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きょうのお墓ご飯  作者: 臭大豆
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5/13

続・七月某日 その3

 「は、はい?……へ、変なお面…ぷっ。」

 「・・・・・・あーあ、俺のことか。自分の顔なんて中々見る機会がないからなあ。変だとかそういうのはあんまり分からないもんだな(裾と袖を捲っている…作業着か?)」

 なんだろう、この人は?―はっ!まさかこの人、今置かれている自分の状況を理解しているのでは?そうでなきゃいきなりこんなこと聞かないよね。

 「後、ここってどこなのかな?なーんか起きてみて気がついたらここにいてさあ…もしかして酔っ払ってこんなところで寝てたのかな、なんて」

 「…ああ。」

 「なんだ、普通の奴じゃないか」

 「え?……いやっ、誤解しないで下さいよ、お願い!俺って別に怪しい人とか頭のおかしい人とかそういうんじゃないからね!?面倒事が嫌って言うなら駐在所とか近くのコンビニとかお店とか、それかどっか電話があるところまで案内してくれればいいから!そこから先は何とかなると思うから!すんませんけどよろしくお願いできませんかね?」

 その人は特に変わった様子もない、いや、少し変わっているかもしれないが。すぐその辺の、近くにでも、どこにでもいそうな極めて普通の、ツナギを着たおじさんだった。

 …くどいようだが、その人が幽霊であると言う所を除けば。

 一言、

 二言、

 ・・・三言四言五言六言立て続け。

 それからその人は聞いてもないのに色々な事を話し出した。自分の出身地、勤めている仕事、結婚している奥さんの事。しかしやはり、というか幾らか記憶が飛んでいるところがあるようで、何日か前、そこから今に至るまでの記憶を忘れている事と。それから、どうして自分が今自分の奥さんと一緒にいないのか、と言う事を不思議がっていた。そして今、現在。進行形で、自分の趣味の旅行の事について、具体的には最近の旅行では蟹名サービスエリアまでわざわざバイクで行ったことや、奥さんと一緒にほぼ日帰り、夜中まで旅館でくつろいで車(自家用車はなくレンタカーだそうだ)で夜中に昼からの遅番に間に合うように帰るという慌しいスケジュールで熱々海まで旅行に行ったこと等を話していた。

 ちなみに私が関心を持ったのは、目光にあるという湖と道路の傍にある排気ガス臭いガラス張りのレストランで(テレビで取材された事があるそうだ、湖の魚を使った料理が自慢らしい)そばを頼んだら途端に店主に嫌そうな顔をされ、乾麺をゆでたような不味いそばを食べさせられたと言う話だ。でもそういう悪い出来事ほど、後になれば楽しい思い出として、記憶に残るものとして笑えるのだと言っていて。まあそのお店はきっと立地に救われてるんだろうなあ…もし私が目光に行ったときは、そこのレストランにだけは寄らないように気をつけよう。

 …きっと激怒して店主に怒鳴りつける事になるかもしれないから。もしかしたらその全面、いや、側面か?ガラス張りのお店が、その日から湖の風が吹き抜ける青空食堂に変わるかもしれない。不味い飯とかそういうのではなく。私はそういう料理人としての誇りがない、驕りばかりの奴は大っ嫌いで仕方がないのだ。料理に罪はなく食材にも罪はない!罪深いのは、料理に対して、食材に対して。命に対して敬意を払わない料理人まがいのあこぎな商売人である!

 「いやあ、旅行をしながらその場所で忙しく走り歩きまわるのも良いですけど、たまにはこうしてぼーっと夕日を眺めてみるのもいいものですねえ。」

 「ほほう、それは…

 「なーんて冗談ですけどね!本当は途方にくれてたんですよお、意識がはっきりしないってのもあったんですけど、本当に不安で不安でしょうがなくって!でも本当にお二人が通りかかってくれてよかったですよお、本当、ありがとうございます!感謝感激!あっはっは…」

 「はは…」

 「うむ、そうかもしれないな。」

 やたらとテンションの高い幽霊、というか話好きの幽霊に押され気味の二人。いや、話を聞くだけならそこまで嫌と言うわけでもないが。どうもこういう会話にはどう返事を返していいか分からず、無難に相槌を打つ程度の相手に流される形になってしまう傾向が「私たち」にはあるようだ。…なんて言えばいいのかな?体育会系、このお墓の管理人さんとはまた違う感じの…テンションの高い。陽気で話好きなおじさんと言った感じである。そう、例えるならば近所のおばさんをそのまま男に変換した感じ(但しお釜やお姉といった感じではない)だ。

 (うーむ…少々やり辛いなあ。どうも俺の知ってる「男」というのは無骨で、無愛想で、不器用で。趣味が合う相手としか話し込む事はせず、共通の話題や用事がないときは特にコミュニケーションをするでもないような、そんな感じなんだが…こいつはどうも違うなあ。)

 鏡の顔の男も、こいつも。何やら考え込んでいる様だ。やはりこいつも、こういう相手は得意ではないのか。空気は完全に向こうに持っていかれてるもんなあ。

 「旅は本当にいいものですよ。なんつーかね、普段見えない自分って言うか、それだけじゃなく今まで知らなかった色んな事を知ることが出来る。そういうものだよね。普段乗り慣れたレンタカーで出掛けるのもいいけど、休日ぐらいしか乗らないバイクで遠くの方まで、それこそ疲れに疲れて事故寸前になりそうになるまで遠くの方に行くのもまた面白い!あんまり他人にはお勧めできないですけどねえ。一人もいいけど、ツーリングも面白くて。そこか車とはまた違ったバイクの醍醐味で…でも後ろに奥さんを乗せるのも、逆に後ろに乗せてもらってどこかに行くのも面白い!後ろに乗せてるときはやっぱり普通とは違うなんというか、重みがあるんだよね。ああ、別にうちの家内が重量感あるとかそういうのじゃあ…多分ないですよ。うん、ないよ。それで後ろに乗ってるときは乗ってるときでバイクにしがみついて姿勢を保つのもまた面白くて…ああ、うちの嫁のはビッグスクーターなんで。白いの。お二方はメーカーの話とか興味なさそうだからいいかな。まあ横のほうに掴まる為の手すりが就いてるんですよ。でもたまーにふざけてバランス崩したふりして嫁さんのほうにしがみつくのはまた面白くて、これがね!お腹に触るのはいつも嫌がるから、じゃあこっちならいいか、って胸の方にしがみついて…おっと!すぅいません、若い娘さんにこれはセクハラ発言、問題だらけの大失言ですよね!それから、めったに乗らない飛行機の話はいいとして。国内だけでも中々楽しいもんですよ、まだまだいけてないところも沢山ありますし。電車とかバスもいい!―いや、バスはそうでもないか?ならば電車だなあ。俺の好みは新幹線より鈍行ですよ!地方のローカル線みたいな!ゆっくり走ってく緑一色時々渓谷の景色に、最初わくわく段々飽き飽きしながら家内と話して仕事の話出されて凄く苛々してみたり、どこか止まった駅で駅弁買って食べたりそこそこに美味い立ち食いそばでもすすってみたり。そんでもって旅館に荷物置いてその辺でも見て、…私って家内より早く歩いて結構はぐれる事があるんですよ。携帯って本当便利ですよね。っ、それで普段の疲れを癒すためそして宿泊費の元を取ろうと何度も温泉に入って、そして湯あたりして結局余計に疲れて、疲れすぎて眠れないまま布団でいびきをかいて…いや、ないな。すやすや静かに眠る奥さんをよそにごろごろころごろいびきがうるせー、と布団の中で悶えてそのままいつの間にか寝てる俺。でも少ししか寝れないままチェックアウトして電車の中で眠って乗り換えの度起こされて、んでそれを繰り返してあーだるいーとなったまま仕事行きたくねーと休日の残った時間を過ごすのもまたいいものですよ、うん、本当に旅っていいものだよねえ、俺はそう思うよ、うん!そう思わない奴は本当人生損してるとも思うね!」

 ・・・・・・・・・。

 よく喋る人だなあ。幽霊になって間もない為自我が不安定、ということではないのだろう。それも少しはあるのだろうが、幽霊たちは極々一部の例外(優れた状況判断能力を死んでからも持つ「天才」というものもいるらしい)を除いては、自分が死んだということに気付かない。即ちこの反応、「目の前の人物にべらべらと語りだす」というのはこの幽霊の素の反応であり。少なくとも、心の奥底までは見えなくても。この人が初対面の人にする普通の対応というのは間違いないであろう。

 これは本心を聞き出すにはそこまで苦労しない故人ひとだな、と私は判断した。こちらの話を聞いてもらうまでには苦労しそうだが、この人は自分の意見を出す人のようだ。勿論、嘘や上辺だけを語る人間というのは吐いて捨てるほどいるのだろう。しかしそれでも、話そうという意思がある分、まったく自分を出そうとしない幽霊より、自我どころか欲望すらも希薄な幽霊よりよっぽどやりやすい。この故人ひとの事を最初から疑うようで申し訳ないことではあるが、もしこの人が嘘吐きだったとしても。その望むこと、本心くらいは会話の矛盾点から読み取れるだろうし、それに語ることの出来る人、というのはやはりいい。私は「料理」によって人の本当の心の声を聞くことが出来る。話が出来る。しかしその大前提には「会話を交わせる」ということが必要だし、それが重要だ。知れる情報は出来る限り多いほうがいい。その点においてはこの人は苦労はしないかもしれない…

 と、私はぼうっとした様子で、しかし目の前の幽霊をしっかりと鋭い眼光で見つめ。今までの経験を元に、「その人」の事を簡単に分析してみたのであった。

 「あのー、どうかしたんですかね?ぼーっとしちゃって」

 「え?」

 私が思考を巡らせていたのがおかしく見えたのか、目の前の幽霊に心配されてしまった。いや、ついさっきまでそっちもそんな風だったと思ったんだけどなあ。

 「ああ、気にするな。こいつはいつもこんな感じなんだ。いつもボーっと何かを考えてる、暇と時間を持て余してる色々何かを考えてるようで自分のこれから将来さきの事は全然考えてない奴なんだ」

 「おい」

 「へー、そうなんですか」

 「・・・・・・      …ああっ?」

 な、なんだろう、何だか生暖かい目で見られているような…どうやらあらぬ誤解を受けてしまったようだ。いやね…間違っちゃいない、間違ってはいないんだけども…足りない、足りないんですよ情報が。それだけじゃ私が只のニートか何かみたいじゃないんじゃないのではないのそうじゃない?ちゃんと私は仕事してましたよ。

 …ちょっと前までは。

 「いやー、若いって良いものですねえ、まだまだ先行きが、選択肢があって。私なんて今の仕事に就いてからはずっと働きづめでねえ。でも先日無理を言って休みをもらいまして。それで先日こちらに戻ってきたわけですが…あれ?」

 「―どうかしたのか?」

 鏡の顔の男が白々しい様子で問いかける。大方その先の答えは知っているのだろう。それに継いで私がその先の答えとなるであろう言葉を発する。

 「どうしてここに自分がいるのか、ってこと―

 「さ、財布がない!」

 「・・・」

 「…はい?」

 「うわー、仕事用の車に置いてきたのかなあ、いや、今日はバイクであれ、・・・か、く、車、じゃなくてバイクの鍵もない!なんでだ!?どうして、どこやった!?うわー何処でなくしたのかなあ…ああ、すみません、ここの近くに交番はないですかねっ!」

 そうきたか、と言わんばかりに私と鏡の顔の男はがっくりと肩を落とす。というか、車でどこかに行く途中だったのだろうかこの人は?ああ、事故だとか、交通事故だとか、追突だとか衝突だとか。この人の「死因」を邪推してしまい。それゆえに、邪で嫌なイメージが脳裏に浮かんでしまう。

 それはさておき―もしも、もしもだ。本当にこの辺りにこの故人ひとが、この幽霊が。「持っていた」という車の鍵や財布があったとして、だ。それを見つけ出す事は困難だろう。何故ならば―

 辺りはもうすでに真っ暗になっていたからだった。

 時間はおおよそ、七時の半ば―私の性格極まりなさ過ぎて赤っ恥をかくことすらある腹時計がその辺りの時刻を私に教えてくれている。季節は夏で日が落ちるまでの時間が長いとはいえ、

幾らなんでも暗くなる頃―…

 というか、話しすぎだろこの人!一、二時間は話しっぱなしだったのか!?だけどまあしかしずーっと聞いてたこっちもこっちなのだが…

 「…おい。」

 「え?何かご存知なんですか?」

 不安そうな様子で、藁にもすがる様子で鏡の男の誰かに向けた問い掛けを受け取ろうとするそこにいる故人ひと。しかし「誰か」とはその人の事ではなく…

 「ああ違う、あんたじゃないんだ。すまんな…おい響宇、ちょっとこっちに来い」

 「え?私?」

 「他にお前のような奴が何処にいるというのかねえ」

 「いたら困るって?」

 「いや…迷惑ではないが、色々大変そうだ。…特にお互い心を開いて仲良くなるまでが」

 「私がその人と仲良くなる事前提なの?」

 「俺がそう思っただけって話だ。まあ、ちょっとこっちに…」

 「ま、っ。おいおいちょっと待ってくれ!」

 「「!?」」

 間を狭め、並んで歩き出したこちらの背後から急に飛びつこうとしてきた幽霊を二人の間を空ける様な形でかわす。

 「申し訳ないが近くにいてくれないですかねえ?見ての通り今ちょっと私情緒が不安定なもので…このままお二人が見えなくなってしまったら、私を置いてどこかに行ってしまう、とか或いは私の事を警察にでも突き出すんじゃないかと嫌な想像ばかりしてしまうんじゃないかと、というか今現在進行形でしてるんですがね!」

 わあ、この人…気持ちは分かる。分かるようん。分からなくはないんだけど…なんていうかこう、やりにくいっていうか、めんどくさ・・・もとい、とにかく対処に困るタイプの人だ!

 「お、おちつ 「まあちょっと待ってくれ。」

 私を制する形で鏡の顔の男が話を聞く体制に入る。私とこいつはどちらかと言うと似たタイプの人間(?)のようだが、こういう状況の対応においては経験ゆえか年の功という奴だろうか、こいつの方が対応の仕方をよく分かっているようだ。

 「すまんな、このあとこいつは、この娘には用事があってな。…えーっと、ああ、そうだ。(ポン、と手を叩く)これからこいつ、パートタイマーの面接があるんだよ。それでな…」

 「え?」 

 「パート?それって何のパートですか?どういう職種ですか、なんなら私もアドバイス

 「いや、あーんまり色々な事言って混乱させるのもなんだから、気持ちはありがたいが今回はちょっと遠慮させてもらう。今日もこいつがパートに採用される様、ここに願掛けに来てたって訳だ。そこの墓に、こいつの大好きだった婆ちゃんが見守っててくれりゅ様ににゃ。」

 「・・・」

  「へー、ここってお墓だったんですねえ。分かりました…それでは私は話が終わるまでここで待ってますね。見えるところにはいてくださいよ?」

 ジャリジャリざくざく、と別の区画の土埃で汚れた無駄に小石が転がっているアスファルトの道を歩いていく。私がいつパートを始めることになったのだ?まあいつかはまた何かしら手に職付けないといけないのだろうが。せめて自分が生活できるくらいのお金を稼げる仕事には。

 こいつの言っている事は、勿論嘘である。いつも通りの、段階を踏んで相手がショックを受けないようゆっくりと自分が死んでいるのだということを理解させるやりかた。そこに、相手が自分の現状を理解するに至るまでは本当のことはある程度ぼかして伝える、それがこれまでの私たちのやり取りで決まった、新故人しんじんへの対応の仕方であり、そして暗黙の了解というやつである。まあこいつの今の「それ」には別の意図があったのだろうが。そしてそれは何かというと。

 「やれやれ、取り敢えず納得してくれたようでよかったな」

 「もー、また下らない嘘吐いて。まあ理由聞かなきゃ納得しそうにない人だったから仕方なかったとはいえ、その後の展開如何では私が採用されてもいないパート先の店長や年配でベテランのそれでも給料は変わらないパートさんとか自分よりかなり有能なアルバイトの学生さんとか誰もが通るような仕事のミスの話をしたり、或いはまた採用されなかった、とか言って私の傷を更に広げるようなどちらにしたって面倒臭いことになるじゃないの」

 「じゃあ…採用の通知が届かなかったということにすれば」

 「それってかなり最悪な形での不採用じゃないですかー!せめて「今回は残念ですが」位の一報は欲しいよ!それすら貰えない位非常識な人間ではワタシナイツモリダヨ!!」

 ナイスな切り返しをしてくれたという感謝の念は少しはあるが、しかしさっきの無職騒動の件と、まあ事実なのだが。下らないパートの面接という嘘にちょっとイラついたのでそこは黙っておく。場合によっては私の経歴がもっと酷い事になりかねないだろうが…一度崩れた信用というのはなかなか元に戻らないものだというのを死んだこいつは忘れてしまったのだろうか?それは特になんでもない、長話からの上手い切り上げ方という奴だった。例えば電話で相手の長話が続いたときに「ああすみません、お客さんが来たみたいなので」とか「いまちょっと揚げ物をしていたので」というような奴だ。もっとも今回は顔の見える状況でよくやったものだ。

 「あー…大丈夫か上手く出来たか成し遂げられたか俺は?ああ、唇やまぶたがぴくぴく動いていなかっただろうか」

 「顔は見えないから大丈夫でしょ。まあ声はちょっと早口で震え気味で、最後の方なんか唇口の中に巻き込んだみたいに盛大に噛んでたからにゃ」

 「・・・・・・まあ、上手く誤魔化せたようでよかったにゃ」

 こいつという奴はどうも面識の浅い人物に対しては身構える癖があるようで…いや、個人差はあるとは思うが、私を含む大抵の人はそうだろうが。こいつは生前嘘を吐く時に唇やまぶたが痙攣する癖、極度の緊張からそういうことが起こる癖。恐らくそういう癖があったのだろうということを行動の中で、魂に染み付いた行動パターンの中で思い出したらしい。ああまったく、こいつがいったいどんな顔でさっきの嘘を言っていたのか気になる、それなりには。

 コアラの走りと自転車アルミフレームのママチャリのどちらが早いか位には気になる。

 時速二十キロの、兎並みのコアラの走り…問題はその持続力が何処まで続くかということだが。

 私が昔テレビで観た東京のスクランブル交差点の長い信号(時間がという意味ではない、距離が長いという意味である)一本半位の距離。薄暗い夏の夜の視界、向こうがなんとか見えるか見えないか位の距離だろう。会話は恐らく小声で話せば認識出来ないと思う。そのくらいの距離まで歩いた所で、鏡の顔の男がその鏡面とそれに追従するようなスーツのボタン、縦一直線に並んだ円形のそれらをこちらに向けて話し始めた。

 「それじゃあ本題に入ろうか。もう分かっているかと思うが、あいつへの対応の仕方についての話だ」

 「うん」

 私の目の前にある顔は、アスファルトからの熱や予期しなかった長話(を聞くこと)による気疲れでボーっとして覇気のない顔から一気に真剣な、たるんでいた頬の筋肉が引き締まり、虚ろで光のない物から試験や課題に向かう学生のような鋭く、しかし生き生きとした眼差しに。そういう表情に変わった。

 ―それは鏡の顔の男、その鏡面に映った私の見慣れた顔で、しかし普段はそこまで見る機会のないであろう私の側面そのものだった。いや、映っている顔の向きは正面なのだが。

 「あなたはどう思う?」

 私が「問題」に取り組むとき。私はそこまで特別なことはしない、私にとってごくごく普通のことをする。私は先ず周りにいる人の意見を聞き、或いは他人がいない状況では。六感を働かせて周囲の状況を探り、情報を集め。それから集めた情報を基にした上で、それ以前に、最初に私が感じた意見と照らし合わせ。より新しい、新鮮であり尚且つ熟成された。その状況に適していると私が感じた最適な意見を元にした発言及び行動を行うことにしている。…後手に回るということはその場の主導権を他者に譲るということでもあるが、私はそういうのは苦手であり、無理にそういうことをすべきでないと思うのでそうしている。

 それよりも、私は一番良い時に。一番いい頃合いに、目的のものに一番よい熱が入り、火が通ったタイミングで状況をひっくり返すのが好きな、そういうタイプだ。

 …好きだからと言って得意とは限らないが。時には問題に、材料に火が通り過ぎて失敗することもある。卵はかき混ぜすぎない、ふんわりとしたキャベツで土台を作ること、煮詰めすぎると雑味が出る。そういう課題も忘れてはならない。ちなみに私はとろ~り半熟のオムライスが好きであり、得意である。「課題」ではなく料理の話だ。

 私にとっては当たり前の話だが。私の今住んでいる家、お婆ちゃんの家には卵料理専用のフライパン、それも(卵焼き用の長方形のものは別として)オムレツやオムライス専用のものがある。私が本当に子どもだった頃はその意味異議理由が分からなかったものだが。

 今、「え?オムレツ専用のフライパンがあるの?」と疑問に思った人がいることだろう。それは極めて普通な感覚だ。知らない人にとってはそれが普通で、何らおかしいところはない。だがしかし、オムレツ専用のフライパンというのはシェフにとっては珍しいものではなく、寧ろ常識ともいえる。理由は簡単、卵に他の料理の匂いがつかないようにする為である。

 …わかるかな?わからなくてもいいが、プレーンな筈のオムレツにドライカレーや焦げた焼肉の匂いが付いていたら。嫌な人はそれは嫌なものだろう。気にしない人はとことん気にしないだろうが。まあ普通の定義というのは人にとって違うものだが、その人が、その個人が普通であると思えば普通で、異常であると思えば異常になる。そういうシンプルなものなのだろう。

 六感、というがそれは別に特別な感覚シックスセンスというべきものではない、究めて普通、平衡的な人間の感覚である。要は五感という昔の思想、味覚嗅覚視覚聴覚触覚。そこに平衡感覚、バランス感覚というものを足した最も新しく、最適な物と言う事である。

 私には、そこまで特別な感覚というものはない。特別なものがあるとは思わない。もっとも、

他人から見ればそれは必ずしも普通ではないのかもしれないが…でも、私からすれば、今の私からすれば。今の私は極めて普通であるといえる。私にとっての普通を極めた、普通の私、私の周りに起こる出来事を普通であると受け入れた私。

 どんなに変わった出来事でも。受け入れられればそれはその人にとって普通になる。今私が体験している日常というものは、私にとって普通であり、受け入れることが出来る物であるといえる。だから私は普通である…普通なんだってば。

 五感という元からあった、以前からあった常識的なものに新しいものを足したとしても。それが受け入れられればそれは新しい常識に、認められれば地球の公転の様な揺らがないものになっていく。もしこの持論が受け入れられなければ。その時私は「異常」になってしまうのかもしれない。

 えーっと、何の話だったっけ…そうそう、土手を作って、熱を加えて固めていくお話だ。さて、目の前の人から注文オーダーを聞くとしよう。たとえうるさい注文だったとしても。それは料理人(の端くれ)である私には避けては通れないものである。料理には完璧が求められる…そしてそれは、完璧でない私にとっても取り組まなければならない課題だ。そうしなければ、そこから逃げたら。全ては地に落ち、台無しになってしまう。そう思うから。

 「そうだな…結論から言うと。あいつには、あのよく喋る男にはそこまで隠す必要もなく話してやっても良いと思うな。というかあくまで俺の予想でしかないが、そうしないと話がこじれてしまう可能性もある」

 「うん、確信はしてないけど私もそう思う」

 「まあ、俺達は人間の心理分析のプロなんていう訳じゃないんだが。」

 鏡の顔の男が右手を上げ、白く綺麗なままの手袋の革で覆われた手のひらを私の胸の正面に突き出し、そこに下げられた私の視線でゆっくりと、滑らかに親指、人差し指、中指、薬指、小指の順で手袋に引っ張られながらも曲げきらないまま、手袋に皺を作りながら曲げてゆき、そしてその手に力を込めて、ぎゅっとその手を握り込んだ。

 「お前はもうよく心に沁みて知ってると思うが。これから俺とお前がすることは。あいつに自分が、それから、俺が。ここに確かに立ってる筈の自分が。ここにはいないと否定することなんだよ、なあ?」

 それから鏡の顔の男は空いた左手で自分の心臓の辺りを平手で触れる。…幽霊は、こいつは。幽霊の体、またはそれ同士はすり抜けることはないという。そしてそれらが触れ合ったとき、砂を擦るような感触が残るのだという。

 ―しかし、それだけだ。

 それだけだという。その「気持ち悪い」感触だけが残るのだという。幽霊同士が触れ合ってもただ、ただそれだけで、しかし触れ合うことが出来るのは「それ」だけで、それにしか触れることが出来なくて。体温も、熱を帯びた額も冷たく凍えた手も、触れ合う体の肉の柔らかさも、骨の硬さも、叩かれた痛みも「普通の時は」感じることが出来ないという。

 そして、心臓の鼓動の感覚も。血管が脈打つ感覚も。

 聞こえないのだと、忘れてしまったのだと。目の前のこいつはそう言っていた。

 その時こいつはどんな顔をしていたのだろうか?―私は知らない。そして今もそうだ。

 「今の自分が夢幻の存在、人生というレールから脱線して落車した状況、黄泉路の淵に引っかかり、それに気付かずいつも通りの夢幻能を演じている滑稽な傾き者…うむ、まあ前に話したような似たような話はさておいてだなあ」

 声色が急に重く暗い物から別の意味で重い、はったりの利いたわざとらしい声に切り替わる。そしてそのままお墓の区画一個分くらい後ろに下がったかと思うと

 「やっぱり、それを考慮した上でも…」

 「・・・あいつうぅにぃ話してぇ、やっても良かろおぅ。」

 勢い良く足を前に踏むように振り下ろし、しかし地面には付かないよう、すり抜けないようぴったりとアスファルトとの境目で止め。まあどちらにせよ踏み鳴らす足の音の迫力を欠いたまま、その表情も化粧も欠いたまま。どちらかといえば某無声映画の主役のような(確か名前の中にプリンが入っていたような)シュールな姿で小さな見得を切っていた。

 先程の姿勢から身を引いて、とたんに歌舞伎の見得切りの様なポーズをとる鏡の顔の男。しかしその顔は能面の様で、「まったく、つかめないやつ」と私は思ったのだった。

 「…おい、なんか言え、恥ずかしいだろ」

 「じゃああんまり恥ずかしいことをするもんじゃないと思うんだけど」

 「失礼な、歌舞伎は何処に出しても恥ずかしくない日本が誇り世界に誇れる伝統芸能だろうが」

 「その前に能面被るか化粧するかはっきりしてくれないと駄目なんですけど」

 「気付かなかったか?これは白塗りだ」

 「わかるか!」

 「あ、知らぬとぉ言っても、わからぬ言っても。白塗り知らぬと、言うわけでなくぅ、知らぬは放っとけ、知っても仏とほっとけぬぅ」

 少し間を置いて。

 「…ホットケーキを焼くのが如く。がのごとく。放っておくのが上等白糖、上白糖を、加えてしまえば甘すぎる、しかしシロップも、白木の如く。楓(替え出)も甘くて相糖白糖」

 私は能面でそう言った。白塗り(しらぬり)というのは歌舞伎の化粧のベースのことで、先ず最初に役者さんの顔を真っ白に塗った状態の事を指す。そこに役の個性に合わせた隈取り模様を描いて行くと言う訳だ。私はうろ覚えなのだが、人形浄瑠璃の人形にヒントを得たとか、顔の筋肉を強調する為の物だ、と白塗りの話を含めどこかで聞いた気がする。因みにサトウカエデの木は白樺ではない。どちらもメープルシロップの原料となるものではあるが。

 「まあ白塗りだとか歌舞伎の話は俺がしたんだけどな」

 「…ああ。」

 そうだった、思い出した。忘れていた…白塗り云々の話は確か、こいつがいつか、記憶の一部を思い出したとか喜んでた時に夢中になって話していたことだ。まったく、自分の知識だと思い込んでいたとは恥ずかしい限りである。白塗りならぬ、恥の上塗りという奴である。

 「大体の、適当適度なやり方は。心のみ取り、掴み方はお前もこれまでの経験で分かってる筈だ、大体の目分量で煮物でも作るように。そこから判断した答えなんだが…おそらく、あいつは真実を知ってもそこまでのダメージを受けない、壊れてしまわないタイプの人間ひとのはざまだと思うんだ。問題があるとすれば、そういう「受け入れる」ことが出来るタイプの人間であるが故に。記憶が曖昧になっていた場合、幽霊になってからの常識が、物をすり抜けたり、感覚のだいぶの部分が消えている状態が生前からの常識であると受け入れてしまい、ますます自分が死んでいることに気付きにくくなるということだが…まあそれはこれからすぐに対処すれば問題ないだろう。しかし、だ。あいつが俺達の話を聞いて。…聞いてくれそうな状態になっていること、そこはいい。だが、俺達の話をあいつがどう受け止めるか、それが問題だ。現実としてすぐに受けれてくれればいいが、それにも時間がかかるだろう。だが、それならいい、それなら十分に良い。そうならなかった場合は…やっぱり良くない。冗談だと受け止められてしまって、そのまま時間が経つことは良くない。そのまま時間が過ぎて行き、幽霊として存在することに、幽霊としての感覚に慣れてしまったときに。あいつが幽霊だと証明するのは難しくなる。大分過程や決め付けで話を進めているところはあるが…俺個人の意見としてはそういう風に思う。さて、お前はどんな風にこの仮定を受け止める?響宇」

 「うん、私もそれでいいと思うよ」

 私は鏡の顔の話を聞き、受け止めた上で正面を向き、自分の答えを出してゆく。

 「私も大体、おんなじ考えだね。いや、正直なところ、まだあの人と会ってからそこまで時間も経ってないからそこまであの人のことについて知らないし、決め付けられるものでもないけど。でもやっぱり私もあなたと同じく、早めに話して理解させるのがベストだと思う。分かってもらえるかどうかは別の話だけど、…ううん、それでも分からせる。頑張ってあの人に話してみるよ。伝えてみるよ。それで…ね?」

 私はやはり緊張したような申し訳ないようなどこか恥ずかしいような、それでもこいつなら引き受けてくれるという信頼という感情を持って、こいつにお願いをする。

 「また、迷惑かけるかも知れないけど。私の自己満足に付き合ってくれるかな?」

 何を今さ…と言い掛けて、鏡の顔の男はそこにあるかどうか分からない口を閉じる。そして       

 私がさっき言ったのは、「いつか」私が伝えたこいつへの言葉だ。そのときの場面を再現する遊び。それにこいつは果たして、乗ってくれるだろうか?そうすればこいつは、私のお願いを心から受け入れてくれたということになる。そして―

 やっぱり。

 「…ふっ、くっ…あはははは。響宇よ!成程、お前も悪い冗談が好きになった様だな。」

 鏡の顔の男は。白い革の手袋でその鏡の顔とお腹の辺りを押さえて、そしてこう言った。

 「迷惑も幽惑も有るべき筈の名もない俺に頼み事だって?勿論いいさ。俺は暇だからな…」

 その言葉は私の予想していたものと、期待していたものとまったく同じものであった。只、あの時と、「いつか」と違っていたのは。その言葉を言うこいつがとても楽しそうな所だった。

 「ああ、決まりだ。それでいいんだよな?それならあいつには出来る限りのことは説明しておく。まあ死んでる俺に出来る限りの事だがな…お前にしか出来ないこと、生きている奴にしか出来ない証明はお前に任せる。だからとりあえず、今日は帰っておけ。…それから、明日は簡単なものでいいから何か作ってくるんだぞ、いいな。」

 「そうだね、今日は暑さのせいにしてサボっちゃったけど…明日は必ず作ってくるよ、お婆ちゃんのノートの。レシピで作った美味しくないわけがない最高の料理!」

 「…期待してるぞ、色々とな。」

 二人並んで歩き出す、その歩みは申し合わせもしていないのにぴったりだった。響宇が自分の歩幅で歩いて、鏡の顔の男が小さな歩幅でそれに合わせる、そんな二人の歩き方。

 「ああ、終わりましたか。待ってましたよ、何ていうかこういうのって物凄く不安ですね」

 元の新故人しんじんさんが居た所に戻ると、そこには落ち着きがなく不安そうなその人が待っていた。まあそりゃあいきなり夜の見知らぬ場所で一人になったら不安だよね。

 「はい。それでは私はこれで帰らせて頂きますね。又明日、ここに来ますので」

 「え?帰っちゃうんですか、そうですか。まあこちらの都合でそこまで迷惑かけるわけにはいかないですもんね、それじゃあこちらのスーツ姿の方が道案内をしてくれるってことですね。宜しくお願いします」

 「ん、ああまあ、そう言う事になるな。それじゃああんた。ええっと、…名前はなんていったかな?」

 「はい、私ですか?ああ、そういえば自己紹介とかしてませんでしたよね。私の名前は坂崎といいます。」

 「そうか。じゃあ俺は…そうだな、「加々美と」でも呼んでくれ、坂崎さん。」

 「はい、わかりましたカガミさん。…それにしても又明日、ですか?ああ、そういえばお二人は地元の方か何かなんですよね。すいませんが私は明日仕事があって、東京の方に帰らなくちゃいけないんですよ。確か今日は土曜日でしたよね…私の仕事は土日関係ないもので。」

 …今日は土曜日ではないと。そう喉の方まで出掛かったが、なんとか押さえて話を続ける。

 「ええ、そうですね。理由は良く分かりませんが、私達明日もまたここで会うような気がして…そんな気がしただけです。今日はもう遅いので、私は帰らせてもらいますね。また明日、もしくはどこかで会えましたら。そのときはもう一度お話させてもらっても良いですか?」

 「ええ、いいですよ。もちろんいいですとも。もしよかったら、ですけど私がこの人に、じゃなかった、加々美さんに電話番号と住所を聞いておきますので、その時にお礼を兼ねてもう一度連絡させて頂きますのでその時はまたお話しましょうね」

 「…へえ、知らなかったなあ。あんたが家と電話なんて持ってたなんてねえ、加々美さん?」

 「いやいや、何を言うかなこの子は?私にも住むべき家と電話と風呂とトイレと、電話と燃えるゴミの袋とたんすとファクシミリくらいはあるだろう・・・多分。」

 「あはは、本当帰る家があるってのはいいものですよね。私も早く家に帰って、この散々なたびの思い出話を…・・・ああ、家内に聞かせたら怒るんだろうなあ、多分。それがかなりの心配事ですよ。連絡もしてないしなあ、でもそうだ、携帯もないし!ああ、だけどこんな状況を連絡したらどの道怒られてしまうなあ、ああ、どうしたものですかねえ…」

 「きっと、心配してますよ…」

 「うん、やっぱりそうだろうねえ?あーどうしてこんなことになってしまったのかなあ…」

 確かに、きっと。その人は怒るだろう。でもそれよりも。その人はきっと、悲しむだろう。本当に悲しんだことだろう。事情を知ってる私というものは、それがなんだか、辛くて仕方ない。なんだか心苦しいものがあるのだ。

 それから私達は例の石段とアスファルトの道、それからコンクリートの通路…そこは避けて、墓地のずっと右手にあるなだらかな坂からお墓の入り口まで向かっていった。…あっちの道だと、急な斜面が、具体的に言えばアスファルトの盛り上がりがあるから体がすり抜けてしまうんじゃないかと思ったからだ。まあ、どの道気付かなければならないことなんだろうけど…

 パッ。

 「ひあっ!」

 「おっ?」

 「ななな、何です?もしかしてセキュリティか何かに引っかかってしまったとか…」

 突然私を、街灯もない暗がりから歩いてきた私がその場所に差し掛かったその時。眩しい光が照らしてきたので思わずどきっと驚いてしまった。

 「…おいおい驚かすなよ響宇。只のセンサー灯が点いただけだろうが」

 わたしがその場所、坂の終わりまで歩いていったと思ったら。そこにあった看板が突然光り、私を照らしたので驚いてしまった…本当にこっちの道は通らないので、夜になるとこんなところのセンサー灯が、人の動きに反応して点くなんて知らなかったのだ。

 「うー・・・ご、ごめん…ね?」

 汗で濡れたTシャツの裾を両手で掴み、俯きながら赤面して割と本気で恥ずかしがる私。

 「まあ、何もなくて良かったなあ。何もなければ、全てよし。事勿れだ」

 「そ、そうだねえ!いやー本当、何事かと思ってびっくりしたよ。何事もなくてよかったですけどねぇ」

 そんなやりとりを交えた後、私達は霊園の入り口、正確には霊園の受付、管理人さんたちの事務所、権、家と墓参りに来た人達用の駐車場がある場所。(特に枠線などはなく、一面広ーくアスファルトが続いている)その場所の入り口の所に辿り着いた。霊園の看板の所から幾らか続いた、並木道の先。そこにあるのが、低い垣根がずーっと並んだ場所がここだとも言える。

 「それじゃあまたな、響宇。俺はこいつに「道案内」をしてやるから」

 「うん、それじゃあまた明日も来るからね。…坂崎さんも、また。」

 「ええ、それでは「お元気で。」」

 どこか距離のずれた挨拶を交わしつつ。私達はまた明日、ここで会う約束。そういう意味を含んだ別れの挨拶を交わしたのだった。

 ざっ、ざっ、ざっと。アスファルトの車道を歩いていく私。

 それから、少し。ほんの少し、歩き出してから一分もしない所だったか…

 「さて、それじゃあ…」

 「ああ、悪いな坂崎さん。」

 そう鏡の顔の男が言うと。

 「へ…ん?・・・うわあああ!?」

 「ちょっとあいつにまだ言いたいことがあるから、今から「いって」くる。あんたはそこで待っててくれよ」

 そう言い放つ鏡の男の顔の体は。元から働いていない重力を無視して。帽子に右手を置き、腰が「く」の字に曲がった姿勢で宙に浮かび上がっていた。

 「か、加々美さん、あなた一体・・・?」

 「後で話す。幾らでもな。まだまだ夜は長い、夜が飽きるまで。…違った。お前が飽きるまで。納得するまで。私と、それから今のお前のことについて語ってやるよ」

 それから鏡の顔の男は、スピードスケートでもするような姿勢で、そのまま綺麗な弧を描き。現実ではありえない物理法則をまるっきり無視した姿勢で、音もなく響宇の後ろの方まで飛んでいった。…その様子を、坂崎と名乗る幽霊は只呆然と眺めていた。




 1、

 2、

 3.

 一歩、

 二歩、

 三歩…

 「よう、響宇。また会ったな」

 「わっつ!?」

 四歩、と歩道を歩いていると。四歩目と五歩目。その足は両方とも、地面にぴったり下ろされてしまった。突然後ろから「あいつ」に声を翔られて驚いてしまったからだ。…何というか、今日はなんだか驚いてばっかりだなあ。

 「あー、心臓に悪いなあ。ずいぶん早く来たんだねえ…。まさかここまで飛んできたんじゃ」「ああ、飛んできた。」

 鏡の顔の思わぬ早い返答に、もう少しばかり驚く響宇。

 「…まさか、坂崎さんに見られたんじゃ」「ああ見せてやった。浮かんだ所も飛んでる所も、それからここに着地するところまでしっかりな。まああいつがそこまで見てれば、の話だが」

 ・・・私は更に驚いた。今日はこれまで暫くなかった、驚きの多い一日であるようだ。

 「なあに、段階と手間を少しなくしただけだ。何も問題はない、悪いことでなし、だからお前は心配する必要はない、OK?」

 「・・・・・・本当、あなたって言う人は。良くも悪くもアグレッシブだよね」

 「ありがとう!」

 「別に褒めてはないよ・・・取り敢えず、今のは。」

 「良くも悪くもあぐれっしぶ!」

 「…それは一体何なので?」

 「それはさておき、少し確認しておきたいことがあってな。」

 「さておいちゃうんだ」

  「一応、確認しておくが―面倒を見てやるつもりなら。」

 ああ、

 やっぱりこの質問か、と。分かり切った様に私は伝える。

 「うん、わかってる―わかった。最後までしっかり付き合ってやること、自分の出来ることをしっかりやること、でしょ。」

 「ああ、わかっているならそれでいい。」

 「忘れたりしないよ。…私があなたに教えてもらった、教えてくれた。大切な教訓で、大事な約束だもんね、忘れたりなんかしていいことじゃない。」

 「…なあ…響宇…」「それじゃ、また明日ね。明日は早い時間に来るから」

 鏡の顔の男の小さく呟く様な声に、私の言葉が重なった。

 「…」

 「ん?何かまだ言いたい事あるの?」

 「・・・いや。またな…」

 「うん、じゃあね。」

 私はそのまま正面を、霊園の事務所と鏡の顔の男の方に向けていた体を帰り道の方に向け、そのまま元来た坂道の方、左の方に向かって進んでいった。あいつがまだ何か言いたそうにしていたが。特になんでもない只の冗談でも言おうとしていたのだろうと私は特に気にも留めなかった。




 「…本当に伝えたいことというのは、中々言葉に出来ないものだな。」

 はあ、と溜め息を吐きながら。誰もいない、今を生きる人とつい最近まで生きていた人の境目の道で鏡の顔の男が溜め込んでいた想いを口にする。

 「それは、その答えを聞くのに勇気がいるから。…その答えが、自分の求めるものと違うのが怖いから、恐ろしいから。それがぶつかって、砕けてしまうのが怖いから。」

 「…いいや、違うな…「それ」はそうだが、「これ」に関しては違う。その答えは、確実に、どちらも俺の求めるものでもあり、しかしその一方は、あいつのためにはなるが、そうなることが恐ろしくて。そしてもう一つは。俺の望むことではあるが、いつもいつでも、そうだったら退屈はしないが。…でも、それはきっとあいつのためにならないことなんだよなあ。」

 そして鏡の顔の男が。誰に言うわけでもなく、ただただ、自分に問いかけるように。響宇に伝えようとしていたその言葉を口にする。

 「…俺達の事なんか、忘れてもいいんだぞ・・・?」

 忘れられるのは、居なくなるのは寂しいことだが、それが一番、いいことなんだ。…何故なら俺は、本当は。ここにいる筈のない、お前に出会うはずのなかったものなのだからな。

 無駄に重たい荷物を背負うことなどないんだぞ・・・

 お前が、幸せに生きるためならな。

 忘れることも、

 悪いことじゃない。

 死人は結局、生きてる奴にとっちゃあ重たい荷物でしかないんだよ。だから。

 軽くするための手助けだったら、俺の出来る限りでしてやろう。俺の背負える範囲ならな。

 「・・・どうせ…」

 「暇だしなぁ。」

 そうだな、そうだ。

 只の暇つぶしだな、それ以上の意味はない。

 なければないで、別のことを見つける、別の自分を見つける。そういうものだ。

 おそらくそうだ、

 そういうものだ。…うむ……うむ。…うむ。

 「…さて、俺は俺の行くべき道に戻らなくてな」

 そう呟くと。鏡の顔の男は石垣に隠され見えなくなった響宇の姿を追い、聞こえなくなった響宇の息遣いや足音を辿ることをやめると、目と耳の働きを無理やりに遮られると。踵を返し、そのまま霊園の方に音もなく歩き浮いて戻っていったのだった。

 「長旅の終わりに着いた所で申し訳ないが、今日もあいつに、あの新人に。今日昨日と同じく野宿をしてもらわなくてはな。まだまだ先は長いんだ…死んでから、ってのはそれこそ。死んでる俺にも予測がつかないくらい、先の見えない長い旅になるかもしれないのだからな」

 まだ先のある、今日という日を越えて。人生という物語は進んでいく。今日は緩やかに進んでいるように見えても、明日はどうなっているか分からぬものである。…というのは、誰も彼もが既にどこかで聞き、そして飽きてしまった文句であるだろう。

 そして今を生きる「その人」はというと。まだ終わらない今日を、短い坂道を歩いていた。

 ふっ、ふっと息を吐き、リズム良く力強く足の裏を斜面に沿わせ、丁度その坂を上り終えた。

 明日は、先ずは―

 …あの人に、自分が死んでいるのだということを自覚させなくちゃ。

 「本当のことを聞く」のはそれからだ。

 そう思考を巡らせる私の手首から先は、切り傷と、火傷と、冬にはあかぎれが見える手は。

 食材を、今の時期の旬の食材、トマトや水茄子、胡瓜きゅうりや紫蘇。ズッキーニ、ゴーヤ。モロヘイヤ。包丁で夏野菜を刻む、心地よいリズムを刻んでいた。

 「お腹空いたなあ…」

 ああ、本当にお腹が空いてしまった。先程からずっと腹がぐるりぐるりと唸って鳴っている。

 ついでに傷まないように冷蔵庫に入れた朝に作ったオクラと豆腐の味噌汁のことも思い出す。

 今日の晩御飯は何にしようかな。

 「今日の晩御飯は何にしようかな?」

 思考と言動がぴったりと一致した嘘のない言葉が清々しい位に街灯の柔らかい光を突き抜け、かつ、かつと鳴らす靴の音と一緒に夏の夜の薄い闇へと溶けていった。

礼「それじゃあ今回のお便りです。ラジオネーム」 鏡「いやいやちょっと待て。」 礼「へ?何?」 鏡「いやいや、まだ準備が終わってないのに録音とか気が早すぎないか?」 礼「そうかなあ。」 響宇「私もそう思うな。もうちょっと打ち合わせとかね・・・(ああ、早速ローカル番組めいてグダグダになりそうな予感)」 四季「確かにそうですね。機材を準備するドタバタ音とか入ったら聞き苦しいでしょう」 響宇「問題点はそこなんですか?」 鏡「そこに気付くとは・・・流石は四季だな」 四季「え?それも大事でしょう?」 響宇「まあ確かにそうですよね」 鏡(・・・しまったな・・・俺の話はこいつには聞こえないんだったよ。でも筆談するにしてもわざわざ響宇の婆ちゃんの形見のノートとか使う訳にはいかないしなあ・・・あーどうするか。) 響宇「・・・あのー四季さん。そいつが、鏡の顔の男が「そこに気付くとは流石だ」って言ってますよ。」 四季「え?そうなんですか?ああ、ありがとうございます!」 鏡「ああ。」 響宇「・・・私通訳とかめんど・・・やりたくないんだけどなあ。」 四季「確かに。鏡さんって表情読みづらそうですもんね。結構お堅い人でなんですか?」 響宇「うーん。話してみれば分かるけど。こいつけっこううるさいよ。そして割と軽い」 礼「あー、確かに。」 鏡「なんだと」 四季「でも優しそうではありますよね。立ち振る舞いから何となくわかりますもん、そういうの。」 鏡「四季・・・!」 響宇「・・・四季さん。こいつが「余計なお世話だこのガリガリ野郎」って」 鏡「言うかっ!」 四季「あ、凄い否定してますね。首も手もぶるんぶるん言ってます」 礼「ん、確かに言ってなかったね。今のはお兄ちゃんの言葉に感動してただけだよ」 四季「そうですか。・・・ん?ちょっと待ってください響宇さん。」 響宇「え?なんですか?」 四季「それでは今の「ガリガリ野郎」というフレーズは。一体どこから出てきたものなんですか・・・・・・・・・」 響宇「あっ・・・・・・・・・」 礼「あー・・・響宇ちゃん、やっちゃったね。」 鏡「響宇・・・お前、最低だな」 響宇「うあ、あ、あっ。あの、そのっ」 四季「・・・いいですよ。別に気になんてしてませんし。そういうの慣れてますから・・・・・・本当に大丈夫、ですよ。」 響宇「ご、ごめんなさい!ごめんなさいっ!!」 四季「大丈夫です、よ。泣いてなんか、いません・・・本当です・・・・・・・・・だいじょう、ぶですから」 礼「・・・おにいちゃん。我慢しないでほんとのこといっていいんだよ?」 四季「・・・実を言うと!響宇さんにそんなこと言われるなんてショックですう!結構仲良くなれたと思ってましたから!そう思ってた分、仲良くなれた分!・・・・・・見ず知らずの人に言われるより凄いショックですうわあああん」 響宇「ああっ!四季さん!待ってください!四季さーーーん!!!」      礼「・・・いっちゃった。」 鏡「そうだな」 礼「私達だけじゃ準備できないから宣伝でもしよっか?」 鏡「ああ、そうだな。」 礼「てか姿が見えないのに声だけ聞こえるのってやっぱり怖い・・・」 鏡「・・・まあ、そういうのは慣れだ。」 礼「そんな訳で、私達への質問ご相談など募集中です。いつでもウェルカムだよー。」 鏡「おい、それ絶対歓迎してないだろうが」 礼「まってます!」 鏡「スルーかよ。」         響宇「はあっ、はあっ・・・し、四季さん。」 四季「ぜーーーーっつ、はあっつ、はっ、はあっ。あ、足腰、ごひゅーっ、強いです、ひゅーっ、ねっ、はあ、響宇さんは・・・・・・おえっ。」 響宇「本当ごめんなさい!私だってその、本当!豚みたいなものですから!本当御免なさい!豚って呼んでいいですから!」 四季「それは、いい、ですけど・・・ぐはーっ、はーっつ。それより、ちょっと。はあっ。疑問に思ったことを、お聞きしても。いいですか?はひゅー・・・はあっ。」 響宇「はい!何でも答えます!それこそ本当、何でもどんな恥ずかしいことでもいいですから!だから許してください!泣かせちゃって本当ごめんなさい!」 四季「それはもういいですって・・・あのですね、あのスタジオで、皆の会話を、録音するって、言って、ましたよね?っふう・・・」 響宇「はい、確かそう言ってましたよね。」 四季「・・・・・・幽霊の声ってちゃんと録音で取れるんですかね?拾えるんですかね?ラップ音とかにならなければよいのですが」 響宇「・・・・・・あー、そもそも企画の段階から間違ってたっていう・・・」 四季「・・・戻りましょうか。おしゃべりでもして帰りましょう」 響宇「そうですね。もっと互いについて理解を深めましょうか」 四季「本当、年甲斐もなく泣いちゃったりしてごめんなさい」 響宇「でもなんかわかりますよ。知らない人の言葉より見知った人の言葉の方がよく響くものですよね。」

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