02.各々の思惑
廊下からバタバタと慌ただしい足音が聞こえ、侍女に手伝ってもらい身支度中だった私は鏡越しに扉を見た。
教育された侍女が朝早くから音をたてて走って来るだなんて珍しい。
内心首を傾げつつ、扉の向こうへと意識を集中して侍女が慌てている理由に気付いた。
離宮全体に強固な結界が張られているとはいえ、ここまで近付いてようやく気配を察知するとは警戒心が薄いというか、ぼんやりしていた自分が情けない。
「お待ちくださいっ!姫様はっ、今は、まだっ」
侍女が上げた制止の声を無視した相手は、ノックも無しに勢いよく扉を開けた。
既に私が彼の気配を察知したのを感づいているとしても、女性の部屋をノックもしないで明けるのはいささかマナーが悪いのではないか。
髪を結われている途中で身動きが取れない中、優雅な足取りでやって来る無礼な男を鏡越しにキッと睨んでやった。
「リズリス様? 何のご用件でしょうか?」
「私の姫は随分冷たいなぁ。ただ護衛としてお側へ来ただけなのに」
いかにも落胆した風に肩を竦めたリズリスは、ため息を吐きながら芝居がかった動作をする。
髪を結っていた侍女は彼の仕草に息をのんだが、私は騙されない。
落胆した風に見えたのは、彼の瞳に愉悦の色が浮かんでいたから。
「いくら護衛でも、着替え中の入室は遠慮してくださらないと困ります。私も一応女ですから、そこは配慮してください」
睨みながらハッキリ言うと、リズリスはクククッと堪えきれない笑い声を漏らした。
「遠慮したから今来ただろう。姫の素肌を見てみたかったら、もう少し早く来ている。身支度中に来たのは、単純に貴女をからかいたくなっただけだ」
「なっ!?」
ゲームでの敵キャラ黒騎士リズリスは、ステータス異常魔法や魅了などイヤらしい攻撃ばかりしてくることから分かるように高慢で陰湿な性格で、必要あれば仲間すら欺く嫌な奴だった。
嫌いな敵キャラだったのに「からかいたかった」と笑うリズリスはやたら人間味溢れていて、私は戸惑いと苛立ちで頬をひきつらせる。
「......もう、黙って座っていてください」
リズリスはピンクブロンド色の置物だと無視することにして、私は鏡の中の自分に意識を向けた。
鏡に映るのは、輝く銀髪と深い水面のような蒼色の瞳に白磁の肌をした清楚な花の妖精。
侍女達が綺麗に整えてくれた姿だけど、普段の自分とは違いすぎて違和感を覚えてしまう。本来の私は、清楚な妖精とは程遠いのに。
「貸せ」
無言で私を見ていたリズリスが急に立ち上がり、侍女が持っていたメイクパレットを奪い取った。
いきなりの早業に驚く侍女達を下がらせ、彼は腰を折るようにして私に顔を近付ける。
「姫にこの色は似合わない」
リズリスの長い指が固まる私の顎を掴み、親指がそっと唇に塗られた口紅を拭う。
口紅を拭い落とした後、メイクパレットからルビーレッド色の口紅を人差し指に付けたリズリスは、私の唇に口紅を塗り広げていき満足気に笑った。
何時もの腹が立つような、嫌味な笑みではないその笑顔が不意討ちだったせいか、胸がざわめいてしまい私は胸元を押さえる。
「まだ色気が足りない小娘だが......姫が妃に召されるまで、私が磨きあげてみせよう、くっ!」
口紅を塗った指先が頬へ触れた瞬間、反射的にリズリスの足を踏みつけていた。
「ひぃっ」
「姫様っ」
まさかの反撃だったのか、リズリスの行動に見惚れていた侍女達が短い悲鳴を上げる。
一瞬顔を歪めたリズリスは、次いでポカンと口を半開きにした呆けた表情で私を見下ろした。
「ベッ、ベタベタ触らないでっ!」
悲鳴に近い声を上げて私は椅子から立ち上がった。
この男は、普通の貴族令嬢だったら羞恥で卒倒していただろうことをやらかしたのだ。
いきなり顎クイした上に口紅を塗るのはやり過ぎ、セクハラで、足を踏みつけてしまったのは正当防衛で許されるしょう。
表向きとはいえ王子の妃候補、そして彼は私がこの国の王女だと知っているはずなのに、何をしてくれるんだ。
「ふふっ、とんだじゃじゃ馬だな」
目を吊り上げて睨む私とは対照的に、リズリスは肩を揺らしながら愉しそうに笑った。
***
回廊を歩いていたヴァルンレッドは、現在、最も自分を苛立たせる上に許せない相手が前方から歩いて来るのを認め眉をひそめた。
同じ黒騎士と言えども全く性格が合わない二人は、視線を合わすことも挨拶を交わすこともなく、お互い歩みを進める。
冷たい風が回廊を吹き抜けていく。
ヴァルンレッドの隣を歩いていた茶色の短髪に背も高く大柄な体格をした騎士、ダリルは目線で「余計な事を言うな」とリズリスを牽制した。
二人がすれ違う瞬間、
「ヴァルンレッド。お前の姫はとても元気で弄りがいがある娘だな」
一人言のような男の発言を耳が拾い、ヴァルンレッドの足がピタリと止まる。
「元気過ぎて淑女にはまだ程遠く少々、体つきが筋肉質なのは少々気にはなるがあれは磨けば輝く」
聞き捨てならない発言内容に、ヴァルンレッドは愉しそうに言う男、リズリスへと視線を向けた。
「リズリス......姫に触れた、のか」
怒気を抑えて体を強張らせるヴァルンレッドの珍しい様子に、リズリスはしてやったりとばかりに口の端を上げた。
「だとしたらどうする? 純潔を散らさなければ、妃候補の体に触れてはならないという縛りは無い、と記憶しているが」
「貴様っ......!」
剣の柄を掴んだヴァルンレッドの手を、剣を引き抜く寸前にダリルが押さえた。
「止めろ」
静かな回廊に、刀身が鞘に当たるガチガチとした金属音が響く。
「城内で黒騎士の私闘は禁止だろうが。頭を冷やせヴァルンレッド!」
剣を掴む手を離さないダリルに舌打ちすると、ヴァルンレッドは放っていた殺気を消す。
完全にヴァルンレッドが殺気を消したのを確認してから、ダリルは押さえていた手を離した。
「リズリスもヴァルンレッドを煽るな」
ダリルに睨まれたリズリスはおどけた仕草で肩を竦める。
「あの王女は大事な存在だ。陛下の妃候補でありながら、陛下の器となれる唯一無二な存在。妃にもアレクシス王子の代替え品にもなれる。もしも、覚醒された陛下が王子ではなくラクジット王女の体を選んだら......ふふっ、面白いと思わないか?」
「何だと? 何を企んでいる?」
「よせ」
眉間に皺を寄せたヴァルンレッドを止めるため、ダリルが一歩前へ出る。
「女王の伴侶として我等が選ばれる可能性は高い。お前の大事な王女を咎無く抱けるかもしれないぞ」
嫌悪感を露にするヴァルンレッドの顔から視線を外さず、リズリスはクツクツ声を出して笑う。
王女の監視役として側仕えとなったリズリスは、ヴァルンレッドへの嫌がらせのためだけに、自ら監視役を申し出たとダリルは思っていたのだが......その王女を次期王の器、女王として推すような想定外な発言に、ダリルは唖然となった。
カシャンッ
自分を止めていたダリルの隙をついて、ヴァルンレッドは一気に鞘から剣を引き抜いた。
薄暗い回廊に、ストロベリーブロンドの髪が数本舞い落ちる。
「妄言は止めろ。魂が消された肉体だけなど......ラクジット様ではない」
「はぁ......そんなことをカルストが許すわけないだろう。ヴァルンレッド、これ以上は駄目だ」
「......分かっている」
ぎりっと奥歯を噛み締めたヴァルンレッドは、一睨みしてから剣を鞘へ納めた。
「ふふふっ、血も涙も無い冷徹なヴァルンレッドがここまで変わるとはな。私はただ、敬愛する陛下の伴侶に成れる可能性がある、と言っただけだよ」
長い付き合いから、性格が全く合わない二人だとは分かってはいたが、王女の傍から離れたヴァルンレッドは精細さが欠けてしまっている。
それを分かっていてリズリスは面白半分で絡んでいるに違いない。
頭痛がしてきたダリルは、片手で自分の額を押さえた。
ヴァルンレッドはラクジット不足になっています。




