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悪夢シリーズ

悪夢 #2

作者: 飽和茶

 友人がいなくなった。私と電話している最中にだ。今となってはどんな会話をしていたかを全く覚えていないのだが、とにかく、彼と私の関係にとってまずい一言を私が放った瞬間にふっと彼の声が聞こえなくなった。電波の入りが悪くなったのかと最初は思った。というのも(会話の内容は覚えていないのにこんなところを覚えているのもおかしな話だが)その時私がいた場所はコンクリートによって固められた立方体型の空間で、今まで携帯電話で通話できていたのが不思議なくらいだったからだ。なので、私はさっさとその空間を出て地上に向かった。通話はまだつながっていたようだった。しかし、依然として彼の声は聞こえなかった。端末を頬から離してアンテナの具合を確かめた。最大の受信感度を示す、三本の線がインジケーターに表示されていた。もう一度端末を耳に当てた。けれども、やはり、彼の声は聞こえなかった。

「ああ」

 私は嘆息した。ここに至って確信したからだ。やはり、彼が消えてしまったということを。


 その後、私は彼を探すことに心血を注いだ。彼に関するあらゆる噂も聞き漏らしはしなかった。寂れた町、くすんだ草原、薄汚れた地下壕。およそ、この世のあらゆる場所を制覇したといってもよかった。何百カ所目の探索だったか、ようやく私は彼に関する手がかりを得た。そこは縦横無尽に電車が行きかう町だった。地上にも、地下にも、ありとあらゆるところを電車が走っている。ひどいところでは、踏切の向こうに踏切が、そのまた向こうに踏切がという具合に延々と踏切がつながっている場合もあった。あまりにも間隔が狭い場合は、一つの遮断機を二つの踏切が共有しているようだった。しかしそのような踏切の場合、個々の踏切の間で連動が取れていないことがあるらしく、一つ目の踏切を通過し、二つ目の踏切に侵入した歩行者と電車が目の前で衝突することが度々あった。しかし、どちらも不思議なことにケロッとしていた。何か、私の中の常識では測れない画期的な安全策が講じてあるらしいのだが、畢竟それは私の中の常識にはないものなので、実際に電車とぶつかってその効果のほどを試してみる気にはならなかった。

 閑話休題。とにかく、私は彼に関する手がかりを得たのだ。それをもたらしたのはその町に住む初老の女性だった。

「ああ、○○だね。知ってるよ。つい最近この町に居ついてね。昔の知り合いとは誰とも会いたくないらしいんだけど……。まあ、いいや、ついてきな」

 女性に促されるがまま、私はその町の地上から階段を昇って降りて降りて昇って昇って昇って降りて降りて昇って降りて降りて昇って降りて降りて降りて昇って降りて昇って昇って昇って降りた。そこには、夜の闇が広がっていた。いきなり、古びた、誰も使っていない工場が目の前にそびえ立っていた。昇降の回数から言って都合地下一階の高さにいるはずだが、そこはまぎれもなく自然の闇が横溢する空間だった。腐ったトタン、酸性雨の軌跡が黒い糸となって面に残ったコンクリート、水はけが悪いせいで表面に虹色の油膜を張ったまま留まり続ける汚泥。居心地の悪い場所だった。少なくとも、夜にいるべき場所ではないことは確かだった。

「それじゃ、私は帰らせてもらうよ。○○なら、この正面に見える建物、あの中に入るはずさ」

 そう言って女性は立ち去った。後には私だけが残された。取りあえずは、示された建物を目指すしかなさそうだ。そう思って私はまっすぐ歩き出す。一足毎に足元で脱糞時のような音を立てながらひしゃげていくヘドロにたまらない不快を感じた。二分ほどあるくと、先ほど女性に示された建物の前に着いた。正面には緋色の塗装が半ばまで剥がれた大きな鉄扉。引き戸となっているそれを、弾みをつけて開くと、不意に中から明かりが漏れた。

 その建物の中は盛大に飾り付けられていた。赤や黄色や青や緑といった色とりどりの直径一センチくらいのガラスで覆われた電球が、辺り一面にびっしりと設置されていた。壁にも、床にも、天井にも。テニスコートほどの空間がどきつい色彩で満たされている。すべての色が重なり合ったその中心は真っ白にハレーションを起こしていて、まともに見ることができなかった。こんなところに彼は本当にいるのだろうか。

 すると、不意に電子音が鳴り響く。携帯電話の着信音のようだった。もちろん私のものではない。それは、目の前の真っ白い空間から流れているようだった。開き手を眉の上に当て、庇を作りながら、私はその中にもう片方の手を伸ばす。手ごたえがあった。白い空間から引き抜いた手には携帯電話が握られていた。やはり音はこの携帯電話から流れ出ているようだ。通話ボタンを押す。回線がつながった。画面に表示されている相手の名前は○○であった。急いで端末を耳に当てる。

「ようやく、辿りついたか」

「なぜ、お前は急にいなくなったんだ」

「お前は、俺に、謝ることが、あるんじゃないか?」

 会話はかみ合わなかった。しかし、その通りだった。私は彼に謝るべきなのだ。だから、怒鳴りつけるように、哀願するように、嘲笑されることも辞さず、全霊をかけて、私は彼にこう告げた。

「ごめんなさい私が悪かったお前をいやあなたを顧みることなく私は一人になってしまったあなたの存在を許す許さないではなく本当はあなたが私を許すか許さないかなのにそれさえも忘れて私は人間として生きようとしたごめんなさいすまないこの通りだ勘弁してくれ私は忘れていたんだ私が私であることを誰が保証しているのかをだからあのまま私はあなたを蔑ろにしてしまうところだったでも違ったそれは違ったんだだからまた私とともにいておくれ」

 ひと息に喋った。自分でも不思議なくらいに汗がでていた。もう通話は切れていた。どれくらいの言葉が彼に届いたかもわからなかった。しかし、私は悟った。彼はまだ私を許してはいない。

 不意にまた携帯電話が鳴りだした。今度は彼とは別の人間からの着信のようだった。恐る恐る出てみる。野太い声が耳を打った。

「失敗したようだな。ならばお前は行かなければならない」

「どこへです?」

「行かなければならないのだ」

 途端、ふっと意識が途切れた。自身の頭蓋が床の上で跳ねる案外と固い音だけを最後に聞いて、私は眠りについた。


 目が覚めるとそこは見たこともないような土地だった。辺りを見回しても砂地ばかり、ところどころに畑があって、その場所だけが緑色。あとは砂埃も、町も、人も、みな黄銅色をしていた。乾いた風に乗って巻き上げられた砂が全てを染めていた。いつまでも残る雪のようだと私は思った。皮膚の刻まれた皺に、壁の裂け目に、澱となって残る汚れた雪。いくら年月が過ぎても決して消えてはくれない不快な色をしたそれは、なるほど失敗した者の行く町には相応しいと私は思った。

 ひとまず、この砂埃を避けるために、建物に入る。目の前の壺のような家がそれだった。民家だったようで、中の婦人は不審な目で私を見たが、町の新入りがこのような行いをするのは慣れっこらしく、別段文句を言う気配もない。その代り彼女は有益な情報をくれた。

「寝る場所を探してるのかい?」

「はい」

 そういうわけでもないのだが、突き詰めればそういうわけだろう。

「なら、裏を使いな」

 私の寝床をくれるようなのである。彼女がしゃくった顎で指示した扉を開いて家の裏に回ってみると、案に相違して(私はそこに納屋か何かがあると踏んでいたのであるが)、ただのトマト畑があった。

「ここで寝るのですか」

「なにか文句があるのかい?」

「床がありません」

「そこに寝るんだ。掛け布団だけひっかけてね。ここじゃ新入りは誰だってそうするんだよ」

 トマト畑の土は、耕されていて、それはもちろん周りの土よりは寝心地が良さそうなのだが、如何せん抵抗を覚えた。しかし、誰だってそうするのなら仕方がない。半ば思考を放棄して、私はうっそりと頷き、彼女から掛け布団を受け取った。

「しかし、私の他には誰もいませんね」

 辺りを見回しながら、そうつぶやく。そのトマト畑の周りには、私以外の人間が見当たらない。

「今はそんなにここにやってくる奴がいないからね。あんたが久しぶりの客さ。……おおっといけない」

 彼女は何かに気づいて、急いで台所に戻り鍋とお玉をそれぞれ二つずつ取って戻って来た。

「教会の連中だ。奴らがこの前を通る時は、このお玉で鍋の底を叩くんだよ!そうしなきゃあんたは偽教徒ってんで打ち首さ」

 聞くところによるとこの地方では古くから、教会の一行が自分の家の前を通るたびに鐘を鳴らし、それをしない者は偽教徒とされ処刑を受けるという風習があるらしい。今は戦時の供出により鐘が全て民家から姿を消したので、鍋とお玉という食器でそれを代用しているというのだ。私はそのようなありあわせのもので忠誠を示すという行為がそれこそ偽教徒めいていると感じて少し躊躇を覚えたが、よく聞くと辺り一面の家々から鍋の底を打ち鳴らす音が聞こえる。命が惜しい私はそれらを聞いて少しく踏ん切りが出来、潔く周囲の音声に併せて、自らの手に掲げた台所用品を打ち鳴らした。教会の使者が近づくにつれてより一層力を込めながら。彼らが一刻も早くこの場を立ち去ってくれることを祈りながら。しかし、そのまま通り過ぎるかと思われた使者は、何故か私の目の前で随伴する数人と共に歩みを止めた。そしてこう告げたのである。

「お前の試験は明日だ。わかったな」

「わかりました」

 とっさに、分かってもいないのに、処刑の存在に怯えて適当な承知をしてしまった。その事実に遅ればせながら気づいて慌てふためく私を一切顧慮することなく、使者は満足げに頷くとまた歩みを始めた。そして一行はそのまま、地平線の彼方に消えていった。

「試験は明日か。短い付き合いだったね」

 婦人はそう言うと、私の手から鍋とお玉を引きはがして、家の中に戻っていった。後に残された私は、どうやら恐らく、この土の上で一夜を明かすしかないようなのである。


 朝が来た。試験の当日となった。土の上での寝心地は思ったよりも良かった。気温が下がった夜は砂埃も収まるようで、口の中も不快さを覚えるほどには砂気を噛んではいなかった。寝返りを打つたびに肌着と体の間に入ってくる土、深い眠りに入ると決まって耳、鼻の穴に入ってこようとする小さな虫を振り払うことを我慢する必要はあったが、ここで寝ることもそう悪くはない。私は少しばかりこの町での生活に希望を抱いた。そしてその生活を続けるためには、とにかく、私は試験に向かわねばならない気がした。朝日を照り返すトマトを一つだけもぎ取り、口に含んでから女性に教会の場所を聞く。その場所だが、何のことはない、昨日使者が向かった方向をただまっすぐ、ひたすらにまっすぐ行けばよいだけであった。

 私は教えられた道を四時間ほど歩いた。大きな石造りの塔が見えてきた。これが教会のようだった。高さは六十メートルほどだろうか。大小の石で、極めて単調な直方体型に成型されたその塔は、教会というよりは見張り台のようであった。扉を開けて中に入る。昨日私に試験の存在を告げた使者と、その背後に控える巨大な時計の文字盤が私を迎え入れた。

「来たな」

「はい。試験を受けさせてください」

「いいだろう」

 試験の内容はこうだった。まず、彼の背後の巨大な時計の文字盤に長針、短針を足掛かりにしがみつく。その状態で文字盤上のある特定の数字を押し込むと、文字盤が塔の中を上昇する。上昇するために押さなければならない数字はランダムであり、当然、文字盤が大きすぎるので一つの場所から全部を押すことはできない。時計の指し示す時間は、現実のそれと一致しているので一定の時間になるまで待ってから針を伝うことで、押し切れない数字を操作することができるのだ。そして、その上昇に必要な数字を押すことを繰り返して、塔の頂上まで登り切ることができたら、試験は合格ということだった。

「それでは、いきます」

「ああ」

 私は、文字盤にしがみついた。そして手近にある数字を手あたり次第に押していった。最初は順調であった。手の届かない場所に、上昇のトリガとなる数字はなかった。しかし、十五メートルほど登ったところで、最初のそれが現れた。現在時刻はおよそ午後の三時前。どうしても5, 6, 7, 8の辺りに手が届かなかった。一時間ほど待つと、長針に全体重を預けることでどうにかこうにか、それらを押せるようになった。その中に当たりがあったようで、文字盤は少し上昇する。このまま辛抱強く繰り返せば、この試験を突破することはそう不可能なことではないように思えた。しかし、もし試験の途中で時刻が六時になったら、すなわち針が垂直に並び、足場が途絶えてしまったら?それを乗り越えたとしても、十二時になったら?いや、考えるまい。それよりも早く登り切るのだ。しかし、次のステップにおいても、無情にもトリガとなる数字は手の届かないところにあった。私の身体の中を冷たい絶望がそっと通り過ぎていった。

 そうこうしている内に、時刻は六時になろうとしていた。垂直に立った針にしがみつくような形で私は落下しないよう耐え続ける。外は夕暮れ時なのだろう。遥か眼下に見える教会の入り口からは、オレンジ色の沈みかけた陽光が差し込んでいた。外では、家に帰ろうとしている子供たちのはしゃぐ声。自分たちの家に誰が一番早く戻ることができるか、競争しているようだった(私の往路にそのような家があっただろうか)。途端に、私は何もかもが懐かしくなった。私も、あのような子供の一人であったはずなのだ。この時間には、あのような温かさだけを感じられる自分の家に、満面の笑顔を湛えて戻る一人の子供であったはずなのだ。なのに、なぜ今はこのような所で、歪に巨大な時計の針に掴まって震えているのだろう。このような中途半端な高さで。みすぼらしい姿で。

 七時になった。立つ場所の不自由は些かだが軽くなった。

 八時になった。空腹を覚えた。

 九時になった。体中が汗とそれに絡みついた砂ぼこりでべとついている。

 十時になった。わずかながら、眠気を覚え始めていた

 十一時になった。また立つ場所になやまされ始めた。

 十一時五十分。眠い。力が入らない。立つ場所がない。時計は上がらない。

 十一時五十九分。針に掴まるためには、その外側に回る必要がある。ふらふらとした頭で、私は長針をまたぎこえようとした。

足を滑らせた。下半身が一気に文字盤の中心より下に落ちる。無我夢中で針にしがみつこうとした。その結果、どうやら速やかな落下は免れた。私は片手で長針にぶら下がっていた。指を長針と短針の間に滑りこませたまま。そしてその事実に気が付いた瞬間、自身の行く末を、悟った。

 十二時になった。重なり合った二本の針はぶら下がる私の指を切断した。支えを失った身体は、急速に地上に向かって落ちていった。指を切断された激痛が、私が落下していく闇の中で吹き出す血と共にテールランプの如く尾を引いているような気がした。そして指先の痛みに打ち震えながら、その先に待っている絶望に私は更なる震えを覚えた。これから私は、あのすさまじい速さで迫りくる床にたたきつけられて、潰れたトマトのようになって死ぬのである。走馬燈よりも、確固たるイメージが私の脳裏に浮かんだ。それは未来のビジョンだ。赤黒い、私だった肉が、砂埃を浴びて褪せた黄銅色に染まっていく。嫌だと思った。そのような最後は、嫌だと思った。しかし、石造りの床はもはや眼前に迫っていた。そしてその表面の仔細な凹凸を認めた刹那、私の意識は真っ黒に途絶えた。

 

私は死んだ。死んでしまった。しかし、同時に死んでいないかもしれないという感覚もあった。だが、今となってはどちらでもいいのかもしれない。もし死んでいなかったとしても、またどこかで試されて拒絶されるだけであろうとわかっているからだ。友を探すなどというたわ言を口にしながら。届きもしない謝罪を、胸の中でつぶやきながら。


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