青星系第五惑星上空の串舟
<<<オリジン暦910,777年、現地暦延宝三年、西暦1675年>>>
漆黒の宇宙にまばゆく輝く青白い星。現地語でも青星と呼ばれるA1型の恒星である。そこから吹く星風は、暴力的なまでに高いエネルギーの粒子を含んでいる。
鉛ガラス一枚を隔ててそれらに対する時、Blue Star-13は青星の短寿命と若さに羨望を覚えるのが常であった。
オリジン暦で二千年あまりの人生の大半を銀河生命進化委員会の辺境支部長兼看視官として過ごしてきた彼にとって、自分にも若い頃があったという事実は伝説とほとんど変わらなかったし、それは初期に存在した特異点であり、例外であった。生まれた時から彼は辺境支部長であったと言っても過言ではなかった。彼は、ただ、青星の若さと荒々しさに嫉妬していたのだ。
だが、この日、彼を興奮させたのは青星ではなく、うら若い少女Eve-3aであった。正確にはコールドスリープ中の彼女と彼女を輸送する巨大宇宙船に興奮していた。直径二キロメートルに及ぶ重水素氷の玉を六つ串刺しにして、船尾には球状の慣性核融合エンジンを備えた亜光速宇宙船である。実に光速の五分の一まで加速し減速できる高速船は、オリオン腕辺境部で唯一と言っていい。もちろん、それほどまでの投資をして、彼女を送り出すのには理由がある。
彼女は銀河生命進化委員会の代理人であり、太陽系第三惑星上の人類が第二種知的種族に相応しいか否かの判断が任されている。その彼女が九光年先へ旅立とうとしているのである。種は違えども、Blue Star-13 にとっては、Eve-3a我が子のようなものである。
オリジン歴で二万年程前。彼の前々任者であるBlue Star-9 が辺境支部長兼看視官だった頃のことである。現地では、すぐれた武器を手にしたクロマニヨン人が、屈強なネアンデルタール人を駆逐しつつあった。クロマニヨン人のずる賢さ、同じ種に対しても容赦のない攻撃性を、前々任者は恐れ、手を打った。
クロマニヨン人の頭のよさとネアンデルタール人の温和な性格を混血によって融合できれば、第二種知的種族を産み出せると考えたのだ。今から考えれば、功を焦ったと言われても仕方なかったが、彼は、銀河標準倫理AIが違法と認定しないすれすれの手を打った。その結果、失敗した。
失敗したBlue Star-9が最後に取った策が、強制進化試験である。混血種の集団を辺境支部へ連れて来て、観察した。生物的な次世代育成も、試験管内の次世代培養も、計算機上の次世代合成も行った。結局、十世代に渡る強制進化試験を行ったが、意味のある結果は得られなかった。
種は、惑星とともに進化するものである。氷河期の厳しさ、薪の枯渇と砂漠化、野生動物の家畜化とそこで生み出される新種の伝染病、穀物の品種改良と生活様式の変化。惑星上のあらゆる要因が複雑に影響し合い、種は進化するものである。銀河生命進化委員会が用意した人工的な環境は、所詮、偽物である。種の進化は起きなかったし、人類の攻撃性が緩和されることも酷くなることもなかた。
結局、前々任者が辺境支部に残したものは、苦い経験とEve-3a だけであった。強制進化試験は失敗であるとAIが判断した以上、Eve-3a の次の世代は無かった。そこで、Blue Star-13 は彼女をエージェントにした。
人類の寿命は短く、成長は速い。彼は、努めて彼女を連れ出した。太陽風に翻弄される探査船、酸性雨の立ち込める衛星、灼熱の内惑星。いつの間にか、彼女の背は、擬態をまとったとBlue Star-13と肩を並べるまでに成長していた。
丁度、その頃に、銀河生命進化委員会はある仮決定を下した。太陽系第三惑星で繰り広げられる、同じ種の争い。文明が発展し、産業革命が起き、大洋を自由に行き来するようになっても、人類の攻撃性は収まらなかった。己のために、海を干上がらせ、川を移動させたし、緑の大地を砂漠に変えていった。オリオン腕辺境部の最後の楽園と言われた惑星を蹂躙する攻撃的な人類は、オリジン暦始まって以来のスキャンダルと言われている。
そして、委員会は、人類は第二種知的種族として不適格であり、人類を抹殺した上で新たな知的生命種族を育成するという仮決定を下した。辺境支部の管轄領域で、新たな第二種知的種族誕生の芽が摘まれるのは、残念な事ではあるが、今の看視官にできることは限られている。Blue Star-13は、エージェントとしてEve-3aを派遣し、不適格性の再確認をさせることにした。彼女を祖先の地に立たせること。それが、親代わりの彼にできる最後の行為だった。
「看視官殿、出航まであと二千四十八秒です。そろそろ、遺伝子ライブラリを携帯させるかどうかの判断をお願いします」
天井から響くメガヘルツ帯の合成音声が、Blue Star-13を過去の思い出から引き戻した。喋りかけたのは、辺境支部に存在する3台のAIの一つである。日常の業務をサポートし、環境を維持するもっとも重要な業務用AIがBlue Star-13 のパートナーである。
残りはうちの一台は、オリジン文明の司法を担う銀河標準倫理AIである。法を公布するだけでも、光速で何万年もかかる文明にあって、生身の裁判官は存在できない。もちろん、実質的なリアルタイム通信を可能とする量子エンタングルメントペアを用いる通信もあるのだが、あらかじめ、ペアを通信路の両端に亜光速船で輸送しておかなければならない。だから、十年に一度開かれる銀河生命進化委員会など使える場面は限られている。
九光年先の太陽系は遠い。最低限の量子エンタングルメントペアをEVE-3aに持たせるのはもちろんのことであるが、できるだけのことはしてやりたい。彼女と再会できる保証はないのだから。Blue Star-13 は溜息をついた。
「わかったよAI。もう一度確認するが、例の処置との関連で、委員会内規に違反するというわけではないのだな」
「はい、遺伝子ライブラリはあくまでもエージェントの身の安全と長寿命を保つための情報源であり、疫病ウィルス散布による人類抹殺プロセスとの関連性は認められないと銀河標準倫理AIは判断しました。実際、Eve-3aが内蔵するマイクロバイオ工場では、生産能力が低すぎて、ワクチン等を大量製造することは不可能です。また子孫も作れぬので協力者を増やすことも無理です」
「まさか、そこまで考えて生殖器官を切除したのか? 委員会を裏切ることまで想定したのか?」
「いいえ、切除したのは、マイクロバイオ工場を内蔵するスペースが必要だったという理由です。それに今回のミッションにおけるEve-3aの背信行為の可能性は0.3%で、看視官殿の場合の約半分です」
「えっ、私よりも低いのか?」
「ええ、委員会への忠誠度が95%と高レベルです。これまでの教育の賜物と思われます」
「教育と言うよりは、洗脳と言った方がいいように思えるがな。十世代の強制進化試験と完全閉鎖育成を施せば嫌でも忠誠度は上がるだろう」
「看視官殿、お言葉ですが、強制進化試験は、進化後の種族固有の性格を判断するための試験でありました。進化後の攻撃性の増減を調べるという意味では失敗でしたが、固有の攻撃性にバイアスをくわえるような遺伝子操作は排除されていますので、高い忠誠度は後天的な教育の結果です」
「だったら、人類の一部にでもその素晴らしい教育を施せば、種族ごと抹殺することもないと思うのだが……」
「その種の提案は、却下されております。看視官殿も千二百三十年前の委員会で納得されたはずです」
「わかった、わかった。つまり、看視官として、黙っていればいいと言うことか」
「いいえ、違います。AIには決定権限のない事項も存在します。今、判断していただかなければならない遺伝子ライブラリのように」
「なるほど、AIと議論したいと思った私が間違っていたというわけだ。いいだろう、ライブラリを転送してくれ」
「了解。これより、遺伝子ライブリを携帯型メモリーユニットに転送します。約百二十八秒かかります。それから、別件ですが、コールドスリープ解除時の記憶復活プロセスの順番はいかがいたしましょうか?」
「記憶復活?」
「はい。人類の場合、コールドスリープ中の記憶保持能力が著しく低いため、エージェントとしての使命だけでなく、ほとんどすべての記憶を復活させる必要があります。それに、現地語や現地で生きていくための知識もロードしなければなりません」
「ふむ、なるほど…… どうせ、すべて復活させるのであれば、順序は関係ないだろう?」
「万が一のことを考えれば、順序は重要です」
「万が一とは?」
「例えば、今回の航行は惑星間塵密度の高い黄道面を横切る軌道を予定しております。これによりミッションのリスクが0.2%上がっています」
「それは、AIが決めた軌道ではなかったのか?」
「いえ、看視官殿の希望通りに現地調査期間を二年確保するために必要な措置でした」
「ああそうだったな。限られた辺境支部の予算の内で、エージェントの航行期間、調査期間、ウィルス宿主の輸送期間を最適した結果だったな」
「ええ、その通りです。最適化した結果が二年の調査期間と五分の一光速航行です。エージェントの派遣と調査期間を設けられのは幸運です。もし、ウィルス宿主の真空乾燥輸送が不可能であったら、重量の大幅増加により、航行速度も必要経費も大幅に変わり、エージェントの派遣は不可能でした」
「まあ、第一種知的種族の運命を握っているのだから、手を抜くわけにはいかない……」
Blue Star-13の呟きは、AIの状況説明にさえぎられる。
「電磁シールド用、希薄磁化プラズマを展開します」
真っ白な重水素氷を薄紫のベールが覆い始める。まるで、大気を持つ惑星のように半透明の膜が六連巨大球を覆っていく。
それは、Blue Star-13に青い惑星と呼ばれた第三惑星を思い起こさせる。
「衝突可能性標的を蒸散、帯電させるレーザー系を起動します。テスト標的を散布しますので、看視官殿は閃光に備えてください」
青星の強い紫外線環境で生まれた彼の種族には、可視レーザーの閃光などたいしたものではなかった。むしろ、明滅する青白い発光を楽しみにしていた。第三惑星上の雷放電を思い起こさせるのだ。
その美しい楽園を破壊しようとする第一種知的生命の存在はオリジン暦始まって以来のスキャンダルと言われている。だが、そんな委員会の感想に、Blue Star-13は同調できなかった。彼の種族もまた、第二種知的生命に昇格できず抹殺されたのだ。彼には、不適格とはいえ、一種族を抹殺することの方がよほどスキャンダラスであった。
「だから、人事を尽くして天命を待つか…… いや、それなら擬態を使ってでも私が行くべきだったのだろうか……」
Blue Star-13の小さな呟きをAIが拾い上げることはなかった。
本作品は平啓さんが「小説家になろう」に掲載した「【掌編集】潮だまり」内の「桜――ソメイヨシノ」に着想を得た作品です。また、「小説家になろう」で活躍中の鳥野新さん、立花招夏さんにヒントを頂きました。この三人の方々に謝意を表します。
なお、本作品はサイエンス・フィクションであり、登場する人物・地名・植物名などの名称はすべて架空のものです。