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G.A.M.E.  作者: 陵野絢香
6/8

15・16

15


 国道の方から、尋常ではない破壊音と共に、天を焼くような火柱が沸き起こった。しかも一箇所ではない。東の方から次々と爆発が起こっていく。火柱は何度もその中で再爆発を起しながら大きくなり、灰色だった空はみるみるうちに黒煙で覆われていく。

 何が起こったのか全く理解できずに呆然と立ち尽くしていると、「隼人さん! 弘毅くん!」と後ろから澄んだ声と足音が飛んできた。

「何が起こったんですか?」と真奈美が尋ねてくるが、隼人も弘毅もただ首を振るしかない。

 次いでさつきとラウルも外に出てきていて、断続的に続く爆発に呆気に取られている。また一つ、西の方で爆音と炎があがった。

「……あっこって、ガソスタちゃうかったっけ…?」

 さつきが誰ともなく問いかけた。さつきの視線は田中家から一番近い火焔に注がれている。

「…そういえば、確かにあっこガソスタやわ」

「……だからあんなに燃えてるんですかね?」

「たぶん」

 嫌な沈黙が落ちた。全員同じ結論に辿り着いたことは、顔を見ればわかった。

「………キャラクターの誰かの仕業ですよね、きっと」

 ラウルがぽつりと、悲しげに呟いた。まだアダムの通告から三時間と経っていない。だが最早猶予はなかった。ついに来たのだ。決断の刻が。

 いつものように、口火を切ったのは控えめに尋ねる真奈美だった。

「……どうします? 様子、見に行った方がいいですよね…?」

「仕掛けて来たのが誰なんか、確認しましょう」

「えっ、危ないやん! 動かん方がええやろ!」

「…むやみに動かん方がええ気がするけど…」

 案の定、意見が真っ二つに割れた。

 特設サイトを見たところ、隼人達がいるエリアには他のチームはいなかったが、隣接するエリアには計六チームがいることがわかった。この爆発は車のエネルギー源を絶つことによって足を殺すこと以上に、人間を炙り出すのが目的なのだろう。以前、真奈美がやったように。

 よくやるなぁと隼人は犯人にいっそ感心すら覚えていた。こんな大胆なことをやる度胸はすごい。…そんなことを思うのが現実逃避であることは、隼人自身がよくわかっていた。

 再びさつきと弘毅の口論が繰り広げられている目の前の現実に、何とか意識を戻す。そして声が途切れたのを見計らって口を開く。

「……真奈美と弘毅は様子見に行きたいんよな? やったら車出したるから、さつきとラウルは家におり。別行動したらええやん」

何のためらいもなく、隼人は言った。ここでもめていても仕方がないなら、仲裁するのは自分の役目だと素直に思った故の結論だった。

「そんな……隼人が危ないやん!」

 さつきがざっと青ざめて怒るが決心は揺らがない。静かに反論する。

「真奈美も弘毅も強いから大丈夫やと思うよ。それに、いくらなんでも徒歩では行かせられんし、自転車もこの家一台しかないから危ないやん。やったら車出したるべきやろ」

「……っ…隼人も誰か襲ったらええと思ってんの?!」

「俺には攻撃の力がないから、襲うかどうかの決定権は俺にはないよ。でも、運転できるん俺だけやから、行きたい人がおるんなら連れて行ったる。そんだけや」

「……うちは、隼人がどうしたいか聞いてるんや! 自分の身ぃ自分で守れんくせに自分から危ない場所行って…死んでもええんか?!」

 さつきが必死に隼人を睨みつける。泣きそうな瞳に、しかし隼人の心は全く動かなかった。

 ただ笑って答える。

「…そんときはそんとき。別に未練もないし、誰かのせいにするつもりもないよ」

 ぐっと詰まってさつきが顔を歪めた。ラウルが白い顔でこちらを見上げている。

 そんなに自分はおかしなことを言っただろうか。

「―――勝手にせえ! 隼人なんかもう知らんっ!」

 捨て台詞を残してさつきが家の中へ駆け戻る。重苦しい沈黙が落ちる。

 やがて真奈美がひとつ息をつき、革のポーチから小さな巾着袋を取り出した。袋の中がかすかに光っている。玉を入れた袋だ。それを真奈美はラウルの掌に乗せた。

「これ、預かっててくれる?」

「……いいんですか?」とラウルが戸惑ったように袋と真奈美を交互に見る。真奈美は微笑んだ。

「別に決別しようと思ってるわけじゃないもの。ちょっと別行動するだけ。……意見が違っただけで、ずっと一緒に生活してきた人を見殺しにはできないわ。それに外に出る私達より、ラウル君に持っててもらった方が安全だと思うし」

「…わかりました」

 頷いて、ラウルはひとまず袋をポケットにしまった。弘毅が感動したように真奈美を眺める。

 だが隼人は、真奈美の行動を素直に受け取れなかった。

 これは優しさのだろうか。それとも打算や計算なのだろうか。純粋にさつきやラウルを大切に思っているから、出た言葉なのだろうか。それとも自分がいい人に思われたいからか。単に閉じこもっている人間に預けた方が安全だと考えたからだろうか。

 ―――今の彼女は、『わたし』と『高橋真奈美』、どちらなのだろう。

 隼人は頭を振った。今はそんなことを考えている場合ではない。

「…ほな行こか」

 呼びかけると、弘毅と真奈美が頷いた。準備は必要ないというので、門の前に止めてあった車にそのまま乗り込む。

「……無事、帰ってきてくださいね」

「……うん」

「いって、らっしゃい」

 強張った顔でも笑いながらラウルは送り出してくれた。手を軽く挙げて応え、車を発進させる。

「向こうから回りましょう」

 真奈美の提案に隼人は頷き、右にハンドルを切ってまずは田畑と旧家の間を縫うように通る裏道に進路を取る。

 道幅の狭い生活道路を5分ほど進むと、隣のM市に入った。田中家はI市だが、M市に接している地区にある。そして、この辺りがサイト上の地図で区切られた十キロ四方の正方形の境界線だった。

そこから更に五分ほど進んだところで、隼人は「ええか?」と二人に声をかけた。弘毅と真奈美が張り詰めた表情で頷いたのを確認し、交差点で左折する。少しでも見つかるリスクを下げるために、ここでも敢えて家々の間の細い道を選ぶ。小さい車でよかった。

 ゆっくりと車を走らせる先に、ちょうど黒煙が上がっているのが見える。車内は緊張と沈黙に満ていて、タイヤが道の石を踏む音やエンジン音が嫌に響く。

 隼人も緊張していた。じとりと冷や汗が額や掌に浮かんでくる。

 だが、それら全てが、どこか現実感がなかった。密閉されたプラスチック容器に入って、荒波に揉まれながら嵐の海の水面を漂っているような、奇妙な浮遊感。体はアドレナリンと不安に支配されて興奮状態なのに、頭と心はスイッチが切れていて、ただ状況を傍観している。実のところ、この状態になったことは初めてではなかった。

 だが、なぜこうなるのか知らなかった。だから意識せずに済んでいた。緊張とは、こういうものだと思っていた。―――しかし気付いてしまった。

 これが、『今ここにいて、生きている感覚がない』ということなのだと。

 国道に程近くなったところで一旦停車し、偵察に出た弘毅が戻って来て、バタンとドアを閉じながら「たぶん誰もいません。行きましょう」と言った。頷いて隼人はゆっくりと車を進めた。

 国道に出ると、たちまち熱気と油の焼ける匂いが押し寄せてきた。五十メートルほど右手で爆発音と共に炎が唸りを上げている。濛々と黒煙が立ち昇る。

 生き物のように動き回る炎の中に、崩れかけたガソリンスタンドの建物があった。

「……もうちょい、近寄れます? ぎりぎりのところで、何かわかるか『見て』みたいんで」

 弘毅が後部座席から身を乗り出してきた。首肯して低速でじりじりと近付くが、炎の熱で秋だというのに汗が噴き出す。三十メートルほどまで距離を詰めたところで、隼人は車を止めた。車内にいるのに肌が焼けるような感覚にこれ以上進むことは危険だと判断した。

「隼人さんはそのままで。真奈美さん、見張りお願いします」

 弘毅が指示を出し、真奈美と共にドアを開けたまま車の外へ出る。隼人は何かあったときに二人が駆け込みやすいように、車を道路に対して斜めになるように方向転換させた。ちょうど爆発現場に左側をさらす格好で、炎のせいでひどく暑い。隼人は襟元をつまんでぱたぱたと煽ぎ、二人の方へ目をやった。

 真奈美は車のすぐそばであちこちに視線を配っている。涼やかな顔に血の気はないが、双眸は鋭い。その姿は凛々しく佇む女戦士のようだ。

(俺とは正反対やなぁ…)

 この状況でまだ頭と心がふわふわしている隼人は、そう思った。

 自分が分裂していると自覚して、それでもちゃんと生きていたいから煙草を吸って溝を少しでも埋める。自分が死ぬのなら、他人を蹴落とすことを選ぶ。

 『生きている感覚がない』と言いながら、彼女は『生』に貪欲だ。

 全てを諦めてきたことを自覚し、自分の命にすら執着できなくなった隼人が羨ましくなるほどに。

 弘毅は車より更に五メートルほどガソリンスタンドに近付いたところで、しゃがみ込んで瞼を閉じ、手のひらをアスファルトの地面に押し当てる。サイコメトリー、つまり触れた者の心を覗き、触れた物に残る思念を読み取る力で、彼は道路に何者かの痕跡が残っていないかサイコメトリーによって調べているのだ。

「………んん?」

 ぼんやりと弘毅を眺めていた隼人の耳朶を、小さいが奇妙な物音が打った。何とはなしに後ろを、正確に言えば右斜め後ろを振り返る。

 そしてそれを認識した瞬間―――面倒なことになったな、と他人事のように思った。

「弘毅くん!」

 真奈美が叫ぶ。弘毅は反射的に顔を上げ、ざっと青ざめて一歩後ずさった。

 三階建て家ほどもある巨大な薄汚れた体躯に長い腕、短く太い脚。手には棍棒を握り、目やにの溜まった泥色の眼が、今まさに隼人達を捉えた。愚鈍そうな顔に喜色が浮かぶ。―――トロールだ。

 しかも一体だけではない。辺りの家の陰から、大きいものから小さいものまで十匹ほどがわらわらと現れた。取り囲まれた。

 慌てて弘毅が車に戻ってくる。

「弘毅くん、中へ」

 トロールを見据えながら短く言い放つ真奈美に従って、弘毅が先に後部差席に乗り込む。

隼人はギアをパーキングからドライブに入れ、左足でブレーキを踏みながら、右足をアクセルの前に構えた。通常ブレーキもアクセルも右足で踏むものだが、いつでも出せるようにはこうするのが一番いい。

 真奈美が祈るように手を組む。トロールが下卑たうすら笑いを浮かべる。

「―――はぁッ!」

 気合いと共にトロール達の顔がごうと燃え上がった。胸が悪くなる匂いが鼻をつく。

 突然の出来事にトロール達が混乱し、囲みに隙が生まれた。

「隼人さん!」

「りょーかい!」

 滑るように助手席に乗り込んでくる真奈美に返事をしながら、隼人は思い切り右足を踏み込だ。エンジンが唸りを上げ、車が急発進する。

 トロール達が気付いたときには、隼人達はもう囲みを突破していた。

 手で火を叩き消したトロール達は、怒りの咆哮を挙げて隼人達を追ってくるが、隼人は既に似たような状況をG.A.M.E.初日に体験している。あのドラゴンに比べれば、集団でも図体がでかいだけのトロールに恐怖は感じない。隼人が速度を上げると、すぐに距離が開いた。余裕である。

「左っ!」

 弘毅の引き攣った声に、隼人は反射的にハンドルを切った。直後、一瞬前まで車があった場所に何かが激突する。

 蛇だ。―――いや、違う。蛇の細長い体の先は山羊の胴体に繋がっている。尻尾が蛇なのだ。しかも胴体の上には獅子の頭がある。ギリシャ神話の怪物、キマイラだ。

 頭の獅子が顎を開き、青い火炎を吐き出した。

 時速八十キロで走る車に恐ろしい速度で青い火炎が迫る。バックミラーが青に埋め尽くされる。

(やばい!)

 だがそれは緋色の焔の壁に阻まれた。

 真奈美の息が荒い。緋焔の壁は道路を寸断し、その向こうでキマイラがいきり立つ姿が小さくなっていく。

「―――ッ!!」

 だが安堵する暇もなく、今度は道路右のビルの陰から、巨大な鳥が現れた。

 姿形はコンドルのようだが大きさが半端ではない。翼を広げた幅はゆうに十メートルを越えており、鋭い鉤爪は隼人と弘毅をまとめて鷲掴みできそうだ。

 槍のように突っ込んできた最初の一撃をなんとかわかすが、怪鳥は向きを変えて追撃体勢をとる。さすがに隼人もトロールのときのように余裕はなく、思い切りアクセルを踏み込む。

 怪鳥が大人を丸呑みできそうな嘴をくわりと開き、鋭く鳴き叫んだ。

「―――ッ!」

その声が物理的な力と変わり、リアガラスに叩き付けられる。びしりと音を立てて蜘蛛の巣状のヒビが入る。後部座席の弘毅が思わず運転席にしがみつく。心臓が早鐘を打つ。

「隼人さん! 前!」

 怪鳥ばかり気にしていた隼人は、真奈美の声で前方の交差点上にある高架が崩落して道路が塞がれていることに気が付いた。右へ曲がる道も塞がれている。

 となれば選択肢は一つ。

「曲がるで!」

 隼人はハンドルを思い切り左へ切った。ものすごい重力と遠心力が乗員にかかるが、今回は誰も頭を打たなかった。なんとか速度を落とさずにカーブを曲がりきるが、怪鳥も危なげなく方向転換し、隼人達を追い立てる。

 怪鳥が頭を反らした。鳴く。そう認識したとき、隼人は咄嗟に車を右に寄せた。そのまま高架道路への坂道を駆け上がる。

 破壊の鳴号はわずかに左に逸れ、アスファルトが抉れた飛沫がかすかに見えた。

(…あ、ここやばい)

 入ってしまった道路に気付き、隼人の額に冷や汗が浮かぶ。

大阪府中心部とM市を繋ぐ御堂筋線。一般道だが高架になっていて、高速道路と変わらない。身を隠す場所がなく、分岐があるまで直進かUターンかしかできない。

 事故車の間を縫うように走り、何度も繰り返される攻撃を予測して右に左に必死にかわす。遠心力にもまれて、真奈美も弘毅もアビリティーを使うどころではない。そして隼人も下へ降りる道を見つける余裕がない。

(……もしかして……)

運転しながら、隼人は誰かに操られているような感覚に陥っていた。モンスターの出てくる順序といい、崩れていた道路といい、攻撃のタイミングといい、何か作為的なものを感じる。

やっぱり罠か、と隼人は頭の片隅で思った。

「こんの……落ちろっ!」

 運転席にしがみついていた弘毅が、何とか体勢を整えて後ろを向き、握り拳を振り下ろした。何かに足を引っ張られたかのように、ぐらりと怪鳥がバランスを崩して高度を下げる。

 だが怪鳥も落ちるまいと両翼を何度も羽ばたかせて、執拗に隼人達を追ってくる。弘毅が顔を真っ赤にしながらサイコキネシスで怪鳥を引きずり落とそうと力を込める。

 助手席の真奈美が手を組み、転瞬、怪鳥の両翼に火がついた。

 さすがの怪鳥もなすすべなく地に落ちる。またたく間に炎は全身を包み込み、ついに火達磨と化して道路に転がった。その姿が点になるほど遠ざかってから、ようやく隼人はアクセルを緩めた。詰めていた息を吐き出す。

 だが、動悸は治まらない。嫌な予感が胸の奥に凝っている。危機を脱した確信が持てない。

 警戒しながらひとまずどこかで高架から降りなければと考えていたら、突如、ほっそりとした小柄な少女が車の前に現れた。

「うわッ!」

 反射的にブレーキを踏み込む。弘毅が運転席のヘッドレストでしたたかに頭を打つ。だがある程度スピードを出していた車が止まりきれる距離ではなかった。隼人は思わず目を瞑る。

(………あれ…?)

 ところが人影を過ぎて車が停止しても、予想していた衝撃も悲鳴も音もない。恐る恐る隼人は瞼を上げて後ろを見た。きれいに何もない。弘毅も不思議そうにきょろきょろと顔を動かす。

 そのとき鈴のような澄んだ音が鼓膜を揺らした。

「…え…?」

 突然、車の駆動音が止まった。メーターの表示も全て消える。勝手にエンジンが消えたのだ。隼人は何も触っていないのに。

 慌てて隼人がイグニッションキーを回すが、何度試しても車はうんともすんとも応じない。

(故障?! こんなときに?!)

 冷や汗がこめかみを伝う。風景から察するに、田中家から十キロほど離れたS市の繁華街の近くだ。必然的に人口は多い。つまりG.A.M.E.の世界では、モンスターが多いことと同義である。いつ何が襲ってきてもおかしくはない。

 がちゃがちゃと計器をいじっていた隼人の手元に、不意に影が落ちた。

「焦らんくてもしばらくは大丈夫です。ここ、モンスター避けの結界があるから」

「…は…?」

 無意識的に顔を上げて、隼人は息を飲み込んだ。

「お前っ…! さっきの…!」

「あたし、瞬間移動のアビリティーなんです。さっきのは、さすがにちょっと怖かったけど」

 運転席横の窓から車内を覗き込んでいたのは、先程進路に出現した少女だった。

ボブの濃い亜麻色の髪、明るい栗色の目がどことなく日本人離れした印象で、かなり痩せぎすだ。無表情の顔立ちはまだ幼く、おそらく中学生だろうと隼人は判じた。

「……何のつもり?」

 真奈美が静かに問いかける。

「何が?」

「爆発を起こしたりモンスターを使ったりして、ここへ私たちをおびき寄せたのは、なぜ?」

 少女は答えず、アダムがよくやるようにぱちんと指を弾いた。―――隼人達は、現れた三十人ほどの男女に取り囲まれた。

「なっ…!」

「悪いけど大人しゅうしてくれるか。…聖子、ようやった。あんがと」

 一際ガタイのいい男子が、太い声で言った。

 坊主頭で黒く日焼けしており、後姿では大人と見分けがつかないが、少女に向けた笑顔は愛嬌があり子どものように見える。高校生くらいか。

 聖子と呼ばれた少女は「ううん」と小さく首を振り、男子の元へ駆け寄った。

 するとその横にいたシャツを羽織った優男風の茶髪の少年と、紺のジャージの鳥の巣頭の黒髪の少年も口々に少女を労う。弘毅より年上には見えない。おそらく中学生だろう。

 どうやら聖子の仲間はこの三人だけのようで、他の中学生から大学生くらいまでの男女は、ただ焦点の合わない目で隼人達を見つめている。

 坊主頭が隼人達に向き直った。

「別に傷つけるつもりはない。玉だけ渡してくれたら解放する」

「………強硬突破するって言ったら?」

 真奈美が冷静に切り返す。茶髪の少年がゆるゆると首を振る。

「オレたち以外でここにいるの、全部フェイクです。攻撃したら全部モンスター化します」

「……は?」

「俺は『モンスター使い』のアビリティーなんや。フェイクもモンスターの一種やから、アビリティーで従わせることができる。今まであんたらを襲ったモンスターも俺が命令した」

「それに車、動かんでしょ? ここにはフェイク以外のモンスターをよける結界と、機械を動かなくさせる結界を張りました。ケータイも動かへんので、助けも呼べませんよ」

「囲みを突破できたとしても、オレが道路を『爆破』します。…逃がすつもりはありません」

「玉を渡してくれれば、すぐに解放します。お願いです、玉を渡してください」

 四人が畳み掛ける。

 隼人は心の中で苦笑した。完全にしてやられた。

 真奈美と弘毅の二人がかりなら、囲みを突破することくらいは容易だろう。だが、車が動かない状況で逃げ切れるとは到底思えない。―――彼ら含む全員を殺すつもりで痛めつけるかしない限りは。弘毅がぎりぎりと歯を食いしばる。

 ちらりと助手席の真奈美を見る。唇を引き結び、うっすらと汗が浮かんでいる。真奈美は冷え性でほとんど汗をかかない。相当な重圧を感じているのだ。冷や汗が滲むほど。

 外へ出る選択を下した二人とて、モンスターやフェイクならまだしも、積極的に人を傷つけたいわけではない。そうでなければこんなに葛藤するはずがない。

 だから隼人は、彼らが傷つかないように、ない頭を全力で捻るだけだ。

「……君ら、フェイクを従わせられるんやろ? フェイクから玉奪ったら、十個くらいすぐ集まるんとちゃうん?」

「…俺らは一つのチームやない。俺と省吾、聖子と宗は、どっちもモンスターに襲われてチームメイトが死んだ。やから俺らは四人でクリアするために、倍の玉が必要なんや」

「しかもフェイクは普通に生活はしとるけど、ミッションには挑戦せえへんねん。やからどこも一個しか持っとらん。この辺のフェイクからは奪ったけど、まだ八個しかない…」

「手っ取り早くクリアするには、人間ハメなしゃーないねん! 別に玉だけもらえたらそんでええねん! 早よ出してや!」

 鳥の巣頭が叫んだ。焦っているのがはっきりと見てとれる。十個でも大変なのに四人で倍を得る苦労をしようとしている彼らに、隼人はひそかに感心した。極力人間を傷つけずにしようとしていることも。

(……ま、結果的に人を殺すかもしれんってことは、あえて意識してへんみたいやけど)

 何にせよ、事情は理解した。話が通じそうな相手である。

 隼人は深呼吸し、口を開いた。

「…ごめんけど、俺ら、実は一つも玉持ってへんねん」

「は?」

 今度は相手が驚く番だった。実際玉はラウルに預けてきたので持っていないわけだが、馬鹿正直に言えば「家に案内しろ」と言われるだけだ。必死で頭を回転させる。

 軽く笑みを浮かべながら、慎重に言った。

「…実はな、こないだ、他のチームに空き巣に入られて……俺ら、玉を家に置いてたから、全部盗られてもうたんよ。やからごめんけど、君らに渡せるもん、何もないねん」

 四人だけでなく、弘毅もぽかりと口を開けて絶句した。真奈美も目を丸くする。隼人がこんなでまかせをすらすら語るなんて、予想外だったのだろう。

 だが隼人はこう見えて、言い訳や誤魔化しは得意なのだ。

 ずっと取り繕って生きてきたのだ。嘘や言い逃れなんて日常茶飯事だった。これくらい、造作もない。

 幸い車中は薄暗く、四人は驚く真奈美と弘毅には気付かなかった。その顔から余裕が消える。

「そ……んなアホな! 嘘やったら承知せんぞ!」

「こんなとこで嘘言わんて。俺、『治癒』のアビリティーやから、攻撃されてもうたら一発で死ぬもん。あ、何やったら身体検査でもしてみる? 俺でよければここで脱ぐけど」

「やめろ変態! 聖子に変なもん見せんな!」

 ロンTの裾に手をかけると、鳥の巣頭がばっと少女を隠し、坊主と茶髪が隼人を睨みつける。隼人は苦笑して両手を挙げた。

 少年達は明らかに動揺し、「動くなよ」と命じて頭を突き合せて相談し始めた。隼人は気付かれないようにそっと息を吐く。バックミラー越しに弘毅がこっそり親指を立ててきた。目だけで応える。

 やがて少年達が険しい顔でこちらに向き直った、その瞬間。

「なっ…!」

恐ろしい程の振動と共に、高架道路が音を立てて崩れ落ちた。



16


 全てが揺れている。ビルも高架道路も、自分も。

 ―――地震だ。

 そう隼人が認識したときには高架がひび割れ、轟音を撒き散らしながら崩落した。隼人達の乗った自動車も、ばらばらに砕けてコンクリートとアスファルトの塊と化した道路の成れ果てと共に落下していく。

「…っ落ちてたまるか―――っ!」

 浮遊感の中でさすがに死を意識したとき、後部座席の弘毅が絶叫した。同時に落下速度が緩やかになる。

 サイコキネシスだ。弘毅が念動力で車を持ち上げたのだ。

 地上の瓦礫の山まで約一メートル。あと一秒遅ければ間違いなく激突していた。弘毅は顔を真っ赤にしながら何とか高架道路の残骸の上に車を軟着陸させた。どすんと車が左右に揺れ、そして停止する。

 何も考えられないまま、隼人も真奈美も弘毅も車の外へ転がり出た。アスファルトの匂い。新鮮な空気。そして、確かに踏みしめることのできる、地面。

(………た、助かっ、た……?)

 隼人がそれを味わう暇は、しかし与えられなかった。

「………グぉをおぉおオォォォオおをぉオオォ!」

 常軌を逸した人間の咆哮が鼓膜に突き刺さる。

 振り向けばフェイクに遭遇した日と同じ、いや更におぞましい光景が広がっていた。

(……人間が、モンスターに)

 モンスター使いの坊主が集めたフェイク達が生温い黒い風に包まれ、次々に怪物へと変じていく。

 大きな斧を抱えた小鬼レッドキャップ、頭が牛の半身獣ミノタウルス、赤黒い肌に角と鋭い牙と爪を備えて金棒を担いだ鬼、白い毛に覆われた氷の猿人ウェンディゴ、そして黒い影のようなゴースト。

 いち早く本性になりかわったレッドキャップ三匹が、歓声を上げて駆け出した。斧を肩に担ぎ、彼らが目指す先には。

「…危ない!」

 半ば無意識に隼人は叫んだ。隼人達から玉を奪おうとした四人が地面にうずくまっているところへ、レッドキャップの斧が振り下ろされる。

「ノリくんっ!!」

 肉が断ち切られる音が、腹に重く響いた。

 坊主の鍛えられた体が、ゆっくりと傾いでいく。

 だが第二撃はなかった。レッドキャップ三匹の体が爆発し、弾け飛ぶ。黒い鮮血が舞い散る。鳥の巣頭が酷い顔で荒い呼吸をしている。

「ノリくんっ、しっかりして!」

「ノリくっ……ゲホッ、ゲホッ! ゴホッ!」

「聖子! こんなときに…!」

 茶髪が少女の薄い背中をさするが、一向に咳は治まらない。鳥の巣頭が坊主の肩に刺さった斧を抜き取る。赤が噴き出す。三人の血の気が引く。

「―――ッ!」

 モンスターに人間側の事情など関係ない。フェイクだったモンスター達は気勢を上げると、今までこき使ってくれたお返しだといわんばかりに、四人に踊りかかっていく。

 だが、突撃はぎりぎりで築かれた障壁に全て弾き返される。

 茶髪が必死の形相で両手を突き出して、燐光を放つ立方体の結界を維持している。

 しかしそれが破れるのは時間の問題と思われた。各個のモンスターはさほど強いわけではなさそうだが、二十数匹の集団で一斉に襲い掛かられているのだ。一人で防ぎ続けるのは不可能だ。

『…貴様らか、余の土地を荒らすのは』

 頭の中に直接響くような唸り声が、突然闖入してきた。

 隼人は絶句した。いや、隼人だけではない。弘毅も真奈美も、四人も、モンスターと化した元フェイク達も、川から身を起こしたそれを呆然と見上げた。

 巨大な、という言葉では足りないほど巨大な怪物だ。

 魚と竜を掛け合わせたようなその怪物の全長は、おそらく百メートルを超えている。子どもほどの大きさの牙が並ぶ鰐のような顎。鱗に覆われた蛇のように細長い身は冥い蒼色で、腹だけが白い。手のような長い胸ビレが頸元から宙に泳いでいる。

 黒く陰湿な光を帯びた眸が、怒りに燃えて隼人達を捉えた。

『余はリヴァイアサン。余の眠りを妨げ、土地を荒らした報い、受けよ』

「え…っ、ちょっ、違うっつーの!」

『問答無用』

 弘毅が果敢にも抗議の声を上げたが、リヴァイアサンは口から火炎放射するように水を吐き出した。濁流が叩きつけられる。

 すんでのところで真奈美が炎の壁を作り上げ、隼人達は何とか水を防ぎきった。

 四人も結界で何とか凌いだが、ついに集中力の限界か、モンスター避けの結界共々障壁が霧散する。今が好期とばかりに、凍らせて水流の直撃を防いだ猿人ウェンディゴが氷の槍を四人に向けて放とうと両手を掲げた。

「……っやめろ―――ッ!」

 叫んだのは弘毅だった。

 同時に瓦礫の山と化していたコンクリートの塊が宙を飛び、ウェンディゴに激突する。

「なっ……!」

 茶髪と鳥の巣頭が驚いて弘毅を見つめる。しかし弘毅も、わけがわからないという顔で自分が飛ばした塊と押しつぶされたモンスターを眺めている。

 更にリヴァイアサンの濁流にも耐えた元フェイクのウェンディゴ二匹、ミノタウルス、ゴースト五匹が揃って隼人達を睨みつけた。

「………これ、敵認識されたんかなぁ、やっぱ」

 隼人がぼそりと呟くと、それに応えるかのようにゴーストが音も無く空を滑り、隼人達に向かってその茫洋とした黒い手のようなものを伸ばす。

 しかしその手は瞬時に赤く燃え上がった。

「……そうみたいですね」

 ゴースト達を燃やしながら、真奈美が律儀に答える。アンデット系は火に弱いという定説に漏れず、ゴーストは鼓膜がおかしくなりそうな断末魔の悲鳴と共に灰と消えていく。

『余を無視するとは、いい度胸だな!』

 風の唸りと共に、右からリヴァイアサンの尻尾が飛来した。隼人達は咄嗟に瓦礫の山から跳び下りる。太い針のついた尻尾は瓦礫の山を直撃した。

 飛び散った鉄筋むき出しのコンクリートの塊が、隼人の目の前に迫った。

(あ、死ぬ)

 そう冷静に認識した刹那、隼人の心に浮かんだのは。

 ――『死にたくない』という単純な願い。

「………あれ?」

 衝撃音はしかし、隼人の足元から聞こえてきた。痛みも何もない。

 そっと瞼を開けると、小さな澄んだ音と共に、燐光の盾がきらきらと壊れたところだった。振り返る。

 結界使いの茶髪の少年が、脂汗の浮いた顔で微笑んでいる。その後ろで鳥の巣頭が少女を励ましながら、必死で坊主の傷を押さえている。

 隼人は肺が空になるまで息を吐き出した。

 唇に小さな笑みが浮かぶ。自嘲だった。

(……あー、俺、死ぬの怖いんや…)

 迫る瓦礫に、隼人は紛れもない恐怖を感じた。死ぬことに対してではない。

 何もしていないのに死んでいくことに対して、怖いと思った。

 夢も希望も志も、何もかも捨てたはずだったのに―――それらを失ったまま死んでいくのは、どうしても嫌だと心が叫んだ。

 全てを諦めたはずだった。忘れたままなら諦められた。でも、思い出してしまった。

 心の奥底では、いつかもう一度手に入れたいと願っていたことを。

 ―――『生きたい』と、思った。

 そしてそれはきっと、彼ら四人も同じなのだ。

 『生きたい』と願うのは、普通のことだから。

 今、この場を切り抜けるにはお互いの協力が必要だった。元フェイクだけならまだしも、リヴァイアサンは強すぎる。

 小難しいことは何も必要なかった。自分ができることを精一杯やろうと隼人は立ち上がった。

「真奈美、弘毅、モンスター頼むわ」

「はい。怪我人は任せましたよ」

 真奈美が応じ、弘毅も眉根を寄せたまま軽く頷く。隼人は四人の方に歩き出した。

 と、シュンと軽い音がして、次の瞬間には四人が目の前にいた。少女が激しく咳き込む。

「聖子! こんなときにアビリティー使うな!」

 鳥の巣頭の少年が怒鳴る。その手は坊主の傷口を自分の着ていた紺のジャージで押さえているが、全く血が止まる気配はない。

 隼人は坊主の傍らに屈み込んだ。結界の外で派手な音や断末魔が響いていたが、隼人の耳には入っていなかった。

 ラウルのときとは異なり、顔面蒼白ではあるが、生気はある。すぐさま命に関わるほどの怪我ではなさそうだ。もちろん軽い怪我でもないが。

「治すから、手ぇどけて?」

 まっすぐ目を見て簡潔に告げると、鳥の巣頭は躊躇しながらジャージと自分の手を除けた。掌を坊主の肩にかざし、集中する。

 暖かな光が手に宿り、その光が血の滴る傷口に注がれる。

 しばらくして、ふう、と息を吐いて隼人は体の力を抜いた。光と共に傷もきれいに消えている。

「……う…っ…」

「ノリくんっ! ノリくん生きてる?! 生きてるんやね!?」

 坊主が呻いて、ぼんやりと瞼を開いた。鳥の巣頭の顔がぱっと輝く。

 だがゲホゴホとおかしな咳の音にその表情は再び暗転した。少女の苦しそうな背中を不器用にさする。

 障壁の向こうを、濁流が通り過ぎていく。ミノタウルスが溺れて押し流されていく。

 全身全霊で結界を張り続ける茶髪がちらりと振り返り、眉を下げた。

「すみません、聖子も治療してもらえませんか? ぜん息なんです」

 病気にアビリティーを使用したことがなかったが、隼人は躊躇わなかった。今は自分にできることは、これしかないのだ。鳥の巣頭に支えられている少女の前に膝をつく。

「楽にして」

 一言声をかけて、少女の胸元に向かって掌から『治癒』の光を放つ。

 体の内部に働きかけるため、怪我のときとは勝手が違った。全身から汗が噴き出す。だが不思議と大丈夫だと思った。ラウルのときに危篤を治したことが、自信になっていた。

 自信など、今まで一度も抱いたことはなかったのに。

 やがて、隼人の掌から光が消えた。

 少女の咳が、止まっている。

「……あ…」

「聖子! 大丈夫か?」

「咳止まったか?!」

 きつく胸元を握りしめていた拳を開き、喉を確かめた後、少女はこくりと頷いた。鳥の巣頭もいつの間にか起き上がっていた坊主も、少女を囲んで涙を浮かべる。どちらかといえば坊主の方が重傷だったはずなのだが坊主のときよりもこの小柄な少女は、男子三人のお姫さまらしい。

「うわっ!?」

 前触れもなく大地が揺れた。地震だ。先程よりも大きい。立っていられない。

 隼人は咄嗟に頭を抱えてしゃがむ。建物の軋みや崩壊、落下物の衝突などの音が方々から耳朶を打つ。

 ようやく揺れが収まる。ビルのほとんどにどこかしらに破損があった。崩壊しているものもある。道路にも至る所に亀裂が走っている。四人と隼人がいる場所にも看板や剥離した外壁が散乱している。結界がなければ危なかっただろう。

「…真奈美! 弘毅!」

 はっとして隼人は辺りを見回した。治療に集中していて、二人の動向がわからない。

「ここです! 無事です!」

 瓦礫の山の向こうから、二人がひょこりと顔を出した。

 疲労の色は濃いが、無事な姿を見てほっと安堵する。

 だがまだ目に見える脅威も生きていた。道路を塞ぐように倒壊したビルの向こうから、憤怒に満ちた怪物の頭が現れる。

『……下賎の者め、よくも何度も我が土地に地震など……!』

「この地震は俺らちゃうわ! 人間にこんなことできるかい!」

 鳥の巣頭が吠え立てる。だがリヴァイアサンは話など聞いてはいない。

『余の土地を荒らしただけでも不敬甚だしいというに、あまつさえ余にここまで逆らうとは………その罪、万死に値する! ―――出でよ水蛇!』

 リヴァイアサンの頭の両側に水の渦が出現し、その中からずるりと透明な蛇が生じる。

(これは…!)

 本能がガンガンと警鐘を鳴らす。まずい。隼人は少女を振り向いた。

「真奈美と弘毅をここに!」

 少女は半ば反射的に隼人の要望に応える。シュンと真奈美と弘毅が結界内に現れる。

『我が忠実なる僕、水蛇よ。愚か者共を、冥土へ送ってやれ!』

 声にならぬ咆哮を上げて、二匹の蛇が宙を滑り、隼人達目がけて顎を開いて襲いかかる。

 結界で体が砕けても水蛇は何度でも蘇り、体当たりを繰り返す。真奈美が必死に炎で水蛇に攻撃するが、相性が悪すぎる。多少勢いを削ぐことしかできない。

 弘毅や爆破能力の鳥の巣頭がリヴァイアサン本体に攻撃を仕掛けるが、鱗はコンクリートでも傷つかず、爆薬やガソリンのない爆発では大したダメージにならない。結界能力の茶髪がみるみるうちに消耗していく。障壁の光が弱まり、力を失っていく。

『いい加減、潔く散れ!』

 水蛇がリヴァイアサンの台詞と共に距離を取り、助走をつけて隼人達に迫る。

(…俺に力があれば)

 もう何度目になるかわからない嘆きが、脳裏をよぎる。

 死にたくない。

 折角『生きたい』と思っていると気付いたのに。

 だがこのG.A.M.E.の世界では、力なきものは死ぬしかない。何の力もない自分ができることはただ一つ。

 隼人は目を閉じた。ただ静かに、暴力的にもたらされる『死』を受け入れた。


「いっけ――――ッ!!」

 ごうと唸りを上げて、突風が吹き抜けた。


 風は槍と化して水蛇を砕く。蛇が形を失って、なす術なく霧散していく。

(……まさか)

 聞き覚えのある声だ。もはや慣れた、いつも明るく皆を叱咤する声だ。

 だが、彼女は家に残ると、外には出ないと言ったはずだ。なのに、どうしてここでこの声が聞こえる?

『な…何奴! 余の処刑を邪魔するとはいかなる了見か!』

「隼人たちを処刑なんか誰がさせるかこのドアホっ!」

 動揺したリヴァイアサンの誰何に、コンクリートの山の向こうから怒号を返すのが聞こえた。だが瓦礫に隠されて、その姿はまだ見えない。

「吹っ飛べデカブツ―――ッ!!」

 風の塊が冥い蒼の巨体に叩き付けられる。

 数秒の格闘の後に百メートルを越えるリヴァイアサンの躯が浮き上がった。

 怨嗟の言葉をわめき散らしながらその巨体が西の空の彼方へと消えていくのを、隼人は信じられない思いで呆然と見つめていた。

 瓦礫を踏む音に、隼人は膝をついたまま振り返った。

 仁王立ちしているのは、間違いなく。

「さつ、き……? なんで、ここに……」

「あんたらがアホやからや!」

 開口一番、さつきが怒鳴った。

「うちとラウルに玉預けて、自分らが命がけで出て行くから、臆病者は大人しく待ってればええて? 何様のつもりや。勇者にでもなったつもりか?」

 ずんずん近づいてくるさつきの口は止まらない。

「特に隼人! 自分の身も守れんくせに『運転は自分しかできん』とかカッコつけて出かけて死にかけるとか、アホすぎる! 弘毅も真奈美もアビリティーあるから大丈夫って過信してたんちゃうの! あっさり罠にかかるし、相手チームに攻撃できへんようされるし、結局隼人が交渉しとるし、挙句あんなボスキャラみたいなモンスターに遭って手も足も出ん状態にさせられるし!」

「いや、リヴァイアサンが出てきたんは、たぶん地震のせい…」

 思わず言い訳する隼人を弘毅が遮った。

「何が言いたいん、さつきさん」

 地を這うような声で質問を投げつけ、もう手の届くところまでやって来たさつきを睨めつける。さつきはわずかに怯んだが、きっと眦を吊り上げた。

「焦って行動しても、ええことなかったやろってことや!」

「へーえ、いきなり説教かい。さすがは救世主サマやな。ご立派なことで」

「何やと?!」

 皮肉にさつきが噛み付く。弘毅の眼が怒っている。

「どうやって俺らの様子探ってたんか知らんけど、自分は安全なとこおって、そんでピンチに颯爽と登場して、『ほら、うちが正しかったやろ』って説教だけすればええんやもん。楽でええよな、さつきさんは。しんどい思いした俺らがアホらしいわ」

「………ちゃうわ、うちは…うちも、一緒に戦おうと…」

「はっ、フェイクですら傷つけんの嫌がってた人が、今更一緒に戦うって? 冗談もたいがいにしてや。同じチームやし、見殺しにすんのもあれやから、玉ゲットしたらしゃーなしで助けたるけど、そんな甘いヤツと一緒に戦うなんかできんわ。―――足手まといや、帰れ」

 心底馬鹿にした調子で弘毅が吐き捨てる。さつきがうつむく。

 しかし隼人は首を傾げた。何となく噛み合わなってない。お互いの論旨がどこかずれているような気がする。

 だがまずは言い過ぎた弘毅をたしなめようとしたとき、がばりとさつきが顔を上げた。

「うちは確かに甘かった! フェイクであろうと『人』のもん奪うなんか絶対嫌やし、そんな悪モンのやること絶対したないわ! でも、でもな……」

 びりしと弘毅に人差し指を突きつけ、さつきが大上段に叫ぶ。

「あんたらが汚れかぶって傷負って得たもので、お情けでクリアさしてもろても、全っっ然うれしないわ! そんなもん、うちの矜持が許さん!」

 さすがに目を丸くする弘毅に更にさつきは続けた。

「うちだってなぁ、死にたないんや! 家の商売継がなあかんし、痛い思いして産んでくれた親より先に死ぬなんて最悪の親不孝や! それにディズニーランドも行ってないし、彼氏もほしいしデートもしたいし、北海道も行ってないし、フランス旅行もしたいし、やりたいこともいっぱいあんねん! このまま死んでもうたら、後悔残りまくりや! 成仏できん! やから…、生きるために汚いことやらなあかんのやったら、やってやろうやないか!」

 隼人は瞬いた。

 次いで、そんな場合ではないとわかっているのに―――勝手に顔が笑ってしまう。

「なっ、何笑ってんねん隼人!」

「いや、なんか……やりたいことが全部現実的すぎて…!」

 必死で笑いを堪える隼人に、すっかり毒気を抜かれたらしい弘毅が溜め息をついて同意する。

「彼氏とデートとか、ディズニーランドとか、こんなとこで宣言することちゃいますよね」

「せめて『大金持ちになって豪邸でセレブな生活したい』くらい言ってほしいですね…、こういう場合は」

「しかも今時『成仏できん』って……てあれ? ラウル、いつの間に?」

「さつきさんと一緒に来ましたよ。俺の具象化した『空飛ぶ籠』で。さつきさんがやかましくて、誰にも気付かれなかっただけです」

 さり気なく会話に入ってきたラウルが苦笑する。

 男三人に思いっきり呆れられたさつきが真っ赤な顔でわめいた。

「べ、別にええやん! うちそんな大層な人間ちゃうもん! ちっちゃくても自分のやりたいこと全部やりたいんや!」

 飾らない素直な言葉が、すとんと隼人の心に落ちて、染み入る。

 夢も希望も意思も志も奪われていた自分は、空虚な、ただの人形同然だと思った。

 もしかしたらG.A.M.E.にプログラムされたキャラクターなのではないかと、自分に疑いを持つほどに、隼人の中には何もない気がしていた。

 それでも死を本当に意識したとき、『生きたい』と渇望した。何もしていない、何も持っていないからこそ、死にたくないと思った。

 ―――今まで知らなかった、生々しい、生きた感情だった。

(……でも俺は、他人を蹴落としてまで、生きる価値のある人間なんやろうか)

 今まで世間や親が褒めてくれる、認めてくれれば、自分は生きていていいんだと思えた。

 だがそれは虚構だった。では―――何を基準に自分が生きるに値すると判断すればいのだろう。

 さつきが挙げたような『やりたいこと』なら、隼人の中にもある。

 中型でいいからバイクを買って、晴れた空の下を走りたい。母と妹にいつも笑っていてほしい。沖縄を旅行したい。スキューバダイビングをしたい。料理を極めたい。

 しかし―――それは誰かを押しのけてまで生き延びる理由になるのだろうか?

 隼人にはさつきのように継がなければならない家などないし、かといって弘毅やラウルのように才能も目標もない。平凡な家庭の平凡な人間だ。

 どうすれば、生きる価値のある人間と認めてもらえるのだろう?

(……そういえば真奈美は?)

 ふいに先程から声を聞いていないことに気付き、隼人は辺りを見回した。

 呆気に取られてさつきや弘毅達のやりとりを眺めている坊主頭達の横に、地面に座り込んだままの真奈美がいた。

「真奈美? 大丈夫?」

 呼びかけながら近付くが、真奈美は身動き一つしない。

 様子がおかしい。

「真奈美? 真奈美!」

「………………」

 肩を叩くが、反応がない。顔は蒼白く、話すとき以外は常に閉じている桜色の唇が、力なく開いたままだ。慌てて双眸を覗き込むが、焦点が全く合っていない。体は温かく脈もあるし正座の姿勢を保ってはいるが、意識だけがない。

「弘毅! ちょっと来てくれ!」

「隼人さん?」

 焦った声音に弘毅が駆け寄ってくる。一目見て弘毅も異常を感じ取ったらしい。

 何も言わずとも目を閉じ、真奈美に触れてサイコメトリーを使う。

「え、何? 何が起こったん?」

「真奈美さん、どうかしたん?」

 さつきとラウルも怪訝そうに近付いてくる。弘毅が目を開けた。唇が震えている。

「………いない」

「え?」

 みるみるうちに弘毅の顔から血の気が引いていく。

 だが詳しく聞く前に、三度目の地震が起こった。

(……何が起こってるんや?)

 長さの割に大した揺れではなかったが、それでも地面が揺れることは怖い。

 雨くらいならまだしも、G.A.M.E.の世界でわざわざ自然災害を起す意味はない気がするのだが。これもアダムのキャラクターに対する精神的揺さぶりの一つなのだろうか。

 考え込む隼人の腕を誰かが乱暴に掴んだ。弘毅だ。初めて見る、泣きそうな歪んだ顔。

「…探さな、真奈美さん、探さな!」

「ちょっ、弘毅、落ち着け! どういうことや?」

「真奈美さんがおらん! 『ここ』におらんねん!」

 弘毅が悲痛な声で叫んだ。真奈美は陶器の人形のように無表情で、あの『繋がっていない』ときよりも更に透明な瞳はただ黒く、静かに景色を映していた。


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