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きょうのお墓ご飯  作者: 臭大豆
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「三年目」七月某日 その1

 ???「皆様おはようございます、私の名前は。・・・・・・   ん…きょうは風が強いなあ。私のお話、聞こえてますか?さて、作者の臭大豆さんから伝言を預かっていますので読みますね。 『作品については作品そのもので語ります!』 …とのことですが、作品についての疑問などがございましたら(本編の進行に差し支えない範囲で)応じ、答えさせて頂きますのでお気軽にどうぞ♪  一応の形(ゼリー状)になっているとはいえまだまだ未熟な私の作品です、もしかすると皆様の中に浮かんだ疑問がこの作品をよりよいものにしてくれるかもしれません。そうなればそれは素敵なことですよね。それではどうぞ。お茶でも飲んで… 話でもしようや……」 

 ???「あ、只のギョクロ・チャですのでご安心を。実際安全重点。家にいると漫画ばっかり読んでていけないや。まあそればっかりでもないけどね…後で鉄鍋でも磨こうかな?」

 三年目 「七月某日」



 想像してみよう、七月の午後、皮膚が焼ける様な暑い日に、短い通り雨の降った後、

 …場所によっては、例えば一面黒いアスファルトの駐車場なら湯気の立つのがはっきり分かる。そんな風に、暑ーく、ぬるーいもやが肌にまとわりつく様な日。

 薄い霧の中、アスファルトで舗装された道路、その脇の、明確な区分けはされていないが車を運転している人と歩く人(又は自転車に乗った人、或いは、居るかどうかは分からないがセグウェイに乗った人)同士が「歩道、人又は自転車クラスの軽車両が通行するためのスペースである」と認識できる場所、、 。

 私の視界はそこにはあまりなく。

 私の意識はその脇の林道(アスファルトのところも含めてそう、「林道」というべきなのだろうがしかしそこまで細かい思考をする余裕は私には無い、今の私には無い)、草が生い茂り、人の手により手入れされたそこまで密になっていない雑木の幹が伸び、その天上に枝葉が生い茂る場所。もっと注目すべき場所もあるだろうが、今の私にはこれが精一杯である。

 「ああ、蒸し暑いなあ…」

 モザイクのようにまばらな木漏れ火が林道に降り注ぎ。歩き、動いている私の体の上を水族館の鰯の群れのように駆けていく、泳いでいく。

 ―ひらり。

 はぐれた鰯の影は死んでいて、銀に光らぬ錆茶色。焦げた茶色は―私を避けて落ちる。

 思考がモザイク、木の葉で覆う。

 開いた隙間に、海の水。

 風が枝葉に波を描いていく。

 ―しかし、鰯の、雲の、群れの。訪れはまだ、遠く。

 無意識の海に垣間見たそれは、残暑ですらない猛暑真っ只中の今よりはずっと遠くだ。

 (「木漏れ火」、とあるが決して誤字ではない。夏以外の季節にこの文章を読んでいる人には伝わりにくいかもしれないが、夏の日差しは本当に「火」と言ってよいほどの、そう形容したくなるほどの熱さだからだ。肌をじり、とローストする。それ故暑い、それ故木漏れ火。)

 私を覆う枝葉の天井、その上では枝葉が天火(誤字ではない)にさらされ、焼かれているのかと思うとなにやら汗腺が開きそうな気分になる。(実際のところはよく分からない)

 石を割るほど強烈な日差しをその固い葉に受けて育った夏の野菜は美味しいが、

 その日差しの下の、家の中でとはいえ天日のように暑い鉄板と油で料理をする手間を思うと

 少々憂鬱で、汗だくで。心の中のシャツがびちゃびちゃだ。

 「いやまあ、料理は好きなんだけど。こうも暑いとやる気が出ないよね」

 カナカナカナカナ……

 力ない私の、私の力ない小声に遥かに勝るボリュームのカタカナ言葉の羅列たち。

 乾いた木々の幹と、おおよそ一ヶ月くらいのセカンドライフのファーストファスト・ラブにしがみ付く意外とねちっこい虫たちのカタカナ、…否、カナカナだ。

 このカナカナが、否、この鳴き声が何を意味しているか?今このとき現在進行形で夏を乗り切ろうとしている人、或いは蝉に詳しい人、蝉の単眼の数やセミがカメムシ科であることをためらいなく答えられる人、そうでなくても脳内に夏の情景を思い出そうとして、それに成功することが出来れば分かるだろう。

(無論失敗すれば分からないまま永遠の謎となってしまうだろう。そしてその時の思い出せなかったという記憶は例えあなたが覚えていなかったとしても永遠に残り、答えを導くはずの貴方がいないまま、答えを求めてさまようのだ)

 答えは、ヒグラシ。

 …じゃないよ?

 辺りが薄暗い状態であるということ。それをヒグラシの鳴き声が意味しているということだ。

 出掛け前の先程降った通り雨。雨は過ぎたがどうやら雲はまだ完全に去ってはいないようで。

 灰色のあの雲がオレンジ色に染まる頃には何処まで動いているのだろうか?

 目には見えず、しかし肌では測れる(本当はその内側にある神経の働きなのかもしれない、というかそうなのだろう)夏の暑さの中、霧のように煙のように、霞のようにぼんやりとした思考の中、私は自分が歩いている、歩いていた、何秒、何分か前に通り過ぎた場所の景色を思い出す。

 しかし鮮明には思い出せない。

 …何故歩いているのかって?そんなことは思い出す必要すらない。

 「蝉はナッツのような海老のような味がする」と言う様な知識のように思い出す必要のない無駄なことであると言えば分かるか。

 (食わず嫌い。良くない事ではあるが。しかし食べる必要のないものをただの好奇心で無理やり投げやりに食べるのは正直どうかと思う。)

 (・・・・・・)

 (正直ごめんなさい、ただの食わず嫌いです)

 私がこうして歩いている理由。この密度が薄い住宅地の近くにある林道を、もっと正確に言えば林道の区切りなき遊歩道を歩いている理由と言えば。

 それはやっぱり思い出す必要なんかなく。

 このかたおおよそ三年間、365×2+a日くらい常に頭の中にある、

 お墓参りに行く私にとって、墓石の下の骨壷の位置くらいに日常的で恒常的な理由。

 お婆ちゃん「達」に会いに行くと言う、

 私にとって、ずっと変わらず、変わらないままの理由である。

 黒蟻の、喪服の葬列がこの炎天下でもいつもの様に、骸を土の下に埋めるよに。

 黒蟻の、よく働くものも働かないものも、働かない雄も子孫を残せる女王もいつかは死んで土の一部に還るよに、  社会とて組織とて超個体とて永遠ではない様にいつか死すように。

 ただただ変わらぬ一つの理由で。

 蟻も人も同じで、白装束を纏うのは子どもと死せる人のみであるのだ。

 きっと本人達にはそんな覚えなど一切ないだろう。白無垢であった頃のことなど。

 だけど私は、そんな白装束の人がまだ忘れられなくて。

 いまだに白無垢、理想を被って被せて生きている。

 そんな私は、

 白くて、それで「いじ」らしい。

 カツ、カツと。長く履いて足に同化したパンプスの、地面を叩く音が。ひび割れたアスファルトのラインに染みて行く。下駄の音よりはどこか気取って物憂げそうな音だ。

 「暑いなあ…」

 カナカナカナカナ・・・……

 やっぱり、ひぐらしの多勢には負ける。やる気の問題ではない、世の流れ、力、活力の流れ。即ち多勢である風情ゆえに負けてしまうのだ。旬の物には力があるから仕方ない。

 私の旬はとっくに過ぎた・・・認めたくはないが、そうだ。お肌も人生もやる気もなんもかんも、お婆ちゃんが死んでからというものの曲がり角を通り越してもはやどん底だった。

 しかしそれは、あくまで「だった」ということだったので今は緩やかに上がっているが…

 お肌の張りつやには、「だった」は通じず現在進行形で下がりっぱなしだが。

 今現在下り坂を下る為に張っている足の筋肉ほどには張って欲しい、と理想するが。

 「つーか二十代近くなるとこんなにも変わるものなのか。」

 真夏のそば粉と梅雨を越えた米並みに劣化していく・・・

 「そりゃあ旬の物には勝てないってわけですなあ…?」

 まあそういう「気分」を選んでくれる人なら別だろうけど。夏は不味くても蕎麦食べたいもの。それに、不味いって言っても保存の仕方次第で割りと、二八割くらいで美味さを保てる。

 因みにそば粉が二割。取り敢えず「結婚」なんてものはまだまだ遠い話でいいかな、うん。

 しっかし熱い、とは言うものの、そこまで熱いというほどではない。少なくとも日差しと熱風で肌が軽い火傷を起こし痛みを感じるというような暑さではなく、

 寧ろ、この場所は涼しい方であるといえる。いや、場所だけではなく気候の条件もそうであるといえるか?夏の夕方と言う時間の条件もそうだし。ただし、蒸し暑くはある。

 冷勢について考えた後、冷静になってなんとなく考えて省みる。自分の言動についてだ。

 誰もいないとき、暗い言葉や愚痴ばかり言ってしまうのが私の悪い癖である。

 猛省しなければ、…という意識が一瞬遠い記憶の中のアスファルトの上に蜃気楼のように揺らめいてよぎるが、しかし。私の足はそこでなく側溝のコンクリートの蓋の上に移っていて。

 何気なく遠くの方の景色を見て、それはゆらめく。

 否、揺らぐ。

 ズルッ。

 履いていたパンプスの、靴底で滑る何か。それは通り雨を吸って湿った苔だった。

 「わっ?」

 視界が揺らいだ、

 空を見る。

 「わ・・・」

 ゆっくりと早く―

 空が落ちる。

 グルッ…

 ビタッ、

 ズデェン。

 「げふっ!?」

 苔の上下にたまった泥と、水を薄く吸って少し重くなった夏枯れ落ち葉が低く舞う。

 ひぐらしの声にいくらか勝る、驚きと声量を前面の空に肺の空気ごと押し出されたような悲鳴が響く。

 カナカナカナ…・・・「っふぅー………」   痛さと驚きで数秒悶絶。

 しかし、芸術点と持続力においてはヒグラシのほうがはるかに上回っていた。

 「・・・最悪だっ!」

 心がざわめく、その後で。更に足の甲の方まで落ち葉と泥で濡れて汚れたパンプスと、丸いお尻の形に濡れた薄手の生地の夏用ジーンズに、濡れ夏枯れ葉が張り付く、見せ(てもいい)ブラのラインが見えるTシャツ。そして、泥と砂で汚れた手の平に更に不快感が増す、

 その筈だったが―

 「ぷっ、」

 不思議とそれは不快に感じず。

 「…あはははは。」

 寧ろ、何故だか、どうしてなのかは分からないが笑っていた。

 理由にして考えてみるならば、理不尽ゆえに笑えてしまうのか、それとも「転んで汚れる」という行動の結果に何か昔の懐かしい思い出をフラッシュバックしたのだろうか?

 そう考えるのは。そういう理由を探すのは。思考をめぐらせ詮索するのは。

 やっぱり野暮なことである。

 時にはそういうことも必要で楽しいことかもしれないが、今この時においてのみ言うのなら。

 こういう状況を彼女は不幸なことと感じたままにせず、楽しめた。

 そこが一番大事なことであるのだ。

 「あははは…」

 ふう、と唇を少し尖らせた溜め息とはまた違う吐息を吹く様に出す。

 ついでに、続けて、僅かな、一瞬、口の形を戻した後。再び、更に尖らせて。

 ごまかすように「ピュー…」と吹いた口笛。

 「・・・さて、と。」

 我に返って、砂と泥のついた手のひらを使って。ベルトのワンポイントの白い花飾りが泥で汚れた水色で泥色のメリージェーンパンプス(ヒールのある、サンダルのように足の甲部分がオープンカー風に開いた靴(プレーンパンプス)にベルトとリボンなどのワンポイントがついたもの。元々のパンプスというものは正装用だが、このヒールがやや尖らず平べったいパンプスはカジュアルタイプの物である)のかかとを起こしつつ濡れたお尻を持ち上げる。・・・         

 力の入った手の平に少しの砂粒とアスファルトが食い込んで跡になる。

 「ん・・・?」

 と、ここで何やら違和感を感じ。

 「…鏡、忘れちゃったかな?ポケットに入ってないや」

 自分の尻を戒めでもするかのように叩きつつ、ズボンの後ろと両脇のポケットを表側からまさぐっている。しかし探しているものは、彼女が探す「鏡」というものはポケットの中にも一部が乱れた地面にもなく。

 あるのは後ろのポケットに収められた、鏡ではない物の、その存在を再度確認したことで再び浮き上がってきた異物感だけだ。

 「まあ、いいか。」

 「今日は。」

 「…何も持ってなくてよかった。ぶちまけなくて。」

 また独りごちて。

 「何も持ってないから転んだのかもだけどね。注意力がおろそかになって。もっともそれなら「転ぶことはない」はずだけどね」

 自分を持ち上げ、腰を空間の中心に据え。再び進む、かつ、かつと。

 今度は愉快に聞こえる足音。

 今度の私は、さえない様に見えて何だか頭が冴えていた。

 さっきのすっ転びでわたしのどこかのなにかのスイッチが入ったようだ。

 「向こうに着いたら水道借して貰おうかな。体はいつも綺麗にしとかなくちゃ」

 冴えた頭で再びそのあたりを見回してみる。

 辺りの夏葉の濃い色が、より鮮明に、さっきより色濃く見える。様に感じる。

 時に希薄軽薄に、時に濃密精密に。個人の視野の広げ方、物の見方次第で世界はいかようにも見える形を変えるのだ。

 その在り方は、個人個人によってプリズム(光を屈折させ、虹状に分散させる物)に可視光線を通した時の、嘘みたいに見えるそれは、しかし本当であり。故に本当に違うものである。

 人間独りの物の見え方ですら、プリズムの色眼鏡を着けたり外したりする様に常に変わっていくものだから。(まあそれはあくまで私の視野の有り方にすぎないのかもだが)

 まあ、あくまで参考までにしておくことだ。プリズムの、三角形の柱の眼鏡なんて存在しないものだし、存在したとしてそれは色々な意味で目に痛いものだから。(目よりは耳か?

鼻当ても食い込んで痛そうだ、三両鏡の飛び出た眼鏡。)

 人間の心の複雑さは、スペクトルの真実を解析するそれより遥かに分析しがたいものだから。

 何にも考えなければ単純なものなんだろうけど、

 深く考えれば考えるほど複雑で難しいものになっていく。・・・それはそれで楽しいことなんだけどねえ。楽しむなら程々が一番、突き詰めすぎるとそれ以上楽しめなくなる。

 それは何もかも滅ぼす「作業」だ。海の鰯も信心があろうがなかろうが考えなしではいつかは尽きるのだ。(私の)おばあちゃん←も言っていた…「手の込んだ料理ほど不味い」と。

 山稜鏡プリズムで眺める色の景は、屈折したものであると言うことを覚えておくべきである。例えばその道を行く人、物を作る人の視点は悲しい程無垢とは違う。全て材料に見える。

 ぽっかりと穴の開いたリング状の色眼鏡は、せいぜい自分の分割されたフレネルレンズを補う程度のものと考えておけばいいのだ。

 今日までしばらく雨が降っていなかったため、そこら辺、そこら辺り(とは、言わないか?しかし何かを口にするとき、喋るときは意図せずそういう言葉が出てしまうものだ)には。

 遠くまで見え、切れ目の見えないアスファルトの境界線、その内にも外にも、アスファルトの境界線を縦に、高さという概念で分割するアスファルトと土の間の段差。その周囲にも境界線上の丁度真上にも、茶色く乾いた、しかし湿った幾つかの塊。枯葉が散らばり、或いは境界線を縦に分割する高さの上に、土とアスファルトの両方の境界を敷居に寝そべる形で乗っかった水を吸って久々に潤ってたるんでいる枯れ落ち葉があって。

 …ついでに私が靴底で撒き散らした、コンクリートで出来た側溝の蓋の上の泥と苔たちも散らばって。

 まあその意味を考えることは、やっぱりどうしてここでは意味のないことである。

 私は軽く湿った坂道を先程よりは注意深く下っていく。

 てくてく、てくてく・・・

 かつかつ、カツカツ。

 少しずつ、段々と歩いていくうちに。歩き方が慎重すぎない、しかし転ばない程度にある程度意識が集中された風な歩き方に最適化されていく。腰の正中線と靴の重さはは重力に沿って。

 やっぱり時間が少し過ぎると、私はいつもの私に戻っていたのだった。

 いくらか歩いて、坂道の、林道の木陰を抜けると、そこは―

 木陰がなく(正確にはまばらに植えられた街路樹が二十歩、三十歩の割合で点在している状態である。しかもそれは左右の道に交互に植えられている状態であり、しかも…などとこの街路樹についての説明をしていても無駄なので結論だけ述べる。正直、この街路樹の存在に木陰としての意味は無い。出来る木陰のスペース自体も小さいのでやっぱり意味は無い)

 焼け石に水、とはよく言うが、おそらくこの辺りにある霧は日中の日差しによくよく、しつこいくらいに熱せられた焼け石ならぬ焼けアスファルトに先程の(二、三時間ほど前くらいだろうか)通り雨が降り注いだ時に、作り置きされた残り物である。その時は本当に、その、この坂を抜けた辺り一帯は蒸し風呂のようであった。

 そうであったのだが―

 今はそうでもないようだ。さっきよりはずっと。

 アスファルトが雨に濡れた土ぼこりのような?においは未だ尚まだまだ健在ではあるが。

 「むせるなあ…」

 鼻空と喉を通り、胸のほうまでいっぱいになる土煙の、土霧の香り。嫌いではないがなんともよく分からない香りだ。畑の土のそれとはまた質が違うし。

 好きと言うのも、嫌いと言うのも。何だか違うと思ってしまうなんともいえぬ感情で胸がいっぱいになる。

 ・・・膨らんだところで大して大きくない胸ではあるが。

 「…なんだろう、なんか誰かにひどいことを言われた気が。胸をチクリと刺すようだ。」

 なんだろうねえ、幽霊様でもいるのかねえ。

 「まあ、ここには幽霊の姿は見えないからきっと気のせいだよね」

 そりゃそうだろうよ、幽霊は見えない・・・?

 …え?

 貴方今なんて?

 「きっと気のせいだよね、…はあ、ネガティブの次は被害妄想か。やっぱりこういう暗い性格は修正したほうがいいかな、無理矢理にでもね」

 何だ、只独りごちただけか。それならば何の問題もないのだ。

 普通の人の、言動としては。

 普通より少し歪んでいるが・・・いや、それが普通か、人間としてのあり方なんてものは。

 「みんな毎日暑くてまいらないのかなあ?管理人さん達は…ああ、いまは旅行中なんだっけ。いいなあ、旅行。しばらく行ってないや。まあ、普段は「あの娘」は暑そうにして暑い暑い言ってるけど騒がし…もとい、元気そうだし。「長男さん」はあんなに細……もとい、見かけによらず(更に失礼である)毎日暑い中お花や庭木の手入れを欠かさずやってるし。奥さんはともかく……管理人さんは汗かいてそうだよねえ、まん丸だし。」

 彼女は脳裏で思い浮かべる、いつも接する「管理人」の一家、自分とは違う家族のことを。

 ごくごく普通の、家族達の光景である。

 「…でも、「あの人」と「あの人たち」は平気なんだろうなあ。特に年中暑そうな格好してるあの人は…まあ、熱さも寒さも感じられないのをうらやましい、なんていうのはちょっと無神経だけどね。」

 …彼女にとってはきっと普通のことなのだろう。

 いやまあ、別に責めるつもりはない、…けども。

 「…だからこそ、少しでも私の料理が「あの人たち」の助けになれたらいいなあ、って。結構「美味く」行かないこともあるけど、今はそれでも本当にそう思うよ」

 …いや、やっぱり他人が軽く口を挟んでいい問題ではないのかもしれないなあ。

 今度はしっかりと車と人とが分けられた歩道を行く。

 歩く。

 歩く。

 あるく。

 あるく、

 歩く。

 アスファルト、

 濡れた砂の上、

 ぬれたどろのうえ、(ややしんちょうに) 

 …すこしすべった。

 地震で隆起したアスファルト越えて。(重要な道ではないので直されはしないようだ)

 右半分には石の壁

 左半分は、街路樹と道路。

 右半分の方に視界をやっていると―

 「…あっ。」

 目玉が、上を向く。視点が石壁の、小山の様になって、緑の庭の細長い冠を戴いている石壁のほうに向かっていく。

 続いて首が傾く、足がゆっくりになる。

 「綺麗、…」

 少しまぶたを見開き。光を受けて瞳孔が小さくなった目玉と首の指したるそこには。

 「…だなあ。紫陽花」

 あじさいの花が咲いていた。

 梅雨の時期を過ぎたそれは、それの花は所々僅かに枯れ始めていたが。

 遠くから見る分にはさして気にならず。

 雨のつゆを浴び、注目を浴びて。久々にそれは輝いているように見えた。

 ピントを合わせるように目を眇めて見る、光が薄く透ける青の大きな塊。。

 その隣には、よく見ると薄い水色、しなびかけた花の小さな塊と、枯れた茶色の花弁の縁。

 その隣には、

 隣の木には、更に大きい光が透けにくいほど大きくまとまった紫の塊。

 その隣には、

 その二つ前と似ているが違う、光が薄く透ける青色の塊が開くように咲いていた。

 私の視線は曲面を描いて伸びていく。まぶたは再度開かれ、首は伸びたまま。

 真ん中の紫の塊も立派で素敵だが。

 両端の青色も慎ましくてかわいらしい。

 特に、右の方が小さくまとまっているのに対し、左の方はほんの少し自己主張気味に花がバラけて広がっているのが面白い。

 「素敵だなあ…」

 この庭園を、この霊園の管理人さんの長男さん。大学生の、造園業を志しているそのひとが手入れしているのを私は知っている。

 そして今のこの瞬間に、私の心に映る紫陽花の花のその裏にその長男さんの顔が映っていた。

 …

 …病気なんじゃないかと疑うほど、頬がこけにこけてげっそりとした、しかし目の色と口元が優しそうな感じの、しかし顔色の悪い、薄く青白いその顔を思い出す。

 特に左端のほうの紫陽花に似ているその姿かたち。

 よく言えばすらっとしていて、細身で長身で…

 …こ、これ以上悪くはあんまり言えない、本当にあんまりで、申し訳なくて言えないよ。

 実際私が知る限り、顔の奥に見える表情の通りこの人は優しい。

 私が色々と困ったときに、何度も助けになってくれた。

 本当に、ありがたいことである。

 長男さんはけっこうマメと言うか、まあ少し抜けているところはあるが(歯並びはしっかりしている)、私の知る限りでは、少なくともこの庭園の管理に当たってはしっかり丁寧に、しっかり見回って計算し尽くした手入れをしているようである。

 それ故、本当にこの庭園の景色はいつ見ても素晴らしい。

 しかし、花というものはあくまで生き物であり、幾らコントロールしようとしても時には予想の通りに行かないこともある。それは、内的要因かもしれないし「害」的な要因であるかもしれない。―私もおばあちゃんの庭を手入れしてみてそれがとってもよく分かっていた。

 特に虫の害は心が痛むものだ。食い荒らされた葉っぱも、野菜を荒らす害虫を駆除しなければならない心苦しさも。―やっぱり虫を(中略)するのはまだ慣れない。

 普通に触る分には大抵の場合全然平気だが、殺すというのはまだまだ慣れない。

 ―料理をするとき魚を〆て、根付いていた野菜を切り刻み、屠殺された家畜の肉を使う、…生きるためや喜んでもらうためとはいえ、そういうことをする人間がそんな事を言うのはおかしいことかもしれないが。…でもね?

 でもそれとはなんかまた違う気がするんだよねえ?   エゴかもしれないけどね。

 料理は感謝していただく、害虫は忌み嫌って踏みにじる―全然違うことだ、エゴであっても。

 やっぱり感謝は必要で―…まあ取り敢えず話を戻そう。

  だから、この紫陽花たちの形ももしかしたら意図して作られたものではないのかもしれないが―

 少なくとも、長男さんがこの心に残る風景を造ってくれたことは確かである。

 「式見 四季さん。」

 私はその人の名前を呟く。

 この風景を見せてくれた人。長男さんが、その人がこの木々達を手入れしなければこの風景を目にすることはなかったと言うのはきっと確かなことである。

 「ありがとう」

 私はそんなお礼の言葉を呟いた。

 「しきみ しき」さんと、紫陽花。

 それだけでなく。

 この世の全ての、巡り合わせの幸せに感謝を込めて。

 私は、私が生きているこの時間を更に進めて行くかの様に。再び、いつの間にか止まっていた足を、歩みを、脚の筋肉を、温い霧風と体の動きに合わせてなびく肩位の髪を動かしだした。

 手足や視線の動きは自然体に、平常に、しかし。手首の下の指は「彼ら」に触発されたのか、何かを作りたそうに、刻みたそうに。「普通の人」とは違う疼きのリズムを刻んでいた。

 (切断) 



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