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G.A.M.E.  作者: 陵野絢香
3/8

5・6・7


「……やっと着いた…」

 畑に挟まれた細い道に車を停止させ、隼人はぐったりとハンドルに突っ伏した。

「…あれ、アダムの嫌がらせかなぁ…?」「…それだったらヒドすぎでしょ…」と後部座席のさつきと弘毅が、やはりぐったりと座席にもたれかかる。助手席の真奈美と、運転席の後ろのラウルに至っては声を出す気力もないらしい。青ざめた顔で力なくドアに身体を預けている。

 なにせ、例のS市の市民体育館から直線距離で十キロほどしか離れていないI市の隼人の祖母の家に辿り着くまでに、サラマンダー、吸血蝙蝠、トリケラトプス、ニンフ、お菊さんと思しき女の幽霊、河童、その他幾つかのモンスターに遭遇し、追いかけっこを繰り広げたのだ。

初っ端にドラゴンと相対した隼人達にとって一つひとつはさほどのインパクトもなかったし、車のスピードで振り切ったり、主にさつきと真奈美のアビリティーで簡単に追い払ったりできたがしかし、塵も積もりば山となるである。緊張、脱力、移動と繰り返した蓄積で、正直昨日よりしんどい。とてつもなく疲れている。誰もが昨日のドラゴンから逃げ切ったときより疲弊しきった顔で、ようやく訪れた安堵のときをじっくりと噛み締めていた。

(…なんであんなにモンスターおるねん……意味わからん…くは、ない、か)

人口が多いところにはモンスターも多いと、奴が笑っていた。いつも薄気味悪い笑みをたたえている金髪の顔が思い浮かんで隼人は顔をしかめた。

昨晩、アダムの説明中にうっかり居眠りしてしまった隼人が2時間ほどたってからようやく目覚めた後、五人は会議を開いた。体育館を含む半径1キロの地域が翌日の午後零時まではセーフティーエリアに設定されており、簡単な食事が用意されていること、疲労がピークで移動はかなり厳しいこと、翌日の二四時まではキャラクター間の戦闘は禁止されていることから、今夜は体育館近くの教会に宿泊し、翌日から隼人の祖母宅で暮らすことに決めたのだ。

疲れもあって皆が熟睡し、秋晴れの空の下、車に意気揚々と乗り込んで出発したのだが……その後はもう思い出したくもない。

何がどこから出てくるかわからない分、運転手としては昨日より神経をすり減らした。

「……よし、休憩終了!」

 ぱんという小気味いい拍手に、隼人は回想を終了した。体を起こしたさつきが快活に笑う。

「ここでぐでーっとしてんと、中入ろ! そろそろお昼やし、何か食べよ!」

 カーナビの隅に表示された時刻は、もうじき午後になろうとしていた。言われてみると確かにお腹が空いている。そのとき、ぐぅ、と誰かのお腹が鳴った。誰だろうと首を巡らすと、ラウルが真っ赤になって俯いていた。そういえば彼は朝ほとんど食べてなかったな、と隼人は思い出した。低血圧なのか食べれなかったのだ。

ラウルはどうにもシャイな性質らしく、あまり口数は多くない。さつきがここは敢えていじるべきか逡巡したようだが、結局は口を噤んだ。それで正解だと隼人はこっそり胸を撫で下ろした。

「…とりあえず、下りよか。まずは中案内するわ」

とりなすように言うと車内の空気がほっと緩んだ。各自扉を開けて、次々と外に出る。隼人も車を降りて家の方を仰いだ。

真正面に建つ古い民家の立派な門構えに、妙な懐かしさが込み上げてくる。

ほんの僅かな間だったが―――隼人はこの家に住んでいたことがあった。今の家はここから近く、事あるごとに訪れているので久しぶりではないが、逆に泊まることはほとんどなかった。長く滞在するのは小学校五年生の春以来。

(…母さんが離婚したとき以来やなぁ…)

まさかこんな形で再び住まわせてもらうことになるとはと、隼人はこっそり苦笑した。そして心の中で、矍鑠かくしゃくと溌剌と生きている祖母と、五年前に亡くなった厳格な祖父に謝罪し、よろしくと挨拶した。礼儀にはうるさい人達なので。

「ほわー…、すごい家! 倉とか今そうそうないやろ!」

「うわっ、ほんまに鶏小屋ある! 鶏おる! すげー!」

さつきと弘毅が興味丸出しで、歩きながらいちいち感想をこぼす。真奈美は恐縮したように、ラウルは半ばぽーっとしながら着いていく。門をくぐったところで隼人は一旦立ち止まった。

「正面が母屋で、左にあるのが鶏小屋と物置小屋。物置には農作業のものが多いかな。そんで母屋の右が離れやけど、ここは普段使ってない。で、離れの横が倉」

 倉と聞いて目を輝かせたさつきと弘毅に「倉っていっても普段使わんお客さん用の皿とか、五月人形とかがあるだけで、そんな大したもんはないで」苦笑して付け加える。

 とりあえず用があるのは母屋なので、引き戸を開けて上がり込む。

 広い三和土と框の向こうは横に伸びる廊下で、入って正面に階段と居間、廊下の左右に部屋がいくつかある。向かって左手には広さの違う和室が三つあり、一番奥が祖母の部屋、真ん中が仏間、手前が客間というか、普段使用していない縁側のある部屋だ。

 廊下の右には風呂と洗面所、台所、そしてお手洗いがある。元々土間だった場所を改装した台所には勝手口があり、離れや倉の方にすぐ出られるようになっている。

(風呂とかリフォームした後でよかった…)

 築百年を超えるこの家は、割と最近まで薪炊きの風呂にぼっとん便所だった。2年ほど前に水回りをリフォームし、今はガス風呂とウォシュレット付きトイレになって台所もきれいになった。ただ、水回り以外は昔のままなので少々浮いているのだが、便利さにはかえられない。

 案内がてらぞろぞろと一通り見て回って、隼人は提案した。

「寝るのは一階やと落ち着かんと思うし、二階にせん?」

「それええな!」とさつきが陽気に賛同し、他の三人も同意したので二階に上がろうと思ったのだが、ここで弘毅の待ったが入った。

「でも上がる前に飯……腹減ったー」

「弘毅に一票……」

 ぐるるるる、と二人のお腹の虫が切なげに訴えて思わず吹き出す。そもそも二階には十畳間と、八畳間二つの間の襖を外してこしらえた大部屋があるだけだ。ちなみにどちらも和室。べつに今見る必要もないので、隼人は笑って言った。

「せやな、まず昼飯にしよか」

「うちも賛成ー。腹が減っては戦はできぬ!」

「戦って。まあみんな疲れたやろし、さっきの縁側の和室でてきとーにくつろいで待っといて」

 手早く量あるの作れるのはやっぱ丼か、ここの卵おいしいし使おうか、と思案しながら隼人が台所に向かおうと、四人がきょとんと見つめていた。

「…え、何?」

「いやそれこっちのセリフやし」

 さつきが戸惑ったように隼人を見上げてくる。見上げてくると言ってもさつきは意外と背が高く、百七十ぎりぎりの隼人よりも数センチ低いだけなので、さほど目線は変わらないのだが。

 意味がわからず首を傾げた隼人に、さつきがますます怪訝そうに眉を上げる。

「待っとってって、隼人が作るみたいな言い方やん」

「え、うん。作るけど」

 みたいも何も作るつもりだったので素で答えると、さつきだけでなく弘毅も疑わしげに隼人を見つめる。ラウルも若干ではあるが訝しげな表情になっており、真奈美は困惑したように場を見回している。隼人は半眼になった。

「…お前ら、俺料理できへんと思ってるやろ」

 全員が目を泳がせた。つまり肯定である。嘆息。

「だ…だって全然料理できそうな外見ちゃうねんもん! いっつもお母さんが作ったもんをテーブルで待ってて、無言で茶碗差し出しておかわり入れてもらったり、食べ終わっても皿とか片付けんとさっさと部屋上がるみたいな、お坊ちゃん的な感じに見えんねんもん! 家の手伝いとか一切したことないわーみたいな顔してんねんもん!」

 さつきが言い訳がましくまくしたてる。隼人は思わず脱力した。自分でも料理できそうな外見でないのは重々承知しているが、こうまで言い切られたのは初めてだ。ここまでスパッと言い切られると、いっそ清々しい。

「…ま、親が忙しいからな。けっこう料理とかするし、まあ大人しく任せて待っといて」

 苦笑しながら返し、真奈美を筆頭に手伝おうとするのを制して、隼人は台所に向かう。正直なところ、丼物くらいなら手伝いはかえって邪魔なのだ。

 冷蔵庫を開けると、祖母らしくきちんと整理された食材が整然と並んでいた。こんなところも記憶通り再現されていることに隼人は少々感心する。まずは米をといで炊飯器をセットし、炊き上がるまでに手早く調理して居間にに運び、四人を呼んだ。

「………うまー!」

「ほんまに! 他人丼って初めて食べたけど、うまー!」

「しかも味噌汁付き! 定食みたい!」

 弘毅とさつきが破顔してきゃっきゃとはしゃぐ。真奈美も小さく「おいしいです」と微笑み、ラウルも黙々と口に運んでいる。

 卵を使った丼で、鶏ではなく牛を使ったのは、ちょっとした意地だった。牛は高い肉でもない限り、工夫しなければうまく調理するのが難しいのだ。隼人は内心ほっとした。

(そういや、料理の基本教えてくれたのは、ばあちゃんやったな…)

 両親が離婚して、母と妹とこの家に身を寄せていたとき、これからお前達が母を助けるんやでと、隼人と妹に仕込んでくれたのだ。妹は料理には向かなかったようで未だに大雑把なものしか作れないが、逆に隼人は適性を発揮し、今では母よりも上手かったりする。そんなことを思い出しながら、隼人はぼんやりと居間を見回した。

ここは変わらない。がっしりした六人掛けのテーブル、水屋、棚、その中の食器類。全て何年も使い込まれたものだ。古い家だが、この古さが隼人は好きだった。妙に落ち着くのだ。

(……あ、これ、俺の記憶通りに再現されてるんやっけ)

 ふとその事実に気付き、隼人はこっそり苦笑した。時々ここが『どこ』かわからなくなる。特に―――こういう穏やかな時間を過ごしているときには。

 遅めの昼食を終えた後、隼人達は田中家に何があるかを調べ、何が足りないのかを把握する作業に一日を費やした。調べるだけでなく、幸い晴れで暖かい日だったので、布団を干したり洗濯物をしたり、畑を見に行ったり鶏の世話をしたりと、かなり忙しく働いた。

 晩ご飯も軽い物をやはり隼人が作り、かなり疲れが見えていた女子を先に風呂に入れて先に休ませ、「俺より運転してた隼人さんのが疲れてるっしょ! 俺最後でいいんで!」と風呂を譲ってくれた弘毅と交代して隼人は二階に上がった。

(瞼が落ちる……)

 神経をすり減らす運転の後もずっと立ち仕事だったので、疲労はピークだ。さっさと寝て明日に備えよう。明日は明日でやることが山積みだ。ちゃんと回復しないと倒れる。

(…備えようとか、しばらく思ったことなかったなぁ)

 隼人は苦笑を漏らす。日常のルーティンワークをこなすばかりで、何にも考えずに生活していたなと自覚する。こんなに頭も体も酷使したのは、実際生まれて始めてかもしれなかった。眠りかけながら階段を上りきり、右手の襖を開ける。

「うわっ! わっ!」

 と、まだ起きていたラウルが襖を外したところに座り込んでおり、慌てたその手から何かがすっ飛んだ。それはばさりと広がって、畳と布団の上に散らばる。隼人は半ば無意識に目で追った。

 -――絵だ。何枚もの絵と、スケッチブックだ。

「なっ、何でもないから!」

 ラウルが必死に手を振り、覆い被さるようにして絵をかき集める。だが焦っているのかうまく拾えず、四苦八苦している。よく見ると手も震えている。

 眠かったからだろう。考えるより先に、隼人の口が動いた。

「きれいやな」

「………え?」

 何を言っているのだろう、という表情でラウルが顔を上げる。

「いや、きれいな絵やなぁと思って。俺、こんなん描かれへんもん」

空や草原、海、それに鳥や蝶など、いろいろなモチーフが幻想的に描かれている。繊細に色が折り重なる、透明感のあるきれいな絵だった。

水彩でこんな風に描けるのかと感心したし、どれもとても心惹かれるものがあった。

「こういうのやったら部屋とかに飾ってもええ感じやん。女の子とか好きそう。あとカフェとかにあっても全然いい感じやと思うし」

 何気なく言って振り返るとラウルは下がり気味の目を落ちそうなほど丸く見開き、隼人を呆然と見つめていた。あまりに驚いた様子に逆に驚く。そんなにおかしなことを言っただろうか。

「……ラウル、どないした?」

 首を傾げて声をかけると、はっとラウルが背筋を伸ばした。そして戸惑ったように揺れた双眸を隠すように、ゆるゆるとうつむく。なぜか耳が真っ赤だ。

「…………ありがとう、ございます」

 しぼり出したような小さな声で、ラウルは言った。隼人はもう一度首を傾げながら、「いや、全然」と返し、散らばった絵を丁寧に拾い集めて渡した。

「はいどうぞ」

「……ありがとうございます」

 今度は上目遣いにではあるが、ちらりと隼人の目を見て、「明日は七時に朝飯、八時出発ですよね? ………起きれるかなぁ…」とまだ赤い顔でラウルが話題を変えた。苦笑しながら乗る。

「俺も起きれるか怪しいわ。ケータイアラームかけとこ。もう叩き起こされんのはごめんやし」

「あれは…もうこりました。さつきさん怖かった…」

「確かに」と布団を引っぺがして叩き起こされた今朝のことを思い出し、隼人は遠い目になった。ラウルも少しだけ笑う。

「じゃ、もう電気消そか。弘毅が先寝ててくれって」

はい、と応じてラウルがスケッチブックと絵を鞄にしまい、窓際の布団を被った。隼人は電気の紐を引っ張って消し、自分も押し入れ側の布団に潜り込む。

 横になると、疲労がどっと体に押し寄せてきた。自覚している以上に、ひどく疲れていた。いつもは寝入るのに時間がかかるが、今日ばかりは落ちるように隼人は眠りについた。



隼人達がヴァーチャルリアリティゲーム『G.A.M.E.』とやらに巻き込まれて、今日で七日目を迎えた。ちなみにG.A.M.E.内の時間は現実世界と同じ速度ではなく、異常に早く経過するらしい。細かい数字は説明書にあったが覚えてないけれど、とにかく、隼人の感覚では今日が七日目で、そろそろ日が暮れる。

「隼人さん、全部切り終わりましたよ。他に何かあります?」

台所で南瓜の煮つけの味を見ていた隼人の後ろから、真奈美が声をかけた。

「あ、ほんま? じゃ、あとは大丈夫。みんな呼んできて」

「わかりました」

 ザルとボールをテーブルに置いて、真奈美が台所横の勝手口からつっかけで外へ出て行く。

 既に取っておいた出汁の中に真奈美が切ってくれた大根を入れて、火を強める。流しの下から使い込まれた鉄製の黒いフライパンを出し、コンロに載せて火をかける。フライパンに解凍したぶつ切りの豚肉を入れて表面に焦げ目をつけ、肉の脂が出てきたところでザルに入ったほうれん草と白葱をぶち込んで塩コショウとだしの素を振り、料理酒をまわして蓋をする。

(……ここにおる限りは、現実世界と何も変わらんのにな)

 焼き上がるのを待ちながら、隼人は今から四日前―――G.A.M.E.三日目のことを思い出す。その前日に祖母宅に移ってきていた隼人達は、必要な物資を調達しに、祖母の軽トラを借りて車で五分ほどの場所にある大型スーパーとホームセンターを訪れた。

店員などいるはずもなく、勝手に物を取っていくのはかなり気が引けたが、どうしようもないので各所で「ごめんなさい」と呪文のように唱えつつ服や食料品をいただいてきた。

モンスターにも数回遭遇したがこの辺りは大阪の中心部に比べると圧倒的に人口が少なく、相手も弱かったので、隼人達はさほど苦労せずに物資調達を終えたのだが。

 事件はホームセンターからの帰り道で起きた。―――『フェイク』に遭遇したのだ。

 細い路地から急にワゴン車が飛び出してきて、隼人は反射的にブレーキを全力で踏み込んだがさすがに間に合わず、バンパー同士が接触した。右前方に押し出された軽トラは二車線の広い道路だったため事なきを得たが、ワゴン車は歩道の柵に突っ込んだ。

 後ろ三人の無事を確認した隼人と助手席に乗っていたさつきは慌ててワゴン車に駆け寄った。

「大丈夫ですか?!」

 声をかけると、運転席からどう見ても高校生と思しき少年が憤怒の形相で降りてきた。

「お前何すんねん! 事故ったやないか! どないしてくれんの!」

 しかし隼人は適切な運転をしており、見通しの悪い場所から一時停止もせずに突っ込んできたワゴン車の方にどう考えても過失があった。だが少年の剣幕に「何すんねんって言われても……」と詰まると、さつきが呆れたような怒ったような表情で代わりに言い返す。

「そっちが急に飛び出して来たんやんか。隼人に文句つけんのは筋違いやわ!」

「はぁ?! 何やと?!」

 運転手の少年はますます喧嘩腰になって言い合いになり、そのうちワゴン車の他の乗員も降りてきて、真奈美達も荷台から心配そうに首を伸ばして見守る。

「ええ加減にせぇ! 自分がちゃんとできんかったことを人のせいにして八つ当たりすんな!」

 一向に自分を省みない少年との口論に嫌気が差してぴしりとさつきが叱った。―――次の瞬間。

「………オレの…せい…―――ちゃうわ!」

 少年の周りの空気がぶわりと膨らんだ。生温い黒い風が渦を巻いて少年を包み込む。その風は少年だけではなく、ワゴン車に乗っていた四人の少年少女をも取り囲む。隼人は本能的に後ずさ

った。呆然と隼人は少年達を―――いや、少年達だったものを見上げた。

(……なんや、これ)

 さほど大きく形が変わったわけではない。

 しかしまだらの暗青の肌、白目がなく黒一色の濁った眸、大きく尖った耳、鋭すぎる歯列が、彼らが明らかに人間ではないことを明示している。昔、こんなモンスターをゲームの画面で見たような。そう―――食肉鬼グールだ。そのうすら寒い色の手が、こちらに―――

「きゃああああッ!」

 金切り声と共に、風の槍がごうとグールをぶっ飛ばす。さつきが反射的に『風』を放ったのだ。ワゴン車共々mグールがブロック塀に激突する。濛々と土煙が舞い、その醜い姿が隠れる。

「隼人さん! 車出してください!」

 立ち尽くしていた隼人は、真奈美の声で我に返った。無我夢中で運転席に乗り込み、震える手でキーを押し込む。視界の端に土煙が晴れていくのが映る。早く、早く!

 ようやくエンジンがかかると、前だけを向いてアクセル全開で家に逃げ帰った。

(怖いっていうか、なんていうか…)

 言葉にするなら、おぞましい、が一番しっくりくる。ここがG.A.M.E.の中であることはわかっているが、身体感覚は現実とほぼ同じなだけに、自分で『現実ではない』と言い聞かせないと気持ち悪くてたまらない。人間がモンスターに変貌するのは、G.A.M.E.の中だけなのだ、と。

(…ほんま、一人やなくて良かった)

 あんな目に遭って、その上一人だったら、きっとおかしくなっていた。

 いや、そもそも一人なら隼人は生き残れなかった。『治癒』のアビリティーしか持たない隼人は誰かと一緒でなければ、間違いなくどこかで死んでいる。それは確信を持って言える。

 ―――誰かと一緒にいられることどれほど素晴らしいことか、身に染みて実感する。

「つかれたーっ! 腹減ったー!」

 物思いに耽っていた隼人は、バタン!と勝手口が開く音と元気な声ではっと我に返った。

「あーええ匂い! 今日何なん?」

「あっ、カボチャの煮物! 俺好きやねん。やったぁ、さすが隼人さん!」

 なだれ込むように入ってきたのは弘毅とさつきだ。たいがいいつも絡んでいる、やかましいほど賑やかな二人組である。続いて真奈美とラウルも戻ってきた。ラウルは何かを腕に抱えている。

「隼人さん、鶏小屋見たら玉子あったんで、取ってきました」

「あ、おおきに、ラウル。そこ置いといて。そんで、まず手洗いうがいや」

「はーい!」と弘毅がいい返事をして、さつきと連れ立って廊下に出る。ラウルも大事そうに腕に抱えていた玉子を三つ、流しの横に置くとさつきの後に続いた。

 南瓜の落し蓋を取って、コンロの後ろにあるテーブルに置いておいた深皿に移していると、真奈美が冷蔵庫から取り出した味噌を持って火の前に移動してきた。

「そろそろお味噌入れますか?」

「うん。頼むわ」

味噌汁は真奈美に任せ、隼人は南瓜の鍋を流しでさっと洗って干し、フライパンの蓋を開けた。湯気と共に豚と野菜のうまみが混ざり合った何ともいえない匂いが鼻をくすぐる。

味見に白葱を摘むと、いい塩梅に仕上がっていた。一つ頷いて強火にし、醤油をさして少々焦がしてから皿に盛る。仕上げに黒コショウを振れば完成だ。

「わーっ、うまそー!」

 戻ってきた弘毅が歓声を上げ、五人分が載った豚と野菜の蒸し焼きの大皿と南瓜の煮物の深皿をひょいと持って居間へ運んでいく。やるなぁ、と苦笑する。隼人もやってやれないことはないが、ああも軽々は持てない。何気に弘毅が一番力があるのだ。年上の男としては笑うしかない。

「あ、それは俺持ってくで」と真奈美が分け終えた味噌汁を持っていこうとしたのを制して、隼人は五つの碗が乗った盆を持って移動する。さすがにこれは余裕の重さだ。

 廊下を数歩歩いて玄関の向かいにある居間へ行くと、テーブルの上にはお箸や小皿、お茶が既に準備されていて、ちょうどラウルが電気釜から全員分のご飯をよそっているところだった。隼人が近づくとさつきが立って、盆の上から味噌汁を下ろして配っていく。

「隼人さん、今日どのくらいですか?」

「んー、一杯?」

「これくらい?」とラウルが茶碗にご飯を軽く山盛りする。隼人は頷いて「ありがと」と受け取り、盆を水屋に立てかけて席に着いた。さつきが号令をかける。

「じゃあ手を合わせてー。いっただきまーす!」

 いただきますと全員で唱和し、隼人はまず味噌汁をすすった。……真奈美の視線が痛い。

「うん、うまいで。ええ塩梅や」

「よかった」

 ほっとしたように真奈美が胸を押さえる。そんなに顔色うかがわなくても、別に俺の言うことくらい気にせんでええのにと内心思いながら、隼人はもう一口味噌汁をすする。 

 事の起こりは三日目の朝、真奈美が作った味噌汁に隼人は何も考えずに口をつけ、「辛っ」とうっかり呟いてしまった。真奈美は関東の出身なので味付けが濃かったのだ。

 真奈美は申し訳なさで消え入りそう、恥ずかしくて死んでしまいたいという青い顔になってしまい、さつきと弘毅の「隼人サイテー」という冷ややかな眼差しに射られてものすごく居心地の悪い思いをした。しかもそれ以来、真奈美は自分が作ったものを隼人が食べるときには、張り詰めた表情でじっと見つめてくるのだ。正直毎回感想を求められるのは面倒くさいが、そう言うと更に傷つきそうなので最初にやらかした手前、感想を述べるくらいの面倒は甘んじて受けている。

「うっまー! この炒め物、めっちゃうまい! あ、カボチャもサイコー!」

「うん、薄味やけどちゃんとうまいんよねぇ」

 弘毅とさつきが隼人の作った二品を実においしそうにぱくぱく口に運んでいく。ちょっと照れるが、作り手冥利に尽きるばかりだ。

「隼人さんがこんな料理うまいなんて、思ってもみなかったですけど」

 ラウルがうつむき加減に呟く。その口元が緩んでいるのを隼人は見逃さなかった。初めは内気で寡黙なのかと思っていたが、極度の人見知りだっただけで意外と喋る。そして毒舌まではいかないが、時々狙ったように痛いところにさくっと刺さる。

 だが料理や家事については今までに散々からかわれてきているので別にどうということはないが、ネタを振られたので隼人はわざと眉根を寄せた。

「失敬な。俺、こう見えてけっこう器用やねんぞ」

「あー確かにこう見えてよな。料理だけやなくて、洗濯とか掃除にも詳しくてほんま意外」

「見た感じ、結婚したら亭主関白になりそうな感じやのに」

「どういう意味や、それは」

「あんまり自分で動かなささそう」

「ナマケモノ的な」

「そうそれ! 木にぶらさがっっていっつも寝てそう!」

「で、エサはてきとーに身の回りにあるものでいいやー、みたいな!」

 さつき、弘毅が爆笑し、ラウルもこっそり吹き出す。年下三人にいいように遊ばれていることにこっそり溜め息を吐く。

(まあこういうキャラやしなー、俺)

 大学二年の隼人が十九歳、高校二年のさつきと真奈美が十七歳、中学三年の弘毅が十五歳で早生まれのラウルが十四歳。比べるまでもなく隼人が最年長だが、さつきは最初からタメ口だったし、弘毅とラウルも大分敬語が抜けてきている。まともに年上扱いしてくれるのは真奈美だけだが、かなり気の強い妹を持ち、中高大と部活でもサークルでもだいたい年下に懐かれて、というか舐められてきた隼人はもはや諦めの境地にいた。

(そもそも、俺に『年上らしさ』とか求められてもなぁ…)

意見くらいは持っているので必要なら発言するが、仕切ったり積極的に動くのは苦手なのだ。率先して事態をうまく捌いたり、チームを引っ張る能力やバイタリティは持ち合わせていない。だから確かに、『ナマケモノ』というラウルの喩えは当たっている。

隼人は自分が『王様の家来B役』であると思っている。偉い人の家来で、陰で真面目に働く人。たまに誰かにこっそりアドバイスする役。そのくらいの位置が一番性に合っているのだ。

 食卓を囲む面々をぐるりと見渡す。やはり中心にいるのは姉御肌のさつきと快活な弘毅で、シャイだがたまに毒舌なラウルがいて、困り顔も似合う美人の真奈美がいる。

(さつきは王様で、弘毅が大臣で、ラウルが衣装係かな。ほんでもって、お姫様は真奈美しかおらんよな、やっぱ)

 自分の想像にすこし笑うと、目ざとくそれを見つけたラウルが「隼人さん、何思い出したんですか?」とにやにや聞いてきた。思い出し笑いをするヤツはエロい、と中学校のときにやたらと友達と言い合った記憶がある。そして目の前の男子二人はまさにそういうお年頃だった。

「いや別に何も。そういえばアビリティーの訓練、今日はどうやったん?」

 ここは年の功でさらりと受け流して話題を変える。

 生活が落ち着いた四日目以降、隼人以外の四人はアビリティーの訓練を始めていた。

 フェイクに遭遇した日に外出して以降、幸いにも外に出る用事はなく、今のところアビリティーが必要な事態には陥っていない。しかしこれから使うことがないかと言えば、ほぼ間違いなく『NO』である。ゆえに今から準備しておく方がよい―――と全員の意見が一致したのだ。

 ちなみに隼人は『治癒』ゆえに怪我人が出た際しか訓練ができないので、掃除・洗濯・畑仕事・鶏の世話などの家事と、昼食と夕食の用意を引き受けていた。家事は全員でやる部分もあるので、それ以外。完全に『主夫』だが、隼人にできることはそれしかなかったりする。

 隼人の問いかけに、さつきが笑って答える。

「だいぶ思い通りに使えるようになってきたで。でもやっぱ細かいコントロールがむずいわ」

「さつきさん大雑把だからー」

「見た目器用そうやのになー。デキるお姉さん風やのになー」

「やかましい! ラウルかてあの動物なんなん? たぬきか猫かわからんかったで」

「俺のアビリティーは複雑なんやもん。さつきさんの不器用さと一緒にせんとって」

「ほんま失礼なやっちゃなー。あたしかて進歩したやんか。そよ風できたやん」

「え、ほんまに? だいぶ進歩したやん、さつき」

 隼人は驚いた。さつきが「まあね」と得意げに胸を反らすが、弘毅が落とした。

「でもさつきさん、直後にまた隣の家のリヤカー吹っ飛ばしてましたよ」

「あ…あれは事故やし! もー弘毅、ちょっとは黙っとり!」

 そういえば南瓜を煮始めたときに轟音がしたことを思い出して隼人が半眼になると、焦ったさつきが弘毅の頭をべしっと叩く。むっとした弘毅がさつきの肩に触れ、したり顔になった。

「『…なかなかうまくいかんくて焦る…』って今思ったのに?」

「弘毅! あんたこんなとこでアビリティー使うな! プライバシーの侵害や!」

さつきが真っ赤になってがなるが、弘毅はにやにや笑うばかりだ。

弘毅のアビリティーは説明書によると、『サイキック。物や人に触れて思考や記憶の残滓を読み取るサイコメトリー能力と、対象物に触れずに思いのままに動かせるサイコキネシス能力の二つの力を持つ超能力者』。今使ったのはサイコメトリーの方だ。

「確かに真奈美さん以外じゃ、弘毅が一番うまくなっとるよね。今日もさつきさんが吹っ飛ばしたリヤカー、きっちり元の位置に戻してたし。………うらやましい」

ラウルがぽつりとこぼした。場に気まずい空気が漂う。

彼は『絵の具象化。描いた絵を、当人の想像した通りに現実のものとして具象化できる』アビリティーだ。絵描きのラウルにはなんともぴったりな能力かと思いきや、いわゆる写実的な絵が苦手なラウルはなかなか思い通りの具象化ができずにいる。意外な盲点だ。

だがそんな贅沢な葛藤は、隼人を苛立たせた。

(………お前はまだええやんか)

 『風』、『炎』、『サイキック』、『絵の具象化』。全員何らかの形で攻撃能力を有している。だが隼人の『治癒』は文字通り人の怪我や病気を治すだけの力だ。

(…俺なんか、戦闘なったら、完全に足手まといやねんぞ)

 フェイクに遭遇した瞬間が甦る。―――何もできなかった。一人だったら死んでいた。

 隼人だけが戦う術を持たない。誰かに守ってもらわねばならない。それは、とても心苦しい。

 自分のものだったかもしれないアビリティーを持つ真奈美を責めてしまいそうになる。彼女の咎ではないというのに。―――譲ったのは自分だというのに。

「まあ、ラウルもこれからやん! 絵はすごい上手に描けてるんやしさ」

陽気にさつきが声をかける。ラウルもはにかむように笑って、「…うん。さつきさんよりは早く使いこなせると思うし」と返し、さつきがまた怒る。再び賑やかなやりとりが食卓の上を飛び交う。隼人は詰めていた息を吐き出した。

(……あーもう、アホちゃうか、俺)

 こういう沈黙をうまく破るのは年長の者の役目だというのに、さつきに気を遣わせてしまった。色々な意味合いの自己嫌悪が胸の中で沸き上がるが、考えても仕方がないので隼人はがしがしと頭をかいて切り替えることにした。そこでふと気付いて真奈美の方を見やる。

 喧々諤々、言葉だけ取れば罵り合いのような台詞が行き交う会話に真奈美は参加せず、どうしたものかと困り顔で成り行きを見つめている。アダムに初めて遭遇したときの真奈美への指摘が脳裏に蘇る。大阪のしゃべくりに馴染めていないのは確かだ。この程度のやりとりは悪口でも何でもなく、親しみゆえのごく日常のことなのだが。

ふいに真奈美が視線を滑らせた。ぱちりと目が合い、少々気まずい隼人はさつき達を一瞥し、意味ありげに苦笑をしてみせる。そこに込めた「まあ気にせんと楽にいこうや」という思いは伝わったらしく、真奈美は少しだけ目元を緩ませたが、まだ表情は硬い。

(…どうしたもんかね)

 隼人が首の後ろに手をやったそのとき、ブツンという電子音が空気を切った。



 突然の物音に全員が反射的に振り向く。居間の窓際、誰の手も届かない場所に据えられた旧式のテレビがザザザーッという砂嵐を映した。当然ながらG.A.M.E.の世界でテレビ放送などしていないので、食事時でもテレビは消したままだった。だがそのテレビが独りでに起動している。

 数秒か、十数秒か。さほど長くない間の後、再びブツリという低い電子音が響く。耳障りな砂嵐とノイズが止み、クリアな映像に切り替わった―――さつきが「げっ」と呻いた。

「やあキャラクター諸君、ナビゲーターのアダムだ。久しぶりだね」

 金髪美少年の、憎たらしいほど爽やかな笑顔がそこにあった。

「サバイバル六日目になるね。元気にやってるかな? もう音を上げ始めてるところもあるみたいだけど、生活の大変さ、少しは身に染みたかい?」

 弘毅が「偉そうにほざくなや」と唸る。大いに同意だが隼人は思わず辺りをうかがった。この非常識な世界の中でも殊更非常識な存在である彼は、たとえテレビ越しであってもこちらの発言を聞き咎める能力ぐらい持ち合わせていそうな気がしたのだ。初対面のときの電撃の衝撃は、そうそう忘れられるものではない。

しかし流石に聞こえていないのか無視したのか、アダムは「さて」と早速本題に入った。

「穏やかな時間の後には、何か事件が起こるのがテレビゲームのお約束だ。ということで、全チームに共通するミッションを一つ用意した。成功した暁には、玉を二つ、進呈しよう。―――君達は、『スフィンクス』を知っているかな?」

 聞き覚えはあったが即座に出てこなかった。と、真奈美が「エジプトの…」と呟く。そこで隼人も思い出した。ピラミッドの傍に鎮座する、人間の頭に獅子の体、鷲の翼を持つ王墓の番人だ。

「何人かは知っているようだね。スフィンクスはエジプトなどに伝わる怪物だ。ちなみにギリシャの伝説によれば、旅人に謎かけをして、解けなかった者を殺していたんだそうだ」

 隼人は半眼になった。真奈美とさつきも目配せを交わす。先が読めたのだ。

「…ふふっ、察しの良い子が多くて助かるよ」と、テレビにアップで映るアダムが満足げに目を細めた。平凡な容姿の隼人が苛立ちを覚えるほど整った顔だ。整いすぎて怖いほど。

「明日から、このG.A.M.E.の世界に一体のスフィンクスを放つ。彼女は君達の近くに行くと、居場所に関する暗号メールを送る。それを元にスフィンクスを探し出して、彼女が出す謎々を5問全て解き明かしたら、ミッションクリアだ。どうだい? 簡単だろう?」

 アダムはにこりと笑んだが、隼人達は誰一人笑えなかった。

 確かに、隠れている鬼を探してクイズに答えられれば賞品ゲットという構図だけ見れば簡単だ。だがそのためには外に出なければならないのだ。他のチームやフェイク、モンスターがいる外へ。しかもその謎とやらはどのくらいの難易度なのか。もし解けない問題が出たら?

「ああ、心配しなくても、回答者が答えられない謎々は出さないから安心して。頑張って考えれば全て解けるものばかりさ。解けない問いを出すのはフェアじゃないし、面白くない」

 こちらの考えを読んだかのような絶妙なタイミングで、画面の中のアダムが付け加える。G.A.M.E.とやらに問答無用で巻き込まれた時点でフェアじゃないだろうと隼人は内心ツッコんだが、似たようなことをさつきと弘毅がぼそぼそぼやいていたので、皆気持ちは同じらしい。

「ただ、一つだけ注意がある。スフィンクスは謎々が大好きなんだ。その謎々を一つも解けないお馬鹿さんには、制裁がある。―――謎かけに答えられない旅人は、食われるんだよ」

 食われる。スフィンクスに。それは、つまり。

「食べられちゃった場合は死ぬわけだから、当然、ゲームオーバーってことだね。まあ万が一、彼女から逃れることができたらただのミッション失敗。生き残ったわけだから、ゲームは続く。でもスフィンクスは、死後の王の居城を守る番人だ。それなりに強いってことは一応忠告しておこう。……まあ詳しいことは今から送る紙を見てね。それと」

 アダムの顔がゆるりと笑んだ。あの背筋が凍る笑顔。

「ちなみにこのスフィンクスのミッションの期間中、別の新たなミッションは発生しない。だからクリアしたければ挑戦した方がいいよ。というか―――いつまでも安穏と暮らしてるだけでクリアできると思ったら、大間違いだ。欲しい物は自分から取りに行かないと」

 ざくり。前触れもなく、真正面から切られた。一番目を逸らしていたところを。

「では諸君、健闘を祈ってるよ」

 バツンとテレビの電源が落ちる。同時にバサリと何かテレビの前に落ちた。―――重い沈黙も。

(……外に、出なあかんのか…)

 家の中にいる限り、危険からは離れたところにいられた。他のグループがどうしているかは知らないが隼人はこの安穏とした生活に満足していたし、できる限り続いてほしいと願っていた。

 アダムは他のチームの玉を奪ってもいいと言った。暗に「戦え」と煽った。だが隼人はそんなこと考えもしなかったし、他の四人も誰一人そうしようとは言い出さなかった。アビリティーの訓練とて、自在に操作できるようになって自衛するために行っているだけだ。

確かに早くこのG.A.M.E.の世界から抜け出したいが、さりとて他人を犠牲にしたり、安全を犠牲にしたりしてまで早くゲームクリアしたいかと問われれば、隼人は「否」と即答する。

早くなくていいから、『安全』で、『戦わず』、『楽に』、『頑張らなくて済む方法』で―――クリアできればいいと思っていた。

だが、本当に今のままでクリアできるのか―――その根本的な問題点を突きつけられた。

現在隼人達が持っている玉は三つ。スフィンクスのミッションを無事終えたとして得られる玉は二つ。そして一ヶ月生き抜いたとして更に一つ追加で、計六つ。ラストミッション挑戦権が得られる十個にはまだ四つも届かない。……先が全く見えていない状況を、ようやく自覚する。

このままではクリアできる予定が立たない。だが「どうすればクリアできるのか」を、隼人は真剣に考えたことはなかった。考えなくても、何とかなると思っていた。誰も何とかなんてしてくれないのに。何もどうにかなんてしてくれないのに。―――なんて甘ったれで傲慢な姿勢。

リスクを犯して自分の手で掴みにいかなければ、確実なチャンスは手に入らないのに。

(ほんと、アホやなぁ俺…)

 隼人は密やかに苦笑いをこぼした。自分が嫌になる。しかし今はそんなことで自責している場合ではない。隼人はぱっと切り替えて、一番テレビに近いラウルに声をかけた。

「ごめんラウル、それ取って」

「あ、はい」と立ち上がってアダムが寄越した紙を床から拾ったラウルは、なぜか何とも言い表し難い微妙に渋い表情になった。

「ラウル君? どうしたの?」

真奈美が尋ねるがラウルは答えず、無言でそれをテーブルの上に置いた。隼人は眩暈を覚えた。

「……………な、何やの、これ」

 さつきが声を詰まらせる。その眦がみるみるうちに釣り上がる。

「何なん、このふざけたタイトルは! 何なんこの無駄にキラッキラしくてかわいらしい丸文字は! 何なんこのちょいエロ風味のかわいらしい女の子のイラストは!」

「うん、確かにかわいいな、この女の子」

「…なんか十八禁ギャルゲのパッケージみたいな…」

「無意味にかわいすぎやろ! 完っ璧に完っ全にうちらバカにしとるやろ! どう見ても!」

 隼人としては十四歳であるはずのラウルの発言に大いにツッコみたかったが、今発言するとさつきの八つ当たりの矛先が向きそうだったので、心の中に留めた。そして改めて件の紙を見る。

 チラシのようなつるつるした紙が一枚、問題はそこに印刷されているものだ。猫耳に襟ぐりの開いたマイクロミニのメイド服を着た桃色の髪のツインテールの女の子が笑っているデジダル画と、『スフィンクスと謎々合戦☆ ~クリアしたらご褒美だにゃん~』という文字。

 女の子は隼人の趣味ではないが、確かにかわいい。が、こんなところにかわいさは全く以って必要ない。アダムは何を思ってこんなものを用意したか。敢えてこんなところで笑いを取りに来たのか、さつきの言うように嫌がらせの一環か。隼人には判断しかねた。

「ええっと……ちょっとめくるね」

 憤懣やる方ないさつきの横から、真奈美が手を伸ばした。紙を裏返す。現れた真っ白に黒い文字が連なっているそっけない説明文を、全員しばし無言で見つめた。

 やはり先程のメイドの絵は嫌がらせだ。やり場のない気持ちが胸の中でふつふつと沸いてくる。何とかそれを呑み下し、隼人は言った。

「…………まあ、とりあえず読もうか」

「……賛成」

 脱力した空気が漂う中、隼人達は黒い文字を目で追い始めた。


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