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「お前、いつもこんな朝メシ食ってんの?」
ミツルが、目を見張ってテーブルを見渡した。ムーは、味噌汁かけご飯を食べ終え、ミツルの胡座の中でおこぼれを狙っている。
「え?うん、まぁ。」
味噌汁の入った椀を渡し、ユウタはその向かいに座る。
「すげー、ちゃんとしてんのな。」
そう言って、ミツルは味噌汁をすする。そして、目をギュッとつむって幸せそうにプハーッと息を吐いた。
「うんッめー!味噌汁!超久しぶりなんだけど!」
感極まった様子で一人うなずくと、汁椀をご飯茶碗に持ち換え、だし巻き玉子にかぶりつく。とたんに目を見開き、
「たまごも、うまッ!手作りだろ?これ!」
と、興奮気味に言うと、ご飯をかき込む。次に、ひじき煮の小鉢を持ってパクパクと口に運ぶ。
「俺、煮物とかあんま好きじゃなかったけど、うめぇんだな。」
煮物のおいしさを認識したらしく、ウンウンとうなずき、ご飯をかき込む。そして、当然のように、
「おかわり。」
と、茶碗を差し出した。相変わらずのミツルの食べっぷりにも慣れてきたユウタは、
「わかったから、静かに食べなよ。」
と、苦笑いで茶碗を受け取る。炊飯器には、いつもより多くご飯が炊いてある。
「だって、何食ってもうめぇんだもん。」
山盛りご飯を受け取り、満面の笑みのミツル。ユウタは、腰掛けると言った。
「中学生の頃から作ってれば、だれでもこれくらいは作れるようになるでしょ。」
「へ?」
ご飯をかき込みながら、ミツルはユウタを見た。
「母親が小学生の時に死んで、父親と二人暮らしだったから、自然と、ね。」
ユウタは、つぶやくように言って、だし巻き玉子をパクッと食べた。ミツルの箸が止まる。ユウタは、だし巻き玉子の皿を見つめたまま、ひとり言のように続けた。
「で…一昨年、父親が死んだから、僕は今一人きり。」
ゴクッとご飯を飲み込み、ミツルはゆっくりと口元にあった茶碗を下ろした。
「そうか…お前、母ちゃん…いなかったのか…。」
ミツルは、動きを止め、考え込んでしまった。
「…本田くん?」
ユウタに声をかけられ、ミツルは、我に返った。
「…あ?……あ、うん。」
ミツルは、ご飯をかき込み、味噌汁を飲み干した。
「お前、仕事、行くんだよな?」
「あ、うん。」
「何やってんの?」
「本屋で働いてる。」
「へぇ。お前、よく本読んでたもんな。」
浅漬けをまとめて箸で持ち上げ、大口でバクッと食べる。
「そうだね。」
そして、読んでいたその本を、本田くんの友達に窓から投げ捨てられたね。と、ユウタは思った。言っても仕方ないので、黙って食べ終えた食器を持ってキッチンへ行き、洗い始めた。ミツルは、全ての食器を空にし、お茶をぐいっと飲み干し、
「ごちそーさま!うまかった!」
と、両手を合わせた。それから、フゥーッと長めに息を吐くと、食器を洗うユウタを見つめた。ユウタは、黙々と食器を洗っている。ミツルは、くしゃっと頭を掻くと、
「さーて、俺もそろそろ…。」
と、誰に言うとでもなくつぶやいた。ずっとここにいられる訳はないが、もう少しユウタと話がしたかった。せめてもう一泊…。けれど、それが言えない。昨夜の図々しさは一体なんだったのか。まったく、ミツルらしくない。
「フゥ…。」
仕方なく、のそのそと食器をキッチンへ運ぶ。ユウタは、食器を洗い終えた。ミツルが、なんとか話しかける。
「なぁ、ユウタ…。」
ユウタは、手を拭きながら、
「自分の食器は、自分で洗っておいてくれる?」
と、微笑んだ。
「あ…そう、だよな。それくらいは…していかねぇとな…。」
昨夜のミツルはどこへ行ったのか。同一人物とは思えないほど、従順なミツル。ユウタは、出かける準備を整えると、慣れない手つきで食器を洗うミツルに、声をかけた。
「冷凍庫にピザとパスタがあるから、よかったらお昼に食べて。鍵は置いてくけど、ムーだけにして出かけないでね。オシッコは、絶対!あそこにさせて!」
昨日決めたムーのトイレ場所を、ユウタはピシッと指差した。とりあえず、新聞紙が敷いてある。
「お、おう。」
泡のついたスポンジを上げて、答えるミツル。
「じゃあ、僕、仕事に行くね。六時頃には帰れるから。そしたら、これからの事、話そう。」
昨夜とはまったく真逆で、ミツルはユウタに言われるままだ。
「わかった…。」
とだけ言ったミツルに、ユウタはニッコリ笑いかけて、
「いってきます。」
と言い、玄関へ向かった。ドアがパタン、と閉まる。ムーが「行ってらっしゃい」とでも言うように「ワン!」と鳴いた。
ミツルは、食器を洗い終え、ソファーにドスッと腰掛けた。ムーもソファーに飛び乗り、ミツルの隣にチョコンと座る。ミツルは、ムーの背中を優しく撫でた。そして、ソファーに深く座ると、部屋を見渡した。白い部屋、だ。余計な物は、置いていない。パソコンデスクと、壁に掛かったシンプルな四角い時計。白くて小さなテーブル。色味のある物は、このソファーくらいか。ミツルは、ムーを撫でていた手を、ゆっくりとソファーの背に移し、また部屋を見渡した。ムーが、もっと撫でろと前足で催促をする。ミツルは、ムーに目を向けると、
「はいはい。」
と、再びソファーからムーへ手を移した。ムーは、満足気に目を細める。ふと耳を澄ますと、幼稚園へ向かう子供達の笑い声がする。その母親達が、挨拶を交わす声も聞こえる。窓から朝の光が差し込んでいる。ムーは、ミツルの隣でコロンと横になり、眠り始めた。朝から落ち着かない気分のミツルだったが、今までの生活には無かった静けさと暖かさに、安らいだ気持ちになった。ミツルは、ムーを抱き寄せた。眠りを邪魔され、小さな唸り声をあげたムーだったが、ミツルの膝に乗せられると、またすぐに眠りについた。ミツルは、ムーを優しく撫でると、窓から見える空を見上げて微笑んだ。
ユウタは、朝言っていたとおり、六時過ぎに帰ってきた。玄関へムーがダッシュし、ピョンピョン跳び跳ね、ユウタを迎える。
「わぁ、ムー、ただいまぁ。」
嬉しそうに、ムーを抱き上げるユウタ。もうずっと前からやっているかのように、ムーはユウタの顔を舐める。ユウタは、楽しそうに笑い声をあげた。
「おう、おつかれ。」
出迎えたミツルに、ユウタは玄関に置いたスーパーの袋を指差した。
「これ、キッチンに持っていってくれる?今夜は、鍋にしたから。あと、ムーのオシッコシーツとドッグフードも買ってきた。」
「へいへい。」
袋とオシッコシーツを持って、キッチンへ向かうミツル。まるで、嫁にこきつかわれるダメ夫といった感じだ。ミツルは、キッチンに袋を置くと、中身を取り出した。白菜にネギ、蟹、海老など、鍋の具材がたくさんでてくる。
「鍋かぁ。いいよな、鍋。」
ミツルは、嬉しそうにつぶやくと、空になった袋を丁寧にたたんだ。
テーブルの真ん中で、鍋がグツグツと音をたてている。ほわほわとあがる湯気を、不思議そうにムーが眺めている。今朝のように二人は向かい合って座り、鍋をつついた。
「本田くんは、仕事、何してるの?」
水菜を取りながらユウタが聞いた。
「モデル。一応な。」
つくねを取ったミツルは、フウフウと軽く冷まして口に入れた。
「え、モデル?すごいね。」
「すごくねぇよ。」
ミツルは、口を尖らせ、鍋を覗いてホタテを取った。
「俺みてぇのは、いつでも仕事がある訳じゃねぇし。」
そう言って、蟹を取る。続いてユウタが白菜を取った。
「へぇ、大変なんだ。」
「まぁな。あー、蟹めんどくせえ。」
ミツルは、箸を置き、蟹を剥き始めた。
「うん。めんどくさいよね。」
ユウタは、蟹を剥くミツルを見た。いつ以来だろう、鍋を誰かと食べたのは。
「ちょっと待て!これ、熱いから!」
ミツルの蟹めがけて、ムーがグイグイとおねだりをしてくる。
「あぶな…ッ!おい!待てっつーの!」
目の前で繰り広げられるちょっとした戦いを、ユウタは楽しそうに眺めた。
「いいなぁ、賑やかで。」
「いいもんかよ!うまいもん、みんな取られちまうよ。」
ムーは、ついにミツルから蟹の足を奪い取り、口にくわえて振り回し、勝利の舞いを踊っている。
「あーあー、オモチャになっちまってるよ。」
「しつけないからでしょ。でも、かわいいねー。」
ユウタは、肩を揺らして笑った。それを見たミツルは、急に神妙な顔つきになり、ゴホンと咳払いをした。
「悪かったな、俺…お前に母親がいないなんて、知らなくてよ。」
「え?」
急に謝られ、ユウタはキョトンとした。ミツルは続けた。
「授業参観の時、お前ん家、親父が来たろ。」
急にあの頃の話をされ、ユウタの眉間に無意識に皺がよった。
「あー…そうだったかも。」
「休み時間に、すげえ仲良さそうに親父と話してたろ、お前。」
「そう?」
「そうだよ。母親が来られないから、親父が来てんのかよ。何張り切っちゃってんの、ってムカついてたんだよな。」
「えー、そうなの?」
「高校生の、しかも男子なのに、親ベッタリかよ、ってさ。」
「だって、みんな来てたでしょ?まぁ、父親は珍しかったかもしれないけど。本田くん家は?」
ユウタの問いに、ミツルはふいに箸を持ち、鍋に手を伸ばした。
「授業参観があるって、言わなかったし。」
「えー、なんで?」
「ウチは、誰も俺に興味ねぇし。」
鍋をつつくミツルは、拗ねたような顔をしていた。ユウタは、怪訝そうに言った。
「それって、僕にヤキモチやいてたの?」
一瞬、ミツルの箸が止まる。
「はあ?ちげーよ。」
ミツルは、つみれを口に放り込む。
「えー…。」
それで僕の事イジメてたの?という問いが脳裏に浮かんだが、言うのは止めた。
「お、ここ煮えてんぞ。もうちょっと白菜足すかな。」
話をはぐらかすかのように、ミツルが鍋に具材を足す。
「どんどん食わねぇと、煮詰まっちまうぞ。」
ユウタがため息混じりに箸を持つと、ムーがユウタの横にピッタリとくっついてきた。キラキラした目でユウタを見上げる。
「何か、食べたいの?」
ユウタが優しく聞くと、ムーは真っ黒な瞳を更に輝かせ、しっぽを振った。
「すごく綺麗な目だね。」
ユウタは、うっとりと言った。
「あ?ああ、かわいいよな。」
「ホントに、綺麗だなぁ。」
ムーは、ユウタには飛びかかろうとはせず、お座りをしてしっぽを振っている。
「ほら、つくね煮えてんぞ。」
ミツルが、ユウタの椀につくねを入れた。
「あ、まだ入ってるよ。」
「なんだよ、お前、食わねぇなぁ。」
ミツルが、海老を食べながら言う。
「うん…。」
「だから、そんな弱っちそうなんだよ。肉を食え。肉を。」
モグモグと口を動かしながら、ビシッとユウタを指差す。
「うん…。」
ユウタは、うつむいてそっと椀と箸を置いた。
「え?どした?」
ミツルが、ギョッとして、動きを止める。
「何?怒ったのか?」
おどおどと、尋ねる。ユウタは、静かに首を振る。
「ううん。」
「じゃ、どうしたんだよ?」
ユウタは答えず、ムーの頭を撫で始めた。
「なぁ、おい…。」
ミツルが、不安そうにユウタをみつめる。少しの間、ユウタは黙っていたが、ムーの頭を撫でながら掠れた声を絞り出した。
「僕、ガンなんだ。」




