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一話 「特別な日」

 またお会いしましたね、ノアです。

 本編を読む前に、一つ注意です。この物語はタイトルに「ノアの箱舟」と入っていますが、本編がその話に沿っているわけではございません。ややこしくしてしまい申し訳ありません。それでもという方はゆっくりしていって下さい。

 では本編です。


 私がこの世界に来て半年。それは長かったようでやっぱり短かった気がする。

 辛いことはたくさんあったし泣いてばかりだったように思うけれど、それでもこれだけは間違いない。私は幸せだった。いや、幸せだ。

 後ろを振り返る。みんながこっちを見ていて、こんな状況なのにいつもみたく笑っている。私も少し頬が緩んで、大概私もおかしいなって思った。

 「さてと、やっと最後だね! これが終わったら私、結婚するんだぁー」

 掌に拳を二回打って、アカリはニッコリ笑った。ここに来る前も、そしてこれからも、多分アカリの運動量が誰よりも多い。それでも今はまだ、冗談を口ずさめるほどの余裕があるようだ。

 「馬鹿なこと言ってないでさっさと準備しろ、もう来るぞ」

 いつも通り、アカリの相手をするカナタの声が湿っているように感じたのはきっと、気のせいじゃない。アカリが横で、「馬鹿とはなにさ!」なんて騒ぎ立てているこの光景でさえ、もう最後になるかもしれない。

 やっぱり、流石に寂しいな。

 「正直なところ、勝率ってどのくらいだと思ってますか? カナタさん」

 「ハルカ、それ今聞いちゃダメなやつ」

 そうは言いながらも、ニアは無気力に笑っている。

 「そうだな、高く見積もって十パーセントあるか無いかくらいだろう」

 「そこは嘘でも百パーセントって言ってよ!」

 「いやいや、考えてみてよニア。カナタがそんなこと言ったら逆に気持ち悪いって。今のでさえ思ってたより高くて寒気したのに」

 マコトは本当にぶれないな。こういう意志の強い人が一人でもいてくれたら、弱い私は凄く安心できる。本当にありがたい。

 「うるせっ。ノアの戦闘力を考えれば妥当だ」

 そっぽを向いたカナタにみんなが一笑して、六人の視線が正面に向かった。

 薄紫色の瘴気が吹き荒れる、緑一つありはしない魔界の果て。相対しているのは数え切れない魔物の群とそれを統べる王。敵地の中心まで進軍してきた私達には、もはや引き返す選択肢はなかった。

 「そんじゃまぁ、やるか」

 締まりのないカナタの声。もうきっと、みんなが分かっている。全員が無事で済むなんてこと、おそらくはないことを。この暖かくて賑やかな空間も今日までだってことを。

 だってアカリ、カナタ、ハルカ、ニア、マコト。誰一人として欠けてはいけないから。誰かを失えばもう、こんなに居心地のいい場所ではなくなってしまうから。

 でも、この六人の中に欠けても構わない人間が一人だけいる。ここへ来る前からずっと一言も話していない人間が一人だけ。ノア、つまりは私だ。

 居ても何も発しないのであれば居なくてもきっと変わらない。このまま戦って誰かが欠けた空間にいるくらいなら、居ても居なくても変わらない一人を切った方がいい。そう考えるのは至極真っ当で合理的。

 そして私もそうしたい。

 大事なのは私自身が何をしたいか、みんなにはそれをちゃんと話すこと。対立したって傷つけたって、そうしないと伝わらない。傷ついたって傷つけたって一緒に居たい。それが本物の仲間。みんなからそれを教わったから。だから———

 何も握っていない右手をぎゅっと握りしめた。

 「…………みんな、今までありがとう」

 「……ノアが珍しく話たからなにかと思えば、それはちょっと早いんじゃない? 全部が終わってからまた聞かせてよ」

 「ううん、みんなはもうお終い」

 ニアやみんなは優しいから、こんな私でも受け入れてくれた。暖かい言葉をくれた。

 「な、何言ってるの? ノア?」

 私はこの世界に来る前、こう願っていた。剣や魔法があって、空なんかも自由に飛べて、誰も傷つかないような優しい世界に行きたいと。

 でも実際に来た世界は違って、剣や魔法はあっても私には使えないし、空も飛べない。毎日誰かが傷ついていて誰もが血を流さない日なんて一日もない。そんな争いが争いを呼ぶ世界だった。

 「アカリ、カタナ、ハルカ、ニア、マコト。五人を除く、直径十キロ以内の全てを現空間から隔離」

 「おい、ノア! ちょっと待て!!」

 願った世界とは違ったけれど、私は幸せだ。みんなに出会って、一緒に悩んで。戦って。傷ついて。楽しいことの方が少なかったし、もう生きて帰れないのかもしれない。

 それでも! 私はみんなと出会ってわかったことがあった。

 私が本当に欲しかったのは優しい世界なんかじゃない。無味無臭、無色透明な世界を明るく色付けてくれる仲間。信じて身を任せられる人がいて欲しかった。

 だから、みんなには生きて欲しい。

 「隔離空間への転送開始」

 私の体やあたりの土、魔物達が淡くて青い光となって宙に溶けていく。

 ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり。

 「待ってよ! なんで!? どうしてなのさ! ノア!!」

 みんなが叫んでいる声が次第に遠く、薄くなる。掴まれた手に熱も感じない。

 「本当にありがとう、生きて」

 悲しそうな表情のみんなを置いて、私はこことも、前いた世界とも違う隔離された小さな空間に消えていった。



   ✳︎   ✳︎   ✳︎



 「言葉には力があるんだ」

 終業のベルが鳴り出すまで、あと十分もなかった。黒板に大きく二文字、『言葉』とだけ書き終えると、西田先生は語り出す。

 「いい加減に投げれば簡単に誰かを傷つけられるし、大切に心を込めれば救われる人もいる。言霊とか引き寄せの法則なんて言って、言った言葉が現実になるとも言われているんだ」

 「知ってるって」

 クラスの一人が野次を飛ばした。私だって知っている。

 道徳の時間になると西田先生は毎回同じ話をするから、三回目ともなるとクラスのみんなは退屈に感じてしまうのかもしれない。けれど、私は違う。

 私はその話をしている西田先生が一番好きで、誰よりもそれを信じている。もしかしたら西田先生よりも。

 「ああ、そうだろうな。今は覚えているだろうが、大人になったらみんな忘れてしまうんだ。そして大人になってからじゃあ、人の言葉に耳を貸そうとはしなくなる。先生はな、こう思うんだ」

 先生の眉がしょぼんと力なく歪んだ。そんな悲しそうに見える顔をする時、先生はいつも決まって理想ばかり口にする。高校生の私でもわかるくらい現実とはかけ離れた話。

 「将来お前らがどんな道に進もうとも構わない。自分のやりたいことをやって生きているなら、悪事に手を染めていないなら、それでいいと思ってる。ただどんな道に進んでも言葉の使い方だけは間違えるな! 言葉には不思議な力があるんだ、自分が放った言葉で未来が変わる。一度言った言葉は絶対に消えない。今はわからなくても、いつか忘れてしまっても、その言葉はずっと力を持ち続けるんだ! 先生はそう信じてる」

 私の無口はその当時に始まったものではなかったけれど、それに拍車をかけていたことは否めない。口にする言葉を選ぶようになった、なんていい方をしてみたら案外聞こえはいいかもしれない。が、それにしたって一日中一言も喋らない日だってザラにあったから、やっぱりただの無口だ。

 「だから今日だけでいい、今隣にいる人にでも、家で帰りを待っている誰かにでもいい。一言、何かを伝えろ。ありがとうでも、ごめんでも、好きでも嫌いでもなんでもいいし、自分の夢だって構わない。それがいつか、絶対に何かを変える! そう強い思いを込めて放つんだ。それが今日の宿題だ」

 語り終えたところでほぼ同時にチャイムが鳴なり、先生の言葉に余韻の一つも与えてはくれなかった。

 「ありがと、先生! やったぁ! 今日の宿題おーわりぃ!!」

 真っ先に立ち上がった男子生徒が大声を上げたかと思えば、すぐに教室から出て行った。続いて一人、また一人と手短に宿題を済ませて帰り支度を始め出す。

 眉をまた、きゅっとさせた先生の顔を、私はきっと、ずっと忘れることができないだろう。



 目を閉じていても陽の光が眩しいことに変わりはないようで、一度ぎゅっと目をすぼめてから私は目を覚ました。

 「……前の世界の……夢…………?」

 頭の片隅に置いてあった半年前の想い出のカケラ。人は寝ている間に記憶を整理しているなんて話はよく聞くけれど、やっぱりそうなのかもしれない。

 ぼやけた視界を拭うように、目を擦った。

 「ノア……? ノア!!」

 その声には聞き覚えがあった。長い黒髪で目に涙を滲ませている、そうマコトだ。

 「……おはよ、マコト」

 マコトは挨拶を返してはくれなかったけれど、代わりに瞳一杯に溜めていた雫を一つ、頬に流した。

 「ノアあぁぁ!!」

 起き上がって、なんで泣いているのか聞こうとした途端、マコトにぎゅっと体を引き寄せられた。投げ掛けようとしていた言葉は体全部を包み込んだ温もりに、溶けて無くなってしまった。

 「…………ノアが起きた……!  わ、私みんなを呼んでくる!!」

 部屋から出て行く赤い髪の毛だけ視界に捉えられた。声を思い出さなくてもわかる、きっとアカリだ。

 なんでわざわざみんなを呼びに行ったのか、あんなに慌てふためいていたのかそして、なぜマコトは感極まったみたいに泣いているのだろうか。あまり状況を飲み込めないでいた。

 マコトに頬を頬で擦られながらその原因を記憶から探してみるが、思い出せない。寝起きだからあんまり頭が働いていないような気がするし、とりあえず今日は、いつもと何かが違う日だということだけ理解しておこう。

 「ノア!」

 結論が出たところでみんなが部屋に駆け込んで来た。先陣切って入って来たアカリがそのまま私の元まで駆け寄って来て、私の首に腕を回す。

 「ノアーー!! 起きてくれて嬉しいよおぉ!」

 状況は何一つわからないけれど、このままの状態でいたら間違いなく意識が飛ぶ。それがはっきりわかるくらい苦しかった。

 「……苦しい、アカリ…………」

 「うわぁ! ごめんごめん。つい嬉しくってね」

 マコトやアカリだけではなく、後ろに立ってこちらを見ている三人も同じ気持ちのようだ。ニアは結構、カナタとハルカも少しだけ嬉しそうな表情をしている。きっと半年間一緒にいないとわからないくらいだろうなって勝手に思った。

 ただやっぱり、何が原因なのかわからない。思い出せないだけなのだろうか。

 「……」

 「覚えていないのか? ノア」

 それを口にしたりはしなかったから、カナタに言い当てられて本当に驚いた。嘘を吐く必要もないので、私は首を縦に振って素直に肯定する。

 「ホントに!?」

 マコトが耳元で叫んで、アカリが「なんでわかったの?」ってカナタに訊いた。私も気になっていたから代わりに尋ねてくれてありがたい。内心でお礼を告げる。

 「()()()も一緒にいれば嫌でもわかる」

 一年半……私が違和感を感じたその言葉の意味は、尋ねる前に本人が説明してくれた。

 「まぁ、その内一年は寝てただけだから実際は半年か」

 耳に入った言葉を脳の中で何度も反芻はんすうして、意味を理解するまでに数十秒もかかった。内容を把握して真っ先に思い至ったのは、なぜそんなことになったのかだった。

 私のその思考回路さえも読み解いたカナタは、さらにその先まで補足を付け足してくれた。今思えば顔に出ていただけなのかもしれないが、その時はその考えにすら辿り着かないほど頭が熱く、鈍くなっていた。

 「一年前。長年に渡って続いていた戦争が終結したあの日、俺達全員は一人の犠牲の上に平和を手に入れた。たった一人で魔物の軍勢に立ち向かった、お前一人を見捨てて」

 そこまで言わせてようやく思い出してきた。

 あの日、私はみんなや各国から集められた兵士達と一緒に、戦争を終わらせるため魔界まで魔王を討伐しに行っていた。途中、多くの魔物を倒しながら、多くの見方を失いながら。ようやく魔王の元まで辿り着いた時にはもう、私達六人しか生きてはいなかったけれど、命を賭した人々のおかげで残るは魔王のみだった。

 魔王とは死を司る王。人の屍から魔物を産み出し気が付けば、私達は十万は下らない魔物と相対していた。

 「なんとなく思い出したみたいだな。もう言う必要はないか」

 相も変わらず、黙ったままに頷いた。よく覚えていたから。何もかも鮮明に。

 「よく無事だったな、ノア」

 一応こうして無事だったから頷いては返すものの、戦っている間の記憶はほとんどない。自分で作った隔離空間の中でひたすら戦って、血を浴びた。

 少し粘り気を含んだ黒緑色の生ぬるい血、肉を割く音、意味を持たない掠れた声、やけに早い鼓動、痛みと熱。どれ一つ覚えていたくはなかったのに、何一つ無くさず今も肌に張り付いているかのように覚えていた。思い出してしまった。

 少しだけ、吐き気に見舞われた。

 「私も本当に嬉しいよ! 生きててよかった!!」

 またマコトに強く抱きしめられた。

 正直なところなんで無事だったのか自分でもわかっていない。戦っていた記憶はあっても勝利した記憶はなかった。ただ負けた記憶もないし、無事にここにいるということはそういうことなのだろう。

 ようやく、私もマコトに抱き付いた。

 「あーずるい!! 私も混ぜてーノア!!」

 マコトとアカリに振り回されながら、ふとニアとハルカが視界に入った。二人とも嬉しいと言うよりはどこか悲しいような、複雑な顔をしていた。

 私は迷う、訊くべきなのか。

 普段であればおそらく訊いていないし、気にもかけない。会話の流れでなんとなく心情がわかるから。けれど、私が原因となる感情の変化はまったくわからない。顔を見るに喜んではいない。怒ってもいない。何か良くないことの気がするけど、知りたくもある。

 いずれ、ニアと目が合った。申し訳ないなって表情に変わったから、心の準備をした。

 「……あ、あのさ、ノア。ノアが起きてくれて、無事でいてくれて本当に嬉しいし、よかったって思ってる。せっかくの気分に水を差すのもどうかなって考えたんだけど、やっぱり確かめないと私、心から喜べないみたい……一つ訊いていい?」

 頷くまでに少し時間がかかった。


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