08.現実だったら非常識
カトレア学園に留学してから早くも一週間が経った。
まだ慣れないながら、親切なクラスメイトや隣の席のレイチェルと友人のアマリスのお陰で、私は楽しい学園生活を送れていた。
ヒロインと取り巻きの皇太子達に毎日まとわりつかれ、不登校にならないかが心配だったカイルハルトも護衛騎士のジョシュアが立ち回ってくれて、ヒロインと取り巻き方を上手く避けているみたいだ。
昼食後のお昼休み時間、中庭のガーデンチェアに座りメリッサが作ってくれたラズベリーパイをバスケットから取り出す。
中庭できゃっきゃ騒ぐヒロインの姿をなるべく視界に入れないようにしながら、ラズベリーパイを切り分けた。
さくさく、とパイ生地を切る音と一緒に中庭に居る生徒達の声も聞こえてくる。
「またあの方は......生徒会の方々を侍らせて」
「オスカー様の婚約者の方はいいのかしら?」
「殿下も殿下だわ。あれではレイチェル様がお可哀想」
女子生徒達は声を潜めつつも、格好の話のネタとなっている男女の様子を観察している。
件の男女、ヒロインと攻略対象キャラ達に関わらない、近付かない様に周囲は距離を開けているため、中庭のヒロイン達が居る一部分だけ異質な場所となっていた。
耳を澄ませば、中庭の至る所からヒロインに対する非難とレイチェルを同情する声が聞こえるというのに、ヒロインといちゃいちゃしているレオンハルト皇太子は分かっていないのか。
前世の私は、画面越しのヒロイン疑似体験だったから何も考えなかったが、実際に第三者からヒロインの行なっている見目麗しく高貴な男子達を侍らすなど、非常識で貞操観念が低い女として評されても仕方がない。
「ふう......」
「レイチェル様、移動いたしましょう」
視界の隅にちらつくヒロインの姿を、アマリスは自分の体で隠してレイチェルには見えないようにしているが、甲高い彼女の笑い声は嫌でも聞こえてきてしまう。
「いえ、大丈夫よ。最近、生徒会の仕事量が増えているのもあって疲れているだけだから」
「来月の学園祭の準備があるのでしたっけ?」
ラズベリーパイをつつきながら、ヒロイン達の動きを観察していた私は来月の行事予定を思い出して顔を上げた。
「準備で忙しいのに殿下達はろくに仕事をしてくれないと、広報専門委員長が怒ってましたわ。遅れて来たと思ったら、生徒会室にまでアイリ嬢を連れて来たとかで、学園祭が終わったら委員長達は不信任、」
「アマリス、駄目よ」
怒りで声が大きくなっていくアマリスの言葉をレイチェルは遮る。
ヒロイン達が注視されているのと同時に、皇太子の婚約者であるレイチェルの言動も注視されているのだ。不穏な発言は誤解を招く。
「準備が大変なら手伝いますよ。雑用とか、私でも手伝えることがあったら言ってください。何なら魔法を使う許可を貰って飾り付けもしましょうか?」
「ラクジットさんは器用ですものね。どうしようもなくなったら、二人にお願いしますわ。魔法で飾り付けってどうなさるの?」
話題を変えようとした私の意図に気付いたレイチェルも乗ってくる。
学園祭の話題で盛り上がり昼休み終了前には、中庭の一部の光景はすっかり私達の意識から外されていた。
***
放課後、学園長に呼ばれていた私は学園長室がある中央棟へ向かっていた。
窓から夕陽が差し込む廊下を歩いていると、前方から護衛を引き連れた金髪の男子生徒が歩いて来るのが見えて、私は一瞬顔を顰める。
金髪の男子生徒、レオンハルト皇太子が歩いて来たのだ。
ヒロインや取り巻きと一緒で無いのを不思議に思いつつも、軽く会釈をして通り過ぎようとした時、レオンハルトの足が止まった。
「お前一人か?」
「ええ、学園長に呼ばれまして......殿下はどうされたのですか?」
声をかけられたことに吃驚するが、訊かれたことは答えなければ不敬になる。
「......アイリが指導室へ連れていかれたのだ。たかだか課題を提出しなかっただけで、アイリを指導するなど許せん。今から学園長に抗議をしに行ってくるのだ」
直ぐにレオンハルトが学園長を訪ねる理由を理解出来ず、私は脳内で彼の台詞を再生してやっと理解した。
台詞の理解はしても、抗議をしようとする行動理由は理解出来ない。
「殿下......皇族として皇太子として、自分の行動に責任を持つということを学びませんでしたか? たとえ、異世界からの迷い人であろうとも帝国に保護されようとも、学園に所属していたら学園のルールは守らなければなりません。期限を守らない上に、配慮される理由も無く、課題を提出出来なかった謝罪もしなかったのでしたら、先生方から指導されるのは当たり前だと思いますよ。ルールを何だと思っていらっしゃいます?」
危うく「馬鹿じゃないの」と、喉まで出かかったのを堪える。
いくら恋は盲目でも、俺様皇太子でも何をやっているんだと小一時間説教したくなった。......実際、そんな面倒くさいことはやらないと思うけど。
「当たり前だと?」
「やらねばならない時に、やらなければ結果は自分に反ってきます。アイリさんを想うなら抗議ではなく、彼女に生活を改めて、間に合うように課題を提出するよう諭すことでしょう。これでは今後の彼女と、貴方の評価が下がりますよ」
お節介と思いつつも、つい苦言を呈してしまった。皇太子という立場で在る以上、評価されるというのに、彼は何をしているのだろう。
イシュバーン国王と成ったアレクシスと比べるまでなく、今のレオンハルトの言動は皇太子として失格だ。
「......お前も、レイチェルと同じ事を言うのだな」
吐き捨てるように言う。
低い声色から、レオンハルトが苛立っているのは目に見えて分かる。
こんなに感情を抑えられず表情に出してしまっては、彼が次期皇帝になるのはかなり危ないんじゃなかろうか。
「レイチェルさんは意地悪で言っているでは無いですよ。殿下の今後を思い、当たり前な事を言ってくれているだけです。まぁ、楽を味わった後、己を律するのは大変だとは思いますが」
「何だと......」
眉間に皺を寄せたレオンハルトは、私の方へ右手を伸ばす。
「ラクジット!」
伸ばされた手が触れるより早く、転移魔法で現れた人物が私の腕を掴むと、レオンハルトから庇う様に自分の後ろへと隠した。
「カイル?」
転移魔法を使ってカイルハルトが現れたことに驚き、私は間の抜けた声を上げてしまった。
急いで、レオンハルトの手が私へ触れたら放とうとした魔力の塊を消す。
「転移魔法!?」
口を開けて驚くレオンハルトへ、カイルハルトは冷たい視線を返す。
「魔法技術が遅れている、オディールからの留学生に使える筈は......」
転移魔法は高度魔法のため、人族で使える者は高位の魔術師くらいだ。学園の生徒で使用出来るのはごくごく僅か、レオンハルトが知っている者は、魔術師団長の息子アーベルトとレイチェルの兄である三年生のイヴァンくらいだった。
しかも、学園内は容易に魔法が使えないように、演習場以外は結界が張られているのだ。
「アイリ=サトウの指導は終わったようだ。あの女、お前を探していたぞ」
「く......分かった」
「何故?」と口を開きかけたレオンハルトは、疑問の言葉を喉の奥へと引っ込める。
背中に私を隠すカイルハルトを睨み、急ぎ足でもと来た廊下を引き返して行った。
立ち去るレオンハルトの背中が完全に見えなくなって、ようやくカイルハルトは掴んでいた私の腕を解放した。
「あれで皇太子って大丈夫なのかなぁ。自分勝手な振る舞いをして宿題もやらなければ叱られるなんて、子どもでも分かっていることだろうに」
レオンハルト皇太子を無能だとは思わないが、自分は特別だと勘違いしている馬鹿なのかも知れない。
「ああ」
特に興味無さそうにカイルハルトは答える。
「俺も学園長に呼ばれているから来た。馬鹿は放っといて早く行くぞ」
うん、と頷けば、カイルハルトの手が私の手を握り指と指を絡ませる。
出会った頃はよく繋いでいた彼の手は、以前に比べて剣ダコとマメでゴツゴツしていたけれど、嫌ではない。
カイルハルトは繋いだ手を離さず、無言のまま学園長室へ向かった。
課題はちゃんと提出しましょう。




