11
「んー、おいしい!」
部屋に戻ったミツルは、ユウタにプリンを食べさせた。ユウタは、おいしそうに頬張る。
「なんか、すごくおいしい!」
「なんたって、地鶏の卵だからな。すげぇ並んで買ったんだぞ。」
ミツルは、得意気に言った。
「なるほど。」
プリンをまじまじと眺めるユウタ。
「人、たくさんいたの?」
そして、またプリンをパクッと食べる。
「おう。天気もいいし、週末だしな。なんか、犬連れも多かったぞ。」
「え。明日の出場者かな?」
「も、いるだろうな。なんか、犬がみんな利口そうに見えんだよ。ちょっと、その辺まで出てみるか?まだ、暖かいし。」
「うん。」
ミツルは、ユウタとムーと再び町に出た。二人と一匹は、マリンウェアの店や、雑貨店、ペットのグッズを売る店などを、ひやかして歩いた。
「ちょっとした観光気分だな。」
海がよく見えるカフェで、ミツルがアイスコーヒーを飲んで言った。
「まさか旅行に来られるなんて、思ってもみなかったなぁ。」
ホットミルクのカップを両手で包み込み、ユウタはうっとりと海を眺めた。海辺の町は、陽が傾き始めていた。賑わっていた砂浜も、今は人もまばらだ。
「男二人と犬一匹の旅かぁ。」
「いいじゃん。最高だよ。」
楽しそうなユウタの笑顔。傾きかけた陽を受けた海からの乱反射と重なり、ミツルは目を細めた。
「お前の笑った顔。」
「ん?」
ユウタが、ミルクを飲みながら聞き返す。
「お前の笑った顔…。高校ん時は、見たこと無かったよな。…まぁ…当たり前だけど。俺…お前ん家行かなかったら、一生見られなかったんだな。」
切なそうに話すミツルに、ユウタは苦笑いになる。
「何言ってるの?気持ち悪いよ…。」
それでも、ミツルは話し続ける。
「お前、知ってるか?俺とかムーに笑いかけるお前の顔。すんげー優しい顔してんだぞ?」
一体、ミツルは何を言い出すのか。ユウタは、居心地が悪そうにモジモジする。
「なんか変だよ、本田くん…。」
ユウタの訴えに耳も貸さず、ミツルは続けようとする。
「お前の、その…。」
「もおッ!行くよッ!」
どうしようもなくなって、ユウタは席を立った。
「あ、おい!」
ミツルが、慌てて追いかける。ユウタは、カフェの前の砂浜へ降りていった。ミツルもムーを連れ、後に続く。砂浜を通り抜ける海風が、ひんやりとし始めている。
「寒くないか?」
ミツルが、心配して声をかけた。
「うん。大丈夫。」
ユウタは、歩きながら振り向き、オッケーサインを出した。ムーに引っ張られ、ユウタに追い付いたミツルは、ユウタの隣に並んだ。ユウタは、立ち止まり、海を眺めた。
「本田くん、変な事言うから…。」
「気持ちわりぃよな。」
ミツルは、髪の毛をモシャッと掻いた。ユウタは、フッと笑いを漏らす。
「でも、嬉しかったよ。」
「ん?」
「優しい顔って、言ってくれて。」
「ホントのことだからな。」
海を見つめていたユウタが、ミツルに視線を移した。
「僕…優しい顔で、笑えてたんだね。」
肩をすくめて、ヘヘッと笑う。
「本田くんのお陰で、楽しかった。」
「…なんだよ。急に。」
「今、言っておこうと思って。」
「な、なんだよ。んなこと、もっと後でいいよ。」
ミツルは、逃げるようにムーと波打ち際へ走っていった。ムーは、寄せる波に果敢に立ち向かう。ユウタは、笑顔でその様子を見ていた。やがて、笑顔のまま、ミツルの背中に叫んだ。
「僕、本田くんのこと、大ッ嫌いだったよ!」
ユウタの叫び声が背中に届いても、ミツルは黙ってムーを遊ばせていた。
「何不自由無い生活してるのに僕の事イジメて、努力もしないで大学行くのか、って、頭にきてたんだ!」
大きな背中に、ユウタの叫び声が当たって落ちる。
「だから、僕の家に来た時は呆れたよ。よくこんな事できるなって。」
ミツルは、何も言わないし、振り向かない。ムーは、波との戦いが佳境に入った。
「でも…僕、思い出したんだ。本田くん、僕の事イジメてる時、笑ってなかったって。他のみんなは笑ってたけど、本田くんは、みんなの後ろで…笑ってなかった。」
ミツルの肩が、ビクッと動いた。
「本田くん…寂しかったんでしょ?」
冷たい風に顔を撫でられ、ユウタはフウッと息を吐いた。
「本田くんの事、泊めることにしたのは…うまく言えないんだけど、なんか…守ってあげなきゃ、って思ったからなんだ。」
そう言ってから、ユウタはこめかみを掻いた。
「そんな事言って、実際は、本田くんに守ってもらってばっかりだけどね…。」
黙ったまま、動かないミツルの足に、波が押し寄せる。
「本田くん!波!」
「どうして…。」
ミツルは、拳を握りしめ、声を絞り出した。
「どうして、死ぬのが俺じゃないんだよ!」
海に向かって、叫ぶミツル。ムーが波との戦いを止め、ミツルを見上げる。
「死ぬなら、俺だろ!俺みたいなどーしようもないやつが、死ねばいいんだよ!」
「ダメだよ、そんな事言っちゃ。」
ユウタが、ミツルの側へ歩み寄る。
「だって、そうだろうが!」
振り向いたミツルは、半ベソをかいている。ユウタは、悲しみの混ざった顔で微笑む。
「ごめんね…本田くんの事、巻き込んで。」
「俺は、自分から巻き込まれてんだ!」
「フフ…変な言い方。」
ユウタは、笑顔のまま、小さなため息をついた。
「本当に、本田くんがいてくれてよかった。」
「俺だって、お前と暮らしてなかったら、ちゃらんぽらんなまんまだよ。」
「すごく楽しかったよ。」
「だから…ッ!」
ミツルが、鼻をすする。
「そういう言い方すんなって。もう…最後みてぇじゃんか…。」
「ごめん。」
ユウタは、ペロッと舌を出した。それから、水平線に涼しい視線を向けた。
「…なんか、不思議だなぁ。本田くんと、こんな風に話せるなんて。あの頃の僕らに教えてあげたいよ。」
「俺が…バカだったんだよ…。」
涙が滲んだ目をこすって、ミツルは投げやりに言った。ユウタは、首を振る。
「僕も、バカだったんだ。諦めてたんだ。あの時の僕は。」
海の向こうを見つめたまま、悲しげにユウタがつぶやく。
「高校の時から仲良くしてたら、僕ら、もっと長く友達でいられたのにね。」
ミツルは、もう涙をこらえられなかった。
「うーッ…。」
小さな子供のように泣き出すミツル。
ユウタが、困った様子でミツルに近づく。そして、ミツルを抱きしめた。細い腕を懸命に伸ばして、ミツルの大きな体を優しく包み込むように。ミツルは、子供のように泣きじゃくる。ユウタは、ミツルに優しく囁く。
「ありがとう…僕の家に来てくれて。僕、本田くんを嫌いなまま死なずにすむよ。」
沖から強い風が吹いてきた。ユウタが、よろける。今度は、ミツルがユウタをしっかり抱きしめ、支えた。ユウタは、ミツルの背中をポンポンと叩いた。
「ありがとう。僕は、ミツルが大好きだよ。」
ミツルが、ユウタの肩から顔を離す。ミツルの顔は、涙と鼻水まみれだ。ユウタが、吹き出す。
「んもー、ミツルがこんなに泣くなんて思わなかったよ。」
「だってよぉ…俺…。」
また、ミツルの目から涙が溢れ出す。ユウタは、ニッコリ笑って、ミツルのおでこに手をあてた。意外にもその手は暖かい。
「僕の全部が無くなる訳じゃ、ないでしょ?」
ミツルのおでこにあてた手に力を込めて、微笑む。
「ね?」
ユウタの手の暖かさに、ミツルの気持ちが落ち着いていく。ミツルは、黙ってうなずいた。
「明日は、大会だよ!泣いてちゃダメだよ!」
明るく励ますユウタに、ミツルは口を尖らせた。
「お前…ホントに…強えよな…。」
「え?」
キョトンとして、首を傾げるユウタ。なんだか、ムーに似ている。
「なんでもねぇ…。」
ミツルの口角が、少しだけ上がった。手の甲で、頬の涙をグイと拭き去る。
「お前、寒いだろ。」
そして、いつものミツルに戻る。
「風邪ひいたら、大変だぞ。帰ろう。」
ユウタの背中に手を回し、海風から守るように砂浜を歩き出そうとして、ふと、足元を見ると、ずぶ濡れのムーがハァハァと息も荒く、二人を見上げていた。
「うわッ!忘れてたコイツ!」
ミツルは、ムーから一歩後ずさる。
「うわー…ビッショビショじゃねぇかよ…。」
「ワン!」
波との戦いに満足したムーは、ミツルに抱っこをせがみ、海水と砂まみれの体で飛びかかった。
「こらッ!やめろッ!…あーッ!」
太陽は海の向こうに沈み、オレンジ色の空は、濃い紫色へと変わりつつある。誰もいなくなった砂浜に、ムーの鳴き声とユウタの笑い声、そしてミツルの悲鳴が響いていた。
アジリティ競技大会、当日。天気は、昨日に続き、春の陽気が心地よく、競技に参加する人にも犬にも最高の環境だ。
「はー、いい天気だな。」
ミツルが、アウトドア用の椅子をトランクから出して広げながら、天を仰ぐ。
「最高のコンディションだね。」
ユウタは、ミツルから椅子を受け取り、腰を下ろす。その足元にムーがストンとお座りをした。
「ムーも、落ち着いてて、いい感じだね。」
頭を撫でられ、ムーは目を細める。
「こりゃ、見かけによらず、肝っ玉のでかい奴らだな。」
自分が参加する訳じゃないけれど、いざ本番となれば、多少なりとも緊張するものだ。ミツルは、ユウタとムーの落ち着きっぷりに、ただならぬものを感じ、期待を高めた。自分の椅子とテーブルを出し、ミツルも腰を下ろした。
「こんにちは。」
聞き覚えのある声に、ミツルは振り向いた。羽鳥だ。羽鳥が、カメラを持って立っていた。
「昨日は、失礼な事お願いしてしまって…。本当にありがとうございました。」
羽鳥が、弾ける笑顔でミツルに礼を言う。
「ああ。」
素っ気なく返事をするミツル。羽鳥は、隣に座るユウタに挨拶をした。
「こんにちは。羽鳥といいます。今日は、大会の取材に来ました。」
短い髪を耳にかけながら、ユウタに笑いかける。
「こんにちは。鈴木ユウタです。記者の方ですか。だから、ミツルと知り合いなんだ。」
「いや、別にこいつと知り合いな訳じゃねぇし。」
「こいつ、なんて言って、仲いいんだね。」
ユウタが、感心して言った。
「ちげぇよ!昨日会ったばっかだよ!」
ミツルが、ムキになって否定する。
「え?そうなの?」
「はい。昨日、ワンちゃんを連れたミツルさんに、一目惚れして。写真を撮らせていただいたんです。」
「へえ。」
顔を輝かせて、ユウタがミツルを見た。ミツルが、鼻の穴を膨らませる。
「はあ?何言ってんの?」
「じゃあ、今日もミツルのこと撮ってあげてください。出場しないけど。」
ユウタは、ニヤニヤしながらミツルを見た。
「はい。イケメンしっかり撮らせていただきますね。」
ユウタの言葉に、乗る羽鳥。
「お、お前ら…ふざけんなよ。」
二人にからかわれ、うろたえるミツル。ユウタと羽鳥が、クスクスと笑う。
「笑ってんじゃねぇよ!お前、とっとと仕事しろ!」
羽鳥を指差し、シッシッと追い払う。
「はいはい。それじゃ、鈴木さん。頑張ってくださいね。鈴木さんもイケメンだから、しっかり撮っちゃいますよ。」
「いえいえ。僕なんかより、ミツルを…。」
「いーから、行け!」
ミツルが、立ち上がる。羽鳥は、ペロッと舌を出し、軽く会釈すると、本部の方へ駆けていった。
「ったく、とんでもねぇ女だな。」
椅子に腰を下ろし、ミツルは舌打ちをする。そんなミツルを、ユウタは嬉しそうに見つめ、フフッと笑った。
「お前まで、からかうとはな。」
ふくれっ面のミツル。
「ごめん、ごめん。でも、素敵な人だね。羽鳥さん。」
「そうかぁ?なんか、図々しい女だよな。」
「正直な人なんだよ。」
「ユウタ…お前は、心が広いなぁ。」
「フフ…。」
ミツルは、飲み物を取りに、車へ向かった。ユウタは、羽鳥の駆けていった方向を見た。それから、ミツルの後ろ姿を見つめる。足元で寝ているムーに、
「意外と、お似合いかもね。」
と、囁いた。
大会は順調に進み、いよいよユウタとムーの番がやってきた。
「落ち着いていけよ。」
ミツルの言葉に、笑顔でうなずくユウタ。ミツルは、
「頼んだぞ。」
と、ムーの頭を撫でる。ムーは、ミツルを見上げ、「ワン!」と威勢よく鳴いた。ユウタとムーが、スタート位置に立つ。ミツルは椅子から立ち上り、祈るように両手を握りしめた。スタートの合図で、ムーは走り出した。軟らかい体をバネのように弾ませて、風のように走る。白くて長い毛が、太陽の光を浴びて、キラキラ眩しく波打つ。ムーは、走る。ユウタの指示を一言も聞き逃さないように。今のユウタが、ムーに付いて走るのは至難の技だ。それをカバーするために、最小限の動きで済むように特訓してきた。指示を出すユウタの動きが限られるから、他の参加者より条件はかなり悪い。ミツルは、心配でたまらない気持ちで、ユウタを見た。ユウタは…笑っていた。春の光の中、ぎこちない動きで、それでも、喜びに満ちた笑顔をみせている。再会した時よりも随分痩せてしまっている。なのに、今のユウタは生命力に溢れている。再会した時から見ているユウタの笑顔。人に安らぎを与えてくれる静かで優しい、それでいて勇気をもくれる笑顔。今、ユウタは、生きている。生きていることを楽しんでいる。あの笑顔を見れば、わかる。幸せというのは、こんな気持ちなのかと、ミツルは思った。大切な人が笑っているだけで、こんなに幸せな気持ちになれるのだ。体の底から沸き上がってくる高揚感と、胸を締めつけられるような感情。嬉しいのに泣きたくなるような気持ちになる。それでも、これが幸せなんだと思う。今、自分は確実に幸せなんだと痛感する。ムーがゴールした。ユウタに駆け寄り、ユウタがムーを抱き締める。ユウタが、こちらを見た。嬉しそうに楽しそうに満面の笑みで、ミツルに手を振る。ミツルは、思い切り手を振り返す。ユウタの満足そうな笑顔。ミツルは、目をこすった。この幸せをしっかりこの目に焼き付けておこうと。




