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きょうのお墓ご飯  作者: 臭大豆
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6/13

翌・七月某日(昼下がりの頃)その1

 翌・七月某日(昼下がりの頃)



 ごくり、ごくりと冷たい液体を流し込んでいく。

 そしてそれが喉ではじける。

 シュワッ…

 焼けるような冷たさが歯の神経と舌の根と、喉と胃の壁にスーッと、するりと。滝のような勢い、激流のように走っていく。舌が、喉が、血管がきゅっと引き締まり、そして広がる、体に広がる一瞬の涼と爽やかな香り、そして果実と砂糖由来の天然の甘さ。

 ・・・そして、

 ぶわっ。

 噴き出す汗と、一瞬の涼しさを感じたところでなくなりはしない、日本特有の肌にまとわりつくような湿った暑さ。それに緩んだ筋肉と汗腺。

 ごく、ごく、ごく…

 それを掻き消す、滝の流れの如き甘い、しびれる。炭酸の濁流。否、澄み切った甘さ、透き通った程よい香りと甘さが喉でぱちぱちと弾けながら、「彼女」の体に涼を送り込んでゆく。

 「ぷはあっ、ああっ…効くううう!」

 冷凍庫で凍る寸前まで冷やされたそれ、その飲み物、そのジュース、そのサイダー。天然の果実由来の香りと砂糖の甘さ、そして弾ける炭酸が飲む人に時には安らぎを、時には目の覚めるような刺激を与えてくれる。日々を上手に引き締めてくれる、結構昔からあるらしいその飲み物を、「三本の矢サイダー」を花塚響宇は骨の髄まで染み込ませるかのように味わっていた。

 「やっぱり夏はこれに限るよね…週に一本、いいとこ三日に一本。」

 夏のもっとも暑いときに染み渡るこれ。更におばあちゃんと一緒に飲んでいた想い出も相まって、この飲み物は私にとってとても特別な、そう、格別なものである。

 わたしは三本の矢サイダーを、忙しそうに首を振って働く扇風機の横でだらりとしながら、ぐったりとして。読み飽きた漫画を片手に畳の居間のちゃぶ台、もっと正確に言えば角が四角く背の低い木のテーブルの前に胡坐で座り喉に胃にそして血液に流し込んでいたのだった。

 リモコンのやわらかいボタンを、赤い電源のボタンをくにっ、と押し込んでテレビを点ける、特に見たいものがあるわけではないが。昼ドラも通販番組も嫌いだし。

 そんな私は適当に、この時間にやっているごきげんいかがとか辰子の部屋でもかけてみる…

 と、見せかけて。夏休み辺りに放送している、人気ドラマの再放送など観るのであった。あ、一応言っておくと録画である。この時間には放送していないので。ジャンルはスポーツもの。…これだけ言っておけば何の番組かは予想が付くだろう。


 「うわあああああ…」「ちくしょおおおおお!!」「お前ら、こんなんでいいのかよ…!」

 大きいでも小さいでもないテレビの画面には、画面いっぱい、涙いっぱいの。いわゆる、よくある、主人公達が挫折とか失敗しているシーン。そんな役者さんたちの演技が映っていた。

 「ふう…まだ煮えないかな?煮えないだろうなあ、だから私はこうしてだらけているのだ、決していつもこうしているわけではない、こんな風にだらけてばかりではない…時もある。」

 私は誰に対して言っているかも分からない言い訳をする。本当、夏は頭が茹で上がって大変だ。…茹だりすぎて頭が鮮やかな緑色になりそうだ。

 …おい、私の頭はブロッコリーか何かなのか?く、くせ毛じゃないもん!

 料理に程よく火が通るまでの間、私は暇なのでお婆ちゃんのレシピがぎっしり詰まった、ボールペンなのに達筆の文字がずらりと並んだレシピ帳、色褪せたノートの何度も目を通した部分を再度読み返してみる。

 お婆ちゃんのノート(レシピ帳)。

 私がお婆ちゃんの部屋の引き出しから見つけたもの(ここではそうとだけ言っておく)で、お婆ちゃんが生前に残した、そして私に遺してくれた。お婆ちゃんのレシピが書かれている本だ。そして訳あって、私はこのお婆ちゃんのレシピに記された料理を鏡の顔の男、あの幽霊。それから、他にも何人かの幽霊があのお墓に居るんだけど、その故人ひとたちに食べてもらうことが私の習慣、というか日課になっているのだ。まあ昨日は暑くて料理を作るのを億劫がってしまったのでまあ、サボってしまったというわけなのですが…

その理由は。ああ、サボってしまった理由のことではなく。その人たちに料理を作ることになっている理由なのですが…というより先に言っておくと、「その人たち」、他の幽霊の方というのはおまけなのです。(と言ってしまうと失礼なのですが)だってその人たちはいつもそこに居るわけではなく、たまにしか会えなくて。ああ、知ってましたか?死んでから暫くした幽霊って言うものは。全部が全部そういうわけでもないようですが、お墓に居ることが退屈になってしまって、どこかに遊びに行くことがあるようですよ。でも鏡の顔の男、あいつ…もとい、あの故人は。それにも飽きてしまった、と言っていたけれど…

 だから、いつも、お墓に行くとあいつは居るみたいで。そして私は、あいつの記憶を、忘れてしまったあいつの記憶が戻るきっかけになるかもしれないと。あいつにお婆ちゃんのレシピの料理を作って持って行ってると言う訳なのです。

 そしてあいつはそれを美味しそうに食べるのです…あの何処にあるのか良く分からない口から。

 え?「幽霊がものを食べられるのか」、だって。うん、そうだね、まあ食べられないよね、普通はね。私もやっぱりそうだと思ったものだ。…あいつが、私が始めて会った幽霊、鏡の顔の男が、軽ーくお供え物をスルー(文字通り)した時は。―でも、大丈夫。ちゃんと幽霊でも私が作った料理を食べられる、食べてもらえる方法があって…

 私もびっくりだったんだけど、それはね?


 ピピピピピピピピピピピピピピピピ・・・・・・・・・


 「…あー。」

 やっぱりこういうタイミングでタイマーが鳴ってしまうのだなあ、と私は思ってしまう。分かる人にはわかるかもしれないが、私は所謂「間の悪い人間」だったりする。例えば、何気なく立ち寄った人気の少ない雑貨屋(というより人気の少ない田舎の商店のようなもの)で、店員とその友人らしきものが泣きながら話を、具体的に…というか、話の内容までは分からなかったが店員さんがなにやら愚痴を聞いてもらって泣いている所に出くわしてしまい、そのまま何ともいえない気持ち、というか空気の中で泣いてた店員さんにレジを打ってもらったり、

中学校のとき真面目というか優等生的なキャラで先生の前では通してたのに、ある時たまたま掃除の時友達と、ああ、武道館掃除のときだったな。武道場、その中の剣道をやるスペースじゃなくて柔道場、授業と部活の両方で使う場所。そこで見回りをしている先生の目を盗んでこっそりたけのこニョッキ

 (料理のニョッキとは関係ない。子ども達の中でよくある地方特有の遊び、ゲームである。この場合は複数居るメンバーの中でそれぞれが順番毎に、早い者勝ちの順番毎で「1ニョッキ!」「2ニョッキ!」と言いながら頭の上に両手を勢い良く伸ばした三角形、又はタワーや槍、ゲーム的に正しく言うなら伸びてゆく筍を作っていき…それが出来れば大抵の場合は勝利である。しかし、その掛け声が被ってしまった場合や、その同じ数字を言った者よりもニョッキするのが遅れてしまった者、ルールにもよるが、完全に同時の場合は被った二人が負け。私達の中ではそう決めていた。また被りの中でニョッキ宣言が遅かった者。または、結局最後までニョッキ宣言をしそびれてしまった者。そういう人が敗者となるのだ。)

 をして遊んでいた。…因みに武道館の中の畳担当は二人だったので、二人でだ。

 いやー、こういう「早抜け形」のゲームは二人だとゲームが成立しないものだと思うかもしれないが、これが以外にも盛り上がるものだ。ルールは同じだが、一対一の場合は多人数とは駆け引きの仕方が違う。先ずこのゲームは親の「たけのこニョッキ!」宣言の後に始まるのだが、タイミングをずらして、または早口で言うが早いかすぐさまニョッキをしたり、「たけのこニョーッーキー…って言ったら始めるけどまだ始めないですからねはい始めます1ニョッキ」なんて親の立場を利用して言ってみたり、或いは言い終わった後で沈黙が続き、そのまま会話で相手の気をそらしたり。しかし、私は後者のこの手段を利用しようとして。そして会話で友達の注意をどう惹くかという事ばかりに集中してしまうあまり、その友達にニョッキされてしまうという事が多々あった。結構鈍臭い話である。

 そして私達はそのゲームに夢中になっており。ゲームばかりに集中しすぎて…

    それを見ている、中学生には重く感じる威圧感を発する直立不動のその男性。


 「あっ・・・」

 「どしたのきょうちゃ・・・・・・…わー。」


 私達が気付いたときには既に。先生は柔道場にある、換気のために空けてあった重い鉄扉の向こうからこちらの様子を伺っていたのであった。

 見回りに来ていたその先生は、細身で眼鏡の鼻筋がすっと通った数学の先生は。細い横縞のシャツを着ていた先生は。優しいというか結構物分りのいい、「若さ」というものを分かってくれる感じの先生だったので特に叱られるという事は無かったが、でもその時は「意外だなあ」という様な顔を、或いは「そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな。」…とまでは行き過ぎかもしれないが、そういう感じの顔をして何も言わないで去っていったのだった。

 …間が悪いというか。要領が悪いところもある。つまり私は結構不器用で鈍い人間だったりするのだ。え?蝶?綺麗だとは思うが食材としての興味はまったく無い。鱗粉に毒があるようだし。


 そしてそんな話をしていたら、さっき話そうとしていた事も忘れていたという頭の悪さである。メモも原稿もない、元の文章なんてない、構成作家や中の人なんて居ない。即興の、その場の話というのはこういう事が結構あるから困る。現実は台本の様には行かないものだ。

 さて、何の話だったか…ああ、そうだ。

 今作っている料理の話だったか。

 私が今作っているのは、ストラコット・トスカーナという煮込み料理と、それに付け合せるトマトを使った簡単な料理だ。調理というか仕込みの工程は大体終わっているので、取り敢えずやり終えてしまったここまでの調理の工程でも思い出してみる。因みに作る量は大体家族一人分くらい、メインの豚肉(本来は牛肉)が600グラムだから、大体家族五人前後分くらいかな?うん、大体だ。…こういうのは一度に沢山作らないとガス代が勿体無いし。それに、一回量を作ってしまえば後で食べ回せる、何食分にもなるのでいいのだ。料理をする気力が削がれる夏にはいいかもしれない。正直煮込み料理は。物にもよるが煮込んでる間は只待ってればいいだけだし。手間がかかりそうに見えて、実はそこまで大変なものではないのかもしれない。

 玉葱、人参、セロリを薄めにスライスする。玉葱とセロリは大変だ。何が大変って?そりゃあ、匂いが爪の中に染み込むの。今となってはもう気にしないが…私は料理するときに手袋とかは着けない主義なので。

 でもそれ以上にそこに加えるにんにくは更に強烈なんだよなあ…それはあんまり触らないようにして皮をむいて、包丁の裏で軽ーく潰しておく。

 お婆ちゃんのレシピ帳によると大体五ミリくらいの薄さだそうだが、しかし煮込んでいくと形が崩れるので、つまりスライスの薄さや素材の切り方がそこまで重要になる料理ではないとも書かれているので、私もそれに習って大体の大きさで切る様にしている。玉葱一個、人参一本、セロリが一本。そしてにんにく二欠け。野菜はこれをベースとして様々なアレンジを、様は増やしてもいいようだが。先ずは基本に則ってやってみることにする。…最初から下手にアレンジをしすぎて失敗すること。それはもう私は飽きたのだ、料理を始めた小学生位の頃から中学生の頃、高校生の頃。その辺りには大体、それはいいやり方ではないと馬鹿な私にも理解が出来た。取り敢えず私はその段階は脱している。

 …それはもう、よいアレンジが。正しくアレンジ出来る位には、その程度には上手くなった、と思う。だからとりあえず野菜の大きさは自己流で。口当たり良く切ろう。

 続いて、ホールトマトを裏ごしする。こいつは800グラムと結構多い。取り敢えず今の時期は庭の畑でトマトを栽培しているのでそれで代用する。その場合市販のものとは大分味が変わるが、自分で調達したものならばそれが自分の味になる、無理に同じものにこだわる必要は無い。レシピにもそう書かれている、実際そう書かれている。流石はお婆ちゃん、良い事を書いてるなあ。技前!ああ、裏ごしというのは金ざるに入れて、へらとかスプーンでぐいぐい押して果肉を細かくしつつ口触りの悪いトマトの皮や筋を取り除くと言った方が分かりやすいか。

 そして豚肉、肉屋で買った、特にブランド物でもなんでもないが、ただ。国産でしかも、スーパーのものよりなんだか美味しい、実際食べ比べてみても美味しく感じた肉屋の豚肩ロース、肩ロースのブロック600グラム。これに塩とコショウを少々かける。

 …この「少々」という量は。料理初心者の人たちにとってはかなり頭を悩ますところだろうが。何度も挑戦すれば大体勘で分かるようになるだろう。…足りなかったら後で足せば良いし、しかし薄味を恐れて、外食のように濃い味にしたくて。沢山入れすぎるとリカバリーが不可能になるのはとても難しいところである。

 その間、豚肉と塩コショウが馴染むまでの間。煮込み用の大鍋にオリーブオイルを大匙二杯分ほど布き、ああ、鍋を温めてから敷いてね。もっとオリーブオイルの風味が欲しかったら「追いオリーブ」、オリーブオイルを足しても良いんじゃないかなあ。やっぱり私は、オリーブオイル。最初にスライスした玉葱と人参とセロリ、そしてにんにくを大体七分間くらいだろうか?しかし、これもそこまで細かくはやらなくとも良い。取り敢えず火が通れば良いのだ。後で煮込むし…

 ・・・何て言うと思った?いや、私はここはしっかり炒めるよ。特に玉葱は。

 私はカレーの玉葱は、しっかり飴色に炒めてから煮込むのが狂おしい程好きな性質たちなので。

 玉葱は炒め方によって大きく風味を変える、辛い葱の香りと味か、甘い果物の様な味か。少なくとも私は自分ではそうするようにしている。というか、そうでないと許せないのだ。まあ余所の家で出されたものなら「おいしいです!」と言って食べるだろうが…まあその家のやり方や、時間が無い中で作ってくれたものと言う事を考慮すればこそ、そこは許せる。


 しかし、外食でそんなものを出されたら。私は黙っている自信が無い。

 まあ業務用のカレーとかだったら別の意味でうるさくなるだろうが。しかし私はそれよりも、「レトルトのカレーよりもまずいカレー」というものを食べたことがあってだな…いつか友達と東京駅に行ったとき、駅前の店で食べた、友達に味見させてもらった麺が細くてスナックのようにぼそぼそなスープもうまみが足りなくて只苦い様なくそまずくくそまずい坦々麺と、同じく友達にもらった、セットのマーボーナス丼。例によって不味い。なんか苦いしなんだか薄い、米は…覚えてないなあ。とにかく具の印象が強くて・・・

 そして、極めつけは件の「レトルトカレーよりも不味いカレー」である。味の感想だが…

 「レトルトカレーよりまずい」。

 なんと言うか私は、高校生ながらに、その時の多感な自分なりに、とても驚き、感心していたものだ。よくもまあ…素人でも失敗しないであろうカレーをここまで、しかも店で出すメニューをここまでまずく作れるものだと思った。オリジナルのスパイスの配合に挑戦したのか、或いはルーでもケチったのか。とにかく味が薄いというか、香りが薄いというか・・・

 そしてどうしてこれも苦いんだ。…変に苦いんだ。

 どうしてどれもこれも変な苦味があるの!?私は旅で疲れた私の舌がおかしくなったのか、というのもごく一瞬だけ疑ったが、私はそこまで味音痴ではない自信があるし、なにより友達も不味いと、というか先に興味本位で味見をして来た友人も、ややぽっちゃり目で食も太めな、だけどとっても優しくて気が利く、でもバッグにはマンガ肉のアクセサリーを着けている友人も「うん、これも不味いね!」と満面の作り笑いで言っていたので間違いなかった。

 そして、他の客の様子を伺ってみたところ、他の人も料理を食べた後、変な笑顔を浮かべていたことからよーく分かった、自分の味覚が正しいことが。

 そして私達は、というか私は。そのまま怒って、ああ、一応料理は完食して店を出た。

 ただ、いつも店員さんにする礼の言葉はなかった。というか、厨房の方を鼻息荒く睨み付けさえした。もしかしたらそこで何か言っていたかもしれないが良くは覚えていない。そして確実に良くも思っていない。

 そして、他の客を哀れにも思った。ああ、店の立地が良いだけに、只それだけに。こんな料理を食べさせられてしまうこの人たちは不幸だなあ、と。そして私はこの店のことを、いろんな人に伝えていくことを密かに決意したのであった。

 まあその後は事有るごとに友達や料理部の先輩達とその話題で盛り上がったからいいのだけど。何だかんだでそういうのも良い思い出になるもので。あのお店まだあるのかなあ…


 まあそんな感じで香ばしく野菜が炒まったら、そこに、鍋の底に。ブロック肉をドーン!と投入する。…そしたら当然野菜が鍋の側面に飛び散るわけだ。そして表面に焼き目がついたら白ワイン150CCを入れ、ワインが蒸発するまで炒める。今回使ったワインは安物、1800ミリリットルで900円くらいのものである。そこまでお金は掛けられないし…取りあえず私の定番の料理用ワインはそれである。因みに最初から肉と野菜をワインでマリネ(漬け込み)するタイプのレシピもあるがこちらはしない簡略化版である。そしてそこに裏ごししたホールトマトをどばっと入れ、一時間程、蓋をせずに弱火で煮込む。時間の目安は一時間ほど。

 ―そして、その一時間。それを待っていたのが現在というわけである。まあ何もしなーい訳ではなく。気が向いたら味を馴染ませるのに肉をひっくり返したりして。そして一時間煮込んだらブロック肉を適当な大きさにスライスし、皿に煮込んだ、豚肉のうまみが染み込み、とろ火での加熱により熟成された甘みがじわっと染み出しているであろう野菜を敷き詰め、その上にスライスした肉を、切ると肉汁が旨みが、「灰汁」とも言われているが、肉の野生の香りがぎゅっとつまったエキスが、肉汁がじゅわあっとあふれ出てきたそれを敷き詰めれば完成だ。

 ああ、因みに今のは私のイメージである(だいたい合ってる)。

 さて、タイマーは鳴って火は止めたわけだが。まだ鍋の肉が切れる状態に、冷めた状態に。更に言えば、冷めてから全体に味が染み込む

(煮込みはそういうものなのだ、冷めている間がよく味が染みるのである)

 までに時間があるので。さて、どうするか…

 それでは因みついでにこの料理の名前の話でも。Toscono→トスカーナというのはイタリアのトスカーナ地方という意味で、つまり日本で言えば郷土料理だとか、地方に伝わる料理ということだ。Stracotto→ストラコットというのは日本語にすると…これが何とも面白い訳になるのだが。日本語に直すと「煮すぎ焼きすぎ」という訳になる。「煮すぎ焼きすぎ」。つまりこの料理に関しては「よく煮込んだもの」、柔らかくなるまで煮込んだものという意味になっているが…「煮すぎ焼きすぎ」とか、もっと他に言い方があるだろうに。本当、直訳された言葉というのは違和感というか、微妙なニュアンスの違いがあって面白く、笑ってしまうものだ。

 ストラコット → 「煮すぎ焼きすぎ」。取り敢えず今日はこの言葉だけでも覚えて帰って欲しい。

 鍋は…うーん、まだ熱いなあ。夏は暑いし鍋が熱いのだ。

 それで私が最近こういう料理ばかり作っている理由だが、…ああ、最近はそうなのだ。専ら夏に向いた煮込み系の料理だとか、和食ではない洋食系の料理ばかり作っている。それは単なる格好付けだとかお洒落だからとかそういうのではなく…第一ニンニクの匂いが付くのにお洒落も何もあるものか。

 ごめんなさい、嘘です、嘘を吐きました。正直なところ格好付けとか洒落てるからとかそういう理由もあるし、私はニンニク大好きです。まあ別にそのまま仕事に行くわけじゃないからいいよね。…お墓に行ったりスーパー、商店街まで買出しに行く時に、通りすがった人や周りの人が少し気になったりはするけど。あれ、絶対ミントとかローズマリーとかパセリとかでは匂い消しきれてないよね…

 それはさておき理由についてだが。正直なところ(格好付けを除く)、私の技術を磨く…というか、レパートリーを増やしたい。要するに、個人的な知的好奇心や探究心からというわけだ。…高校のときも部活で結構フレンチやエスニック、ケイジャン

(アメリカ系、元フランス系の現ルイジアナ系民族料理。地元の食材を生かした庶民的料理で、高価な材料やフレンチ的技法を使うクレオール料理とはまた別物である。あとケイジャンは料理にもよるがクレオールよりスパイシー、辛めだったりする。玉葱、セロリ、ピーマンを合わせたいわゆる「聖なる三位一体」というものをベースとし、主食には米が用いられることが多い。パンやコーンブレッドも食べるようだが。因みに自給自足というケイジャン民のライフスタイルに合わせ、食材にザリガニやワニ、カエルが使われることもあるようである。因みに私はどれも食べたことがある。まあこのケイジャン料理ではザリガニとカエルは使ったことはないが。これだけでは良く分からない人も居るだろうので付け加えておくと、特に有名なものはチリペッパーなどの香辛料が効いた炊き込みご飯のジャンバラヤ、またケイジャン料理といえるかどうかは分からないが日本の丼とケイジャンスパイスの融合、ケイジャン系タコライスも外せないと思う。…一応言っておくと、というか私も勘違いしていたのだけれど。タコライスというのはもともとメキシコのタコスを元にしたもので、ケイジャン料理ではないようである。ただ、ケイジャン系のスパイス(シーズニング)を使ったものは、いわゆるケイジャン(風)タコライスと呼ばれているようだ。まあ出来合いのルーで作る日本のカレーと挽きたてのスパイスで作られたジャガイモを入れないインドのカレーとが違うようなものなのかな?)

系の料理は作ったことがあるが、それでもお婆ちゃんのレシピ帳には私がまだ作ったことのないようなものまでぎっしりなのであった。まさに脱帽ものである…もっとも、私はコック帽など着けてはいないし、厨房でそれを外すのはマナーに反するが。

 ワニ肉というのは日本では馴染みがないようだが、私は中々良い食材だと思う。超低脂肪、高タンパク。味は、そうだね、噛み応えのある、しかし筋っぽいとかそういうのではなく。含んでいるコラーゲンによるぷりっとした食感、軍鶏の足を柔らかくしたような、鶏の脚の様な。そう、実際食べると鳥の脚の様な味である。ワニ手羽は本当にそうであった。魚と鶏の中間の味という話をよく聞くが、しかし私が自分で実際に食べてみたそれは。カエル肉のような、魚臭さはほとんど、ほぼ無く。本当に高級な(というのも何だが)鶏の脚のような癖の無い味

あった。新鮮な魚、臭みのまったく無い魚と言えば。それも当てはまるかもしれないが。私としては、

 「鶏肉」。

 それが味の感想としては一番しっくり来ると思う。

 あ、後体内で精製されるという抗生物質のせいだろうか。よーく口と鼻腔の中で風味を確かめてみると、どこかそういう、ワニ肉特有の(不快ではない)風味を感じることが出来る。また焼いている時に染み出してくる肉汁、フライパンで焼いていると焦げ付くような、きつね色にパリッとなったコラーゲン(見た感じ、鶏肉から染み出すそれとよく似ている)とうまみを含むそれは、ワニ特有のそういう風味を含んでいるように感じた。

(実際色々な料理に良く合うと言う。鶏肉の様に使ったり。淡白で唐揚げにしても美味しい)

 そしてワニのタン。ワニの舌も食べてみたのだが、

 …これがまた美味い。シンプルに塩コショウとレモンでいただいてみたが、中の肉は、舌は。本当に口の中でほどけるようで。「とろける」ではなく。「ほどける」、ほぐれると言った方がより伝わるだろう。そしてタンの外側の皮。外側とか側面とかに薄くうろこのような模様がついた

(しかし手の皮やそこの鱗とは違う。手の。その辺りは魚の鱗、硬骨魚類ほどの固さではないがなめし皮にされるくらいの素材なのでそこそこ固く、揚げれば食べられなくも無かったが、固い魚の皮のように無理して食べる必要の無い部位であろう、手の皮は。)

それは、その食感は。

 「焼きたて、煮たての柔らかい焼き(煮)魚の皮」。

 そんな感じの食感だ。

 味は甘みがあり、コリコリとした食感の無い、柔らかい、又は柔らかくしたホルモン肉に似ている。もう一度言うが。それは口の中で「ほどける」のだ。

 ホルモンのような甘みのワニタンが口の中で、ジューシーな肉の甘味が。塩コショウとレモンの酸味と絡まるのはまた格別である。本当に牛タンとはまた違った、新感覚のタンなのだ。

 ああ、因みに柔らかいと言ったが。このワニタンの内側には筋の様なところは勿論ある。そしてそこは当然ながら、外側のワニタンの肉よりはやわらかい。

 ・・・しかし。

 その筋すらも柔らかい、それがワニタンだ!

 内側の筋はプリプリで、しかし簡単にプツン、と歯で押すくらいで噛み切れる!とろりとした、癖の無いホルモンのようなその内側の食感にも!

 好きな人は病み付きになるだろうということを断言するっつ!!

 ホルモン好きな男の人も、ホルモンヌとか呼ばれちゃってる女の人も!無理にとは言わない、


 「食べないなら食べないで全然いいけど。」

 

 でもそういうのに抵抗が無い人、そしてお財布に余裕がある人は。ぜひとも一度、このワニタンというものを味わってほしいのだ!取り敢えずレバーのような、鉄分を多く含んだ風味のするダチョウ肉。それより私は好きかも知れない。あくまで個人的な好みだが。

 味はホルモンのような甘味、と言ったが。食感に関していえば、こちらは成る程鶏ではなく魚のそれに近いかもしれない。

 まあ先ずはそういう感じで。

 私は自分のレパートリーを、新しい挑戦、そして発見による認識を高めていくことが大切だと思っているから。

 だから私はお婆ちゃんのレシピの中でも、良く食べたもの。一番だと思っているもの。いや、どれも一番なのだが。煮物、ハンバーグ、カレー、漬物(まあぬか床は毎日こっそりかき混ぜているのだが…)、梅干

(しかし、私はいわゆる「土用干し」、梅を干すやり方をよく覚えていない。こればっかりは、お婆ちゃんのレシピ帳にも載っていないのだ。浸けてある瓶はまだ、片身代わりに残しているのだが…しかし、年数が経って、熟成の度合いが変わっているから参考になるかどうかは分からない。取り敢えず三年以上過ぎていることは確かである。)。

そういうものは後回しにして。   …一応練習はしている。他の人に食べてもらうのは後にするという、そういう話だ。

 先ずは自分が、他人から「ずるい」と思われる位に楽しまなくちゃね。


 鍋は…やっぱり良い具合に冷めないので、付け合わせでも作っておくか。

 「それじゃあ、後は付け合せ。トマトのスカッタリチャーティーを作れば終わりだ。」

 因みにスカッタリチャーティというのは「破裂」という意味、つまり「破裂したトマト」という名前の料理というわけだ。料理は爆発だ!

 …なんて言うとちょっと不謹慎かもしれないので、ここではそう思うだけにしておく。家族や友人と料理を楽しみに行ったのに、たまたまそういうお店で起きた爆発や火災等の事故に巻き込まれて不幸な目に遭ってしまう人というのは結構居るのだ。私は特に店を持ちたいというわけでも為し、料理屋にも所属していない訳ではあるが。本当に料理というものは何処までも何処までも気を使わなくてはいけないものだと思う、気をつけなければいけないものだと思う、細心の注意を払わなければならないと思う、それが食べてもらう人への最低限且つ最大限の敬意であり、愛情であると思う。今言った火災や爆発事故などのトラブルに始まり、食材そのもの管理とチェックを怠った上での食あたり、こまめに手を洗っていたとしても、ほんの僅かに手を抜いた、いわゆる手を洗うのを抜いただけで発生する食中毒。外食店のみならず、料理というものの一つの閉じた形にして完成形、レトルト食品や菓子パン、弁当などの工場で作られたものにも安全管理のための課題はある。その中でも最たるものが異物混入である。とある分析系の企業のデータによると(と、言っても雑誌で見たものなのでうろ覚えではあるが)人間の毛や、その人、工場の作業員が着ているウール素材の服、羊の毛。顕微鏡で見てみると、人間の毛にかなり似ているそれがよく混入しているというのはまあ、仕方ないだろう。しかしその他に見過ごせないのが、虫の混入がかなりあるという所だ。食べても鼠ほどの害はない、と言われるが。万が一、食べた人がアレルギー症状、アナフィラキシーショックを引き起こす可能性を考えると…

 うーん、でも私は専門家ではないからなあ。こういうことでケチをつけるのはよくないか?

 (※補足・データによると、まああくまでとある一つの会社のデータなので何ともいえないが。虫の混入というのは石やガラス片などではない動物系、生体の異物全体の80パーセントにも及ぶという。それ以外は昆虫以外の動物、動物の毛や骨…ネズミ以外では人間や人間が着るウールの服、羊の毛であろう。ちなみに人間と羊の毛と言うのは構造が良く似ているという。そして植物。それらがそれぞれ5%ほどであるという。そしてその80%の内の半分、蝿蚊20%、甲虫20%、そしてそれ以上の割合を占める蛾や蝶40%、その中でも特に多いノシメマダラメイガという蛾。もしかしたら皆様も見たことがあるかもしれない、家の壁なんかに張り付いている、とても小さい長方形に包まった形のあれだ。その蛾の混入率が高い理由だが…その蛾の幼虫は家や工場にある菓子やナッツを餌にして増え、成虫は食事をせずに産卵する。そして蛾特有の光に集まる習性が無く、小さいことから駆除が困難である。そんな理由から食品に混入しやすいのだろう。しかし毒が無く、ネズミよりは病原菌を媒介する可能性が低いであろう事。そこは幸いなことである)

 気を取り直して、異物の混入にそれなりに気を払いつつ。私は調理に取り掛かる。

 トマトのスカッタリチャーティ。その作り方はきわめて簡単である。

先ずは材料を。作る量は二、三人前位かな。プチトマト、400グラム。大きいトマトじゃ破裂しないからね。黄色いトマトや、普通のミニトマトではないやや細長めのおしゃれなトマト(野菜の品種って色々あるよね。語り出したら切りがないから省くけど)なんかがあれば、それを半々ぐらいの割合で使うといいかも。

(彩りつけたいからって青いトマトなんて使っちゃ駄目だよ?微量だけど毒があるみたいだから。品種改良で原種よりかなり良くなってるみたいだけど、それでも青い実、それからへたや茎なんかは食べないほうがいいらしい。青い実って基本そうみたいだよね、種を残すための工夫って奴かな。まあちょっとした毒なんて気にしてたら食べ物なんて食べられないよ。基礎知識は要ると思うけど)それから、オリーブ。ここは特にこだわらなくてもいいようで、スライスされたものでも、無くてもいいらしい。私は緑の種ありのものを100グラム使ってみる。それからにんにく二欠け、オリーブオイル大匙二杯(まあ目分量で。)塩コショウ少々、そして最後に、エクストラバージンオイル

(化学処理を行わない、絞ってろ過しただけのオリーブオイルだとか何とか。生食に合うようだが仕上げに使ってもいいらしい。そこは別に縛られず。その他の細かい定義もあったと思うが私は忘れた)で追いオリーブをかける。ここもやはりお好みで。

 さて、この料理の作り方だけど…この料理はおばあちゃんのレシピに載っていたものではない。何時だったか気まぐれで遠出をした時、駅前の本屋で料理本をパラパラと立ち読みしていたら目に留まったもので、その時他に目にしたレシピも幾つか気になったからその雑誌は購入した。…店に入って何も買わないのは悪いから、という考えもあったにはあったのだが、今となっては悪い買い物ではなかったと思う。まあその価値も雑誌の値段相応の物であるにはあるというものではあるが。本というものは。読み込めば読み込むほど閉じていくものである、色々な意味で。

 やはりそのままのレシピ通りより、本の知識を鵜呑みにしたままより。堅いままでいるより。自分で体験したことを織り交ぜつつ、体験により堅く凝り固まっていたものを砕かれたという経験、刺激をスパイスにしつつ。柔軟な発想で動いていく。それが「今の私」の基本的な行動原理だ。本は基礎、本はきっかけ。そういうものを育む為の物だと今の私はそう思っている。

 そんな風に大層な事を言っているが、実際の作り方は至極単純である。先ず、にんにくの芽をスパっと摘出し、そのままスライスする。みじん切りでもいいけど、今回は見た目重視でスライスに。重箱に入れるのにも後処理が楽でいいし。そうしてスライスしたにんにくとオリーブオイルをフライパンに入れる。油を火にかける前に、一緒に入れるのが香りを出すポイントだ。そしてとろ火で、超弱火でじっくりと炒める・・・と、油が跳ねる事があるので注意。

 それから、泡が出てきてにんにくが狐色になり出したら次の工程に移る。ここまでの、火にかける時間はおおよそ五分弱と言ったところかな。そこに、洗って水切りをした(水切り大事だよ!)トマトとオリーブを入れる。火力は、特に焦げなければいいらしい。弱火でもいいが、私は時間短縮の為にガスのつまみをぐりっと強に回す。水分が飛んだらやや弱めの中火でもいいだろう。というか、そうするだろう。そうすると、トマトの皮が破れてトマトのはじける音と果肉から零れたトマトのエキスがじゅわーっと沸騰しつつ蒸発し濃縮されていく音…


 見よ!これがトマトの「スカッタリチャーティ」だッ!


 まあ地味だけどね。でもトマトの皮が捲れていく様子は見ていて地味に楽しい。そうそう、ソースにするならここでトマトを潰す、文字通り「破裂」させるんだけど。今日は彩りに使うのでそれはしない。皮の剥けたトマトは皮付きのそれと比べて瑞々しい、つややかな感じはなくなるが。でも皮の下のその、凸凹な感じは、溝が沢山刻まれた感じは。生のトマトとは違った舌触りを、熱で甘味が増して、熟したトマトが更に熟したような感覚を。視覚で捉えた「食欲という感性から見た美しさ」というような感覚を覚えるものだ。つまりはヨダレもの、ということである。

 そして程よく水分が飛んだら。…ここも個人の感覚による。私の様によく火の通った状態でも、内側は生の感じを残していてもよい。パスタソースにするなら水分を残すと言う選択も有りだと思う。個人の程よいタイミングで火を止め、塩と胡椒で味を調える。そして食べる直前にかける追いオリーブ、私はここでかけておく。おおよそ、強火を重ねすぎたりしない限りは失敗しない、成程。誰でも簡単に作れる料理である。ね?簡単でしょう?…真の意味でそうだ。

 「さて、と。」

 私は出来た料理をまじまじと眺める…だけでは飽き足らず、ひょいと料理をつまんで再度味見する。先ずは肉と野菜、続いてトマト、更に続いてオリーブとトマトをもぐもぐと転がす。

 「むん、ひょうほいー感じ!」(口に物を入れながら喋ってはいけない、よくわからない)

 どちらの料理も初めて作ったにしては美味しく出来ているようでよかった。まあ調理法や味付けが簡単というのもあるが、しかしその辺は素人と経験者とではかなりの差がある。経験が生き生きと働いてくれたということか。そしてその結果、また新鮮な経験が生まれてくれたというわけだ。煮込みの方は塩加減も野菜の感じも、炒め方も切り方も上手くできたと思うし。トマトの方もオリーブオイルにしっかりにんにくの香りを出せてるし(細かく刻んだにんにくをオイルと一緒に火にかけずにフライパンに入れ、弱火であせらず、じっくり香りを出すのがコツである。)、炒め方も焦げないよう、最適だと思う…まあこれについては完璧かどうかは分からないが。割とベターな感じに仕上がったと思う。

 「料理はいいね、問題ない。それじゃあ料理を詰めちゃおうか。」

 そう言うと、響宇は古びた、すりガラスのはめられた木の戸棚を食指で探りだす。

 「お箸は二膳…いや、三膳かな?それとも他の人が来る事も考えて四膳か…うーん…」

 結局お箸は四膳と、小さめのフォークを四膳持ちました。それから、水筒には水出しのウーロン茶を入れて、お墓にいる人たち…幽霊たちの食事に供える、もとい、備えることにした。

 そして、

 「よっ、と…」ゴトン。

 台所の小さなテーブルの上。そこに黒塗りの、年季の入った四段重ねの重箱が置かれる。

 「今日は一段で良いかな。仕切って二つに分けて入れよう」

 この重箱、並びに、ここにある箸とフォーク、それだけに納まらない戸棚の中の様々な食器類は全てお婆ちゃんが遺した遺品と言える物である。お墓の人たちにはいつもこうして、戸棚の中の食器を使って、そこに料理を盛り付けて食べてもらうのだ。

 「お皿は持っていかなくても良いね。今日はあいつとあの人だけで、特に別にも無く、特別な料理を作ったわけでもないし」

 大きく広い重箱の中に、手際と彩り良く料理が詰められていく。重箱の四分の三には、アルミホイルとその上に、野菜を敷き詰め、崩れないよう、そして肉がぴったり収まるよう野菜以外の残ったスペースに肉を置く。そして残りの四分の一には、やはりアルミホイルと。そしてトマトとオリーブの実をにんにくとオリーブオイル、塩コショウで炒めた物をごろごろと…

 …入れると思った?残念、私は盛り付けもしっかりやりたいタイプなのだ。

 トマトとオリーブをバランスよく敷き詰める。どうせ運んでいくときに崩れてしまうだろうが、まあそこは私の好きにさせてほしい。そしてそこにジュースのビンに水を入れて挿しておいたオレガノの茎つきの葉、トマトと良く合うハーブを飾って完成。食べられないことも無いが、これは単なる飾りである。

 今回はレシピどおりに作ってみたが、次回はこれ、オレガノとかバジルを足しても美味しそうだなあ。というか、トマトとオリーブオイル。それにこれらが合わないわけが無いのだ。

 重箱の蓋をぴたりと閉じる。…ラップはいいかな。そして広げた風呂敷の上に置き、キッチンペーパーに包んだフォークと箸、それから水筒と一緒に風呂敷の四方の角をきつく閉め、包む。今日の風呂敷は鮮やかな浅葱色(薄い青色)である。浅葱の幕が、今閉じられた。

 「取り敢えず作った量の半分持っていこう。あの人たち、特にあいつには残さず食べてもらわなくっちゃ、夏場は料理が痛みやすいからね」

 料理を包んだ風呂敷にぽん、と手を置き、鈍い動きでまた持ち上げると。

 私は流しの下にある扉からジッパーつきの白い粉が入った袋を取り出し、サイダーを飲んだコップを居間から回収して再度台所に戻った。

 私は「料理用 重曹」と書かれたチャック(だかジッパー)式の袋を開けてコップに目分量でスプーン小さじ半分位の重曹をサーっと流し入れ、そこに冷蔵庫で冷やした冷たい水を注いで、箸立てから取り出した一本箸でコップの中の粉と液体を混ぜ合わせる。

 そしてそのまま洗面所に向かい…

 「ゴボ…んぐっ、がららがらがらがらがら………」

 「…(くちゅくちゅ…)」

 「…ぺっ。」

 その重曹を溶かした冷水でうがいをする。これもまあ、私の日課というか習慣になっていることである。

 重曹を溶かした水でうがいをするということ。

 あくまで民間療法の一つで、何処まで効果があるのかは分からないが。昔おばあちゃんから聞いた話によると、重曹でうがいをすると、虫歯を予防する効果があるのだという。その効果の程というのは私はあまり実感していないが、少なくとも。私が小学校の頃おばあちゃんにそれを教えてもらって実践しつつけてからというもの、私は虫歯知らずである。

 …いや、実を言うと。一度「やばい」と思った時期がある。それは中学校の頃、夏休みにお菓子や甘いものばっかり食べて、…恥ずかしい話ではあるが、その…重曹うがいはおろか歯磨きすらサボっていた頃があった。その理由は「その時重曹うがいは自分の中ではダサいと思っていたから、」というものと、「只単に歯を磨くのが面倒で、一日二回のところを一回しか磨かない、しかもまったく磨かない日もあった」というものだ。そしてある時歯が急にしみるようになってきて、「これはまずい」と思った私は、すぐさま重曹でうがいを始めた。

 そしたら、歯医者に行くことをひどく恐れていた私は。歯医者に行く必要がなくなった。おばあたん…し、失礼、噛んじゃった。幼稚園の頃の私じゃないんだから。おばちゃ、お、お婆ちゃんに後から聞いた話なんだけど、どうやら重曹には初期の虫歯なら治してしまう、というか虫歯の進行を抑え、そこに自然治癒効果が働いた結果治ってしまうのだということらしい。

お婆ちゃんがさらに言うには、口内炎や歯槽膿漏にも効いて、更には歯を白くして口臭も抑えてくれる優れものだという。ああ、それから。「だから私も毎日これ(重曹)でうがいしてるのよ」とも言っていた。

 …洗濯物の汚れは落とすわ、風呂に入れれば体の汚れは落とすわ、鍋に入れれば焦げが取れやすくなるわ、山菜の灰汁は取れるわ、お菓子を膨らませるわ。

 本当、重曹って魔法の粉なんじゃないかと。最近になってつくづく思うものである。

重曹水でうがいをし終わった後、私は戸締りと火元の確認をしてからお墓に向かうことにした。さっき見たがもう一度台所に…やはり火は大丈夫だった。そこから居間と縁側に向かう。


 「おっと、忘れるところだった。」

 私は居間のちゃぶ台の隅に置いてあった折り畳み式の手鏡に屈んで手を伸ばす。この手鏡は私のおばあちゃんの形見で、いつも肌身離さず持ち歩いているのだ。

 「今日は忘れないようにしなくちゃね」

 まあ昨日は家に忘れてしまったのだが・・・。しかしまあ、昨日転んだときのこと…派手にこけた事を考えるとそれはそれでよかったのかもしれないな。と思いつつ手鏡を右側の前ポケットの奥まで静かにねじ込んだ。

 それから家の縁側のさっしの鍵を閉め、次いでフランス料理の入った重箱の包みを持って玄関に向かう。木の床の軋む音。…いや、ただ単に家が古いだけだからね。重くない。重箱を片手にやや重めの足取りでゆっくりと、くるぶしまでの靴下を履いた足でそのまま玄関まで歩いてゆく。

 靴を履く、今日は安物のおしゃれ()サンダルを履く。2000円でこのまあまあなデザイン、耐久性に少し心配があるがそこはまあ値段相応ということで。こういう時は大量生産主義様々だと思う。

 そしてそのまま私は玄関の引き戸の鍵を閉め…

 …しめ…

 ガタガタ、「あー、位置が悪いなあ、このっ・・・」がたごと。

 …られない。分かる人には分かると思うが、というか、学生でも学校の教室の戸締りをしたことがあるなら分かると思うが、こういう引き戸の鍵というのは閉めるのにコツが必要で、上手く鍵を鍵穴に入れないと、差し込んで鎖し込んで回さないと鍵だけ回転させても鍵が閉まらないことがあるのだ。

 がちゃり。と金属が噛み合った音がして私は玄関の扉の鍵が閉まったことを確信する。

 がたがた…うん、やっぱり閉まっている。と、扉を揺さぶり確信を確かなものに。

 そこから私は重箱を左手にぶら下げ、車は特に停まっていない玄関の右側にある駐車スペースに向かい、その場所の端の方に停められているカゴつきのアルミ製の自転車、所謂「ママチャリ」というものを立たせているストッパー。先ずはその外側にあるロックを足で軽く蹴って外し、そのまま自転車の後輪を浮かせているストッパーをやはり足で蹴って後ろに収める。

 (うん、チェーンロックはかごに入ってる。)

 家に停めておくときは着けていないが、出かける時は一応高校のときから通学用に一緒に使っていたピンクと白の縞々模様の、色あせた版権ものの猫のキャラクターがデザインされたチェーンロックを持っていくようにしている。や、商店街や駅前まで行く時はともかくお墓に行く時はそこまで必要ではないと思うが。一応念のためである。お墓までそこまでの距離はないとはいえ、もし万が一そこらに潜んでいるかもしれない人間の面してまったく人としての良識も常識も持たないケダモノに持って行かれでもしたら、私は空の重箱を持って、暗い気持ちで足取り重く帰ることになるだろう。「私の相棒を連れて行かれてしまった…」と。

 それよりはちょっとの手間と警戒心を持って、帰りはやっぱり何もなかった、杞憂だったとペダルを回す足取り軽く帰ったほうが断然よい。

 私はそのチェーンロックが入ったかごの中に重箱を入れる。入れるというよりは、重箱の重さをかごに任せると言った感じか。チェーンロックは押し潰される形となる。もちろん、頑丈なので、ビニールの中にうっすらと見えるワイヤーの綱はしっかりしているので壊れない。そういえば小学校の頃。おなかを引っ込めてこれをおなかに閉めたらそれが、チェーンロックが窮屈なまま閉まってしまって。苦しい状態になっちゃって、そのまま「かぎがない、かぎどこ?」って泣きながら、悶えながらおばあちゃんと一緒に鍵を探し回ってた事もあったなあ…

 …私という奴はどこまでドジというか馬鹿というか、恥ずかしい人間なのだろうか。

 「本当、人には言えないことだね!」

 私はそう呟いて両ハンドル、左足、お尻、右足の順で自転車にひょいと乗り。そんな湧き上がる恥ずかしい思い出を推進力にして自転車のペダルを回し出す。

 ペダルが回る、チェーンが回る、タイヤが回る。

 空回りすることなく。それは力を正確に伝え、動力に変えて、地面を捉えて加速する。

 自転車を操るための体の動き。正確な姿勢制御のやり方。腹筋、背筋、腰と臀部の筋肉のコントロール。それは言うまでもなく、それを覚えたときからこの体に既に染み付いている。

 軽めのギアと遅めの加速。生ぬるい風が肌を流れ、髪の毛と汗を後ろの方向に流していく。しかしもう少し速度が乗れば。汗も風ももっと流れて。後ろの方へと消えていくだろう。


 「♪~…」

 私は短く口笛を吹いて、髪を風に引っ張られつつも力強く自転車を前に進めて行った。

 走る、

 はしる、

 ペダルを回して進んでく。手放し運転をする余裕こそないものの、この感覚は中々心地のよいものだ。

 近所の人の庭、アスファルトの蜃気楼、暑さにうなだれる並木たち、脇を通る、遠くの工場に向かう大型トラックの排気ガス。私はそういうものを風景を道を、風を切りながらすっとばし、しかし急な下り坂では適度にブレーキを握り締めつつ。それから段差にも注意しつつ。

 そして、歩くよりも短い時間でお墓の前に辿り着いた、そしてそう言っている間にも私が漕ぐ自転車は管理人さん一家の事務所、兼、家のすぐ近くのところ、並木道と事務所の間の低い垣根の前に、いや垣根に、垣根を。垣根を今越えてそれからゆるりと広い駐車場を惰性のままに旋回してそれから両脚でアスファルトを削りつつサンダルが削られつつ停まった。

 自転車のストッパーとロックを足で器用に、同時に下ろす。交互に流れるように下ろし、ロックする。それからかごの中の重箱と、事務所の脇の棚に置かれた水桶をひょい、と左手で拾ってじゃりじゃりと石の小道を歩く、サンダルで。

 太陽の火に熱された石の暑さが、サンダルを越して、靴下の中で増幅されて。私の足に蒸し焼きのような暑さを伝える。右手には揺れる重箱の風呂敷包みの重さが振動により伝わって。

 そしてその暑さからか、或いは自転車を漕いだ熱がまだ残っているのか。響宇の顔の側面には、汗でまとめられた髪の毛の先端には。サイダー味の、サイダー風味の。しょっぱい汗が流れ、そして落ちていた。

 そこから先の歩みの記憶はアスファルトの陽炎の様に曖昧で。

                              私は   揺らいでいた。

響宇「ただいまー」 四季「戻りました、お騒がせしてしまい申し訳ありません」 鏡「なんだ、早かったじゃないか」 礼「うまくいったんだね。きゃはは♪」 響宇「うん、まあ。ところでその、さあ・・・」 礼「なに?仲直りできたんでしょ?」 四季「単刀直入に言いますが、えっと。幽霊の声って録音に乗るんですかね?」 鏡「ん?」 礼「え?」 鏡「…ああ、「そんなこと」か。」 響宇「そんなこと…って。」  礼(そんなことなんだ。) 鏡「いいか、響宇。声が実際に残ろうが残るまいが。そんなことは別にどうでもいいんだ、いいんだよ。大事なのは私達全員が今この場で話をするという過程であり・・・」 礼「え?何?かんどーてきな話なわけ?」 鏡「・・・そして録音機器に。「その場には誰もいない様に感じられるのに、あたかもそれがそこにいるように振舞っている」お前達の会話が記録される、という結果が残れば。それはそれで面白いし俺もキャラとして「おいしい」やん?」 礼「あー・・・」 四季「え?鏡さんは何を話しているんですか?二人とも少し長めに聞き入っていたようですが・・・」 響宇「なんか、声が入ってなかったとしても別に問題ないから話をしようということです」 四季「はあ。まあ、それでいいのなら構いませんが」 礼「じゃあ、お便りでも読む?」 四季「待った、その前に礼ちゃんの自己紹介でもしない?」 礼「え?なんでさー」 四季「いや、そのね?本編、今回のエピソードを全部通しで読めば分かることだけど…」 鏡「…ああ。」 響宇「あー。」 礼「・・・そうか、言いたいことがわかったよ。成程確かに。今回のお話では私のキャラについての掘り下げが足りなくてバカっぽくみーえるね。というかバカに見える要素以外の要素がひとかけらもない」 鏡「まあ掘り下げたら掘り下げたところで年相応に、いや。それ以上にも余分にもバカだが」 礼「なにー!!」 響宇「ちょっと!わざわざそんなこと言わなくてもいいじゃない!・・・いいじゃない!」 礼「なんではっきり否定してくれないのー!」 四季「どうしたの、落ち着いて礼ちゃん!れーちゃんは普通にいいキャラしてるからね!気にしなくてもいいんだよ!」 礼「・・・・・・・・・なんかすっごい複雑だぜ」 四季「でも礼ちゃんはテストの成績も割といいんですよ。社会以外はね」 響宇「へー!でもなんで社会は点数悪いの?」 礼「え?あー・・・社会の事とか分かっても何か意味があるのか、っていう。国語と算数は生きてく上で必要じゃない?理科はまあ好きだから」 鏡「・・・ある意味要領はいいのかもな、社会情勢を学ぶ必要性は理解できてないようだが」 響宇「中学生になったら数学と理科の科学分野をぶん投げそうだね」 四季「礼ちゃん・・・まだまだ若輩ながらも人生の先輩としてこれだけは言っておくよ。」 礼「なーに?四季おにいちゃん。」 四季「中学生になってからは算数と理科が面倒でも英語だけは絶対勉強しておいたほうがいい」 響宇「あー・・・わかりますそれ」 鏡「ところで礼は。「今何年生」なんだったか?小学四年か、五年か、六年か…」 響宇「え?覚えてないの?礼ちゃんが何年生か、って。確か・・・んー?」 四季「礼ちゃんが何年生か、ですって?響宇さん。今は確か五年か六年・・・あれ?」 礼「・・・皆覚えてないんだね」 四季「因みに僕は「今大学三年か四年」です」 鏡「なんだその曖昧な感じは」 響宇「私は大体20歳くらい、だったよね。高校卒業した時点で18歳くらいだったから」 礼「もー、皆自分のことくらいわかってないと。ほんとだめだよーダメダメ」 鏡「・・・ごめんな?」 響宇「いや、今の言葉にはあんたが記憶喪失だって事に関する含みとかはないよ、多分。」 鏡「ああ、知ってるが?」 響宇「・・・・・・本当、あんたが記憶全部思い出すか忘れるかまで。あんたの頭をハンマーで叩いてあげたいよ」 鏡「・・・などと供述しており」 礼「きゃー響宇さんこわいー!きゃー!」 四季「なんですか、猟奇とかホラー方面に作品のジャンルを転向させるつもりなんですか?やめましょうよそういうの、エピソードによっては仕方ないのかもしれませんがそっちに偏らせちゃだめですってこのお話に関しては」 鏡「そういうのはまあ、やるとしたら番外編でな・・・」 礼「やるの?」 鏡「構想はある、らしいが。それこそ響宇の過去話をスピンオフものにしたりとか、パラレルものみたいな感じでな・・・でも別にいいだろ?俺が普段なにをやってようが勝手だ」 響宇「え?なにかやってるの?」 四季「なにかやってる?鏡さんのことですか?そういえば・・・夜中、ごくごくたまーにどこかに急いで飛んでいく時がありますよね」 鏡「しまった、見られていたか。・・・まあお前らが知るには危険なことなんで内緒だよ」 響宇「・・・なんか置いてけぼりだね、色々と」 礼「ねー」

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