07.血の覚醒
全身の血液が沸騰しているかのように、体の内側から熱が広がっていく。
熱くて苦しくて堪らないのに、この時を長い間待ちわびていた。そんな歓喜に震える気持ちも、じわじわと沸き上がってくる。
例えられない未知の感覚はまるで、私自身がヒトの括りから別の生き物へ造り代えられていくのではと、恐怖を抱いて震える自分の肩を両手で抱いた。
「あっ、ああっ? わたし、は」
失いかけた意識を踏み留まらせて、踞って押し潰されそうな程の魔力の渦の中心となってた私は、腕を伸ばし地面に転がる幻夢を手にした。
柄を握った瞬間、制御しきれない大量の魔力は濁流となり幻夢へと流れ込む。
赤紫色の刀身は輝きを増し、輝きに導かれるまま私は幻夢を振るった。
ヴィィ――ン!!
放たれた魔力の衝撃波は、高い防御力を誇っていた女王蟻の体をいとも簡単に真っ二つとした。
二つに裂かれた女王蟻の体は、強大な魔力に屈し音もなく塵と化す。
欠片すら残さずに消滅していく女王蟻を、私は呆然と見詰めていた。
「漸く、目覚めたか」
多少介入はしたとはいえ、危機的状況から逃れるためラクジットの防衛本能により目覚めた力。
一気に覚醒した力はまだ制御しきれてはいないが、概ね目的は達成できた。
「竜王の血」
消滅していく女王蟻を見上げるラクジットを観察しながら、エルネストは冷静に呟いた。
「死の恐怖より嫌悪感の爆発で目覚めるとは、本当に面白い娘だ」
竜王の血を目覚めさせるために幾度となく無理難題をやらせて、死の瀬戸際まで追い込んだこともあるのに、恐怖よりも嫌悪感で目覚めるとは。
何時も想定外のことをしてくれるラクジットは、自身から暴れ出る魔力を魔剣に吸収させ、やり過ごそうとして四苦八苦していた。
いい案だが、如何に魔王の力を受けた魔剣とはいえ膨大な量の魔力を吸収するのにも限界がある。
そろそろ、暴走しかける魔力を必死で制御しようと半泣きになっているラクジットへ助け船を出そうかと、魔力を抑制する魔方陣を展開しようとして......エルネストは呪文詠唱を止めた。
「ラクジット様!!」
切羽詰まった第三者の声が空間に響き渡る。
展開された転移陣から現れた人物は、普段の姿からは想像出来ないくらいの取り乱しっぷりで、エルネストは自然に笑ってしまった。
「早かったな、ヴァルンレッド」
使い魔を出してから半日で来るとは、感心して言うエルネストへヴァルンレッドは鋭い目付きで睨む。
無言のまま、ヴァルンレッドは片腕に抱えたカイルハルトを放る。
エルネストが片腕で受け止めると、カイルハルトは「うぅっ」と呻き声を上げた。
口を開きかけたエルネストには目もくれず、真っ直ぐにヴァルンレッドは魔力に押し潰されかけているラクジットの元へ向かう。
意識を保っているのもそろそろ限界だと閉じた目蓋に力が入る。
諦めかけた私の肩へ、そっとあたたかい手のひらが触れた。
「ラクジット様」
このまま魔力に飲み込まれて、自分が自分でなくなってしまうかもという苦しさと恐怖は、声が聞こえた瞬間に消え失せた。
(......幻聴?)
嬉しさと信じられない気持ちが混じった私は、ゆるゆる目蓋を開けて......大きく眼を見開いた。
切なそうに紫紺の瞳を揺らす、ヴァルの顔が私を見詰めていたのだ。
どうして彼が此処にいるのだろうか。
「ヴァ、ル......?」
疑問は直ぐに消え、胸の中に広がるのは安心感、もう大丈夫という安堵の感情。
目尻が僅かに下がる私が好きなヴァルの笑み。
背中に回された力強い腕のぬくもりに、強張っていた体から力が抜けていく。
恐怖と緊張から解放された私の視界は、じわじわ涙の膜が張っていった。
「......ヴァル、苦しいよぅ」
緊張感から解放されても、魔力過多による心臓の痛みとは息苦しさはまだ続いている。
私の瞳から涙がポロポロ零れ落ちた。
「もう大丈夫ですから、ゆっくり呼吸をしてください」
パニックにより過呼吸になりかけていた呼吸は、ヴァルが背中を擦る動きに合わせていくうちに規則正しいものへと整っていった。
落ち着きを取り戻したラクジットは、極度の疲労からヴァルンレッドの胸へもたれ掛かると二度目蓋を閉じた。
意識を失ったラクジットの内へ、薄暗い中でもキラキラと輝く魔力の粒子が戻っていく。
全ての魔力が吸い込まれてから、胸にもたれ掛かるラクジットを壊れ物を扱うように抱き直し、ヴァルンレッドは短く息を吐いた。
「ヴァルンレッド、強制解除した魔術式はお前が書き直せよ」
穏やかな好青年といった表情を消し、顔を上げたヴァルンレッドは抜き身の刃のような眼でエルネストを見据えた。
「エルネスト、貴様......」
「焦りのあまり悲壮感を漂わせていた友人のために、竜王の血を目覚めさせてやったのだから感謝してほしいものだが?」
怒りの感情が膨らみ、殺気混じりの圧力が巣穴の壁をビリビリ震わせる。
防御力や精神力の弱い者だったら、ヴァルンレッドが放つ圧力に屈し意識を失う程の圧力。
回復魔法をかけてもらい怪我が治ったばかりのカイルハルトは、体力の低下のため防ぎきれない圧力による苦痛に顔を歪めた。
弟子扱いのカイルハルトには全く容赦無いヴァルンレッドが、腕に抱くラクジットへ殺気が向かないように細心の注意を払っている。
ここまで執着してしまって、この男は愛しい姫を自ら手放すなど出来るのか。
軽薄な笑みを消したエルネストは真顔になると、ヴァルンレッドと彼の腕の中で眠るラクジットを見る。
「ヴァルンレッド、ラクジットと逃げるのならば手を貸すが?」
「......逃げられんさ」
数十秒かけてヴァルンレッドの口から出た声色は弱々しいもので。
自嘲の表情を浮かべるヴァルンレッドが視線を逸らすと、場を圧倒していた彼から発せられていた圧力も一気に弱まった。
***
あたたかいぬくもりが私を包む。
どこか懐かしくて、安心するぬくもりに嬉しくなった私はへらりと笑う。
とくん、とくん、傍から聞こえる心臓の音。心臓の主が私の頬をそっと撫でる。
どうやら、やわらかくていい匂いがする誰かに、優しく抱き締められているらしい。
「リセリア様」
男性の声に私を抱いている誰か、名前からして女性がびくりっ、と体を揺らした。
私も驚いて体を動かそうとして気付く。動きたくてもどうしたことか、私の体はろくに動かせないのだ。
その上、視力は良かったと思うのに目蓋を開いて見えた世界はぼやけ、よく見えないし大きさがおかしい。
何とか動かせるのは、口と目、首と手足。首を動かして横を向く。
乳白色をした滑らかな素材の室内着が私の頬を擽った。
この女性は知らない人なのに知っている。否、私の魂が覚えていた。
もしかしたら......そんな事ってあるのか。私の体は縮んでしまっているのではないか。
目の前まで苦労して動かした小さな手を見て確信した。
やはり今の私は赤ちゃんになっている。
「私の子ども達は......どうなるの?」
彼女が言う“私の子ども達”とは、私、ラクジットとアレクシスのことだろう。
目を凝らして女性を見上げるが、赤子の視力では顔立ちはほとんど見えない。
「王子は陛下のお世継ぎとして、姫は......北の離宮へ居を移すようにと陛下は判断されました」
答える男性の声はよく知った人物のもので、私はもぞもぞ首を動かして彼の方へ向く。
その姿はよく見えないが、彼のシルエットと纏う黒色は分かった。
彼は黒騎士、おそらくヴァルンレッド。
でも、私が知っているヴァルの声と比べて硬く無感動な声に聞こえて違う人物じゃないのか、と疑ってしまう。
「北の離宮?何故?彼処は妃が住まう場所の筈です。何故、王女たるラクジットが......」
小刻みに震え出すリセリアは、私を抱く腕に力をこめた。
「まさか、陛下は......ラクジットは、血を分けた娘なのに!」
ぎゅうっと胸に抱き締める細い腕、頬に触れる嗚咽混じりの息遣い。
至近距離で見えたリセリア、私を生んだ女性は、蜂蜜色のゆるく波打つ髪に青い瞳を涙で潤ませたとても綺麗な女性だった。
リセリアはイシュバーン王国の伯爵令嬢、ラクジットとアレクシスの母親です。




