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G.A.M.E.  作者: 陵野絢香
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3・4


 万博記念競技場は、サッカーフィールドと陸上トラックを併設した二万人規模のスタジアムである。シャワー室やロッカールームなど競技の実施に必要なものだけではなく、会議室やギャラリー、レストラン、貴賓室、プレスルームなど様々な設備がある。その広い競技場内部にいる二人の男子中学生を救出することが、隼人達の『G.A.M.E.』における最初の『ミッション』だった。

「しかし、なんで競技場は壊さへんのやろうなぁ…」

 シートベルトをかけながら隼人が首を傾げると、助手席に移動した真奈美が曖昧に微笑んだ。

 通話で救出対象であるラウル少年と弘毅少年の状況を確認したところ、二人は気がついたときには競技場のフィールドにおり、飛来してきたドラゴンに遭遇してまさしく仰天したが、何とか競技場内部に逃げ込んだ。競技場の内部にいればなぜか襲われないが、ドラゴンは常に競技場のすぐ近くをうろちょろしており彼らの姿を発見すると問答無用で襲い掛かってくるため、ラウルと弘毅は混乱の局地の中スタジアム内に立てこもっているとのことだった。

 二人はまだアダムに会ってはいないらしく、ここが『G.A.M.E.』の世界だということを説明するとひどく驚いていたが、隼人達よりはすんなり納得した。既にドラゴンに接触しているので、納得せざるを得なかったのもあるだろうが、どうも年下四人に理解力と適応力で負けているような気がする隼人である。

ともかく一刻を争う状況ではないようなので、まずは隼人達も門の手前の、森の陰になっているところで車を一時停止させ、一応、準備を整えた。

(しかし、いきなりほんまにドラゴンとは…)

 件のドラゴンはサッカーフィールドほどの体長のとてつもなく大きさで、いわゆるドラゴンと聞いて連想する特徴は全て持ち合わせているらしい。隼人は心の中で溜め息をつく。準備といってもドラゴンに見つからない程度にアビリティーを試用し、出たとこ勝負同然の作戦を立てただけだ。不安すぎる。正直このまま車で走り去りたい。

何せ相手は巨大なドラゴンだ。対してこちらは初期能力値。恐ろしく無謀なことに挑もうとしているのは火を見るより明らかだ。不幸中の幸いというべきか、さつきと真奈美のアビリティーの基礎能力がそこそこ高かったのは救いだが、それもドラゴン相手にどこまで通じるのかは全く未知数だ。当然、用を済ませたらすたこら逃げる気は満々だが、果たして逃走すら可能なのか。

はぁ、ともう一度隼人が嘆息したとき、さつきが耳から携帯電話を外して身を乗り出した。

「ドラゴン、フィールドの上で寝始めたみたい」

窓の外ではちょうど陽が傾き始めてきたところだった。ドラゴンって鳥かハ虫類の仲間だよな、鳥目で昼行性だったりせんかなぁ…と現実逃避のように願っていると、「隼人? 早よ行こうや」さつきが不思議そうに声をかけてくる。

 愛嬌のある柴犬っぽい顔は、何が待ち受けているのかわかっていないような能天気な表情が浮かんでいる。隼人は三度溜め息を吐いた。人命がかかっているのだ。逃げるわけにもいかない。

「……了解」

 覚悟を決めてイグニッションキーを回す。起動した車で、競技場隣接の大阪モノレール『公園東口』駅の陰からスタジアム横の駐車場に、ゆっくりとバックで進入を開始した。

 隼人達の立てた作戦はごく単純。フィールドからだとメインスタンドの影になって直接は見えない駐車場に車を入れ、こっそり競技場から出てきた少年二人を回収、のち速やかに現場を離脱。つまりは隙をついて抜け出した少年二人を奪取して、すたこらさっさとトンズラする。

ただしドラゴンの背丈はメインスタンドを軽く凌ぐため、奴が起きていると見つかる。ドラゴンが休息しているときに気付かれないよう、こっそり行動することが肝要だった。

だが静かにと言っても車なので、細心の注意を払っても多少の物音はする。ドラゴンの耳があまりよくないことを隼人は切に祈った。

「うんそう、うちらが『今や』言うたら、飛び出してきてな。ドア開けて待ってるさかい」

『………はい、わかりました』

「怖いやろうけど、がんばって。うちらもがんばるから。もうすぐやから」

 後部座席ではさつきがハンズフリー通話中の携帯電話に向かって励ますように話かけている。隣の真奈美は張り詰めた顔で、競技場をじっと見つめている。緊張で手のひらに汗が滲む。ハンドル滑んなよ、と隼人が一瞬だけそちらに気を取られた、そのときだった。

「ゲキャギャキャギャ!」と形容しがたい耳障りな声と共に、何かが車の影から飛び出してきた。急ブレーキを踏む。夕暮れの空に思いのほか音が響いた。

(しもた!)

 唇を噛んだが後の祭りだった。突然現れたのは、真っ黒でがりがりの手足をした小人だった。いわゆる―――ゴブリン。ドラゴンに気を取られすぎて、他に何か出るかもしれないということを失念していた。

 ゴブリンは短い矛のようなものを掲げて、気味の悪い笑みを浮かべた。―――狙われている。危機を感じた刹那、ばっと体が動いた。さつきの携帯をむしり取って怒鳴る。

「さつきアレ吹っ飛ばせ!」

 固まっていたさつきが弾かれたようにドアから転がり出た。にたにた嗤うゴブリンに向かって両手を突き出して叫ぶ。

「どっか行け――っ!!」

 風の塊がゴブリンを直撃した。衝撃波に小さな体は為す術なく遠くへ飛んで行く。初期能力にしては大した威力だった。火事場の馬鹿力も大いに入っているだろうが。…しかし、本当にやばいのはそれではない。

『あの、何かあったんですか?』

 電話の向こうの少年の問いかけに答えず、まだ百メートルほど離れている競技場を見る。むくり、と黒いものが起き上がった。

 ドラゴンの頭だった。鱗に覆われた肌はてらてらと黒光りし、銀の鬣が風もないのにたなびく。人間の一人や二人、丸呑みできそうな大きさの顎はしっかりと閉じられていたがしかし、二本の長い牙がのぞいている。ルビーのような燃え上がる真紅の眼が、探るように辺りを見回した。まずい! 隼人は電話に向かって指示を飛ばした。

「今や! 走ってこい!」

『え…もう?』

「ドラゴンが起きた! 早よせぇ!」

『え?!』という慌てた声と物音が受話器の向こうから漏れてくる。リアウインドウ越しに、血のような眼と視線がかち合った。見つかった。我知らず体が硬直する。

 ドラゴンが雄叫びを上げた。鼓膜だけでなく車のガラスがびりびりと振動する。一瞬体が硬直した。怖いと、本気で思った。だがここで逃げるわけにはいかなかった。

「早よ出てこい! 捕まるぞ!」

焦れた隼人がもう一喝するのと同時に、二人の制服姿の男の子が競技場の中央の出入り口からまろぶように走り出てくる。

「こっち!」と真奈美が助手席のドアを開けて、身を乗り出して手を振る。

ドラゴンは翼を二、三度軽く振ってばさりと大きく羽ばたいた。スタンドよりも背の高いその巨体が、ふわりと浮き上がる。しかしそこでドラゴンは、走っている二人の姿も発見し、どちらを狙うべきか躊躇するように空中で一時停止した。

「さつき! 真奈美!」

「わかっとる!」と隼人の叫びにさつきが応えるのと、真奈美が車を飛び出したのはほぼ同時だった。男の子達はまだあと五十メートルほど離れている。ほんの僅かでいい、時間が必要だった。

 車の横に立ったさつきが両手を合わせ、「手加減―――」と呟きながら右脇に引く。某超人マンガの某超有名な衝撃波を打つ予備動作のように。

「なしやぁ―――ッ!」

 怒号と共に両手を突き出すと、風の塊がまっすぐにドラゴン目掛けて突進した。もろに突風の直撃を受けたドラゴンがぐらりと傾く。

「―――はぁっ!」

 続けて両手を組んだ真奈美が気合と共に力を込める。転瞬、ドラゴンの顔が火焔に包まれた。たまらずドラゴンが暴れながら落下し、スタンドの向こうに落ちる。その光景に必死で走っていたラウルと弘毅があんぐりと口を開けて立ち止まる。

「アホ、早よぉ来ぃ!」

 さつきが声を張り上げる。二人ははっと我に返り、車までの二十メートルを駆け抜けた。後ろにさつきと少年二人、助手席に真奈美が体を滑り込ませる。さつきと真奈美がドアを閉めた。

「―――ッ!」

 空気を震わせる咆哮に、全員がびくりと身を竦ませる。隼人はバックミラーを見た。

風と炎の攻撃にもドラゴンはさほどのダメージは受けていないようだ。しかし、体勢を立て直したその眼は明らかに怒りに燃え、標的の乗る鉄の塊にぴたりと照準を合わせた。やばい、と本能で認識して体が反射的にアクセルを踏み込む。

「―――ッ!」

 轟音と共にドラゴンが炎を吐いた。一瞬前まで車があったところがどろどろに溶けて煙を上げる。真奈美の炎の比ではない。まるで溶岩だ。

車は急発進した勢いそのままに門から飛び出し、強引に左に曲がった。重力で乗員が右に押し付けられる。ゴンと頭を打つ痛そうな音が響く。左端の男の子がガラスにぶつかったらしい。しかし隼人の耳には入らない。アクセルを踏み込みながら、冷や汗が止まらない。

 バックミラーには、追ってくるドラゴンの全身がはっきりと映っている。予想よりもドラゴンの飛行スピードが速い。時速八十キロは出しているのに、離せない。

今走っているのは万博外周と呼ばれる、競技場を含む広大な万博記念公園をぐるりと一周する四車線一方通行の道路だ。幅が広く障害物がないのでこちらも走りやすいが、ドラゴンも飛びやすいのだ。

友達に走り屋がいて、たまに六甲の山道なんかで遊ぶのに付き合っていため、るドライビングテクニックには多少自信はあった。が、なにせ相手は未知の怪物である。逃げ切れる自信は正直なかった。冷や汗が掌にも浮かび、ハンドルが滑りそうになる。

(…でも、やるしかない)

 今日何度目かの、しかし一番切実な決意を心の中で呪文のように唱える。自分の肩に今、四人の命がかかっている。あと自分の命も。やるしかない。

 蝙蝠のような翼をばさりばさりと羽ばたかせながら、ドラゴの巨体はつかず離れず、低空飛行しながら隼人達を追ってくる。時折炎を吐くので、隼人はその度に必死でハンドルを切って避ける。だがこのままでは埒が明かない。

(どうしよう…どうしたらええ?!)

 万博外周を半周ほど走り抜けたとき、脇道の一つが隼人の視界の先に映った。森を切り開いた道ゆえに両脇に高い木々がそびえ立つその一方通行の坂を下っていくと、隼人の通っていた高校の方へ出る。高校まで母に送ってもらうときによく通った道だった。

 ドラゴンの巨体はこの細い道には不適―――直感的にその下り坂に突っ込んだ。

「―――ッ!」

 案の定、ドラゴンはいら立ったように吼え、木々を避けられる高さまで舞い上がった。その時間の分、隼人達とは距離ができる。しかし、振り切るまでには至らない。

「きゃっ!」「わわっ!」と乗員を振り回しながら、左の急カーブを何とか曲がって再びアクセルを踏み込み、バックミラーを確認する。ドラゴンは曲がりきれずにかなりコースを外れて、体勢を立て直そうとしているところだった。

 これや! ―――隼人は閃いた。このまままっすぐ行けば、八階建ての駅ビルがある。うまくいくかはわらかないが、やってみるしかない。

 再び四車線になった道路を走り抜けながら、私鉄の線路の高架をくぐる。緩やかな左カーブをアクセル全開で突っ走る。数秒遅れてドラゴンが高架の上を通り過ぎた。高架になったモノレールの駅と線路の向こうに大きな駅ビルの建物が見えた。その手前に大きな交差点がある。

(いける!)

 隼人は左端の車線に移動し、少しだけスピードを落とした。ドラゴンの爛々と燃えたぎる眼が隼人達をひたと見据え、猛然と追飛する。

「ちょっと隼人?!」

 近づいてくるドラゴンに気付き、さつきが非難するように声を上げた。だが隼人にそれに応える余裕はない。引き付けなければ、この賭けは意味を為さない。ドラゴンが背後五十メートルほどまで近づいたとき、隼人の運転する小さな丸っこい乗用車は件の交差点に入ろうとしていた。

「曲がるで!」

 一言叫ぶなり、隼人はハンドルを右に切ると同時にハンドブレーキを思いっきり引き上げた。右折して横滑りしながら、車が急停止する。

 ガン! ゴン! 「きゃあぁっ!」「でーっ!」と非常に痛そうな音と声が車内のそこかしこで起こる。その車のすぐ後ろを、黒い影が通り過ぎる。隼人はばっと後ろを振り返る。そしてその瞬間を目の当たりにした。

スピードを上げて車を追ってきたドラゴンは、右折して急停止した車を追おうとした。だがしかし、その巨体にかかる遠心力が彼を投げ飛ばした。コントロールを失った黒い肢体は八階建て頑丈な鉄筋コンクリートの駅ビルに突っ込んでいく。その小さな赤い眼が見開かれる。

 轟音。衝撃。地鳴り―――思わず身をすくめ、恐る恐るビルの方をうかがう。

ゆっくりと、ビルから黒いドランゴの体がはがれ落ちる。大地が揺れる。濛々と土ぼこりが舞い上がり、コンクリートの塊ががらがらと崩れ落ちる。……そうして静寂が訪れたとき、黒いドラゴンは力なく地に倒れ伏し、完全に気絶していた。隼人は肺が空になるくらい息を吐き出た。

(……何とか…なった……)

 緊張が解けてどっと汗が噴き出し、隼人はハンドルの上に突っ伏した。正直もう一生分のスリルと恐怖を味わった。これ以上はもういらない。さつきや男の子達も呆然と、伸びているドラゴンを穴が開くほど見つめている。隼人も自分がしたことが信じられなかった。

(これが火事場の馬鹿力ってやつか……?)

 安心してしまうともう気力も体力も使い果たしたという疲労感が、ずっしりと体全体に圧し掛かってきた。何も考えず、体と心の望むまま、このまま眠ってしまいたい。

 隼人が夢の世界へ片足を突っ込んだとき、真奈美が遠慮がちに声をかけてきた。

「…あの、今のうちに早く逃げないと…」

 ドラゴンは伸びただけであり、そのドラゴンから後部座席の男の子二人を救出することがミッションである。今のうちに逃げ切らなければ、救出が成功したとはいえない。

 至極冷静かつ適切なその発言に従う以外の選択肢は、存在しなかった。

「…了解」

 なんとか気力を奮い起こし、隼人はもう一度イグニッションキーを親指で押し込んだ。



 からくもドラゴンから逃げ延びた隼人達一行は、とりあえず中国自動車道沿いに走る国道二号線を西に向かっていた。しかし恐ろしい危機を脱したという安堵感から五人ともほとんど虚脱状態で、特に男の子二人は後部座席に完全に体を預け、心ここにあらずだった。

運転している隼人もとりあえず事故車をよけるだけはしていたが、どこかへ向かっているという意識はまったくない。しかし―――本当に、これからどうすればよいのだろうか。

 ちょうどその疑問を見計らったようなタイミングで、助手席から女性歌手の着うたが流れ出した。真奈美の携帯のメール着信音だ。差出人の予想はついた。

 携帯を取り出す真奈美に「アダムから?」と問いかける。

「そうです。ええと…『ミッションクリアおめでとう。次のミッションの説明はS市市民体育館で説明するので、来てください。あと、一時的にモンスターの活動は全て停止させたから、安心して移動してください』…以上です」

 隼人以下全員が沈黙した。さつきの声が地を這った。

「………………ちょっと、モンスターの活動停止とかできんの…?」

「………この文面からすると、たぶん」

「ってことはさっきのドラゴンは何やねん! うちら今死にかかったんやで?! できるんなら始めっからしときぃや!」

 さつきががなりたてる。うるさいが主張には大いに同意するがしかし、相手はあのアダムである。愚痴を垂れ流していても仕方がない。真奈美が「……ええと…、とにかく、S市市民体育館ですよね。場所わかります?」と話題を切り替えた。

「いや、全然わからんわ。カーナビに目的地入れてくれん?」

「わかりました。……………、えーっと…?」

 備え付きのカーナビをのぞき込み、真奈美は戸惑うように首を傾げた。それを見て後部座席の二人の男の子のうち、髪の短い方が真奈美の肩を叩いた。

「俺やりますよ。これ、うちのと一緒やから」

「あ、ほんとに? ありがとう。私、こういうの弱くて…」

 照れたように笑う真奈美を見て、後ろの男子二人の顔にぽっと生気が戻る。美人の微笑みが男には絶好の気付け薬だといういい見本だ。

 短髪の少年は後ろから身を乗り出してタッチパネルに触れ、いくつか操作して目的地を設定してくれた。表示を見る限り、道さえ間違えなければ、そして事故車に邪魔されなければ、さほどかからずに着けそうだ。

 隼人はお礼を言おうとして、そういえばまだちゃんと自己紹介していないことに気付いた。

「ありがと。そんで、キミがコウキくん? 電話してた方ちゃうよな?」

「はい、そうです。俺が楢崎弘毅で、電話してたんはこっちの斉藤羅宇流です。助けてくださってありがとうございました」

 はきはきと弘毅が答え、にっかと笑って礼を言った。黒髪短髪、いささか眉が太いが、鼻が高く整った顔つきに、中学生にしては背が高く筋肉質に引きしまった体つきをしている。爽やかスポーツ少年という言葉がよく似合う。

 その弘毅の紹介でぺこりと無言で頭を下げた斉藤羅宇流は、弘毅と同じく黒髪だが猫っ毛で、襟足と瞼が隠れる長さだ。下がり気味の目と眉、薄い唇が気弱そうで、内気な文化系少年という印象だ。しかし日焼けしているところを見ると、彼もスポーツをやっているのだろうか。

「二人ともいくつ? 制服同じってことは、学校一緒なんかな?」

「今中三で、クラスも一緒です」

 弘毅が告げた学校はI市の公立中学で、市の中心部にある学校だった。さつきがラウルに向かって「珍しい名前やね? もしかしてハーフとか?」と興味津々に質問する。しかし途端にラウルの表情に陰が差し、「あ…いえ、俺、日本人です。親が、その……珍しい名前、つけたかったらしくて」としどろもどろに答えた。あまり触れてほしくないところらしい。

 察したさつきが「二人ともええ感じに焼けとるけど、スポーツしとるん?」と強引に話題を転換する。弘毅は水泳、ラウルはサッカーと答える。と、さつきがまたもやラウルに食いついた。さつきもサッカーが好きらしい。観る専門らしいが。

(…しかし、ほんまにこれからどうなんねやろ…?)

そんな話を聞き流しながら、隼人は先行きの見えない不安がじわじわと押し寄せて来るのを感じ、それを振り払うようにハンドルを右に切る。

 しばらくカーナビの指示に従いつつ事故車を避けながら運転していくと、住宅地の中から目的地のS市市民体育館が見えて来た。

 近づいてまず驚く。停まっている車の数が半端ではない。アダムのメールからさほど時間は経っていないのに駐車場が全て埋まっているだけでなく、周囲には路上駐車の車が溢れていた。

 不安に苛まれながら体育館の正面入口をくぐり、『土足のままどうぞ Adam』の指示に従って、カーテンで目隠しされたガラスの重い扉を開く。隼人は目を瞠った。

見渡す限り―――人、人、人。

バスケットコート二面分の体育館を、人が埋め尽くしている。

隼人は高校の学年集会を思い出した。一クラス四十人の八組が体育館に集まるとこれくらいの規模だったはずだ。そして集った者全てが、中・高・大、いずれかの学生のようだった。床に座っているじろりとこちらを眺める面々の中には制服姿がかなり混じっているし、隼人より年上に見える人間は見たところほとんどいない。

(……こ、これ全部G.A.M.E.の参加者…?!)

圧倒されていると、笑みを含んだ声がスピーカーから響いてきた。

「やあ、最後のキャラクター達が到着したようだね」

 舞台には見覚えのある姿があった。アダムだ。さつきがあからさまに顔をしかめる。

 しかしアダムは気にしたふうもなく「ちょうど今、君達が知っているところまでの説明が終ったところだよ。さあ入って」とにこやかに隼人達を促し、集まる視線に居心地の悪さを感じながら、最後尾に腰を下ろした。

こほんという咳払いに、自然と視線が舞台へ集まる。アダムは嬉しそうに両手を広げた。

「改めて、ようこそ『G.A.M.E.』へ! キャラクター諸君、歓迎するよ。……さて、北地区のキャラクターが全て揃ったところで、ミッションの説明を始めようか。何回も説明するのは面倒だから、ちゃんと聞いてね。今から君達に与えるミッションは…」

 芝居がかった仕草で間を空ける。ごくり、と誰かが唾をのむ音が聞こえた。隼人も我知らず息を詰める。アダムの唇が弧を描く。

「―――五人一組で、一ヶ月間、自給自足で暮らしてもらうことだ」

 自給自足。一ヶ月間。僅かの間の後、ざわめきが広がってゆく。隼人は正直拍子抜けした。

 先ほどドラゴンと対峙したばかりだったので、思いもよらぬ地味で地に足のついたミッションの内容は少々信じがたかった。さつき達に目配せすると、同じように「マジで?」と疑う眼差しが返ってくる。周りでも「そんな簡単なことでいいのかよ」「ミッションっていうから、もっと冒険とかなのかと思ったのに」等々、不満ともとれる声が漏れ聞こえてくる。

「キャラクター諸君、―――舐めるなよ」

アダムが凄絶に微笑んだ。ぞわり、隼人の全身の毛が逆立つ。

 こわいと、ただ恐ろしいと、感情よりも先に本能が恐怖する。

「お前達は日々生きることの難しさを知らないから、簡単なことのように思うだけだ。たとえば食べ物はどうだ? 食材はスーパーに売ってる? どこかに食べに行けばいい? コンビニがある? 残念だけど、『ここ』にはお前達しかいない。誰もお前達に何かを与えてなんかくれやしない。お前達が自分で何とかしない限りね。それに、もう忘れたのかな? ―――このG.A.M.E.の世界には、モンスターが平然と棲息してるってことを」

 はっと何人かが息をのんだ。水を打ったように静まり返る一堂に向かって、アダムはにこりと笑った。

「これはサバイバルだよ。ジャングルに放り出されたと思えばいい。僕は君達に何も与えない。食料・衣類・燃料・武器……必要なものは全て自分と他の4人の知恵と知識と能力をフル活用して手に入れて、何とか一ヶ月切り抜けてくれたまえ。何人残るか―――楽しみだね」

 体育館を埋め尽くした子ども達の顔色が蒼白になっていく。体育館に不気味な沈黙が落ちる。アダムは舞台の上でコツコツと靴音を響かせながら述べたのは、以下のことだった。

*どこで暮らすかはキャラクター達の自由。

*一組につき三度だけ、セーフティーエリアの設定が許される。セーフティーエリアとは、モンスターの進入を阻止する不可視の壁に囲まれたエリア、つまりモンスターに襲われることを防ぐことのできる場所である。

*セーフティーエリアは、各組のキャラクターの三等親以内の血縁(祖父母・おじおばまで)の居住地、所有地にのみ設定できる。また、再設定した際、以前のエリアの設定は解除される(つまりセーフティーエリアでなくなる)。

*モンスターは現実世界で人口が多い地域に多数棲息している。ただしこれは数の話であり、強さとは全く関係がない。また、どこにどんなモンスターがいるかは、当然開示しない。

*電気・ガス・水道、そしてガソリンスタンドは現実世界の通り使える。ただし一度壊れてしまったものは、自分で修理できない限り使用できなくなる。

*携帯電話やパソコン、インターネットも同じく使える。(ちなみにこれらライフライン確保の措置は、現代人たるキャラクター達に本当のサバイバルをさせても生き残れないと主催者側が判断したからである)

*コンビニ、スーパー等からの食料の持ち去り、他のチームから強奪は自由。

*『G.A.M.E.』の中の犯罪は、現実での犯罪にはならない。

(…なんか、最後のって…)

 法が適応されない。何をしようが誰にも罰せられない。行動を制限するものが大幅に欠ける中で子ども達が何をするか―――それを試して観察したいのか、『主催者』とやらは。苦いものをが胸にせり上がる。誤魔化すために、ごくりと唾を飲み込む。

「……さて」とここまで流れるように話していたアダムは、ふうと息を吐いて、じっと自分に見入るキャラクター達に向き直った。そして後ろ手を組み、目を細める。

「君達は気付いていたかな? 僕が、『いくつミッションをクリアすれば、ラストミッションへの挑戦権が手に入るのか』を告げていないことを」

 さつきがあっと声を漏らした。隼人もずっと気になっていた。期待と不安の入り混じった視線が舞台上に集まる。

「そこで登場するのが、これだ」

 アダムがぱちんと指を鳴らした。体育館の天井がぼわりと明るくなる―――数百の小さな光が星のように瞬いている。体育館がどよめく。

もう一度アダムが指を鳴らす。光がいっせいに、ふよふよと落下してきた。

 唖然とその光景を眺めていた隼人は、光の一つが、自分の方へ向かってくることに気付いた。光は音もなく、羽が落ちるような速度で隼人の胸の前まで落ちてくると、ふわりと浮かび上がった。さつきと弘毅の前にも、一つずつ浮かんでいる。

近くで見ると―――それは小さな玉だった。光ってさえいなければ、五百円玉大の小さなガラス球のように見える。透明で、淡い金色の光はやさしく明滅を繰り返している。

柔らかい光に惹かれ、隼人は我知らず手を伸ばしていた。玉は静かにその掌に落ちる。手の中に落ちると光は小さくなったが、消えはしなかった。

「この玉はチームに一つ、最初に無条件で与えられる。それから、ミッションをクリアすると、難易度に応じて最大三つまで、この玉を手に入れることができる。そうそう、さっき言った一ヶ月サバイバルのミッション中にも、いくつか他のミッションを与えることもあるよ。ミッションはランダムに割り当てられるから、どれくらい貰えるかは運次第だけど」

 玉を手の中で遊ばせながら、アダムは一堂をぐるりと見渡した。全員の注目が集まっていることを確かめ、アダムは微笑む。

「そしてこの玉を十個集めると、ラストミッションへの挑戦権が手に入る。ちなみに、どうやって十個集めるか、手段は問わない。……ということは、だ」

 ここでアダムは言葉を切った。何かを期待するような顔で。隼人は眉根を寄せ、すぐにはっと気付いた。アダムの唇が、三日月を形作る。全身が総毛立つ。

「つまり―――他のチームの玉を奪えば、さっさとゲームクリアに近づけるってわけだ」

ざっと血の気の下がる音を聞いた。それは、つまり。

「さっきも言ったけど、うっかり誰かを殺しちゃった場合も、現実世界じゃないから殺人罪にはならないよ。まあ、殺されちゃった方は即ゲームオーバーだけどね。あと、G.A.M.E.は一応、これから分ける五人で一つのチームとして動いてもらうのが基本だけど、もしチームメンバーが死んじゃって欠けたとしても、自分が生き残っていれば君のゲームは続く。最終的に僕のところに十個の玉を差し出せば、ラストミッションのチャンスは平等に与えるよ。持ってきたのが五人でも………一人でもね」

不穏なざわめきが沸き起こる。隼人は寒気に無意識に腕を抱いた。鳥肌が立っている。

早くクリアしたくば、玉を奪い合えと暗に言っているのだ。

何をしてもいい。誰を犠牲にしてもいい。自分さえ生き残り、玉を集めれば、G.A.M.E.クリアの―――現実へ戻れるその機会が、与えられる。

「まあ一応忠告しておくけど、ラストミッションはそんなに簡単なものじゃないよ。地道に鍛えたアビリティーの能力がないとクリアできないかもしれないし、物理的に一人では不可能なものかもしれない。まあランダムだから、すごく簡単なのが当たる可能性もなきにしも非ずだけどね。………それと、もう一つ」

 動揺する子ども達が、再びアダムを注視する。アダムは厳かに告げた。

「実は―――ここにいる人間の全員が、キャラクターじゃあ、ない」

「ええっ?!」

 さつきが素っ頓狂な声を上げた。隼人もぽかんと口を開けた。周りも似たり寄ったりの反応だ。全員がキャラクター、つまり現実にい存在する人間では―――ない?

「これだけの数をG.A.M.E.に取り込む設備はいくら政府と言えど、造れなくてね。だからかなりの割合で、僕達がプログラムした偽のキャラクターが―――『フェイク』がいるってわけだ」

 偽物の人間、その名も『偽物フェイク』。わかりやすいネーミングだった。

「フェイクは君達となんら変わらない行動をするし、話もするし、玉も持ってる。夜にちょっと本性が見え隠れしたり、仲間割れで化けの皮が剥がれる場合もあるけど、ほとんど見分けはつかない。が、フェイクは人間のふりをしたモンスターだ。スイッチが入るとモンスター化して君達を襲う。そのスイッチは君達の襲撃かもしれないし、君達の些細な一言かもしれない。フェイクの個性は多種多様だから、スイッチも各個違う。強さもまちまちで、中には裏ボス級もいるから。手当たり次第襲撃すると痛い目に遭うかもね」

 三度しんと静まり返った一堂を、隼人は目だけで見渡した。全員まっとうな、ごく普通の人間に見える。全く見分けがつかない。隼人は眩暈を覚えて、手のひらで顔を覆った。

 そしてふと、恐ろしいことに気がついた。

(………もしかして、さつきや真奈美達も…?)

 まさか。いや、そんなはずはない。だが見分けられないなら―――有り得ない話では、ない。

「……ただし一つだけ、確実に本物の人間と偽物のフェイクを見分ける方法がある」

 ぱちんと、アダムが指を弾いた。途端、首元がぽうと光る。驚いているうちに首に何かが引っかかる感触を覚え、ふいと光は消えた。現れたのは―――ドッグタグだ。胸辺りまでのチェーンに楕円形の銀色のドッグタグが提がっている。その表面には何か彫ってある。

「これはグループ分けのドックタグだ。一行目の英単語はチーム名、適当に選んだ単語だから意味はないよ。その下に書かれた五人が、君のチームメイトだ」

摘んで見ると、隼人のものにはこう書いてあった。

[〝indissoluble〝 Hayato Tanaka / Manami Takahashi / Satsuki Kuroki / Kohki Narazaki / Raul Saito]

 各々のドッグタグに見入る子ども達にアダムが語りかける。

「もし君が本物の人間なら、君のグループにいるのは全員本物の人間だ。つまり本物の人間がいるグループには、本物の人間しかいないし、偽者フェイクがいるグループには偽者しかいない。わかったかな?」

 隼人はドッグタグに共に名前が記された、さつき、真奈美、弘毅、ラウルと、順繰りに一人ひとりの顔を見つめた。先ほどのアダムの言葉を信じるなら、彼らは全員、本物の人間ということだ。4人とも強張った顔で、しかしどこか安心したようにお互いを見つめ合う。

 しかし隼人の胸にぼんやりと凝るものが残る。

(……俺、実はフェイクでしたー……とか、ない、よ、な…?)

 なぜか隼人は猛烈な不安に襲われた。自分は確かに、アダムの言う『本物の人間』のはずなのに、確信を持てない。……なぜだろう。とてつもなく、不安だ。

(……いやいや、俺は確かに田中隼人として生きてきたし、記憶あるし……人間のはず! ってか人間や! 俺は人間! 田中隼人は人間! 間違いない!)

 ぐっと拳を握り締めながら言い聞かせるように心の中で高らかに宣言し、それから隼人はゆっくりと深呼吸した。ちゃんと体が生きているのがわかる。と同時に、今まで忘れていた疲労感がどっと押し寄せてきた。

体育館の入口の上に備え付けられた時計を見ると、もうすぐ八時になろうという時刻だった。

確かこのわけのわからないG.A.M.E.とやらに巻き込まれたと気付いたのが、三時頃。一日どころか一週間くらい不眠不休で働いた後のような疲労感を覚えていたが、実はまだ五時間ほどしか経過していないらしい。隼人は信じられなかった。

アダムがまだ細々とした説明を続けていたが、一度疲れを自覚してしまうと再度集中することは難しかった。隣の真奈美が真面目に聞いてそうだったので、悪いと感じつつも隼人は聞くことを放棄した。限界だった。引きずられるように眠りに落ちる。

 説明が終るときも間違いなく寝ていた隼人の脳裏にはしかし、アダムの締めの台詞だけが、なぜかはっきりと刻みこまれた。

「じゃあキャラクター諸君、健闘を祈ってるよ」

 興味深いモルモットを観察する科学者のように、アダムはわらっていた。嗤っていた。


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