04.生誕祭前日
後半視点が変わります。
前世の記憶が戻るまで離宮に軟禁されていた私は、外の世界に憧れて鳥になりたいと思っていた。
国王陛下に嫁ぐ時には外へ出られる。そう信じていたなんて、今の自分からしたら当時は純粋な子どもだったと思う。
“姫様”として着せ替え人形にされるのも、甲斐甲斐しく世話をしてくれる侍女に囲まれているのにも疲れてしまった。
王子の生誕祭前日だからか、王宮中に漂う緊張感と僅かに高揚した空気が嫌で、私は侍女に黙って庭へと向かう。
一人になりたくて向かった先は、幼い頃によく通っていた秘密の場所だった。
遠くから聞こえる私を探す侍女の声を無視して、彼女達の目を眩ます幻視魔法をかける。
裏庭にある煉瓦造りの塀に空いている穴を潜って、抜けた先にあるのは小さな園芸用具小屋。
小屋の横、小さな東屋が幼い頃の秘密の遊び場だった。
「懐かしい、まだあったんだ」
今は訪れる者も居ないのか、色褪せてしまった東屋は記憶の中より小さく見えた。
ぱきりっ、木の枝を踏む音が聞こえ、無風なのに空気が揺れる。
「ラクジット様」
耳に心地好く響く低い男性の声に、私は大きく目を見開いた。
「ヴァル......?」
まさか幻聴かと、半ば呆然となりつつ私はゆっくりと声が聞こえた方を振り向く。
「ヴァルー!!」
何故、どうして此処に、なんて考える間もなく駆け出していた。
其処に居たのは、紛れもなく黒騎士ヴァルンレッドではない、ヴァルだったのだ。
勢いよく飛び付いた私を、難なくヴァルは両手を広げて抱き止める。
「ヴァル、ヴァル」
ぎゅうっと抱き付いてヴァルの胸へ顔を埋め甘えれば、大好きな手が優しく頭を撫でる。
「リズリスの隙をついてやりました」
すぐ近くで甘い吐息を感じて胸元に埋めていた顔を上げると、私の額にヴァルの唇が軽く触れてチュッとリップ音をたてて離れる。
口付けされた額から全身へ熱が広がっていくように、身体中が熱を帯びていく。
熱くなった頬をヴァルの手のひらが包み込む。
「ラクジット様、不自由な扱いは受けていませんか?」
「皆、私をお姫様扱いするから不自由なことは無いよ。でも」
頬を包み込む手に自分の手を重ね、私はヴァルの濃紺色の瞳を見詰めた。
「ヴァルが居ないと、さみしいの」
寂しい、そう口に出すと胸の奥が苦しくなってくる。
潤んでいく視界を自覚して、一度瞬きをすると目の縁からポロリと涙が零れ落ちる。
ああ、私という殻が破れてしまった。
前世の記憶が、“私”の意識が甦ってからずっと纏っていた殻。
姿は幼くとも前世は三十路だった私は、それなりの経験を積んでいてこんなに涙脆くなんか無かったのに、ヴァルが傍にいると幼子みたいに彼に甘えたくなってしまう。
彼の前だけは、前世を知らないこの世界だけの“ラクジット”に戻って、“私”という殻が剥がれてただの女の子になってしまうのかもしれない。
「ラクジット様......」
切なそうに目蓋を伏せたヴァルの長い人差し指が、私の目元に溜まる涙をそっと拭う。
「愛しい私の姫。貴女に触れるのは私だけにしたいのに」
涙の痕をなぞって頬を伝う指先は私の顎を掴み、そのまま唇に口付けを落とす。
「明日の生誕祭では、貴女はつらい思いを強いられるかもしれません。ですが、私を、我々を信じていてください」
どういうことか問おうと、開きかけた私の口を塞ぐように二度唇が重なる。
半開きになっていた口の隙間から入り込んだ熱い舌先は、歯列をなぞり私の舌を絡めとると軽く引っ張る。
「ぅんっ」
ヴァルの舌から与えられる甘い刺激に、身動ぎする私の背中を一撫でして熱い舌は口腔内から出ていてしまった。
呼吸を乱して見上げる私の下唇をペロリと一舐めして、ヴァルの唇は離れていく。
背中へ回された左腕も離れ、そのままヴァルは一歩後ろへ下がった。
「......もう行くの?」
「ええ、無理矢理結界内へ侵入したのをリズリスに気付かれてしまいましたから。奴が此処へ来ると何かと面倒なので」
離れたくなくて伸ばしてしまった私の手を取ると、ヴァルは名残惜しそうに指先と甲へと口付け、ゆっくりと握っていた手を離す。
「それでは、ラクジット様......明日までごゆるりと御過ごしください」
恭しく胸に手を当てて一礼したヴァルは、展開させた転移陣の青白い輝きと共に姿を消した。
***
黒い竜巻がゴウゴウ音をたてて大地と草木を抉っていく。
稲妻が巻き付く竜巻状態の魔力の渦に、本能が危険だと警告する。足が震え一瞬迷いを見せたメリッサだったが、意を決して竜巻の側に立つ男の元へ駆け寄った。
「はぁはぁ......エルネスト様、ラクジット様はご無事でしょうか。まだ国には向かわないのですか?」
肩で息をするメリッサを、エルネストは首だけ動かして見下ろす。
「今はまだラクジットは危険ではない。彼方へ乗り込むのは王子の生誕祭、国王覚醒の儀式直前だ。軍や黒騎士三人を相手にするのは荷が重い。警護の意識が国王へ集中する時を狙って転移する。それに、冬眠中の国王は強固な結界に守られているため、覚醒しなければ手を出せない」
「分かってはいますが......私、不安で堪らないのです。ラクジット様がつらい思いをされていないかと」
涙を浮かべて訴えてるメリッサを無言で見下ろし、エルネストは息を吐く。
正直、女に泣かれると対応に困るのだ。そして困った挙げ句、冷たく突き放してしまう。
こういう時、ヴァルンレッドならば気の利いた台詞を与えるだろうに。
バチィッ!
泣き出したメリッサへ声をかけようと、エルネストが口を開いた瞬間、稲妻を巻き付けた黒い竜巻が四方へと弾け飛んだ。
稲妻が消えた場所には、抉れた地面とその中心には上半身の服は破れ全身に細かい傷を負ったカイルハルトが、片膝を突いて踞っていた。
右手には輝く銀色の剣を握り締め、荒い呼吸を繰り返すカイルハルトは、流れ落ちる汗を手の甲で乱暴に拭った。
「カイルハルト様......」
メリッサも涙を引っ込めてカイルハルトを見やる。
「カイルハルト、どうにか手懐けることは出来たようだな」
一日中魔力を放出する攻防戦を繰り広げ、自らの力でエルネストの課した試験を乗り越えた弟子へ満足気な笑みを向けた。
「......ああ。主従契約は結んだ」
右手に握った剣を地面に突き立てて、よろめきながらカイルハルトは立ち上がった。
「では暴走させないように仕付けておけ。欲に負けて、ラクジットや王子を喰おうと襲い掛かるかもしれん。そいつは悪食だからな」
カイルハルトが握る剣が、エルネストの声に反応するように白銀の輝きを増す。
“ドラゴンスレイヤー”
「竜殺し」と讃えられている、かつて人々を恐怖に染めた悪竜を倒した伝説の剣である。
古の時代に栄えた大国が滅亡した際、宝物庫から略奪されて行方不明となった剣。
この剣をエルネストが所有していることはヴァルンレッドも知らない。
(悪いなヴァルンレッド。私もラクジットを贄から解放し、生かしてやりたいのだよ)
長年の友人であり、堕ちた竜王の愚かな下僕でもあるヴァルンレッド。彼を助ける方法は、実は死の救済以外にもある。
しかし、それは竜王の影響を色濃く残す可能性や、ラクジットの精神を壊す危険があるため彼女には伝えてない。
確実なのは竜王を倒すこと。そのために、エルネストは屋敷の地下に封印していたドラゴンスレイヤーをカイルハルトに与えたのだった。
ヴァルは我慢出来なくて逢いに来ちゃいました。




