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 〈2〉

 

 「どんな仕事でも、ちゃんとやりますから。俺に仕事させてください!」

ミツルは、自分が所属するモデル事務所の社長の机に手をついた。

「お願いします!」

「どしたの?ミッちゃん。急にやる気になっちゃって。」

社長が、目を丸くして尋ねる。

「あたし、知ってるぅ。エレナと別れて、追い出されちゃったのよねぇ、ミ・ツ・ル♪」

ソファーに腰掛け、髪をといていたモデル仲間が、ニヤニヤ笑いながら口を挟んできた。

「うっせぇな。」

「お金無いなら、ウチおいでよぉ。あたし、面倒見てあげるからぁ。」

ソファーの背から身を乗り出して、ミツルを誘ってくる。今までのミツルなら、ホイホイついていってしまった。

「もう、同居人がいんだよ。」

ミツルは、キッパリと拒否した。モデルは、

「ワンコでしょ。ポメじゃないから、いらなぁいってやつぅ。」

と、笑った。ミツルは、モデルを睨み付けた。社長が、人差し指で机をトントンと叩いた。

「あれ、まだ有効だけど?この前、断ったお仕事。」

「え?」

「実は、どうしてもミッちゃんにって、またオファーされたのよ。まぁ、文句ないお仕事よねぇ。今後のミッちゃんの活動にも、影響出てくるわよ。でも…ねぇ…。」

思案顔の社長に、モデルが食いついた。

「何?何の仕事?」

「うっせえ!」

モデルを怒鳴り付け、ミツルは社長に言った。

「考えさせてください。」

社長は、再び目を丸くした。

「本当にやる気になったの?だったら、安い仕事でよければあるから、そっちにしたら?」

「いや…。」

「お金が無いんだったら、出しといてあげるわよ?」

「大丈夫です。」

ミツルは、口を真一文字に結んだ。十代のミツルをモデルとしてスカウトし、ずっと面倒をみてきた社長が、初めて見るミツルの本気の顔だった。社長は、頬に手をあて、ため息をついた。

「よっぽど大事なのね、そのワンコ。」


 「お、今日は出かけなかったのか?」

ミツルが帰宅すると、ユウタはパソコンデスクの前に座っていた。

「うん。今日、本屋は休み。」

ユウタは、立ちあがり答えた。ユウタの足元で眠っていたムーが、ムクッと起き上がり、ノソノソとミツルに向かって歩いていく。ミツルが、苦笑いでムーを抱き上げる。

「お前なぁ…出迎え無しかよぉ。ユウタの時と差がありすぎんだろぉ。」

「コーヒー飲む?」

笑いながら、ユウタが尋ねる。

「おう。」

デスクの上の自分のカップを持って、キッチンへ向かうユウタ。

「さっき淹れたばっかりだから。」

ミツルのカップと自分のカップに、コーヒーを注ぐ。ソファーに腰を下ろしながら、ミツルが声をかける。

「なぁ、本屋は休みって、今日は何やってたんだ?」

「砂糖とミルクは?」

「いらねぇ。なぁ、他にもなんかやってんのか?」

「え?いや…仕事って訳じゃないんだけど…。」

ユウタは、カップをミツルに渡す。

「はい。」

「お、サンキュ。」

ムーを挟んでソファーに腰掛ける。ムーはコーヒーには興味が無いらしく、前足に顎を乗せ、つまらなそうにしている。カップを両手で持ち、はにかみながら、ユウタが言った。

「小説…書いてるんだ、僕。」

コーヒーを飲もうとした手を止めて、ミツルが聞き返す。

「小説?」

「うん…。一年前に賞貰ってさ。」

「すげえな。小説家なのかよ。」

「ち、ちがうよ。まだそんなんじゃないよ。」

「だって、本が売れりゃあ、金がガッポリ…。」

「まだ、自分の本は出してないんだ。」

「なんだ…そっか。」

ミツルは、コーヒーをすすった。ユウタもコーヒーを一口飲み、カップを見つめて言った。

「もう、本は出せないけど、もう一つだけ書き上げたいと思ってるんだ。」

ミツルは話す言葉が見つからず、ユウタが見つめるカップを見つめていた。が、ふと、口を開いた。

「お前、コーヒーとか飲んでいいの?」

「え?」

思いついたまま口にしてしまい、まずい質問だったかなと顔をひきつらせるミツル。

「いや…胃が、悪い、のにさ…。」

しどろもどろに続けるミツル。ユウタは、フッと笑った。

「元々好きで、小説を書く時は飲んでたんだ。でも、最近飲むの止めてて。今日、久しぶりに飲んでみた。」

「大丈夫、なのか?」

心配そうなミツルに、ユウタは背筋を伸ばして答えた。

「うん。僕がその時に食べたいものを食べようって決めたんだ。」

「そうか。」

「うん。」

ミツルは、カップに口をつけた。一口飲んで、ハァーッと息をつく。

「うめぇ。」

ユウタも、一口飲んで微笑んだ。

「うん。おいしい。」

愛おし気にカップを見つめるユウタの横顔に、ミツルは囁くように言った。

「よかったな。」

カップを見つめていた優しい眼差しが、そのままミツルに向けられる。

「うん。」

そして、二人はまたコーヒーを味わう。少し開けた窓から、公園で遊ぶ子供達の声が聞こえてくる。風が流れ込む窓辺に、ムーがトコトコと移動して、くるんと丸くなる。

「ムーも、すっかりオシッコ上手になったよね。」

「信じらんねぇよ。お前の教え方がいいんだよな。」

「本田くん、すぐ諦めちゃうんだもん。」

「ムーの教育は、お前に任せたからよ。」

「えー、ズルいよー。」

「いや、世話はするぜ。メシとか散歩はよ。でも、俺は何かを教えるとかは、向いてないのよ。」

「なんか、開き直ってるね…。」

「別に開き直ってる訳じゃねぇよ。」

「開き直ってるよ。」

「ちげーよ。諦めてんだよ。」

「何それー。」

「まぁ、いいじゃん。よろしくな。」

「んもー。」

頬を膨らませ、ソファーに寄りかかるユウタ。ミツルは、コーヒーをグイッと飲み干し、立ち上がる。

「あ、本田くん。」

ユウタが、ミツルを呼び止めた。

「ん?」

再びソファーに腰を下ろすミツル。ユウタは、コホンと咳払いし、遠慮がちに切り出した。

「あのさ…気を悪くしないでほしいんだけどさ…。」

一度言葉を切り、ミツルを上目遣いで見てから、ユウタは続けた。

「その…追い出されちゃって、お金、あるの?もし、無かったら、言ってね。僕…。」

「悪いな。」

ミツルは、優しく遮った。

「メシ代とか家賃とか、ちゃんと払うからさ。」

「ううん!そういう意味で言ったんじゃ…。」

「わかってるよ。」

慌てるユウタに笑いかける。

「まぁ、実際、金はあんまり持ってねぇけど、今度仕事が入るから。そしたら、ちゃんと生活費入れるから。」

「ううん。いいよ、別に生活費なんて。」

「バーカ。そういうわけにいかねぇよ。」

「でも…。」

「ま、もうちょっと甘えさせてもらうけどな。いいか?」

「うん。」

ユウタは、笑顔で頷き、ソファーにもたれてコーヒーを飲んだ。ミツルは、立ちあがるとキッチンへ向かった。その顔は、何かを決心した、真剣な表情をしていた。


 「じゃ、いいのね?オーケーの返事しちゃって。」

社長は、思案顔で言った。

「前にも言ったけど、あそこの社長…モデルの男の子に手を出すって…。」

「はい。」

キッパリと答えるミツルに、社長はため息をつく。

「まぁ、単純にブランドのコンセプトに、ミッちゃんが合うから使いたいってことだと思うのよ?ミッちゃん、ああいう人のタイプじゃないと思うし…。でも…ねぇ…。こればっかりは…わからないしねぇ…。」

頬に手をあてて心配そうに自分の顔を見つめる社長に、

「大丈夫です。」

と、ミツルは言う。社長が、身を乗り出して念を押す。

「…いいの?」

「はい。お願いします。」

社長は、椅子の背に頭をつけ、諦めた様子で言った。

「わかった。連絡しとく。」

「ありがとうございます。」

ミツルは、頭を下げた。十代の頃から、ミツルの事を何かと気にかけてくれた人だ。ミツルのモデルとしての素質を見抜き、色々と世話をしてくれた。なのに、ミツルはそれに答えることもせず、ただ甘えていただけだった。気にいらない仕事は断るし、現場に行っても嫌な事があると帰ってしまった。二日酔いで適当に仕事をした時もあった。それでも、社長はミツルを事務所から追い出さなかった。完全にお荷物状態だったのに。ある時、ミツルは尋ねた事があった。

「なんで、俺の事追い出さねぇんだよ。」

社長は、笑いながら言った。

「ミッちゃん、才能あるから。それに、可愛いし。」

たしかその後、ミツルは「気持ちわりぃな。」と、暴言を吐いた記憶がある。それでも、今、ミツルはこの事務所にいる。ミツルは、やっと事務所にいられる事のありがたみに気がついた。社長への感謝の気持ちが、やっと感じられるようになった。思えば、ろくに仕事もせず、金も無いミツルが生活できたのも、今まで付き合ってきた女の子達のお陰といっても過言じゃない。優しい顔をすれば、モデルの女の子や仕事関係の女の子が部屋にあげてくれた。仕事もせず遊んでいても、小遣いをせびっても、何でも言う事を聞いてくれた。それは、こっちが優しくしてやってるんだから、お互い様だと思っていた。でも、お互い様なんかじゃなかった。女の子達には、愛情があった。付き合っている間だけでも、たった一晩だけでも、女の子達はミツルに愛情を持って接してくれていたのだ。それは、ミツルには無かった事だ。みんな、ミツルに優しかった。そんな事にも気付かず、適当に生きてきた自分が情けなくなる。ミツルは、唇を噛んだ。

「よろしくお願いします。」

ミツルは、深々と頭を下げた。社長は、少し驚いたようで、眉を微かに上げた。そして、またミツルの方に身を乗り出し、

「いざとなったら、逃げちゃうのよ。責任は、私が取るから。」

と、いたずらっ子のように舌を出してウィンクした。


 「本田くん、見てよ!」

テレビを見ていたユウタが、声を上げた。

「ん?」

キッチンで昼食の後片付けをしていたミツルは、テレビへ視線を向けた。犬のアジリティ競技の番組だった。並んだポールを左右に通り抜け、トンネルをくぐり、坂を一気に駆け上がり下りる犬。あっという間にゴールし、飼い主に抱き上げられ、得意そうに舌を出している。

「すごいね。犬も人も気持ちいいだろうなぁ。」

憧れの眼差しで画面を見つめるユウタ。まるで、ヒーローに憧れる子供だ。ミツルは、プッと吹き出した。

「ムーだって、できんじゃねぇ?」

「できるかな?」

ユウタの瞳が、輝く。

「お前、教えんのうまいし。」

「えー…。」

口に手をあてて、ムーを見つめるユウタ。ムーは、仰向けで足を広げ、とても女の子には見えないほど、豪快に眠っている。ミツルは、ニッと笑った。

「やってみるか?」

ユウタの顔が、パッと明るくなった。

「うん!やりたい!」

ムーを抱き上げたユウタは、

「頑張ろうね!」

と、ムーの顔に頬をくっつけた。当のムーはといえば、訳がわからず眠そうな顔でユウタに抱かれ、大きな口を開けて欠伸をした。

 そして、特訓が始まった。ムーを囲んで、作戦会議を開く。

「ムーが、俺らをご主人様と思わねぇと、言う事聞かねぇからな。」

「本田くんの事なんて、食べ物くれる人としか思ってないんじゃない?」

「あのなぁ…まぁ、確かに俺よりお前の方が、ムーの中じゃ上だろうな。」

「だよね。」

「ムカつくー。最初飼ってたの、俺だぞぉ。」

「本田くんは、ムーに何にも教えてあげてないしね。」

「…はいはい…そうでやんすね…。」

そんなやり取りにムーは飽きたらしく、ミツルの顔めがけて、華麗なるジャンピングアタックを繰り出した。

「いてーッ!」

「アハハッ!やっぱり、ご主人様とは思ってないよー。」

「くーッ、なんだよ、ムー。」

ムーは、遊びたくて、ミツルに飛びかかる。

「こら!遊んでる場合じゃねぇんだよ!」

ムーは、無視して飛びかかる。ユウタが、手をパン!と叩いた。ミツルとムーは、ビクッとしてユウタの方を向いた。

「はい、ムー。こっち向いて。」

ユウタが、ムーの体を自分の方に向けて座らせた。

「待て。」

ムーの目の前に、手のひらを広げる。ムーは、じっと座っている。

「よし!おいで!」

弾かれたように、ムーがユウタの膝に前足を乗せる。

「お利口だねぇ。いい子、いい子。」

顔を輝かせて、ユウタがムーを抱き締める。

「ウソだろ…すげえ…。」

人の言う通りに動くムーを見て、ミツルも感無量のようだ。

「じゃ、もう一回ね。ムー、待て。」

ムーは、きちんとお座りをする。ユウタは、ゆっくりとムーから後ずさる。

「待て…待てだよ…。」

三メートルほど離れても、ムーは動かず、じっとユウタに集中している。

「よし!おいで!」

待ってましたとばかりに、ユウタに向かってダッシュするムー。

「すげえ!完璧じゃん!」

興奮して、頬を紅潮させるミツル。

「ムーは、賢いよ。教えれば、何でもできちゃう。」

ユウタも、嬉しそうにムーを抱き締める。それから、あっという間に、お手も覚えてしまった。

「本当に、ムーはお利口だね。」

特訓を終え、二人はコーヒーを飲み始めた。

「お前の教え方も上手いんだよ。」

ムーは、ごほうびのおやつを満足そうにかじっている。

「えー、そうかなぁ。」

まんざらでもない顔で、ユウタが鼻をこする。ヘヘッと笑い、ミツルは立ち上がった。

「さーてと。そろそろ行くかな。」

「あ、そうか。」

ユウタも、立ち上がる。

「大変だね。今から仕事なんて。」

「仕事っつーか…メシ食うだけだけどな。」

ミツルは、ぶっきらぼうに言い、玄関へ向かう。

「そんな訳で、今夜メシいいから。」

「うん。わかった。あー、どんなおいしい物でるのかな?」

靴を履くのにしゃがみながら、

「さあな。俺も、会食なんてしたことねぇよ。」

と、答える。

「でも、仕事先の偉い人とじゃ、緊張して味わからなそう。」

ハハッと笑って、ミツルは立ち上がった。 笑い声に力が無いことに、ユウタは気がつかない。

「がんばってね。」

「おう。」

ミツルは、視線を合わせずにドアを開ける。

「いってらっしゃい。」

ユウタの明るい声を遮りたくて、ミツルはドアを閉める手に力を込めた。そして、ドアが閉まると、空を睨み付けて呟いた。

「デカイ仕事もらうためだ…。しょーがねぇよな。」





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