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 「雪だ…。」

近所のドッグランで特訓をしていたユウタとミツルは、空を見上げた。灰色の空に白い雪がポツポツと現れ、落ちてくる。おでこに雪の粒が落ち、ユウタは反射的に目を閉じた。

「冷た…。」

「帰ろうぜ。」

ミツルは、テキパキと帰り支度をしながら、空を見上げて動かないユウタに声をかけた。

「始めたばっかりなのに。」

不満そうにムーの頭を撫でるユウタ。曇りのち雨と予想されたこの日、ドッグランにはユウタ達だけだった。

「せっかく、貸切状態だったのにね。」

ムーに話しかけながらリードをつけ、ユウタは誰もいないドッグランを未練がましく見渡した。

「今日は休めって事だよ。腹減った。メシ食って帰ろうぜ。」

ミツルはすでに、ドッグランの出入口を開けて、ユウタを待っている。ユウタは「ちぇっ」と呟き、ムーと歩き出す。

「もうすぐ大会なのに。」

「まだ間に合うって。それより、お前の具合が悪くなったら、元も子も無いだろ。お前、最近、夜も寝るの遅いし。」

「うん。小説、書き直してるんだ。」

「へえ…。」

ユウタが、どうしても書き上げたい小説…。絶対に書き上げてもらいたい。でも、無理をすれば体に負担がかかる…。ミツルの胸で思いが交差する。

「寒くなっちゃったね…。」

出入口でユウタが立ち止まり、コートの襟を合わせ空を見上げた。空を眺めるユウタの横顔はまっ白で、大粒になった雪が降ってくる空に溶け込んで消えてしまいそうだ。

「ほら、行くぞ。」

ミツルは、しっかりとユウタの腕を掴んで、自分の方へ引っ張った。

 ドッグランに併設されたドッグカフェで、二人は遅めの昼食をとった。ランチには遅い時間で、客はミツルとユウタだけだった。二人は、窓際の席に通された。ミツルがメニューをテーブルに広げ、二人で覗き込む。

「俺、ペペロンチーノ。あとは…ピザ食うか?」

「うん。」

「じゃ、マルゲリータな。お前は?」

「どうしよっかな…。」

「クラムチャウダーあるぞ。」

「あ、それがいい。」

「飲み物は?ホットミルクか?」

「うん。」

「俺はどうすっかな…。アイスコーヒーかな。よし!決まり!」

オーダーをすませると、ユウタがフフッと笑った。

「どした?」

「ほとんど、本田くんが決めちゃったね。」

「え…なんか違うもんがよかったか?」

心配そうなミツルに、ユウタは首を振った。

「ううん。なんか、わかっちゃってるなぁ…って。」

「は…。」

ミツルが、困惑気味に顎を撫でる。

「そりゃあ、こんだけ一緒にメシ食ってりゃあ、嫌でもわかるようになんだろ。」

「そうかな?」

「そうだよ。」

「だよね。だって、僕もペペロンチーノとマルゲリータって思ったもん。」

ミツルがゆっくりと椅子の背にもたれ、恥ずかしそうに咳ばらいをした。ユウタは、ニコニコとそんなミツルを見つめる。

「なんか、気持ちわりぃな…。」

「気持ち悪いって言わないでよー。」

ユウタが、楽しげに言う。ミツルも、つられて笑った。そして思った。一緒に暮らすというのは、こういう事かと。一緒に暮らす「長さ」じゃなくて「密度」なんだと、痛烈に思う。前の彼女が何を好んで食べていたかなんて、ミツルはまったく覚えていない。ミツルは、笑いながら、メニューをホルダーにストンと戻した。

 「あーッ、食うとあったまるな。」

ペペロンチーノを平らげ、ミツルはアイスコーヒーをゴクゴク飲んだ。

「そんなに一気に飲んだら、また冷えちゃうんじゃない?」

呆れ顔で、ユウタが言った。

「店の中、あちいからよ。」

ミツルは、シャツの襟を人指し指で引っ張る。ユウタは、肩をすくめて笑い、窓の外を見た。

「あー…雪止んでる。」

一時は、大粒の雪が降っていたが、積もる事は無く、すでに止んでいた。

「でも、今日はもう帰るぞ。」

ピシャリとミツルが言った。

「わかってるよ…。」

口を尖らせ、椅子に寄りかかるユウタ。足元で寝ていたムーが、ピクッと目を開けたが、またすぐに目を閉じた。

「小説、書き直してんのか?」

さっきの言葉を思い出し、訪ねるミツル。

「うん。まあね。」

「なんだよ、大変だな。」

「ううん。楽しいよ。書いてると、途中で止められなくなっちゃうんだ。」

「それがわりぃんだよ。せめて、夜は早めに寝てくれよ。」

心配でも、強く言えなかった事を、チャンスとばかりに伝える。ユウタも、察して、

「うん…ごめんね。」

と、素直に謝る。

「い、いや、謝る事はねぇけどさ。」

あまりに素直に謝られると、こっちが困ってしまう。結局、ミツルはユウタに弱い。

「で?どんな話書いてんだよ?」

ミツルが、身を乗り出して聞いた。ユウタは、

「えー?」

と、楽しそうに笑うだけだ。

「なんだよ。お前、完成したら見せてくれんだろーな?」

「…本田くん、小説読むの?」

怪訝そうに、ユウタが尋ねる。

「読まねぇよ!でも、お前のは、読む。」

ミツルが、鼻を膨らませて答えた。ユウタは、嬉しそうに、深呼吸をした。

「じゃあ、読んでね。完成して…。」

ユウタは、言葉を切った。

「うん?」

ミツルは、ユウタの言葉を待った。天気予報は、外れた。雲が途切れ、陽が差してきた。溶けた雪に陽が当たり、キラキラ輝きだす。その光が、カフェの窓ガラスに届き、ユウタの言葉の続きを聞くミツルの横顔を、照らしていた。


 年が開けてから、ユウタは体調を崩し、短期間入院した。退院してからも、ソファーで横になっている事がたまにある。ミツルは、リビングでも楽な姿勢でいられるように、リクライニングの椅子を購入した。

「これ、いいよ。」

ユウタは、御機嫌で言った。

「すごく、楽。ここで、小説も書けるし。」

「そっか。」

ミツルは、複雑な気持ちで微笑んだ。

「で、夕メシ何がいい?買い物、行ってくる。」

「うーん…どうしようか?」

「鍋か?」

「最近、鍋多くない?」

「そうか?じゃあ、何にする?」

「いいよ、鍋で。」

「って、いいのかよ。」

「ヘヘッ。」

「何入れる?」

「うーんとね…。」

「この前のきりたんぽ、うまかったよな。」

「おいしかった!」

「あ!あと、朝の残りの卵焼きな。」

「あれは、意外だったよねぇ。」

「エコだよ、エコ。」

「エコっていうの?あれ。」

「言うよ。ゴミ削減だろ。」

「あー、そうか。」

「そうだよ。…で!何入れんだよ!」

「あはッ。えーとね…。」

こんな風に話せる事が、ミツルにはとてつもなく大切になっていた。再会した時にはたいして気にならなかったカウントダウンは、いよいよ耳元で聞こえるようになってきた。当のユウタも、当然感じているのだろうが、そうは見えない明るさで、ミツルは救われる。

「じゃあ、行ってくる。」

「行ってらっしゃい。」

コートを羽織り、ミツルはアパートを出た。

「鍋か…。」

初めてユウタと食べた夕食も、鍋だった。あの時の事は、鮮明に覚えている。あの時の自分は、こんな風に暮らせる日が来るなんて、思ってもいなかった。悩み迷っていたあの時の自分に知らせたい。お前は、幸せな暮らしが送れるようになるぞ、と。

「ふふ。」

ミツルは、歩きながら含み笑いをした。そして、歩くペースを早め、商店街へ向かった。

 ユウタは、窓を開けた。冬の晴れの日は、空気が清清しい。思わず大きく深呼吸する。ムーが、駆け寄り、外の空気をクンクンと嗅ぐ。ユウタは、ムーを抱き上げた。

「ヨイショ!はー、重くなったねぇ。それとも、僕の力が無くなったのかな。」

ムーは、ユウタの顔を見つめ、首をかしげた。ユウタは、ムーの鼻に自分の鼻をくっつけて微笑む。アパートから、ミツルが出てきた。公園の前の道を、歩いていく。大きな背中をスッと伸ばし、コートの裾を翻し、颯爽と歩いていく。あの日のショーのように。あの日、眩しいほどの光と熱気の中心に、ミツルはいた。その姿を、間近で見ている自分。ミツルと出会わなければ、決して足を踏み入れる事の無い場所に、自分はいた。舞台の上で輝くミツルを見上げて感じた高揚感。ミツルが現れてから、ユウタの暮らしは本当に騒がしくなった。静かに小説を書いて暮らしていくとばかり思っていたのに、今は、小説を書く時間さえままならない。ユウタは、ムーに外を見せた。

「ほら、君のパートナーだよ。君のパートナーは、かっこよくて、パワーがあって、優しくて…。完璧だね。」

ムーは、ミツルを見つけ、ジッと目で追っている。

「だけど…彼が辛い時…君は、彼のそばにいて、彼を励ましてあげてね。ずっと、一緒にいてあげて。君は…。」

ユウタは、ムーのフサフサの首筋に顔を埋めた。少しずつ暖かさを増している冬の陽が、ユウタとムーを暖める。

「君は…死んじゃダメだよ…。」

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