第 4 話 《 発進 》
飛鳥は閑散としたブリッジで、リンフルスティのデータをチェックしていた。
操作はステータス画面を開いたときと同じ要領で出来た。スマートフォンを操作するのと大差はない。言語も日本語で翻訳されているので問題なかった。なのにチェックしたデータはなかなか頭に入らず、気づけば指を止めていた。
彼女の泣き顔が思い浮かぶ度に思考が止まるのだ。だが言い過ぎだったかもしれないが、後悔はしていない。
「提督様」
突然脇に現れたイラの存在にぎょっとする。刺すような視線が飛鳥を射貫く。その気になればいつでも殺れるといわんばかりの態度だ。これは警告だと理解した。それでも態度を改める気はなかった。
「ルカの様子はどう?」
白々しいと言わんばかりの顔で睨み付けてきたが、気にとめたりはしない。
「お嬢様は泣きつかれてお休みになりました。本当に人族は無慈悲な種族でございますね」
「後悔はしてないよ。子供を死地に追いたてる慈悲なんてクソ食らえだ」
「これ以上エルフの誇りを侮辱されるおつもりなら……提督とて容赦せんぞ」
これが殺気か。生まれて初めて感じた。ぞわりと体の芯に冷水でも浴びせられたような感覚だ。しかし飛鳥は怯むことなく立ち上がった。
「誇りを守ることができれば死んでもいいってのか?」
「お嬢様はわたしが守る!」
「無責任なこと言ってんじゃねえよ! 喧嘩じゃねえんだ戦争は! 今度はどれほどの血が流れる? どれだけの命を犠牲にする? あの子にその重荷を背負わせるつもりか?」
「それは……だが、この妖精艦を託された意味を――」
「女王陛下がそう言ったのか? あの子に復讐しろって命令したのか?」
「復讐などと無粋な――」
「言い回しなんてどうでもいいだよ! 母親がルカに戦えと言ったのかって聞いてんだ!」
「……当然だ。誇りある――」
「誇りの話しなんて聞いてねえだろ! 女王陛下が、国のトップが、戦い続けろと命令したのかって聞いてんだよ!」
イラが押し黙る。わかっている、答えられないことぐらい。イラが生まれるずっと前の話しだ。直接聞いたわけでもないのに断言などできるはずもないだろう。
「俺は結婚もしてないし、子供もいない。だけど俺が親なら……誇りを捨ててでも子供を守る」
「……お前は……国を失うほどの戦局で、陛下がお嬢様を守るために御自分の艦を手放したと……そう言いたいのか?」
「ああ。誇りは取り戻せるかもしれないが……命はそうもいかないだろ」
俯いたイラが何を考えているのかはわからないが、もうそれ以上は何も言ってこなかった。
しばらくしてイラが顔をあげた。その表情には先ほどまでの焦りや苛立ちは感じられない。見詰められても悪くない気分だ。
「提督様……お願いがあります」
「なんだ?」
「どうかお嬢様にそのお力をお貸し下さい」
「お前まだ――」
「誤解しないで下さい。提督様に戦いを強いているのではありません。ただ……お嬢様を守って頂きたいのです」
「さっきも言ったが俺には力なんて――」
「この妖精艦は不時着してから800年以上もの間この場所にとどまり続けておりました。それは艦長であるお嬢様のお力を持ってしても起動できなかったからです。非常用魔力のみ維持していたこの艦がようやく目覚めたのです。貴方様の力で!」
それは偶然だ。ステータスを見れば才能がないのは明白だが、それをイラに伝えるのは困難だった。
「イラ、俺には――」
「聞いて下さい、提督様!」
あまりにも真剣な顔つきで、その言葉を遮ることができなかった。
仕方がない。聞くだけならと頷く。
「お嬢様がおっしゃったとおり神の脅威は今を持って健在です。地上に住む者たちはいつ起こるかわらない『神災』という神の暴挙に為す術もなく、心の内では脅えて暮らしているのです」
イラの話しでは『神災』はある日突然、何の前触れもなく起こると言う。もっとも近い『神災』は30年前に遡る。ここより南西に黙示録をのりこえ生きながらえてきた伝統ある小国があったのだが、たった一夜にして焦土と化したそうだ。逃げる暇もない神による蹂躙。それが『神災』なのだと。
その法則性は謎とされている。ならば大規模な天災という位置づけに落ち着きそうなものだが、神族と呼ばれる者たちの存在が知られているがために恐怖するのだろう。
「その『神災』とルカがどう結びつくんだ?」
「その滅ぼされた小国には黙示録の生き残りが保護されておりました」
「生き残りって800年前の? じゃあルカ以外にもハイエルフがいたのか?」
「はい。詳しい話しは存じませんが、王族の血を引く方だったと聞き及んでおります」
「つまり……ハイエルフが『神災』の標的になると言いたいんだな?」
「可能性は十分にあるかと」
断言はできないが、たしかに可能性は高い。妖精艦が標的ならばリンフルスティを放棄する手もあるが、ルカが狙われているのなら愚策だろう。今までどおり隠者として暮らすのが一番安全だと思うのだが、本当にそれでいいのかと聞かれても飛鳥は素直に頷くことができなかった。
「リンフルスティが動き出した以上、お嬢様がこの地にとどまることはないでしょう。そう……わたくしたちがお育ていたしましたから」
イラは沈痛な面持ちで語る。
「お嬢様にはエルフのわたくしでも気の遠くなるような寿命がございます。この先もずっとただ身を隠し生き延びろなどとは言えません」
それは飛鳥も同じ気持ちだった。
「幸い陛下が遺して下さったこの艦がお嬢様をお守り下さるでしょう。わたくしも命あるかぎりお守りします。ですが……わたくしではお嬢様の心の支えにはなれません。肩書きだけだろうと提督様にはかなわない。無理を承知でお願い致します。一時でかまいません。お嬢様の側にいてあげてください!」
イラは深々と頭を下げた。
「どうして……そこまでするんだ?」
「提督様はお嫌いでしょうが王家に仕え、王族を守ることとが一族の誇り……ですが今はわたくし個人の意思として……ルカを守ってあげたい」
「……情が移ったわけか?」
「50年も共に過ごせば……家族も同然です」
誇りではなく家族として共に歩みたい……それが死地であっても。
やれやれだ。しかしみすみす家族を失うようなことはしないだろう。そのための助っ人が望みらしい。
「たく、提督だからとか、俺の評価高すぎなんだよ。だから……あんまり期待しすぎてガッカリしないでくれよな」
「では!」
飛鳥が頷くとイラは満面の笑みを浮かべた。
可愛いげのないダークエルフだとおもっていたが、なかなかどうして素敵な笑顔をするじゃないか。無茶な要求を聞き入れたわりには悪い気分じゃなかった。
「感謝致します。しかし私には財産がありません。捧げられるのはこの命のみ。ですがお嬢様を守るため差し上げることができないのでございます」
「いったい何の話しをしているんだ?」
「お礼の話しでございます」
「いいよ、別に」
「そういうわけにはいきません。命をかけてくださる提督様に恩をかえすは必然!」
命までかけた覚えはないのだが……。
「しかしわたくしが自由にできるのはこの身一つ。ですので……」
「待て! なぜ服を脱ごうとする?」
「これしかないのでございます。350年間守り抜いたこの体、どうぞお好きなように――」
「だからお礼なんていいってば!」
「それではわたくしの気がおさまりません」
知るか!
そんな重いもん貰ったら一生付きまとわれそうだ。ここはなんとしても逃げねば――。
「もっと自分を大事にしなさい!」
「そろそろ限界なのです。初産的に!」
いきなり子作りする気か?
この女は危険だ!
「イラさん人族嫌いだったじゃないですか!」
「提督様は特別です!」
「いやいや、それでも俺のこと結構嫌ってたでしょ!」
「正直に言えば……。しかし不思議と今では提督様のことを思うだけで……」
頬を染めて流し目を向けないでくれ。もういい歳なんだから……。
「お気づきでしょうがわたくし少々きつい性格でして――」
少々?
バカな。訂正を要求する。
「ですからわたくし……男性になじられるのは初めてでして、その……ぞくぞくしました」
変態だ。だいたいなじった覚えなど……多少あるか。
「ふふふ」
なぜだろう。立場は自分の方が優位なはずなのにこの危機感は?
全てを投げ出して逃げ出そうかと考えたそのとき、視界の隅に浮かび上がった文字を見て安心した。
『 ゴブリン 接近中 』
ナイスタイミング!
飛鳥は迫ってきたイラを引き離すと――。
「敵襲だ!」
と、恥ずかし下もなく大げさに叫んだ。
ゴブリン接近中のことをイラに伝えると、森のなかですし当然でしょうと呆れ顔で言われた。危機感が足りないのではないか?
「艦内に侵入されたかもしれないんだぞ?」
「ありえません。出入口はクルー以外開きませんので」
「俺のときは開いたぞ」
「提督様は例外でしょう。だいたい侵入者がいれば警報が鳴りますよ。ほら、こんな感じで――ッ!」
不安感を煽るような警報が鳴り響いた。ルカを見つけて厨房に入ったときに鳴っていたものと同じだ。
「やはり侵入されたんじゃないのか?」
「ありえません。でも……」
自信がないようだ。ひょっとしたら――。
飛鳥はシステム画面を開くとズラズラと並ぶ項目から目的のものを開く。
『 艦内マップ 』
選択すると艦内地図と共に誰がどこにいるかがわかるのだ。しかし艦内には三人の反応しかなかった。
クルー以外は表示されないのか、あるいは本当に侵入されたわけではないのか?
しかし視界の文字は一向に消えない。それどころか接近中の明滅が激しくなっている。間違いなく近づいてきている証拠だろう。
しかしどこから?
システム画面を注意深くみていると気なる項目をみつけてすぐに開いた。
『 レーダー観測 』
試しに操作してみると艦を中心としたマップが表示された。そこに5つの光点が浮かび上がる。光点は徐々に艦へと近づいていた。
もしかしてこれがゴブリンなのか?
拡大してみたが変化はない。ただかなりの速度で真っ直ぐに向かってきていることはわかった。
実際に走り回った飛鳥にはわかる。あの森を直進するなんてことは不可能だ。どこを通ろうと大樹に邪魔される。それにもう一つ、マップの縮尺から考えると移動速度が速すぎる。ならば答えは――。
「空か」
飛鳥の呟きにイラがはっとした顔を向けた。
「空賊かもしれません!」
山には山賊、海には海賊、そして空には空賊と呼ばれるならず者たちが存在すると言う。
「まずいな。まっすぐこっちに向かってくる」
「それならご心配には及びません」
「どういうことだ?」
「この艦の周囲には結界を巡らせておりますので空賊程度に見つかることはありません」
たしかに800年もの間一度も発見されていないというのなら信用してもよさそうだ。イラが言うには上空から見ても森の一部としか認識されないらしい。それならシャッターを閉める必要もなさそうだ。
ほどなくして上空を飛空船が通り過ぎた。大きさはこの艦の半分といったところか。見上げるとその形がはっきりとわかる。旅客機のような形はしておらず、帆船の左右に多数のセイルが翼のように展開していた。しかし統一感のない船団だった。カラーリングもバラバラなうえ、船体も微妙に違う。そのせいか飛鳥は違和感を覚えた。
警報音が止むと同時にブリッジにルカが飛び込んできた。
「なにごとですか?」
「ご心配には及びません。ゴブリンの飛空船が通り過ぎただけでございます」
しかしイラの説明にルカは納得せず、飛鳥の顔を見詰めた。正直顔を合わせづらかったが、飛鳥が目をそらすわけにはいかなかった。
「何か気になるのか?」
「はい。今まで飛空船が通りすぎたことはありますが警報が鳴ったことはないです」
「そうか……ならゴブリンだったからとか、この艦が起動したからとは考えられないか?」
「……わかりません」
まだ何か言いたそうだったが、ルカは口を閉じた。聞き分けの良い子だ。なら――。
「俺も違和感を覚えた。もっと詳しく調べられればいいんだが……どうだ?」
ルカの瞳に力が宿る。
「可能です! 観測結果を中央に出します」
飛鳥が見ていたそのままのレーダー観測スクリーンがブリッジの中央に浮かび上がる。イラが感嘆の声をあげたところ見ると、誰でも認識できるように表示したようだ。5つの光点は徐々に遠ざかっていく。
『 ホルスの魔眼 発動 』
視界のルカの前にメッセージが浮かび上がる。こんなことは初めてだ。しかし今はそれ以上に奇妙な光景を目にしていた。メッセージを尻目にルカを見ると、左目の虹彩が青から虹色へと変化する。そして一瞬の輝きが見えたかと思うとスッと消え、元の色に戻っていた。
「索敵結果を出します!」
ルカの言葉に重なるようにレーダーの光点に文字や数字が浮かび上がる。
「これは……すごいな」
驚くべきことに飛空船の詳細データが記されていた。リンフルスティのシステム画面で見たユニットステータスそのままだ。
【 ウルス級飛空船 】
【 耐久力/1500 装甲値/800 機動力/130 】
50メートルクラスの小型飛空船で耐久力も装甲値も極めて低い。小型のためか機動力はそこそこあるようだ。巡航速度などのステータスは今は無視してもいいだろう。あとは武装か――。
【 魔砲兵装 】
【 ファイアブリット[火属性] 攻撃力/1300 】
【 ファイヤバンカー[火属性] 攻撃力/900 】
本来ウルス級飛空船には攻撃力の低いファイアガン程度の魔砲兵装しか積んでいないはずなのだが、この飛空船には同型の飛空艦クラスの武装が積まれている。ファイヤバンカーにいたっては対地攻撃用の武装だ。商船には不要な武装だろう。
ホルスの魔眼の発動と共に更新されたデータベース内のウルス級飛空船と比較してみた結果が以上だ。
5隻中、4隻が同型の改造飛空船で先頭の1隻だけが毛色の違うものだった。
【 ウルス級飛空艦[ヴェラニディアモデル] 】
【 耐久力/3000 装甲値/1000 機動力/130 】
同じウルス級でも性能差は明白だ。旗艦なのかもしれない、と思った矢先に耐久力のゲージ急激に減り2000まで落ちる。遅れて轟音が鼓膜に響いた。
「今のはまさか?」
「間違いありません。先頭の飛空艦が攻撃されたんです!」
ようやく違和感の正体に気がつく。
「追われていたのか?」
「おそらく……。さっきの警報も救難信号を拾ったのではないでしょうか」
ルカの言葉が気になって急いでシステム内を探ると、たしかに信号を拾った際に警報が鳴るように設定されていた。
ようやく状況が理解できた。理由はわからないがゴブリンの乗る4隻の改造飛空船に1隻の飛空艦が追われ、救援を求めている。
「飛空艦というのは軍艦だったな? となるとこのヴェラニディアモデルというのは国のことじゃないのか?」
「イラ、わかる?」
「はい、お嬢様。それでしたらここから5千メニリーフ先にあるヴェラニディア市国のものでしょう」
「空賊が軍艦なんて襲うものなのか?」
二人も首をかしげていた。常識的に考えてありえないようだ。よほどの理由があるということか……。
厄介ごとであるのは間違いない。このまま逃げ切ってくれればいいのだが、それも難しいだろう。どうしたものかと飛鳥は悩んだ。
ルカのためにもできるかぎり目立つことは避けたい。この地を離れるにしても、しばらく情報を集めて計画を練ってから行動しようと考えてい
た。ましてや戦闘などもってのほかだ。なんせこの妖精艦には――。
「提督……お願いがあります」
ルカが真剣な表情で見詰めていた。なにを言いたいのかは聞くまでもない。
「救援に向かいたいとでも言うつもりか?」
「はい……助けたいです!」
それは純粋な願いのようだった。大人ならあれこれと理由を探して損得を考える。なのに目の前の少女はまっすぐな気持ちをぶつけてきた。
飛鳥は決断を迫られた。メリットなどわかる範囲では何もない。デメリットしか見当たらない状況で選択肢など一つしかない。それがわかって
いながらもルカの瞳に魅入られた飛鳥はNOと言えなかった。
「ルカ、艦長なら現在の艦の状況は……わかるね?」
ルカは静かに頷いた。つまり明らかに不利な状況を理解しているにも関わらず進言したということだ。
「艦長には艦とクルーを守る義務があると俺は思う。ルカはどうだ?」
「もちろん同じ気持ちです。だから無茶はしないです。でも……できるだけのことはしたい。もう後悔はしたくないから!」
ルカのことを少し誤解していた。この子はしっかりと考えている。子供だなんて見下した態度は失礼だったと反省した。だから――。
「許可しよう」
パッと明るくなったルカの顔を見て、思わず微笑みを返してしまいそうになるのをグッと堪えて、飛鳥はルカとイラに檄を飛ばした。
「これより本艦は飛空艦の救援に向かうため――出航する!」
ルカとイラが唇を引き締めて敬礼した。そしてほどなくして――。
「妖精艦リンフルスティ――発進ッ!」
飛鳥の声が艦橋に響き渡ると、800年の時を経て、遂に妖精艦は大空へと飛び立った。
次回 第 5 話 《 初陣 》




