10.湖の屋敷
目の前で展開した光景はまるで、前世でやったことがあるゲーム、エルフの城へ続く泉の結界を解くというイベントみたいだ。
魔剣により結界を切り裂く、という力業でヴァルが結界を解除して、姿を露にした光景に私は溜め息を吐いた。
屋敷がある湖の対岸から、此方へ向かって透明な硝子の橋が伸びてくる。
「では、行きましょう」
にこやかに笑うと、ヴァルは硝子の橋の上に足を乗せた。
急に橋が割れやしないかと、私はメリッサと手を繋いで硝子の橋の上を慎重に歩く。
湖の上を歩くだなんて、初めは貴重な体験と恐怖で緊張していた私も、湖の半分歩いた頃には慣れてきていた。
前世の記憶にある、高い電波棟の展望台の強化硝子張りの床に立ったときよりは怖くない。
怖いだろうと、カイルハルトへ手を差し出せば微妙な表情をされたけど、無視して手を繋いでやった。
「もう大丈夫だからっ」
橋を渡りきると、焦った様にカイルハルトは繋いでいた手を離す。
遠慮するカイルハルトと無理矢理手を繋いだのがバレたのか、先に橋を渡りきっていたヴァルの視線が冷たくて、私は背中が寒くなるのを感じた。
「ラクジット様、無理強いはいけませんね」
笑みを浮かべていても、ヴァルは絶対に怒っている。
「ご、ごめんなさい」
無理矢理だけど、手を繋いだのは怒る程のことかな、と内心首を傾げつつ、私は条件反射で謝ってしまった。
素直に謝ったのに、目を逸らして溜め息を吐いたヴァルは、屋敷の正面玄関の重厚な扉に手をかける。
「さて......入りましょうか」
ギィ......
(ゲームだと、扉を開けた瞬間に違う場所に跳ばされるとか、魔物が出て来て戦うパターン?)
また何か仕掛けがあるのかと私は身構えたが、呆気なく扉は開く。
「鍵かけてないとか無用心だね」
「こんな大掛かりな仕掛けをしてあるのに、無用心も何もないだろ」
呆れ混じりでカイルハルトに言われ、結界で侵入を防いでいて無用心も何も無いかと納得した。
扉を開いた先は、広い玄関ホールだった。
螺旋階段を背後にして私たちを出迎えたのは、柴犬の似た顔面を持ちグレーのジャケットにベストという執事服をしっかり着て、黒い革靴まで履いている、二足歩行の犬?だった。
否、犬ではない。全身茶色のモコモコの毛で覆われている彼は、ファンタジー物語によく出てくるコボルトという種族だ。
「ようこそいらっしゃいました」
執事姿のコボルトは、恭しく頭を下げた。
スラックスの後ろから、丸まった尻尾がピロッと出ているのが可愛らしい。
「もふもふ......」
もふもふモコモコな生き物が大好きなメリッサは、コボルト執事を触りたくて堪らない様子で、ギラギラしたハンターの目付きで彼を見ている。
暴走して襲いかかったら大変だ、と私はメリッサの手を握った。
「ヴァルンレッド様、主人がお待ちでございます。こちらへどうぞ」
「ああ」
コボルト執事はヴァルの前へ進むと、内側に肉球の付いた手で背後の扉を示す。
歩く度にピコピコ揺れる、コボルト執事の尻尾を見て鼻息荒いメリッサの手を握りながら、私はヴァルの後をついていく。
廊下を歩いた先の扉を軽くノックした後、コボルト執事は彼の主が待つ応接間への扉を開いた。
開かれた扉の先から香るのは、甘いジャスミンに似た花の香り。
応接間の中央で腕組みして待ち受けていたのは、長い碧色の髪を後ろで一括りした中性的な顔立ちの、切れ長の髪と同じ碧色の瞳をした綺麗な男性だった。
碧色の髪と瞳、尖った耳と中性的な顔立ちから彼はエルフなのだろう。
彼が扉の方へ顔を動かせば、纏う長衣の裾が揺れる。
「久し振りだなヴァルンレッド。結界を無理矢理破るなと、毎回言っているだろ。あの結界は、破るより組む方が面倒なのにな」
苛立ちを隠さず、エルフの男性は眉間に皺を寄せてヴァルを睨む。
「私の気配に気付いた時点で、結界を解除しないお前が悪いだろう」
小馬鹿にした様に口の端を上げたヴァルに、男性は更に苛立ったようで、眉間の皺が深くなる。
「しかし、随分面倒な者を連れてきたな。......お前は毎回面倒事ばかり持ち込む」
ギリッと奥歯を噛み締めた男性は、漸くヴァルから視線を移す。
カイルハルトとメリッサを順番に見た後、碧色の瞳が真っ直ぐに私を捉える。
「私はエルネスト、しがないエルフの魔道具研究者だ。小さな姫君、貴女の名を教えて頂けるかな」
じぃっと、私の目を見詰めて自己紹介をした男性は、僅かに微笑む。
「私? 私は、ラクジットです。突然お邪魔してごめんなさい」
物心付く前からヴァルが側に居たから美形は見慣れているのに、また違ったタイプの綺麗な男性の微笑みは破壊力抜群で。
思いっきり動揺した私は、上擦った声を出してしまった。
***
事情説明と積もる話をしたいからとヴァルとエルネストに言われ、私とカイルハルトとメリッサはコボルト執事に客用控室へと案内された。
部屋に置かれた調度品は最低限、ソファーに丸テーブルと椅子だけというシンプルな部屋で、屋敷の主人であるエルネストの性格が表れていると思う。
「お坊っちゃま、お嬢様方は此方でお待ち下さい」
背筋を伸ばした執事は一礼をし、部屋を出て行く。
「失礼します」
彼と入れ替わりに客室へやって来たのは、二本足で歩行する猫、メイド服を着た猫二匹?二人?だった。
ロングスカートの後ろから見え隠れする、長いふわふわの尻尾にメリッサの口元が緩む。
猫メイドは手際よくテーブルに陶器のカップを並べ、焼きたてのスコーンに木苺ジャムをたっぷり乗せる。
「美味しいっ」
カップに淹れてもらった茶色の飲み物は、香りと味から甘味を抑えたココアみたいで美味しい。
カップもティーカップとは違った形、マグカップに近い形で、私は両手でカップを持って、はふはふ息を吹き掛けて冷ましながら飲む。
「ホットチョコレートですね。熱いですから、ラクジット様、カイルハルト様、気を付けて飲んでくだはいね」
気遣う台詞を口にしつつ、メリッサの目線は猫メイドの猫耳に固定されている。
次にふもふコボルトの小間使いでも現れたら、彼女の我慢が切れて襲いかかる、じゃなかった、抱き付くのではないかと心配だ。
「......なぁ、あいつは、ヴァルは何者なんだ?」
意外と猫舌らしくチビチビ飲んでいたカイルハルトは、テーブルにカップを置く。
「エルネストというエルフ、相当な手練れで膨大な魔力を持っていた。そんな奴と友人だなんて、ただの剣士ではないだろ?」
カイルハルトからの問いに、もふもふに心奪われていたメリッサもさすがに我に返り、私と顔を見合わせた。
「ヴァルはね、私の護衛騎士で、黒騎士なんだよ。イシュバーン王国の黒騎士ヴァルンレッド、って知らない?」
そう告げた途端、カイルハルトは大きく目を見開く。
「黒騎士、ヴァルンレッド!?あいつ、本物の悪魔だったか......」
“悪魔”、確かにトルメニア帝国側からしたら、イシュバーン王国の黒騎士は悪魔だと評されて当然だろう。
300年前の戦では、黒騎士一人でトルメニア軍の部隊500人を葬ったとか、街を一瞬で焦土に変えたとか、色々な逸話があるらしいし。
黒騎士ヴァルンレッドは黒騎士の中で一番強く残虐で、彼と対峙するイコール死ぬ運命から逃れられない、と敵味方双方から恐れられている。
そして、300年前から容姿実力全て、変化は無いまま国王に使えている、という話が真しやかにトルメニア帝国軍部では流れており、ヴァルンレッドは“悪魔”と呼ばれているのを前世の知識として私は知っていた。
「違うよ」
悪魔なんかじゃない。
ヴァルは、ヴァルンレッドは、300年前から魂を縛られているのだ。
「ヴァルは、私を守る騎士だよ」
敬愛する国王に命と剣を捧げた、忠誠という名の鎖で。
エルネストの色合い、碧色の髪と瞳は某大作RPGゲームのエルフから。




