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きょうのお墓ご飯  作者: 臭大豆
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3/13

続・七月某日 その1

 続・七月某日(夕闇が闇に迫る頃)



 天を仰ぎ見るひまわり。

 空の大きさを知り、頭を垂れるひまわり。

 つぼみ開かず、まだその瞳で太陽の姿を見ていないひまわり。

 しかし、まぶたを開かずともはっきりと分かるほど、眩しい光は確かにそこにあり。

 夕日のオーバーレイ、覆い焼き。夕日に覆われ、日中日差しを沢山浴びたにもかかわらず、まだまだ夕日色に日焼けする向日葵たちの、並んだ花びら、下を向くギザギザの葉、一年草にしてはずいぶん力強くたくましい太い幹。

 背の高い影は、霊園の事務所の玄関のほうまで伸びている。

 なんとなく、ここで作業をしている管理人さんの姿がすりガラス越しの影としてよぎった。

 縦に伸びていく夕日を浴びて尚、横に広がって行きそうな丸いシルエットをだ。

 七月の初め、早く植えられたひまわりたちは、思い思いに、重い頭を。太陽の方に頭を向けて。しかし彼らは一人一人発芽のペースも成長速度も違って。

 (種を存続させるための工夫、と言うのは野暮かな?)

 しかし誰もが遅かれ早かれ知るであろう、

 向日葵達は、いつか知る。

 その空の、そして、届かぬ太陽の大きさと、そのやさしさを知り。

 いつか頭を垂れ、感謝するときが来るのだ。

 彼らが生まれた故郷でも。きっとそれは変わらないことなのだろう。

 彼らが生まれた北アメリカの空は。

 それはとっても、広いのだろうなあ。

 人より大きく育つとはいえど、頭を垂れるのも仕方ないことである。

 そして向日葵より身長の低い私は、太陽ではなく、空ではなく。

 いや、一応それでもあるのだが…

 「管理人さんたちは、今頃何をしてるのかな?」

 同じ空の下、あの人たちは何をしているのだろうか、と思いをはせることはよくある話だが。そんな脳裏によぎる人たちが、空の下とは限らない。

 大抵の場合、人は屋根の下にいるものだ。

 …車の中にでもいれば、顔とハンドルを握る手を中心に嫌でも光を浴び、空を見ることとなるだろうが。

 そんな事を、普通とは違うところを見ていた。考えるのは太陽でもなく、空でもなくて。

 主の、家人達の帰りを待つ鍵付きの引き戸をぼんやりと眺めながら考えた。

 考えるというよりは、

 夏陽炎の様にぼおっとしていた、とでも言うべきか。それが正しい形だ。

 しかし幾らぼおっとしていようが意識がはっきりしていようが。人は変わらず歩いていかねばならぬものである。…生きていく限りは少なくともそうだという。止まっていても、足踏みをしているという。夕日に伸びる影が示す道、そこが例え先の見えない暗闇の中であっても。

 無意識の中で、いつか夜中に、どちらかというと明け方に近く、しかしそれまでにはまだ二時間ほど時間があるときに何となく目が覚めたときのことを思い出す。

 今よりもぼやけた意識の中に、寝ぼけた若いカッコウの夜鳴きが響いていたのを覚えている。

 夜の木葉闇に木霊する寝ぼけたカッコウの声は、

 自分の孤独を認識させるものであるのか、

 それともその先に続く何かを託すものであるのか?

 哲学コロンブスの卵は日々育ってゆく、それはもう、餌を貰えば貰うほど。親元を離れて育っていくものだ。

 地面に立った、割れた卵は。自分を選ばなかったものを恨むでもなく、妬むでもなく、只その数を増やしていくのだ。腐った卵は自分という革命者コロンブスを支える木の根の餌に。

 全てを押しのけ、求めるままに一つを育て。もう元には戻らない日々の可能性の卵を。

 悔いたときには、もう既に侵略者コロンブスの卵は育ちきっているのだ。

 哲学するとは、妄想するとは。

 自らの生きる時間を蝕む、舌の根、歯の根を侵略する。バターや砂糖をふんだんに使った甘く舌触りのよいとろける様な、誘惑の様なものであるのだ。

 …肥え、太らせるための、良くも悪くも、是とも否とも言えるものであるともいえるが。

 ぼおっとした意識が足を運ぶのか、それとも本能や蓄積された知識というものがそういう風にさせるのか。

 私の二本のたくましい大根足―…ほぼ毎日三十分ほどのウォーキングを続け、ストッキングを履こうものならおっかなびっくり伝線を恐れながら

(あの薄手の生地が破ける感触はある意味恐怖である。うひゃあ…)

履かねばならないような肉付きがよくなり身がしまった足の影は、霊園の事務所の右手にある

コンクリートの道のほうへと伸びていた。影には事務所入り口から借りた桶と柄杓が加わり。

 …頭の影は、すでにフライングして石の道の敷居を突き抜けていたのだが。

 蹴りでも繰り出すかのように、重厚感のある足を私はひたすら前に、力強く進める。

 事務所の右横の石畳のレール。

 目を凝らしてみれば両脇の、遠目に広がる四割程の面積の平面を残して刈り込まれた芝生の中には夏らしい雑草(野草なんてお洒落な言い方は似合わない顔触れ共である)が混ざっていた。

 芝生に混じった刈り入れを逃れた小錦草、

(こにしきと言うには小さいなあ、なーんて。実際は小さい錦草という意味である。赤い茎に、小判型で真緑色の小さな葉っぱが横一列に沢山並ぶ可愛らしい植物だ。そうそう、葉っぱの真ん中には斑点がそれぞれ一つずつあるよ)

たんぽぽ、花が綿毛になりかけている状態。

(説明不要。因みに西洋タンポポ、一番よく見る外来種の方である。因みに食べられると聞いたので小学校のときに土筆なんかと同様おばあちゃんに調理してもらって食べたことがあるが…そのときは喜んでいたが、後にしてみればそこまでして食べるものでもないと思ったなあ、普通の野菜とかがあれば。でも海外とかでは普通のハーブだって聞いた時には驚いたなあ。まあハーブなんて雑草みたいなものだけど。・・・うちの庭のミントなんかは特に…うん、やらかしてしまったのだ。ミントの繁殖力は異常である。経験を積んだガーデニアン(ガーデニングをする人の事。造語。)なら皆知っているようなことであるが。それを知らずに私は庭に種を蒔き…うわー。っていうかハーブってそこまで量使わないものだよねえ。洋風の煮込み料理とかにしてもさ?それに比べて店売りの袋に入った種の量の多いこと…たまーに、高級な花とか育てるのが難しい花だと量が少なくてもっと欲しいと思うこともあるが。ちなみにタンポポは雑草としては根っこが最上級の強敵である)

 首 を刈られた酸葉。首というか胴体股上くらいまでズッパリだが、

(すいば。すっかんぼ、酸っぱい赤い穂の草と言えば伝わる人には伝わるかな。これも食べられると聞いたので食べたことがあるが…うん、味は名前の通り。すっぱいよ!)

蕺草の葉、

(シュウソウ、どくだみ。名前には毒痛み(に効く?)、毒矯め、毒止めなど、つまり病に効く薬草であるという由来がある。しかし私はアレルギーが出てしまうのかあまり合わないようである。ドクダミ茶なんて飲むと頭痛とかが酷くなるのだ。…雑草としては根っこが力強く残るかなりの強敵である。あと、手が独特のにおいになる。)

 田舎の人の間では名の知れた、雑草界の大物達が揃い踏みである。

 (まあチカラシバやスズメノカタビラなんていうのは田舎民からすればタンポポ以上に語る必要もない、全国区でもメジャーな雑草界の内閣首相とか歴史上の偉人とかそんな感じだよね)

 …しっかし、ここも四季さんが手入れしたんだろうけど…

 「・・・「あの」芝刈り機でやってたのかなあ。」

 思わず言葉が漏れる。所見は本当に喉まで悲鳴が出かかったものだ。失礼だけど。

 そんな為になるんだかならないんだか良く分からない知識を反芻しながら、石畳のレール、左右に細長く続いた小さな石のブロックと2、3センチ程の段差で芝生の土との境界を区切られた上を小気味よい音を鳴らしながら進んで行く。

 道のりにして三十歩、五十歩百歩にも満たない、今まで歩いてきた十分強程の道のりに比べればどうってことないという言葉すら出ないほど短い道のりである。

 ―しかし、私はこの短い道が結構好きだったりする。

 ふかふかの芝のクッションが、私の心を包んでくれるからかな?―なーんて。

 …そんなわけはないか…

 だって芝って意外と硬いもんね。

 男の人の髪の毛くらいにはごわごわなんじゃないかなあ?

 そのくらい無根拠で。理論的なものではないけど、好きって、Likeって。そういうものなのかもしれないなあ。

 好きな人のことは真っ青な、真緑の芝生の絨毯に見えて。

 長く一緒にいる人は、踏みしめられた硬い土の上の、茶けて枯れかけた芝生に見える。

 まあ要するに隣の芝への憧れは青く、青臭い故に羨ましく見えるって話で。

 私が自分で管理するならば面倒だ、って思うかも知れないというお話である。

 そんなこんなで、大股歩きで二十五歩。人がいないのと、夏の暑さと、背に受ける夕日への感傷を振り切ろうとする気分とが混ざり合い私を大胆にする。そういう気分で二十六歩目を踏み出すと、そこには更に墓地の方へと続くアスファルトの黒い道に影のおおよそが乗算されていた。

 左に曲がれば、遠回りをする木陰の苔生した道が。

 しかし今日は右の方の道を行く。右に曲がれば、その緩やかな曲線を描く道は、迷わないようにしっかりと、強引過ぎないように私を引っ張って。お墓の並ぶ台地の階段まで導いてくれる。

 「…四十歩、四十一、四十二ー、よんじゅうさん……四十六。」

 五十歩程。

 左手に持った桶と柄杓を一定のリズムで振りつつ、五十歩程さっきの石のレールより鈍い音を響かせながら歩いてゆくと、そこには石の階段がある。

 「あった」とかではなく、「ある」のだ。それはもう、こじんまりとしていながらも堂々と。

 真ん中には、曲線を描く所々微かに錆びた金属の手すり。色合いとしては伸ばしたてのアルミニウム箔よりやや白っぽい感じ、まだらな小さい錆の斑点は赤茶色。

 今触ればひんやりして冷たくて気持ちよさそうで、冬に掴めば冷えて手の神経がじんじん痛みそうな手すりである。

 今は手が汚れそうだから掴まないけどね。

 真ん中に在り、人と人とを左右で分ける手すり。その左側の方の階段の道をを私は一歩一歩上ってゆく。

 その段数は、十三段。

 しっかり数えて、前に何度も数えて。数えるまでもなく十三段なのだ。

 「ちょっと不吉な数字だよね…こういうのって多いのかな?」

 階段を上り、正面に十歩歩いて四歩ほど右に歩いた場所。

 二段ある、お墓が横のほうにずらーっと伸びる台地の、下の段の。下から一段目の台地の。

下の段の、手前から階段を上って三列目の、三列目と四列目を分ける十字路の角のところ、そこにあるお墓。

 そこにあるのが私のお婆ちゃんのお墓だ。階段を上れば意外とすぐ近くの場所である。

 ここには私のお婆ちゃんともう一人が眠っている。

 横にある石の板に刻まれた、墓誌を見ればそれは明らかとなるのである。

 この墓に眠る人の名前を、これから実際に目にすることで暴こうというのだ。

 石の表面に刻まれた二番目に刻まれた人の文字、生きた印。まず私は最初にそこに目をやった。

 四方山 皆見。

 よもやま みなみ。

 私のお母さん、花塚 遥香。 はなづか はるか の旧姓と同じ苗字である。つまり母方の祖母ということになるのだろうか?いやまあそれしか答えはない訳だけど。

 享年、63歳。

 ・・・早すぎる死である。

 少なくとも私にとってはそうだ。

 もう一つの名前は、お爺ちゃんの、私のお婆ちゃんの夫であった人の名前らしい。

 四方山 総司郎。

 そうしろう、と読むのだそうだ。

 「らしい」や「だそうだ」と何故言うのかといえば、私はこの人と、私のお爺ちゃんと直接会ったことがないからである。

 その理由は、次に刻まれた文字を見ればすぐに分かる。

 享年、42歳。

 …早すぎる死、だったのだろうなあ。

 少なくともお婆ちゃんにとってもそうであり、本人にとってもそうだったのだろう。何せ、50年にも満たない人生だったのだからなあ。

 何歳くらい年が離れていたとか、お婆ちゃんからはそういう話を聞いていなかった。―こう見えて、いや、見たままかな?私は割と変な気を使うタイプなのでそういうことは聞いていなかったのだ。…もしくはよほど子どもの頃に聞いて覚えていなかったとか。

 そういうわけで、私はお爺ちゃんのことについては詳しく知らない。

 隣の墓の人の名前を知らないように。

 それよりも縁のある人の筈でありながら、私はお爺ちゃんのことをよく知らないのだ。

 子どものころに会っていた、遠くの墓にいるお父さんのお爺ちゃんやお婆ちゃんよりずっと遠い遠い、遠い存在である。

 うん?お父さんが何処にいるのかって聞きたそうにしてるね?

 それは、遠くだよ。

 ずっと遠く―

 お父さんはどこかへ行ってしまったのだ。

 私達を置き去りにして、

 いつからだろう、子どもの頃から?

 何処にいるかも分からないままで。

 …自分から言い出しといてなんだけどもこのお話はここまでで。

 まあ墓標に名前を刻まれることもない、いるかいないかも分からない人である。

 別に嫌いというわけではないが―

 ただ、分からないのだ。

 本当の本当に、分からないのである。

 好きか嫌いかすら、好きでいていいのか嫌いになっていいのかすら、もはや私には良く分からないのである。憎んでいいのか、愛していいのか、それすらも。わからないのだ。

 …それにしてもだ。

 享年、63歳。

 人間五十年とは昔の人は言ったものだが、

 薬も医療も発達した、人が鯛の天ぷらを食べて死ぬような、漢方薬や焼き味噌を自前でこしらえるような昔の人が死ぬような。そんなことはありえないこの時代に。この時代では。

 昔の人の人間五十年などとは言わず。よぼよぼになっても、歩けなくなっても。

 ・・・私のことを、

 忘れても。

 百歳くらいまで生きていて欲しかった、私が教わった料理を、・・・もっと教えて欲しかった料理を。食べるたび、私を思い出すとかさ?

 ・・・どちらも叶わぬ、人の夢。儚い理想でしかなかったわけだが。

 理想郷と言うのは、理想であるからこそ理想郷、最も尊いものであり。それゆえ現実にはならず、たとえ近い形で現実に現れたとしてもそれは物の理想という形からは変わってしまうものだよなあ。

 この墓石だって、ずっとここにあるように見えていつかは風化してしまうのかもしれない―

いつまでも私の顔を映してはいないのだ。ずっと磨き続けたところでそうはならず、寧ろ磨く分だけ、やさしく拭う様に拭いているとはいえ寿命を縮めてしまう可能性だってあるのだ。

 そっちの左手の方、四列目左の吉野さんのお墓だってそうだ。

 吉野/家の墓標も。

 吉野/家、よしのけ、とそう刻まれた墓標も。

 …なんだかここに来る度に思い出してしまうなあ、吉野、家さん家のお墓の名前と。

 なんだかこだわりの牛肉を。

 甘めのたれで玉葱と一緒に煮込んだものを食べたくなってしまう、そういう連想をしてしまうなあ…何故だかは知らないけど。

 まあこう暑くてはそうでもないか?それとも暑いからこそ卵と一緒にかきこみたいのか?

 ハフッ、ハムッ、モグモグゴクリッ…カツカツ、ハフハフ、モグモグ、ングゴクプハア、、、。

 赤身が多い薄く切られた牛肉の、たれで照った表面と、肉の端のほうで光る脂身。そして肉と同様たれをその身に吸ったくし切りの玉葱たちと、つゆを吸って間もない、表面のほうまでしか染みていない、べちゃっとなっていないつやつやの白米をイメージの中の舌の上で撫でる様に躍らせる。

 すると、自然と働く唇と歯と、水分不足の唾液腺。

 イメージの中に割って崩した生卵が絡めば、たちまち舌は滑らかに動いて。

 まあ家では自分で作るけどねえ?そこまで作ったりもしないけど…うーんでもなんかこの吉野さん家の墓標を見るようになってから作る機会が増えた気がするなあ。結構作るの簡単だし。

 そもそも近くによしの…牛丼屋はない。

 人が少ないゆえに美味しい外食のお店も少ない。(全くないわけではないが)そこが田舎の寂しいところである。人恋しいというか、口寂しい。

 …わけでもないか。食べるものなら一応、沢山あるよね。

 本当に、牛丼を一筋に八十年以上。そんな風にお婆ちゃんには生きていてほしかったものである。

 ああ、お婆ちゃん…

 …の家紋がなんだか丼に見えてきた。

 今日は帰ったら何を作ろうかなあ?

 墓の前。左右に置かれた銀色の花立て(花瓶?)の、樒

(しきみ、悪しき実。人間にとって有毒な、「あしきみ」を付ける木である。昔の人はこれを使って死体の臭いをごまかし、また現在でも葬式のご焼香の際に使う抹香の材料として用いられる。その抹香の、焼香の際の香りをイメージしてもらえば分かる通り強い独特の香りを持つ植物である、但し葉っぱを潰したりでもしない限りはそこまでの香りはしないが。おしきみ、とも呼びお墓参りの時には菊と同じ位定番の弔花(?)である。)

が立てられた二つの花立の水を水道でジャバーと換え。

 ついでに転んで汚れた、泥と砂が付いた、手の皺の溝に染み込んだ、地面に着いた手を洗う。

 「だいぶ減ってるなあ、昨日も来たのに…やっぱり夏は頻繁に水換えしないと駄目だね」

 この時期、夏の時期は花が暑さで痛みやすく、また花瓶の水も減りやすい、というか一日置いただけでも目に見えて減っているのがよくわかる。それとは関係ない話だが、花立を余りに放置しすぎると花立の底に赤虫が繁殖することもあるという。まあ私の場合は無縁だけどね。

 故に、私とは関係のない話なのだ。

 減った水の代わりに、するり、と汗の雫が線となり、額や頬、背中、お腹、ふくらはぎの側面なんかを縦横無尽に駆け巡る。

 大方その汗の主成分は。

 塩分と昼に作って食べたスモークサーモンとクリーム、ホワイトソースの冷製パスタのオリーブオイルの油分と、お湯で少し煮出して水で埋めてガラスの瓶に入れて冷蔵庫で冷やしておく、ティーバッグから淹れた麦茶かウーロン茶…ここ暫くはウーロン茶だから多分それらだろう。

 因みにアルデンテの具合は冷製だったためか、普段どおりにやったら失敗してしまった。…ちょっとかたかったかなー。駄目、ってわけでもないけど冷製だとちょっとね。うん。

 ああ、そうそう。ハーブ塩を振ったレタスとトマトとモッツァレラチーズも、バリバリモグモグフォークで食べたそれも含まれてると思うよ。ところでモッツァレラチーズは意外と高くてね…たまーに、ごくたまーに買ったら。大事に少しずつ食べるようにしてるのだ。

 水換えついでに、ジャバーと手首の表面と内側の血管と更に内側のトマト色の液体を冷やし。お墓の横の灯篭飾りの中から持ってきた布巾を濡らして捻り、固めに絞って余分な水を格子状の金属の蓋から排水溝の中に落としていく。そして、コンクリートの空洞の中に水音が響く。人一人分くらいは、中腰になった私ひとり分くらいはすっぽり収まりそうな空洞だ。

簡素なつくりの水琴窟。…水琴窟とは日本の庭園などにある、瓶の中で水音を反響させる装置である。…厳密にいえば違うが、取り敢えずそのくらいの認識で良いと私は思う。静かに見える墓地の、ヒグラシの声と木の葉のざわめき、寝ぼけまどろみかけた優しいトーンのカラスの鳴き声。卒塔婆がからからと風に揺らされるざわめきの中で、私はその音を、涼しげなその音をまだ温かい、日中の太陽の熱を持ったアルミの格子に乗せた手の平から響かせたのであった。

 続いて墓の横の花瓶、元々はドレッシングのソース、イタリアンドレッシングが入っていた細長い、瓶底から口の方に向かうにつれてすぼまっていくデザインの瓶に入った花を確かめた。

 「やっぱり花もしおれてるね。失敗したなあ、せめて花だけでも持って来ればよかった」

 減った水の代わりに、ぽたり、と前髪から落ちた汗の雫が墓場の敷石の隅の方に染みを作る。

 「…おっと。」

 前屈みになり、膝に当てていた胸を、上体を反らし。ヤンキー座り(ここでは墓参り座り、とでも言っておくか)のまま、ハンカチで顔を満遍なく拭う。

 やさしく拭う、鼻、額、もみあげ、頬、口元と顎下。玉のように各所に浮き出た汗がラベンダーの香りの柔軟剤が微かに鼻をくすぐる薄手のハンカチの、透けた白色の中に染みてゆく。

水色の縁取りと白バラの刺繍が施されたものだ。

 ハンカチを右ももの方のポケットに戻し、両手を伸ばして墓の正面から右手にある花瓶の曲面の側面を滑らないようにしっかり押さえて持ち上げる。

 そうしてもう一つの花瓶を、花立を確かめた後。

 それから頭を撫でるような感じで柄杓を動かし、水桶の七分程入った水の四分目、水桶七分の四くらいの水で墓石を濡らし、墓石の表面を優しく綿の布巾で拭いて。

 丸く黒い墓の敷石の隙間に挟まった、黄色くなった樒の葉っぱを水のない近くの側溝に捨てた後。ポケットに忍ばせたライターと線香を…

 「うわ、折れてる…」

 右後ろ側のポケットに収められていたくしゃくしゃのティッシュに包まれた線香は、乾麺の袋の底にある細かく折れた麺の断片のように、不揃いな形でばらばらになっていた。

 「さっき転んだときか…」

 お尻の後ろのポケットだったから仕方ない。

 みっつ、よっつ、物によってはバラバラで粉々に、粉が吹くほど割れて分かれた線香の中から一番長いものを、不揃いのハーフサイズ線香を三つほど選んで。

 枯れた落ち葉を集めた側溝で、線香を包んでいたしなびたティッシュと一緒に。

 ライターで火を点け、線香に小さな灯し火と、風にさらわれながら天に昇る煙の柱が生まれた。

 すると。

 「ゴホンゴホン!」

 !?

 「ゲホンゲホン、ゲフン!オォーウエッホン、ゲホン、グェホンッッツ!!ゲフン!」

 私の耳に響いていた墓場のざわめきは、むせ返る咳の反響で耳の穴を塞ぐように満たされる。

 ・・・私じゃないよ?

 規則的に並んで続く墓石と石の道に響いて沁みたその音は。煙に沁みる、「そいつ」の声だっ「グエッホンゲホン!ゲヘエ!!ムフンフウン!!フウンッッ!」

 「ああもうっ、うるさいなあ!ちょっとトーン抑えてよ!煙たいのはなんとなく分かるけど、だったら遠くで待ってればいいじゃない、私がいつも線香焚くのは知ってるでしょ?」

 「・・・…ゴホン、コフ。」

 その返答のような小さく切るよな咳とともに、扁桃腺の腫れと同じように引いていく咳の氾濫。他の誰かに聞こえたかどうかは知らないが。さっきの咳の音もそうだが、その静けさもまた、低い咳の音以上に広がりを感じさせるそれも、私と「そいつ」の間の距離もまた。私以外の誰かの存在を示していたのである。

 「下の庭園の方で、木の椅子あたりでちょっと待っててよ。婆ちゃんと話したら行くから」

 「…ああ、わかった。私もお前に言っておきたいことがあるからな」

 声なき声が言葉になって。なにやら私に文句を問答ででも伝えたそうな響きを見せる。

 しかしその声は、遠くのほうにスーっと消えていったのだった。

 「わかった」の辺りから、私の真横を人がジョギングするくらいの速さで下の階層の墓地の庭園にフェードアウトしていく声。「お前に」の辺りで階段に差し掛かって行ったその声は、それ以降はずっと下り調子の口調であった。

 しかし振り向かずとも想像の付くその姿は、腕組をしながら浮き足、足浮きで立っていて。

 「…そして、手擦りをすり抜けながら降りていったこともあったっけ。」

 私は以前あった出来事を意外とはっきり鮮明に覚えている記憶として思い出す。

 後ろを向きながら、浮いた形でゆっくりと自分の体を石の階段の真ん中の手擦りに貫通させながら降りていく。怒ったあいつが私を驚かそうとやっていたことのようだったが、…いや。表情が見えないため、本当に怒っていたのかどうかは分からなかったが。私はなんだかその様子がとても面白く見えて、思わず笑ってしまったのだった。

 「…ぷっ。」

 そうしてもう一度、「残り笑い」を失礼します。

 そんな風に追憶に笑っているうちに、線香の灰が長く伸びている。線香自体は更に短くなって、余計に、否、余計なものがないほど短くなったそれは私を急かしているようで。

 「まったく…どうして皆静かに待ってられないのかなあ?」

 私の感じた、今日の時間のあり方は。ご飯をねだる子どものそれと同じように慌しいものであったのだ。



 (線香を供え、手を合わせ、まぶたを閉じてお経を唱え。いつものようにお婆ちゃんと「お話」を、あった出来事を伝えることをする。)

 (…それから、私がよく知らない「お爺ちゃん」への挨拶も。)

 (…挨拶は。人と人との関係を繋ぐものだと言われるが…)

 (死してからも繋がるものというのはあるのだろうか?)

 (まあ…それは。)

 (私の、私も知っていることだから、今更考える必要はないか。)





鏡の顔の男「で、こうして俺とお前が顔を合わせた訳だが」 花塚響宇「えっ、いきなり何?顔ならしょっちゅう合わせてるでしょ、そっちはどんな顔してるか分かんないけど」 鏡「ほう、あくまで知らぬ存ぜぬとしらを切るつもりか?白々しいな、最初の前書きで皆に自己紹介をしていただろう。水臭いぞ、俺とお前の仲じゃないか」 響宇「え?何それ?そんなの知らないよ」 鏡「えっ」 響宇「ん?」      鏡「何なのだこれは、どうすればいいのだろうかね」 響宇「私に聞かれても…で、結局その人は誰だったのかな」 鏡「俺は知らないぞ」 響宇「私も知らないんだけど」 ???「私もね。こうなるともうお手上げよ」 響宇「そっかあ、それじゃあどうしようもないね」 鏡「ああ、そうだな…」      鏡「・・・いーやいやいやいや待て待てマテまてー」 

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