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 「んー、おいしい!」

部屋に戻ったミツルは、ユウタにプリンを食べさせた。ユウタは、おいしそうに頬張る。

「なんか、すごくおいしい!」

「なんたって、地鶏の卵だからな。すげぇ並んで買ったんだぞ。」

ミツルは、得意気に言った。

「なるほど。」

プリンをまじまじと眺めるユウタ。

「人、たくさんいたの?」

そして、またプリンをパクッと食べる。

「おう。天気もいいし、週末だしな。なんか、犬連れも多かったぞ。」

「え。明日の出場者かな?」

「も、いるだろうな。なんか、犬がみんな利口そうに見えんだよ。ちょっと、その辺まで出てみるか?まだ、暖かいし。」

「うん。」

ミツルは、ユウタとムーと再び町に出た。二人と一匹は、マリンウェアの店や、雑貨店、ペットのグッズを売る店などを、ひやかして歩いた。

「ちょっとした観光気分だな。」

海がよく見えるカフェで、ミツルがアイスコーヒーを飲んで言った。

「まさか旅行に来られるなんて、思ってもみなかったなぁ。」

ホットミルクのカップを両手で包み込み、ユウタはうっとりと海を眺めた。海辺の町は、陽が傾き始めていた。賑わっていた砂浜も、今は人もまばらだ。

「男二人と犬一匹の旅かぁ。」

「いいじゃん。最高だよ。」

楽しそうなユウタの笑顔。傾きかけた陽を受けた海からの乱反射と重なり、ミツルは目を細めた。

「お前の笑った顔。」

「ん?」

ユウタが、ミルクを飲みながら聞き返す。

「お前の笑った顔…。高校ん時は、見たこと無かったよな。…まぁ…当たり前だけど。俺…お前ん家行かなかったら、一生見られなかったんだな。」

切なそうに話すミツルに、ユウタは苦笑いになる。

「何言ってるの?気持ち悪いよ…。」

それでも、ミツルは話し続ける。

「お前、知ってるか?俺とかムーに笑いかけるお前の顔。すんげー優しい顔してんだぞ?」

一体、ミツルは何を言い出すのか。ユウタは、居心地が悪そうにモジモジする。

「なんか変だよ、本田くん…。」

ユウタの訴えに耳も貸さず、ミツルは続けようとする。

「お前の、その…。」

「もおッ!行くよッ!」

どうしようもなくなって、ユウタは席を立った。

「あ、おい!」

ミツルが、慌てて追いかける。ユウタは、カフェの前の砂浜へ降りていった。ミツルもムーを連れ、後に続く。砂浜を通り抜ける海風が、ひんやりとし始めている。

「寒くないか?」

ミツルが、心配して声をかけた。

「うん。大丈夫。」

ユウタは、歩きながら振り向き、オッケーサインを出した。ムーに引っ張られ、ユウタに追い付いたミツルは、ユウタの隣に並んだ。ユウタは、立ち止まり、海を眺めた。

「本田くん、変な事言うから…。」

「気持ちわりぃよな。」

ミツルは、髪の毛をモシャッと掻いた。ユウタは、フッと笑いを漏らす。

「でも、嬉しかったよ。」

「ん?」

「優しい顔って、言ってくれて。」

「ホントのことだからな。」

海を見つめていたユウタが、ミツルに視線を移した。

「僕…優しい顔で、笑えてたんだね。」

肩をすくめて、ヘヘッと笑う。

「本田くんのお陰で、楽しかった。」

「…なんだよ。急に。」

「今、言っておこうと思って。」

「な、なんだよ。んなこと、もっと後でいいよ。」

ミツルは、逃げるようにムーと波打ち際へ走っていった。ムーは、寄せる波に果敢に立ち向かう。ユウタは、笑顔でその様子を見ていた。やがて、笑顔のまま、ミツルの背中に叫んだ。

「僕、本田くんのこと、大ッ嫌いだったよ!」

ユウタの叫び声が背中に届いても、ミツルは黙ってムーを遊ばせていた。

「何不自由無い生活してるのに僕の事イジメて、努力もしないで大学行くのか、って、頭にきてたんだ!」

大きな背中に、ユウタの叫び声が当たって落ちる。

「だから、僕の家に来た時は呆れたよ。よくこんな事できるなって。」

ミツルは、何も言わないし、振り向かない。ムーは、波との戦いが佳境に入った。

「でも…僕、思い出したんだ。本田くん、僕の事イジメてる時、笑ってなかったって。他のみんなは笑ってたけど、本田くんは、みんなの後ろで…笑ってなかった。」

ミツルの肩が、ビクッと動いた。

「本田くん…寂しかったんでしょ?」

冷たい風に顔を撫でられ、ユウタはフウッと息を吐いた。

「本田くんの事、泊めることにしたのは…うまく言えないんだけど、なんか…守ってあげなきゃ、って思ったからなんだ。」

そう言ってから、ユウタはこめかみを掻いた。

「そんな事言って、実際は、本田くんに守ってもらってばっかりだけどね…。」

黙ったまま、動かないミツルの足に、波が押し寄せる。

「本田くん!波!」

「どうして…。」

ミツルは、拳を握りしめ、声を絞り出した。

「どうして、死ぬのが俺じゃないんだよ!」

海に向かって、叫ぶミツル。ムーが波との戦いを止め、ミツルを見上げる。

「死ぬなら、俺だろ!俺みたいなどーしようもないやつが、死ねばいいんだよ!」

「ダメだよ、そんな事言っちゃ。」

ユウタが、ミツルの側へ歩み寄る。

「だって、そうだろうが!」

振り向いたミツルは、半ベソをかいている。ユウタは、悲しみの混ざった顔で微笑む。

「ごめんね…本田くんの事、巻き込んで。」

「俺は、自分から巻き込まれてんだ!」

「フフ…変な言い方。」

ユウタは、笑顔のまま、小さなため息をついた。

「本当に、本田くんがいてくれてよかった。」

「俺だって、お前と暮らしてなかったら、ちゃらんぽらんなまんまだよ。」

「すごく楽しかったよ。」

「だから…ッ!」

ミツルが、鼻をすする。

「そういう言い方すんなって。もう…最後みてぇじゃんか…。」

「ごめん。」

ユウタは、ペロッと舌を出した。それから、水平線に涼しい視線を向けた。

「…なんか、不思議だなぁ。本田くんと、こんな風に話せるなんて。あの頃の僕らに教えてあげたいよ。」

「俺が…バカだったんだよ…。」

涙が滲んだ目をこすって、ミツルは投げやりに言った。ユウタは、首を振る。

「僕も、バカだったんだ。諦めてたんだ。あの時の僕は。」

海の向こうを見つめたまま、悲しげにユウタがつぶやく。

「高校の時から仲良くしてたら、僕ら、もっと長く友達でいられたのにね。」

ミツルは、もう涙をこらえられなかった。

「うーッ…。」

小さな子供のように泣き出すミツル。

ユウタが、困った様子でミツルに近づく。そして、ミツルを抱きしめた。細い腕を懸命に伸ばして、ミツルの大きな体を優しく包み込むように。ミツルは、子供のように泣きじゃくる。ユウタは、ミツルに優しく囁く。

「ありがとう…僕の家に来てくれて。僕、本田くんを嫌いなまま死なずにすむよ。」

沖から強い風が吹いてきた。ユウタが、よろける。今度は、ミツルがユウタをしっかり抱きしめ、支えた。ユウタは、ミツルの背中をポンポンと叩いた。

「ありがとう。僕は、ミツルが大好きだよ。」

ミツルが、ユウタの肩から顔を離す。ミツルの顔は、涙と鼻水まみれだ。ユウタが、吹き出す。

「んもー、ミツルがこんなに泣くなんて思わなかったよ。」

「だってよぉ…俺…。」

また、ミツルの目から涙が溢れ出す。ユウタは、ニッコリ笑って、ミツルのおでこに手をあてた。意外にもその手は暖かい。

「僕の全部が無くなる訳じゃ、ないでしょ?」

ミツルのおでこにあてた手に力を込めて、微笑む。

「ね?」

ユウタの手の暖かさに、ミツルの気持ちが落ち着いていく。ミツルは、黙ってうなずいた。

「明日は、大会だよ!泣いてちゃダメだよ!」

明るく励ますユウタに、ミツルは口を尖らせた。

「お前…ホントに…強えよな…。」

「え?」

キョトンとして、首を傾げるユウタ。なんだか、ムーに似ている。

「なんでもねぇ…。」

ミツルの口角が、少しだけ上がった。手の甲で、頬の涙をグイと拭き去る。

「お前、寒いだろ。」

そして、いつものミツルに戻る。

「風邪ひいたら、大変だぞ。帰ろう。」

ユウタの背中に手を回し、海風から守るように砂浜を歩き出そうとして、ふと、足元を見ると、ずぶ濡れのムーがハァハァと息も荒く、二人を見上げていた。

「うわッ!忘れてたコイツ!」

ミツルは、ムーから一歩後ずさる。

「うわー…ビッショビショじゃねぇかよ…。」

「ワン!」

波との戦いに満足したムーは、ミツルに抱っこをせがみ、海水と砂まみれの体で飛びかかった。

「こらッ!やめろッ!…あーッ!」

太陽は海の向こうに沈み、オレンジ色の空は、濃い紫色へと変わりつつある。誰もいなくなった砂浜に、ムーの鳴き声とユウタの笑い声、そしてミツルの悲鳴が響いていた。


 アジリティ競技大会、当日。天気は、昨日に続き、春の陽気が心地よく、競技に参加する人にも犬にも最高の環境だ。

「はー、いい天気だな。」

ミツルが、アウトドア用の椅子をトランクから出して広げながら、天を仰ぐ。

「最高のコンディションだね。」

ユウタは、ミツルから椅子を受け取り、腰を下ろす。その足元にムーがストンとお座りをした。

「ムーも、落ち着いてて、いい感じだね。」

頭を撫でられ、ムーは目を細める。

「こりゃ、見かけによらず、肝っ玉のでかい奴らだな。」

自分が参加する訳じゃないけれど、いざ本番となれば、多少なりとも緊張するものだ。ミツルは、ユウタとムーの落ち着きっぷりに、ただならぬものを感じ、期待を高めた。自分の椅子とテーブルを出し、ミツルも腰を下ろした。

「こんにちは。」

聞き覚えのある声に、ミツルは振り向いた。羽鳥だ。羽鳥が、カメラを持って立っていた。

「昨日は、失礼な事お願いしてしまって…。本当にありがとうございました。」

羽鳥が、弾ける笑顔でミツルに礼を言う。

「ああ。」

素っ気なく返事をするミツル。羽鳥は、隣に座るユウタに挨拶をした。

「こんにちは。羽鳥といいます。今日は、大会の取材に来ました。」

短い髪を耳にかけながら、ユウタに笑いかける。

「こんにちは。鈴木ユウタです。記者の方ですか。だから、ミツルと知り合いなんだ。」

「いや、別にこいつと知り合いな訳じゃねぇし。」

「こいつ、なんて言って、仲いいんだね。」

ユウタが、感心して言った。

「ちげぇよ!昨日会ったばっかだよ!」

ミツルが、ムキになって否定する。

「え?そうなの?」

「はい。昨日、ワンちゃんを連れたミツルさんに、一目惚れして。写真を撮らせていただいたんです。」

「へえ。」

顔を輝かせて、ユウタがミツルを見た。ミツルが、鼻の穴を膨らませる。

「はあ?何言ってんの?」

「じゃあ、今日もミツルのこと撮ってあげてください。出場しないけど。」

ユウタは、ニヤニヤしながらミツルを見た。

「はい。イケメンしっかり撮らせていただきますね。」

ユウタの言葉に、乗る羽鳥。

「お、お前ら…ふざけんなよ。」

二人にからかわれ、うろたえるミツル。ユウタと羽鳥が、クスクスと笑う。

「笑ってんじゃねぇよ!お前、とっとと仕事しろ!」

羽鳥を指差し、シッシッと追い払う。

「はいはい。それじゃ、鈴木さん。頑張ってくださいね。鈴木さんもイケメンだから、しっかり撮っちゃいますよ。」

「いえいえ。僕なんかより、ミツルを…。」

「いーから、行け!」

ミツルが、立ち上がる。羽鳥は、ペロッと舌を出し、軽く会釈すると、本部の方へ駆けていった。

「ったく、とんでもねぇ女だな。」

椅子に腰を下ろし、ミツルは舌打ちをする。そんなミツルを、ユウタは嬉しそうに見つめ、フフッと笑った。

「お前まで、からかうとはな。」

ふくれっ面のミツル。

「ごめん、ごめん。でも、素敵な人だね。羽鳥さん。」

「そうかぁ?なんか、図々しい女だよな。」

「正直な人なんだよ。」

「ユウタ…お前は、心が広いなぁ。」

「フフ…。」

ミツルは、飲み物を取りに、車へ向かった。ユウタは、羽鳥の駆けていった方向を見た。それから、ミツルの後ろ姿を見つめる。足元で寝ているムーに、

「意外と、お似合いかもね。」

と、囁いた。


 大会は順調に進み、いよいよユウタとムーの番がやってきた。

「落ち着いていけよ。」

ミツルの言葉に、笑顔でうなずくユウタ。ミツルは、

「頼んだぞ。」

と、ムーの頭を撫でる。ムーは、ミツルを見上げ、「ワン!」と威勢よく鳴いた。ユウタとムーが、スタート位置に立つ。ミツルは椅子から立ち上り、祈るように両手を握りしめた。スタートの合図で、ムーは走り出した。軟らかい体をバネのように弾ませて、風のように走る。白くて長い毛が、太陽の光を浴びて、キラキラ眩しく波打つ。ムーは、走る。ユウタの指示を一言も聞き逃さないように。今のユウタが、ムーに付いて走るのは至難の技だ。それをカバーするために、最小限の動きで済むように特訓してきた。指示を出すユウタの動きが限られるから、他の参加者より条件はかなり悪い。ミツルは、心配でたまらない気持ちで、ユウタを見た。ユウタは…笑っていた。春の光の中、ぎこちない動きで、それでも、喜びに満ちた笑顔をみせている。再会した時よりも随分痩せてしまっている。なのに、今のユウタは生命力に溢れている。再会した時から見ているユウタの笑顔。人に安らぎを与えてくれる静かで優しい、それでいて勇気をもくれる笑顔。今、ユウタは、生きている。生きていることを楽しんでいる。あの笑顔を見れば、わかる。幸せというのは、こんな気持ちなのかと、ミツルは思った。大切な人が笑っているだけで、こんなに幸せな気持ちになれるのだ。体の底から沸き上がってくる高揚感と、胸を締めつけられるような感情。嬉しいのに泣きたくなるような気持ちになる。それでも、これが幸せなんだと思う。今、自分は確実に幸せなんだと痛感する。ムーがゴールした。ユウタに駆け寄り、ユウタがムーを抱き締める。ユウタが、こちらを見た。嬉しそうに楽しそうに満面の笑みで、ミツルに手を振る。ミツルは、思い切り手を振り返す。ユウタの満足そうな笑顔。ミツルは、目をこすった。この幸せをしっかりこの目に焼き付けておこうと。





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