたよね? 普段使わない型。使わないんならここで終わりにしますよ?」
穏やかなのは口調だけだった。
佇んでいるだけで大気が震えだし、やがて地面にひびが走る。十メートルは離れたこの距離間でさえ、マナの温かみが肌を包んだ。
間違いなかった。一年前にも見た、ハルカの全力だ。
「……」
別に催促されなくとも残った一手がそれだった。最も可能性が高く、一番希望を託せる最強にして最後の一手。
「……いくよ、桜蝶花」
私に残された一刀は、朱でも葵でも黄でもない。まして白とか黒なんて、そんな綺麗な色をしているわけもなくて、もっと悍ましくて醜い。
私に羽があったなら、それはきっとそんな型。
「桜蝶花——斑の型」
私の中で、大切な何かが欠け落ちる、そんな音がした。