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桜の記憶  作者: 流山晶
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小金井公園のサクラ

小金井公園のサクラ



<<<現地暦平成二十九年四月>>>


 広大な広場のあちらこちらに敷物がしかれて、その上で人々は花見を謳歌していた。ある者は食べ、ある者は歌い、ある者は踊っている。

 そんな中で、異様な風体の男が広場を見ていた。体をすっぽり覆う濃紺のマント、彫の深い顔、燃えるように赤い短髪、その瞳の色は、濃いサングラスの陰で見えない。そのサングラスは紫外線をカットするための物ではなく、紫外線増強素子をはめ込んだものである。


「和やかな雰囲気だと言うのは私でも理解できる」

男はメガヘルツ帯の音声で呟いた。辺りには、それを聞く者は誰もいないように見えるが、そうではないらしい。

「看視官殿、補機-Aを発見しました」

「どのあたりだ?」

「前方右四分の一ラド、距離は十五オリジンステップほど、この星の準第二種知的生命種族の弱結合異性単位のそばです。マーカーを視野に出しましょうか?」

「ああ、一応出してくれ。それより、補機-Aは正常なのか?」

そう言って、男はゆっくり歩き出した。

「ええ、ほぼ正常です。三百オリジン年を経た割には驚くほど正常です」

「記憶槽に残っていた情報は」

「永久記憶槽には、事故の記録がコピーされておりました」

「そこには何と?」

「第四惑星軌道上で回収したブラックボックスと矛盾しない記録です。大きめの惑星間塵と衝突し、母船も着陸船も大破し、緊急脱出ポットを射出しました。リアルタイム通信用の量子エンタングルメントビットも制御不能になったようです」

「なるほど、それで支部のエンタングルメントビットがランダム化されていたのだな」

「報告期限までに通信が全くなかったのも、こういう状況では致し方なかったでしょう」

「しかし、その可能性があるとわかっていて、ウィルス宿主を送りだしたのはまずかったと思うが……」

「いいえ、そんなことはありません。ウィルス宿主の送出は、この惑星の第一種知的生命を抹殺するという仮決定に含まれていたプロセスです。反証材料となりうる報告が無ければ仮決定は覆りません」

「つまり、積極的論理的不服申し立てが無い限り仮決定は履行されると言う事か」

「ええ、その通りです」

「逆に、それが幸いしたのかもしれない。ここの第一種知的生命は、ウィルスを撲滅してしまったよ」

「お言葉ですが、この惑星の人類は、もはや第一種知的生命ではありません。準第二種知的生命です。正式に第二種知的生命に昇格させるにしろ、抹殺するにしろ、五十オリジン年間の経過観察期間を経てからでないと銀河生命進化委員会の議題にできない決まりになっています」

「人類の発展速度を見ていると、そんなに悠長な事をしていては、自滅するか、自力で亜光速航行を始めるぞ」

「それは、それで仕方ありませんし、当分の間、辺境支部には何かをする予算は残っていません」

「予算がない?」

「今回、看視官殿が無理をして二分の一亜光速船を使いましたので、五十オリジン年分の予算を前借しました。当面、辺境支部は活動ができません。準第二種知的生命を抹殺するにしろ、その履行は大分遅れるでしょう」

「まるで私がわざとこの星の人類に手心を加えているような言い方だな。第一、Blue Star種族である私だからこそ、ペイロードを軽くし、二分の一亜高速船を使えたのだ。材料さえあればどこでも擬態を生成できるし、コールドスリープだって不要だ。そのことで文句を言われるのは心外だ」

「ご安心ください。看視官殿の行動は銀河標準倫理AIでチェック済みですから」

「そうか…… ところで、補機-AにEve-3aの記録は残っていなかったのか?」

「残念ながら残っていませんでした。補機-Aは適応型AIですので、必要ないと判断した記憶は消したものと思われます。問題はEve-3aの生存可能性です」

「補機-Aが地上に残されているという事実から、緊急脱出ポットは無事に地上に着いたはずでは?」

「Eve-3aが地上にたどり着いた事は間違いないと思われますが、記憶復活プロセスがなされなかったか、完了しなかった可能性があります。衝突時刻から緊急脱出ポット射出までの時間から考えて、コールドスリープ解除プロセスはいいとしても、記憶復活プロセスは半分も完了していなかったと推定されます」

「そうか、この星の人類もEve-3aもコールドスリープ時の記憶保持能力が著しく低いのだったな」

男は腕組みをした。人類の行動をも真似てしまうのはBlue Starの擬態機能の一つである。

「うーむ、もしかしたら最悪の事態が起きたのかもしれない。赤子のような状態で放り出されたかもしれないのだから」

「そんなことはないでしょう。おそらく、Eve-3aは生きて成すべきことを成したのではないかと思われます」

「成すべきこと?」

「ウィルスの撲滅です」

「ここの樹木の一種が特効薬になったと聞いているが……」

「Eve-3aが関与している証拠は何もありません」

「ということは、委員会のエージェントとして規則違反をした証拠はないと言っていいのか?」

「ええ、ここ三百オリジン年ほどは、そのような可能性は検索しても出てきませんでした。ただし、その樹木は、目の前の樹木も同じクローンですが、遺伝子組み換えの跡があるのです」

「たとえ、Eve-3aが遺伝子組換えをしたとしても、いったい誰が、三百年の間にクローンで殖やし続けるのだ」

「さあ、誰でしょう? 少なくともEve-3aでないことは確かです」

「補機-Aに記録は残っていないのか?」

「永久記憶槽の方は先に説明した通りで、一時記憶槽の方にはここ十年分の画像・音声記録しか残っておりません。また、ここ百年ほどの通信ログはまっさらです」

「ということは、少なくともその間は、Eve-3aとコンタクトしなかったという事か」

「ええ、その通りです。もちろん、補機は対象と連絡を取ろうとしたようですが、通信範囲にはいなかったようです」

「通信範囲と言っても、この島全体をカバーできるぐらい範囲だぞ。Eve-3aが機能していないか、左耳に仕込んだ通信機が故障したかとしか考えられない」

「ええ、その通りです。ただ……」

「ただ?」

珍しく言い淀んだAIにBlue Star-13は興味を覚えた。言いよどむのは、判断に自信がない時である。

「補機-Aは新しい対象を見つけたようです。看視官殿の視野のマーカー上の弱結合異性単位の片方を補助対象と認識しています」

「Eve-3aではなく、現地の準第二種知的生命を補助対象としているのか? なぜそうなった?」

「さあ、適応型AIを搭載していますからどのような経緯でそうなったのかは不明です」

「まさか、あの生命体がEve-3aそのものか、あるいは子孫だという可能性は?」

「Eve-3aである可能性はありません。彼女が内蔵したマイクロバイオ工場にDNAをあそこまで改変する能力はありません。また、Eve-3aには生殖能力もないはずから子孫であるはずはないです」

「Eve-3aとはDNAが違うということか?」

「ええ、あの生命体には、ネアンデルタール人由来の遺伝子が数%ほど残っていますが、Eve-3aはもっと血が濃く、ネアンデルタール人の由来の遺伝子が10%でした」

「ああ。なるほど、そうだったな。Eveは前々任者が失敗したネアンデルタール人とクロマニヨン人の融和策の名残だったな」

「ええ、その通りです。どちらにしろ、補機-Aは、対象をEve-3aと考えたらしく、記憶復活プロセスを試みたようです」

「ふん、面白いな。そんな機能は無いはずだが、それをしようとする所は適応型AIの面目躍如という所か」

「その通りです。うまくいかなかったようですが、補機-Aは回収しましょうか? 適応型AIを開発する上で貴重なサンプルになりますが」

「いや、Eve-3aが生きている可能性があるのなら、残しておきたい。Eve-3aが生きている可能性は」

男は、ほんの少し、話すスピードを落とした。

「可能性は有限です。母船の銀河標準推論AIが計算した生存可能性は20%です」

「では、補機-Aは残しておこう」

「はい、わかりました」

マントをかぶった男は、桜の花びらを踏んでぴょんぴょん飛び回るメジロに目を細めた。

「現地時間で一日後に出発だ」

そう言って、男は歩み去った。


 メジロのそばで男女が会話している。

「桜、そっちのおにぎりを取ってくれ」

オレグが箸で指し示す。

「ちょと、オレグ、箸で指すなんて行儀悪いわよ。それでも日本人?」

「いや、日本人じゃないけれど」

「んっ? そう言えばウクラナ人だったわね。忘れていたわ」

「まったく…… ドイツ人だと間違われた頃が懐かしいよ」

「えっ、あはは。そんなことがあったわね」

「それより、おにぎり、おにぎり」

「あっ、ごめん。全く、オレグはおいしそうに食べてくれるわね。こっちは体重気にしているのに」

そう言って桜はおにぎりの入った弁当箱を渡した。

「気にするのもほどほどで良いんじゃないの?」

「お医者さんには、妊娠六カ月で九キロは、増えすぎって言われているのよ」

「ほら、桜って体格がいいし、僕も体格がいいから少々重いぐらいがいいんだよ。それに、気にしてストレスをためる方が良くないよ」

「それもそうね。哺乳類だしね」

「哺乳類?」

「夏子が言っていたわ、哺乳類は遺伝が特別なんだって」

「特別?」

「DNAだけで遺伝は決まらないの。哺乳類はどのDNAを活性化させるかを胎盤を通して伝えるんだって。だから母体にストレスがたまっていたり、栄養不足だと胎児の遺伝子発現もそれに適応するんだって」

「ふーん、そうなんだ。僕はどっちでもいいよ。おにぎりがおいしければそれでいい」

「ちょっと、私の話聞いていた?」

「半分は聞いていたよ」

「半分しか、聞いていなかったのね……」

桜は溜息をつきながら膨らんだお腹をさすった。ほんの少し唇をつきだしているが、顔はにこやかである。それを見守るオレグの表情も柔らかい。


 ショートボブの女性が二人のそばにやってきた。かっちりとスーツをまとった姿は場違いであるが、美人は場違いでも様になるから不思議だ。

「あら、夏子。遅かったわね」

と言った桜の口調はどこまでも穏やかである。二年前なら、無意識に嫉妬が混じって、トーンが上がったはずであるが、今の桜は嫉妬と無縁である。

「ちょっと、懐かしい人に出遭ったのよ」

「昔の恋人とか?」

「まさか! でも…… あっ、美味しそうなおにぎりね」

「もう、すぐにごまかすんだから…… でも、まだまだあるから、沢山食べて欲しいわ」

「それじゃ、遠慮なく」

夏子は、桜の横に座って、早速、おにぎりをほおばった。

 小さな口でおにぎりをほおばる夏子。桜は、そんな夏子に目を細めながら、

「夏子って、モテると思うんだけれど、恋人は居ないの?」

と小声で聞いた。

「さ、最近は…… 居ないわ」

もぐもぐしながら夏子は答えた。

「じゃ、昔は居たってこと? オレグは?」

「ん? ないない、オレグは絶対ない。絶対なかったから安心して」

夏子は口の中のものを慌てて飲み込んで答えた。

「じゃ、もっと昔?」

「そう、大昔に一度だけ……」

「たった一度? 夏子ならいくらでも恋ができると思うだけれど……」

「恋は、回数じゃないわよ。たった一度でも、その人にとって二度とない恋になることだってある。あっと言う間の短い恋だって、どんな宝石にも負けないくらい煌めく恋だってあるわ」

夏子らしからぬ答えに、桜は小首を傾げた。

 夏子は、指についた米粒を口にいれて、にこりと笑った。それから上を指さした。その先には、満開の枝がある。

「サクラ?」 

「ソメイヨシノよ。毎年、私のために咲いてくれる…… そのたびに思い出すのよ。あっと言う間に咲いて、あっと言う間に散っていった恋を.どんな花よりも煌めいていた恋を思い出すの」

「……」


 一陣の風が花びらを舞上げる。

 上からひらひらと落ちていく花びらは、三人の頭にそっと舞い降りた。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

本作品は「あなたのSFコンテスト」参加作品です。なお、本作品はサイエンス・フィクションであり、登場する人物・地名・植物名などの名称はすべて架空のものです。

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