4.
「それにしても、今まではこちらから婚約解消の話を出しても断られていたというのに、何があったのかしら。結果的にはよかったのだけれど」
家族には婚約者と不仲なのは知られてしまっていたので、その分心配してくれていた。
何かあるたびに婚約解消の話も出ていたらしい。今まで許されなかったのに、今回突然に決まったことに困惑しつつも嬉しそうだ。
「政略結婚だったのに、よかったのでしょうか」
「当初は政略結婚の側面もありましたが、無理に縁づく必要はありません。我が家にとってはあなたの幸せが一番です」
そう言ってはもらえているが、両親に迷惑をかけてしまったのではないかと不安になる。
「でも、私が至らないことで、ご迷惑をおかけしてしまったのではないですか?」
「迷惑だなんてかけていないわ。好きなだけ家でゆっくりしたらいいのよ。少なくとも、気持ちが落ち着くまでは家にいて欲しいわ」
そう言って抱きしめてくれた母のぬくもりに、気が抜けて涙が出た。
心行くまで涙を流し、いつの間にか眠っていた。
* * *
冬になり、今年もまた社交のシーズンがやってきた。
婚約解消されたといっても既にデビュタントは済ませており、夜会などには出る必要があった。
本来なら次の春には王城に入り、本格的な嫁入り修行を行う予定だったのだ。
そんな時期の婚約解消。
これで私が夜会などに出なければ、王家との不仲を噂されてしまう。
婚約解消の原因にどちらかに非があったのではないか、などと言わせないためにも、円満解消をアピールする必要がある。
それに、どちらかに非があるとは言っても、大っぴらに王家側に非があるとは言えない。
そのままにしておくと、私、ひいては我が家についてあることないこと言われてしまうのは明白だった。
夜会へは母と共に父のエスコートで赴く。
今夜は王宮主催で、私も何度か公務で挨拶を交わしたことのあるヴァイゲル公王が我が国を訪問されたことを祝しての催しらしい。
両親と共に入場した私に、好奇の目が寄せられる。
婚約解消の申し出は夏、正式な手続きが完了したのが秋になった頃だったので、話は大分広まっているのだろう。
嫁入り直前になって婚約解消されるのは、あまり外聞が良いとは言えない。それらの視線は私の粗を探すものだった。
しかし、それも、王子が伯爵令嬢をエスコートし入場するまでのことだった。
「あちらの方が新しい婚約者かしら」
囁きが漏れ聞こえる。
王子の隣にいるご令嬢には見覚えがあった。
確か学校の同じクラスに飛び級してきた一つ年下のエレン・ゴルトベルク伯爵令嬢。
学内で王子と親しくしているという、噂のご令嬢だった。
普段はあまり学校にいなかったために、じっくりと眺めるのは初めてかもしれない。
金色の巻き毛に青い湖を切り取った瞳、まだ幼く可憐な容姿に、学校での人気の高さが思い出された。また、飛び級するくらい頭もよく、男女共通の科目では男子の成績優秀者と主席争いをしていた。私も学外での活動を許されるくらいだ。落ちこぼれではないが、十番前後を行ったり来たりしている。学外に公務で出るには最低限の成績だが、それ以上成績を上げる必要も感じず、特に上を目指そうと思ってもいなかった。
「まさか、彼女をエスコートして現れるとは思わなかったわ」
「私も話には聞いていましたが、婚約解消直後にエスコートするなど、我が家への配慮がなさすぎるのではなくって」
母はおかんむりだ。
王太子が婚約解消直後に別の女性をエスコートするなど、言外に私に問題があったと言っているようなものだ。
世の中は不公平なものだ。例えば、私が別の男性にエスコートされてこの場に出席した場合、婚約中から不貞があったのではないかなど、あることないこと噂され悪評がたつ。家族にエスコートされて出席するしかないが、王太子が誰かをエスコートして現れた場合、やはり私に何か問題があったのではないかと噂される。今回、私にとって一番良い結果に繋がるのは、王太子も誰もエスコートせずに出席してくれることだった。それだと、何か事情があったのだろうと勝手に話は落ち着くのだ。
このままでは、悪評は逃れられないだろう。
ただでさえこの年齢で次の婚約者を探すのは一苦労だというのに、なんということをしてくれるのだ。
王子がゴルトベルク伯爵令嬢と一曲踊った後は、他の者が踊ることも許される。
だが、特に踊る相手もおらず、誘われることもなく、遠巻きに伺われている気配はあるが、壁の花になるしかなかった。
他の貴族達がパートナーと共に踊っているのを見ていると、意識の外から涼やかな声がかけられた。
「ラドフォード侯爵令嬢、よろしければ一曲お願いできませんか?」
そう言って手を差し伸べてくれたのは、今回の主賓、隣国の王弟で公国の君主ルカ・ヴァイゲル公王だった。まだ二十七と若いのに、やり手だという。薄い茶色で光の加減で薔薇色に見える長い髪と、神秘的なヘーゼルの瞳の気品ある美青年で、奥様方に遊び相手として人気があるようだ。何故王弟なのに公王と名乗っているのかというと、隣国の先の王が彼の能力を惜しみ、公国として領地を分けその名を名乗ることを許したとという。属国とは明確に区別されるが、隣国の下にあるというその複雑な立場と、代が変わり現在は彼の兄が王となり、宗主国である隣国と諸外国相手のバランスを取るのが難しく、妻であろうと外交的手腕が求められることから、嫁ぎ先としては人気がない人物だ。
「私でよろしければ」
ヴァイゲル公王と踊るのは初めてだったが、そのリードはスマートだった。
久しぶりに踊ることが楽しいと感じる。
「お誘いくださいまして、ありがとうございます。おかげで恥をかかずに済みました」
何度目かのターンの後、囁くとヴァイゲル公王は嬉しそうに顔をほころばせる。
「私こそあなたのような美しい方とご一緒できてうれしい限りです」
「お上手ですのね」
「本心ですよ」
さらりとこぼされた言葉は軽いのに、瞳は真剣で思わず顔が熱くなる。
「実はあなたに婚約を申し込もうと考えています。今はまだあなたも心の整理がつかないかもしれませんが、私のことを本気で考えてくださいませんか?」
続けて落とされた爆弾に、思わず足がもつれそうになった。
すかさずフォローしてくださるが、顔を正視できない。
「ここで口説いてもよいのですが、その様子だと今はやめておきましょう。ただ、この思いが真剣だということだけはわかってください」
ひたすらに頷くことしかできない。ダンスが終わり両親のもとに戻されたようだが、正気に戻ったのは家に帰りついてからのことだった。ダンスは結局ヴァイゲル公王としか踊っていない。
後から聞いたが、公王という立場がある人物が私と踊ってくれたおかげで、我が家への悪評もたっていないという。
むしろ、王子が公王に請われて婚約を解消したのだとかいう、根も葉もない噂話が流れているらしかった。
5/19 誤字修正 デュタント ⇒ デビュタント ご指摘ありがとうございました。